2003年には、1年が自分に残された寿命のように思えた。愚か者は「なにもかもすぐによくなるさ」といった。楽観主義者は1、2年の猶予を占領者に与えようとしていた。現実主義者は「少なくとも5年は何事も改善しないだろう」といった。 悲観主義者は?悲観主義者は「10年はかかるだろう」といった。
この10年を振り返り、占領者たちと彼らの操り人形のイラク政府とが10年間私たちに何にをしてくれたのか、みてみよう。この10年で、彼らが何を成し遂げたのか?私たちは何を学んだのか?(本文より)
2007年10月、難民になってしまったという報告を最後に、途絶えていたリバーベンドが日記を再開しました。たぶんこれが最後だろうという言葉とともに。
戦渦のバグダードから、毎日の暮らしを営む人間としての声を届けていてくれたリバーベンドの「この10年で学んだこと」。彼女の声はますます強く深く確固たるものとして心に届きます。
(この記事はTUPとリバーベンドブログ翻訳チームの連携によるものです)
前文:金 克美(キム・クンミ)/TUP 翻訳:伊藤美好・金克美/リバーベンドブログ翻訳チーム
2013年4月9日火曜日
あれから10年・・・。
2013年4月9日で、バグダード陥落からちょうど10年になる。あの侵略から10年。数百万のイラク人の人生が永劫に変わった日から10年。とても信じられない。日々の営みを世界中と分かち合っていた頃が、ほんの昨日のことのように感じられる。今日は、再び、私の思いをこのブログに書き留めておかなければならないと思う。おそらく、これが最後になるだろう。
2003年、私たちは、自分たちに残された命の長さを、あと何日、あと何週間と数えていた。来月まで生き延びられるだろうか?この夏を越せるだろうか?生き抜いた人もいたが、多くは逝ってしまった。
2003年には、1年が自分に残された寿命のように思えた。愚か者は「なにもかもすぐによくなるさ」といった。楽観主義者は1、2年の猶予を占領者に与えようとしていた。現実主義者は「少なくとも5年は何事も改善しないだろう」といった。悲観主義者は?悲観主義者は「10年はかかるだろう」といった。
この10年を振り返り、占領者たちと彼らの操り人形のイラク政府とが10年間私たちに何にをしてくれたのか、みてみよう。この10年で、彼らが何を成し遂げたのか?私たちは何を学んだのか?
私たちは多くを学んだ。
人生は不公平だが、それにもまして死は不公平だということを。―死は善き人々を選んで連れ去る。死さえ、運・不運がある。運のいい人たちは「正常に」死ぬ・・・がんや、心臓発作や、脳卒中といったありふれた死に方で。不運な人たちは、ばらばらになった肉塊を拾い集められることになる。彼らの家族は、夥しい血に染まった地面から、どうにかかつての面影をかき集め、救い出し埋葬する。不思議なことに路上の血は赤くないのだ。
私たちは学んだ。国が原油の海に浮かんでいても、国民が貧窮にあえぐようなことがあるのだと。街がどぶ川に変わり、妻や子がごみをあさって食べ、異邦の地で金銭を乞うようなことがあるのだと。
私たちは学んだ。今、この時代において、正義は勝利しないと。罪のない人々が日常的に迫害され処刑されている。ある者は法廷で、ある者は路上で、そしてある者は私的な拷問部屋で。
私たちは学びつつある。堕落がひろがっていることを。パスポートを発行してほしいって?あいつに金を払えばいい。公文書がほしいって?そいつに金を払え。ある人を殺したい?やつに金を払えばいいさ。
私たちは学んだ。何十億もの人々を消し去るのはそう難しいことではないと。
私たちは学びつつある。2003年までは当たり前と思っていた快適な設備―そう、ぜいたく品よね―電気、蛇口から出るきれいな水、歩くことのできる道、安全な学校―、そうしたものは、それに値する人々のためのものなのだと。自国に占領者を受け入れたりしない人々のものなのだと。
私たちは学びつつある。占領を最も熱烈に歓迎したやつら(売国奴め、お前たちのことよ)は結局のところ海外に去ってしまったということを。やつらはどこへ行ったのか?十中八九アメリカへ、鼻の差でイギリスへってとこ。もし私がアメリカ人だったら、ひどく憤慨しただろう。あれだけ莫大な金と多くの人命を費やしたんだから。イラクのチャラビやらマリキやらハシミやらといった、けちな連中にはイラクに留まっていてもらって、つけは、きっちり返してもらわないとってね。私がアメリカやイギリスの入国審査官だったら、イラクを逃げ出したやつらにこう言ったろう。「あんたたちの国を我々が侵略してやったとき、あんたは幸福だったんだろ?解放してやったときも、幸福だったんだよな?あんなに幸福だったんだから国に戻れよ、イラクは自由になったんだから!」
私たちは学びつつある。民兵は殺す相手を選ばないということを。世界一簡単ないいかたをすれば、シーア派の民兵はスンニー派を殺し、スンニー派の民兵はシーア派を殺す、となりそうだけれど、実際にはそうはいかない。そんな単純なものではないのだ。
私たちは学びつつある。指導者たちが歴史をつくるのではないことを。人々が歴史をつくるのでもなく、歴史家たちが歴史を記すのでもない。マスコミがやるのだ。世界中で、フォックスニュースが、CNNが、BBCが、アルジャジーラが、歴史をつくるのだ。彼らは自分たちの思うとおりにものごとを捻じ曲げる。
私たちは学びつつある。仮面は剥ぎ取られたと。いまや偽善を恥じるものなどいない。ある国(たとえばイラン)に対抗しておきながら、どこか別の場所(たとえばイラク)を通じてイランを支援するなんてことができる。(たとえばアフガニスタンで)宗教的過激派に反対だと宣言しておきながら、どこか別の場所(たとえばイラクやエジプトやシリア)では宗教的過激派を助長することができる。
2003年には占領が、自由と民主主義への入口だと思い込んでいた人たちが、過ちだったと学びつつある(遅きに過ぎるが)。占領者たちは、あなたたちの 最善の利益なんて気にかけていない。
私たちは学びつつある。無知は文明社会の死であり、皆が自分の偏った考えを他人も共有すると思い込んでいることを。
私たちは学びつつある。偏見に固まった人々を操ることがいかにたやすいかを。また、政治と宗教は決して融合しないことを。たとえ、ある超大国が融合すべきだといったとしても。
でも、悪いことばかり学んだわけではない・・・
私たちは学んだ。まったく期待していなかった相手から親切を受けることがあることを。私たちは学んだ。その人々に対して持たれている固定観念を踏み越えて、私たちを驚かせてくれる人々がしばしばいることを。私たちは学び、今も学び続けている。数々の強さがあることを。イラク人はそう簡単に押しつぶされないことを。時間の問題だ・・・
そして、私たちには学びたいことがある・・・
アフメド・チャラビ、イヤド・アラウィ、イブラヒム・ジャーファリ、タレク・アル・ハシェミ等々のハゲタカどもは、今どこにいるのだろう?アメリカやイギリスなどにある隠れ家にこそこそ這い戻ってしまったのか?マリキはこれからの1、2年、どこにいるだろう?イラク人を殺して手に入れた巨万の富を取りにイランに舞い戻り、ヨーロッパのどこかの国に亡命しようとするのだろうか?怒れるイラクの大衆から遠く離れて・・・
ジョージ・ブッシュ、コンディ、ウォルフォヴィッツ、パウウェルはどうなるのか?彼らは、イラクにもたらした荒廃と死の責任を問われるだろうか?サダムは30万人のイラク人の死の責任を問われた・・・もちろん、100万人もの死の責任を、誰かが問われるべきよね?
最後に、全ていい尽くされ、行われた後で、これが何のために行われたのかを忘れてはならない―そう、アメリカをより安全にするため・・・で、アメリカ人たち、以前より安全になった?もしそうなら、なぜ、あなた方の大使館や外交官が襲撃されたと耳にすることがこんなに増えているのかしら?なぜ、こっちの国やあっちの国に行かないようにとあなた方はいつも警告されるの?10年経った今は、ちょっとはましになった?数百人、数千人の風変わりなイラク人と一緒にいて、以前より安全だと感じるかしら?(仮に半分は女性と子どもだとしても、子どもは育ちますから、ね?)
そして、リバーベンドと家族にはなにがあったのか?私は結局シリアから脱出した。激しい戦いが始まる前に、醜悪な事態になる前に、脱出した。なんとも幸運だった。私は近隣の国に移り住み、ほぼ1年滞在した。それからまた、3つめのアラブ圏の国に移住した。望みを持って。こんどこそは、しっかりと・・・って、いったい、いつまで?悲観主義者でさえ、もうなにも確信することができない。いつになったらよくなるの?いつになったら普通に暮らせるようになるの?いったいどれだけの時がかかるの?
現実が醜い頭を再び持ち上げたことに失望した人は、フォックスニュースをみればいい。あなたの良心を慰めてくれるようなニュースをみられるに違いない。
私について尋ね続け、私がどうしているか案じ続けてくれた人たちに、感謝する。”Lo khuliyet, qulibet…”「もし世界から善き人々が消えたら、世界は終わるだろう」という意味だ。いますぐ終わってしまうことはないってことは、届いたメールをチェックするだけでわかる。
午後10時20分 リバー
(翻訳:伊藤美好・金克美)
原文:http://riverbendblog.blogspot.com/
日本語:http://www.geocities.jp/riverbendblog/