TUP BULLETIN

速報946号 ジュリアン・アサンジ支援集会でのダニエル・マシューズのスピーチ

投稿日 2012年8月13日

私たち一人ひとりがまず行動を


 ダニエル・マシューズは、ウィキリークスの創設メンバーに名を連ねる数学者です。先月1日にジュリアン・アサンジの亡命申請を支援する集会がメルボルンで行われた際のスピーチで、ウィキリークスの活動の経緯に触れ、世界の変革は私たち一人ひとりがまず行動を起こすことから始まると訴えました。


 昨年3月の東北大震災とそれに続く原発の問題を通して、私たちが政府やメディアにどれだけ騙されていたのかが明らかになってきました。これまでデモに参加することなど考えたこともなかった人たちが、毎週金曜日の官邸前行動をはじめ積極的に声をあげるようになっています。ダニエル・マシューズの言葉は、こうした状況にある日本で多くの人の心に直接響くのではないかと思います。


 実際のスピーチの様子はこちらでご覧になれます。

http://www.youtube.com/watch?v=9n36_XVrSyU&feature=youtu.be

 本人のブログ(英文)はこちらです。

http://danielmathews.info/blog/


 (前書き・翻訳:川井孝子/TUP)

ウィキリークスと歴史

 ダニエル・マシューズ
 2012年7月1日にヴィクトリア州立図書館の前で行われたジュリアン・アサンジ支援集会でのスピーチ
 皆さん、今日は集まってくれてどうもありがとう。
 この数年遠ざかってはいましたが、創立メンバーとして、ウィキリークスの背景と歴史、そして現状についてお話ししたいことがあります。
 今日お集まりの皆さんの中には集会に参加するのは初めてという方もいるでしょう。数回目という方、あるいは長くこうした運動に携わっている方もいるでしょう。
 運動はたいてい新しく始まるものですが、私たちは気づかなくても、始まるに至った経緯、つまり歴史というものが必ずあります。そしてウィキリークスの、公正で、透明性の高い、自由な世界をもたらそうという闘いにも、歴史的背景があります。これまで人々は長年にわたり、世界を理解しよう、世界のありのままの姿を知ろう、自分の人生を意義あるものにしよう、自分の手で人生の舵を取り、よりよい世界を作ろうと、闘いを続けてきたわけですが、ウィキリークスの闘いもまさにこの延長線上にあります。ミラン・クンデラはこう言いました。「権力に対する人々の闘いは、忘却に対する記憶の闘いだ」。
 私たちはどれほどのことを忘れてしまったでしょうか?
 いま私たちが立っているのはヴィクトリア州立図書館の前です。私は今朝この図書館にいたのですが、これは素晴らしい施設です。皆さんにも、時にはここで本を手に取ることをぜひお勧めします。あ、今じゃないですよ。集会が終わってからね。
 今日は日曜日ですが、この図書館は開いています。日曜日に開館しているというこの事実は、当初からそうだったわけではありません。闘って勝ち取ったものです。この闘いで服役した人もいます。安息日厳守に反したとして裁判に訴えられた人々がいたのです。この裁判は、おそらく歴史の教科書には出ていないと思います。この人たちのことは歴史に埋もれていますが、知られていることであり、たしかにあったことなのです。
 安息日厳守主義に反対する人々は、世界に関する情報を得るために、知識を得る権利を求めて闘いました。フルタイムで仕事をしている人なら誰でも、図書館が日曜日に開いていることの必要性がわかりますよね。しかし昔はそうではなかったのです。安息日を厳守するため、日曜日には読書も学習も許されなかったのです。それで、日曜日に図書館を利用できるようにせよと、安息日厳守主義に反対の人々が立ち上がりました。この人たちは裁判で、無宗教!社会主義!無政府主義!など、あらゆる罪名で非難されました。なんてことでしょう。本を読めば様々な考え方に出会いますからね。
 しかしついに安息日厳守反対派が勝利し、それで、この栄光ある図書館は今日も開いているというわけです。ここにも歴史があり、私たちはそれを学ぶことができます。
 ジュリアン・アサンジはこの図書館で多くの時を過ごしました。ここには先ほどの闘いからまっすぐに繋がる歴史の道筋があります。人々の闘いは理性、科学、知識を求めてのものでした。今日それはウィキリークスの闘いです。ウィキリークスを創設するにあたり、私たちは、人々がこの世界についての重要な事実に気づかなければならないことを理解していました。つまり「ただ世界を解釈するだけでなく、重要なのは変革していくこと」です。そして私たちは、日曜日に図書館が開いていてほしいという願いから、時に政府や企業の情報を開示してほしいという願いに至ったのです。
 しかし今日の世界はあまりにも密接に相互に繋がり、その動きも速いため、情報と知識を求める闘いは世界規模のものとならざるを得ません。利害関係は当時よりもずっと複雑になっていて、ジュリアンは安息日厳守に反対した人々よりもはるかに厳しい状況にあります。ですから皆さんのご支援がとりわけ必要なのです。
 民主主義の国において、国民は、影響力のある諸機関が何を目論んでいるのかを知る権利を持っています。そして秘密主義が限度を超えれば、正義にかなった情報の開示が求められます。このためには、内部告発者、ジャーナリスト、知識人が必要です。「太陽光は最もよく効く殺菌剤、電灯は最も優秀な警察官」と言われます。しかし、秘密主義がますますはびこり収益基盤が揺らぐ時代、ルパート・マードックの時代、そしてジーナ・ラインハートのこの時代に、主流メディアはその力を発揮できていません。えてして学者は難解な表現でわけがわからないし、科学は権力側に取り込まれてしまうし、ライターは「真実はフィクションよりも奇なり」である真実を書かないことが多すぎる。だからこそ、情報を開示させるにはブラッドレー・マニングのような英雄的な内部告発者が必要なのです。(マニングが申し立てられている内容を実際に行ったのであればの話ですが。)そして、情報ギャップを埋めるには、ウィキリークスのような団体、つまり情報を公表する最後の砦である、人々の情報機関が必要なのです。
 そのために、つまり大胆不敵に勇気をもって最も暗いところに日の光を当てるために、ウィキリークスとジュリアン・アサンジは私たちの支援を受けてしかるべきです。ただし私たちも、単に受身の支援をしてこと足れりとするのではなく、私たち自身が学び、積極的に、ともに協力していく必要があります。
 2007年にジュリアンと私のほか数名がウィキリークスを創設したとき、ジュリアンは以下のように書いて、私たちの希望と動機を表現しました。
 「不正を眼にしながら何の行動も起こさなければ、僕たちはそのたびに、不正に対する受動性を身につけるよう自分の性格を慣らしていることになり、そうすることで、いつしか自分と愛する者たちを守る能力を完全に失ってしまう。現代の経済において、不正を見ないですむことは有り得ない。
 頭脳か勇気があるなら資質に恵まれているのだ。僕らはせっかくの資質を無駄にしてしまわないようにする責任がある。他の人の考えに立ちすくんだり、不毛な争いに勝つことに躍起になったり、新手の企業国家の効率を上げてやったり、何も知らされないことに甘んじたりするのではなく、友愛に対して見つけうる最も手ごわい敵に対して僕たちの溢れる才能の威力を知らしめなければならない。
 人生は一度きりだ。ならば、思い切って全力で冒険しようではないか。心の面でも能力の面でも誇りに思える仲間たちと冒険を共にしよう。僕らの孫たちが喜んで物語の始まりに耳を傾け、お終いにはその成果をいたるところで眼にして驚嘆するような冒険を」。
 ジュリアンが書いたように、私たちの今、私たちの目に映るもの、そして社会全体の状況は、それぞれの歴史からもたらされたものです。私たちは自分の歴史の産物なのです。ウィキリークスはその歴史の扉を開きました。そして、私たちが歴史を見、物事がどういう経緯でもたらされたのかが分かるとき、ほんとうに必要なものは何か、何を変革したいのかを問うことができます。それから自分たちの歴史を作っていくことができます。社会的機関はほとんどが歴史的に見ればまだ若いものです。作り直すことはできますし、実際、作り直す必要があるかもしれません。
 とはいえ、ジュリアンの冒険は、現在、きわめて重大な局面を迎えています。この解決は、ほぼオーストラリア政府とエクアドル政府がどう出るかにかかっており、その両政府の出方は、人々が政治的圧力をどれだけかけられるかにかかっています。
 ですから皆さん、ウィキリークスを支援しようではありませんか。ジュリアンとその仕事を支援しましょう。ジュリアンの仕事は、ジャーナリストとして決定的に重要なものです。オーストラリア政府に、政府として当然の使命を果たし自国民を守るよう要求しましょう。コレア大統領とエクアドル国民に、勇気を持って冒険をし、正義を求め、勇敢にその立場を貫くよう求めましょう。「大国を怒らせたら怖い」ですからね。そして、オーストラリア国民は、正義、自由、透明性をめざして、エクアドル国民との連帯をあらためて確認しましょう。彼らの勇気はこちらにも確かに伝染することを告げましょう。
 そして私たちは私たちで、全員で大胆な偉業をなしとげましょう。友愛に敵対する者に打ち勝つのです。オーストラリアには友愛の敵が跋扈しています。この国の正当な所有者であるノーザン・テリトリーの先住民に対し19世紀の植民地主義的方法を適用するところに友愛はありません。国際法で厳しく求められているノン・ルフールマンの原則*に違反して、難民でいっぱいのボートの受入れを拒否するところに友愛はありません。アフガニスタン爆撃に友愛はありません。世界の気温を4度上げる炭酸ガス排出に友愛はありません。消費資本主義に友愛はありません。そして言うまでもなく、中身のない「領事館の力添え」でもっともらしくジュリアン・アサンジを葬り去ろうとするところに友愛はありません。
 友愛に反対する者は数多く存在します。やるべきことは多いのです。だからこそ、ジュリアン・アサンジに対する支持を表明しましょう。アサンジのアドバイスに従って、私たち一人ひとりがまず行動を起こすことから始まり、最後には子供たちやそれに続く世代に恥じることなく残すことのできる世界を実現することで終わる、自分たちの物語を作り出していきましょう。
 *訳注:難民の送還先には、政治的意見等を理由にその生命または自由が脅威にさらされる恐れのある領域の属する国を含めないものとすること。