本稿はアルジャジーラ紙オピニオン欄に掲載された、”January 26: The day Indians reclaimed their republic” の邦訳である。この前書きでは、複雑なインド社会を理解しやすくするために、背景を少し説明したい。
2020年にインドの国会で可決された新しい農業法が、大企業を潤し農民には不利であるとして、農民の大反発を招いた。最初は局地的であった抗議は瞬く間にインド全土を揺るがす大規模デモへと発展し、2021年春現在もまだ収拾の見込みはついていない。インド全土で2億5000万人が一斉にストライキに参加した日もあり、これらの抗議デモやストライキは歴史上最大規模の動員数と言われる。
世界中で分断が憂慮されるご時勢において、このうねりがここまで大規模にインド人を動かしたのは、既存の政党や思想、宗教やカーストといった囲いをなぎ倒し、カオス的に繋がった人々の底力と言えるだろう。
一連の抗議デモで中心的な役割を果たしてきたのは、インド有数の穀倉地帯であるパンジャブ州の農民たちで、シーク教徒が多い。彼らはインドの中で、宗教的にも歴史的にも独特の立ち位置を占めている。歴史的にはムガル帝国のムスリム勢力と何度も戦い、インドとパキスタンが宗教を元に分離独立した際には、ヒンドゥー教徒が多数のインド側についた。しかしその後、シーク教徒の国を樹立しようとインドから分離独立を求める運動が高まった時期もあり、必ずしも常に多数派のヒンドゥー教徒と良好な関係を保っていたわけではない。
また、本文中に出て来る「ダリット」とは、インドにおけるカースト制度の最底辺、あるいはカースト外に位置する「アンタッチャブル(不可触民)」と呼ばれてきた人々のことである。彼らはインド社会で長く虐げられ搾取されてきた人々で、過酷なカースト差別から逃れるために、平等を説くイスラームに改宗した人々もたくさんいる。
本文中に何度も出て来るレッド・フォートは、ユネスコの世界遺産にも登録されており、インドの共和国記念日である1月26日と切っても切れない関係にある。17世紀にムガル帝国によって建造された城塞で、デリー城、または赤砂岩でできているためラール・キラー(ヒンディー語、ウルドゥー語で「赤い城」という意味)とも呼ばれる。時代によって支配者がムガル人であったりイギリス人であったりしたが、ここに旗を掲げることは、インド人にとって支配者からの解放のシンボルでもある。その「支配者」が、今度はインド人自身、資本主義の波、あるいはヒンドゥー至上主義の政権と結びついた大企業だった。
インド近代史上もっとも右傾化した政権、また社会風潮の中で起こった2021年1月26日の出来事は、象徴的なものに過ぎないかもしれないが、カオスの中から民衆のパワーを引き出すインドらしさ、人々が運営する共和国という国の在り方を、もう一度見せてくれたと言える。
(前書き・翻訳:法貴潤子/TUP)
インドの共和国記念日である1月26日、何十万人ものインドの農民が新しく導入された農業法に抗議してニューデリーへと行進した。そしてメインの行進から分かれた数千人のデモ参加者が、レッド・フォートに入った。ここは毎年、インドの独立記念日である8月15日に、首相が国旗を掲げて国民に向かって演説を行う象徴的な場所だ。抗議デモ参加者の多くはパンジャブ州からやって来たシーク教徒たちで、彼らはインドの三色国旗と並べて、自分達の聖なる旗ニシャン・サヒブ([シーク教徒の]精神的、政治的主権の象徴)を掲げた。
1月26日は、インド人にとって象徴的な日だ。1950年のこの日、インド憲法が施行され、インドは共和国であることが正式に宣言された。その71年後にニューデリーで起こった出来事は、インドの人々がこの国は共和国だとはっきり再宣言したことを示している。
生まれ変わった共和国がみんなそうであるように、これもまた不完全で未完成のものだ。混沌とし、この国がどこへ向かうのかはっきりしないが、ちょっと立ち止まって、今インド史上前代未聞の節目を目撃したことを噛み締めようではないか。
これが前代未聞なのは、独立後のインド史上最も独裁的、圧政的である右派勢力バーラティア・ジャナタ党(BJP)がこの出来事を予見できず、レッド・フォートの蜂起に至るまでの過程をコントロールできなかったことだ。今回の農民による運動は、過去にあったように時間と共に立ち消えるのではなく、警察や治安当局の脅威にも関わらず勢いを増しているのも前例を見ない。更に、主流政党やリベラル層がこの運動をハイジャックして、最終的には潰してしまうこともできなかった。そしてこの運動は、ほとんど機能不全のインド・メディアが虚偽の報道を続けたにも関わらず、勢いを増し、それどころかインド民主主義の四つめの柱を取り戻し、新しいメディア機関を生み出した(訳注:民主主義の四つの柱は、立法、行政、司法、メディア)。
確かに1月26日の出来事の後、BJPはいくらかのコントロールを取り戻した。そして警察はデモ参加者を激しく弾圧した。また、大規模なネットワークを持つヒンドゥー国粋主義グループは、この運動のイメージに泥を塗るため、ソーシャルメディアでせっせとフェイクニュースや噂を広げることに勤しんだ。
しかしそれは、この出来事が歴史的であり、革命的であり、そしてインドの未来において重要な帰結をもたらすことを否定するものではない。多くの人はこのことを理解するのが難しいようだ。
もちろん、BJPは率先して1月26日の出来事を非難し、デモ参加者のことをシーク教の旗を掲げた「反ナショナリスト」だと表現した。興味深いことに、2014年にシーク教の旗がレッド・フォートに掲げられた時は、それがBJPの反ムスリム・アジェンダの大枠に収まっていたため、彼らは苦言を呈さなかった(レッド・フォートはムガル人によって建造されたが、18世紀にシーク教徒が彼らを打倒したシンボルとみなされた)。
しかし恐らく、より驚くべきことは、インドのリベラル層が抗議する農民たちにだいぶご立腹らしいということだ。レッド・フォートで三色インド国旗の横に他の旗を立てたのは、彼らの平和な抗議というイメージを台無しにするという理由で。口先だけのリベラルのメシアであるヨゲンドラ・ヤーダブやメーダ・パトカールといった活動家たちは、農民たちの運動を「暴力」を復活させるとして反対した。
抗議デモ参加者の一部がデリー警察に許可されたルートから外れ、バリケードを破ってレッド・フォートに入った、とリベラルたちが非難するのは滑稽だ。リベラルのみなさん、革命というものは決して周到に計画された通りにはいかないことにご用心。それは、あなたたちの思うように前菜からデザートまで、きちんとした順番で食事が出て来るディナー・パーティーとは違うのだから。
歴史上最もよく計画された政治運動でさえ、予期しない紆余曲折があるものだ。計画性と自然発生性は必ずしも相反するわけではなく、抑圧的な政権を成功裏に打倒するには両方が必要なこともある。実のところ、レッド・フォート占拠の自然発生性は、インド全土において前例のない規模で組織された草の根政治運動の副産物だと言える。
この運動が歴史上重要なのは、率いる者の中に思想的に相反し、逆進するいくつかのグループが含まれていたにも関わらず、―含まれていたからではなく―継続し、拡大していったことだ。例えば、インド共産党マルクス主義派、つまりCPI(M)の農民組織である全インド農民組合 (AIKS)はこの運動を牽引したグループのひとつだった。CPI(M)はよく知られているように、1964年の創設当時から修正主義のマルクス主義勢力で、彼らが州政権を取るといつも労働者階級の利益をないがしろにし、農民の土地を取り上げて大企業へ売却し、反対する者は弾圧してきた。
皮肉なことに、CPI(M)の政治局員でありAIKSの長であるハナン・モッラーが、レッド・フォートに入った者たちを非難している間にも、レッド・フォートではデモ隊の一部がAIKSの旗を掲げている姿が見られた。
他にレッド・フォートの出来事から距離を置いたリーダーには、2013年にウッタル・プラディッシュ州にてヒンドゥーとムスリムの間で起こった暴動に関し、コミュニティ間の衝突を煽った罪に問われている元BJPの同調者、ラケーシュ・ティケートがいる。
しかしまた、レッド・フォートの占拠を支持したらしい者の中には、元BJP同調者たちもいた。実は農民たちが城へ入るのを鼓舞したのは、ユニークで派手なディープ・シンドゥという人物だと言われている。彼は俳優から政治家へと転身した人で、BJPの農業法に反対してパンジャブ州の農民を大規模に動員することに成功した。彼はつい最近、2019年までパンジャブ州でBJPの選挙キャンペーンに参加していたにも関わらずだ。
このような矛盾は、インド政治の複雑さを反映している。一方で、この運動に後進的な勢力が存在するのは大きな問題であるが、民族とカーストの複雑な関係ゆえに、そのような勢力は大衆を大動員できることを覚えておかなければならない。また一方で、様々なイデオロギーや民族的・宗教的繋がりを持つ進歩的な勢力は、この農民運動を率いる少数派かもしれないが、イデオロギーの高潔さを持ち、成り行きでレッド・フォートを包囲するような出来事を支持することもできる。
現在も続くこの農民の抗議運動は、過去にダリットやムスリム・コミュニティの進歩的な勢力が率いたデモよりも、インド大衆の共感を呼んでいることは無視できない。残念なことに、民族、宗教、カーストの関係が大きな影響を及ぼすインドの政治・社会生活において、ムスリムやダリットがインド全土で大衆を動かし、リーダーシップを発揮するのは常にとても困難だった。
全国レベルでは盛り上がらなかった数々のイベントについては、これで説明がつく。ダリット勢力がバラモン勢力を破ったビーマ・コレガオンの戦い200周年記念に行われた2018年のダリットの集会。あるいは2020年にニューデリーで市民権法に反対してイスラーム教徒の女性達が行った大規模な座り込み。また、2019年、ダリットとムスリムの群衆がデリーの歴史建造物ジャーマー・マスジッドに集まり、ダリットのリーダー、チャンドラシェカール・アザード・ラーバンがダリットとムスリムの団結を宣言した集会。
インドの進歩的な勢力は、いくつかの後進的な勢力のような動員力は持たないが、農民運動における彼らの存在や影響は明らかにあった。
1月26日、ニューデリーのレッド・フォートでこの出来事が繰り広げられている最中、ムンバイではこれに連帯して数千人の小規模農家がデモ行進した。これらの農民のほとんどは、インドで最も隅に追いやられてきた原住コミュニティの出身で、歴史的に最も虐げられてきたが、最も不屈の人々でもある。ニューデリーで抗議する農民たちに連帯を示して、インド各地の多くの進歩的組織も小さい行進やパレードを行った。カルナタカ州のトランス女性たちのような小さな社会グループも、抗議運動を支援するために動いた。彼女たちはあちこちから州都ベンガルール(訳注:旧バンガロール)へ抗議のために集まって来る農民に食事を準備し、配った。
これらひとつずつのグループや組織が、それぞれ自分たちの能力と思想体系に基づいて動き、1月26日にインド共和国を取り戻したのだ。彼らは極右のヒンドゥー国粋主義者に異議を唱え、インドはまだ共和国であるという警告を送りつけた。進歩的勢力と後進的勢力のこのような共存は矛盾するように見えるかもしれないが、この不完全な団結が農民の運動を拡大し、前進させた。そしてこのようなことは、インドの歴史の重要な節目において以前にも起こったことだ。
そのような節目のひとつが、91年前の大晦日の日だ。この日ジャワハルラール・ネールのリーダーシップの元、インド国民会議派はラビ川の川岸でインド国旗を掲げ、単なる「自治領という位置づけ」ではなく、イギリス植民地支配からの「プールナ・スワラージ」―完全な独立―を求めた。数週間後、ネールは会議派の支持者たちに1月26日をインドの独立記念日とするよう呼びかけた。
この日は、インド中の様々な組織に属する解放戦士たちに祝われ、インド独立へ向けた新たな戦いの始まりとなった。最初、完全な独立には反対していたガンディーも、これに加わった。これはイギリスを揺さぶった歴史的な瞬間で、彼らはインド人がそのような「宗主国に対する不服従」に出るとは夢にも思っていなかった。
インドの歴史上、独立に向けてこの決定的な一歩を踏み出したインド人指導者はネールだとされているが、真に評価されるべきは別の人物だろう。それは「プールナ・スワラージ」の思想を仲間の誰よりも熱烈に広めたパンジャブ人の社会主義革命家、バガット・シンだ。断固とした無神論者でもあったシンは、イギリスからの完全な独立だけでなく、インドの支配者階級の打倒も主張した。
ガンディーのような指導者たちは、彼の革命的な考えや行動が気に入らず、これに強く反対した。インド国民会議派を率いる政治エリートたちの志向に比べ、シンはあまりに急進的すぎたが、彼らはシンの「プールナ・スワラージ」を受け入れざるを得なかった。
つまりこれは、今日私たちが目の当たりにしているのと似た、1月26日を歴史的な日にした矛盾する思想同士の不完全な団結と言える。それはイギリスからの完全な独立を勝ち取るまでの長い旅のはじまりだった。インドのすべての組織が、それぞれの枠組みの中で有機的に参加した旅だった。ただひとつ、独立闘争中、他から距離を取ったり、イギリスの協力者であり続けたりしたヒンドゥー教右派の民族義勇団(RSS)を除いては。
皮肉なことに、RSSと同じ思想を持つBJPが今、似たような立場に立たされている。彼らは、インド共和国を取り戻し、その礎を強化しようとする民衆運動に反対する立場を取っている。更に皮肉なのは、ちょうどイギリスが、本来イギリス植民地支配の安全弁として機能していたはずのインド国民会議派がその権威に盾突くとは想像しなかったように、BJPも自分達の賛同者であるティケートやシドゥがこんなにすぐ反旗を翻すと思っていなかった。
よって、2021年1月26日が重要なのはこういうことだ。1930年と1950年の同じ日に起こった歴史的出来事がまた起こっている。人々によってインド共和国が生まれ変わり、取り戻された日だ。
そう、これは不完全で未完成だ。しかし、まだこの歴史的に重大な節目を否定したり、この運動に泥を塗ったりするのに忙しい人々に思い出してもらおう。1930年1月26日に起きたことも混沌として慌ただしく見えたかもしれないが、それはやがてイギリスの植民地権力の没落へと繋がったことを。2021年1月26日、インドの大衆は、歴史の流れに逆行する極右ヒンドゥー国粋主義者と大企業の癒着を断ち切ろうとしている、とはっきり示したのだ。
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原文:”January 26: The day Indians reclaimed their republic” by Tamoghna Halder
Al-Jazeera, Opinion, 4 Feb 2021
URI: https://www.aljazeera.com/opinions/2021/2/4/january-26-the-day-indians-reclaimed-their-republic
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