TUP BULLETIN

TUP速報994号 バーニー・サンダースの台頭

投稿日 2016年2月9日

◎99%からの異議申し立てが始まっている


米民主党の大統領候補を選出するアイオワ州の党員集会で、本命と目されていたヒラリー・クリントン元国務長官に肉薄する善戦を見せたバーニー・サンダース上院議員。多くの日本人にとっては馴染みのない名前と顔であるサンダースは、自らを社会主義者と定義する。

ある元外交官は「社会主義なんてアメリカ人には絶対に受け入れられない思想のはず。ありえない。何が起きているのだろう」といぶかり、別の人は「大学学費無料など若者に迎合した政策が受けているのだろう。ドナルド・トランプと同じようなポピュリスト、ただしこちらは左側」と評した。

サンダースの支持者は確かに若い。アイオワ州党員集会の投票でも各種世論調査でも17歳〜30歳層では80%以上がサンダースを支持、年齢層を40歳まで広げてもクリントンをだいぶ上回る支持率を示している。

一見降ってわいたように見えるが、このバーニー・サンダースの台頭には、深く広く張り巡らされた根がある。社会主義的な政治思想の、アメリカという国の中での歴史的な深度と空間的な広がりについては本稿本編の「バーニー・サンダースの台頭」に詳しいが、その前に、この若年層が牽引する民主社会主義の勃興はアメリカ一国の現象ではない事を簡単にさらっておきたい。

2015年9月半ば、英国労働党の党首にジェレミー・コービンが得票率6割で選出された。コービンは議員歴33年のベテラン下院議員だが、常に党内最左派の一席を占め、ブレアとブラウンの提唱するニューレイバー「第三の道」には批判的であったために、一度も役職に就いたことがない万年平議員だった。

他の党首立候補予定者がすべてブレア派かブラウン派の閣僚経験者だったので、緊縮財政に反対する左派の党員の声を議論に反映するためにコービンは立候補を決意したものの、議員推薦がなかなか集まらず、規定数を達成したのは立候補届け締切2分前だったという。コービン自身も、「活発な議論があるべき」との理由で推薦人になった議員たちも、英国中だれ一人、彼が党首になるとは考えていなかった。

しかし党首選が始まると、テレビやラジオでの候補者ディベートを通じてみるみる支持が拡大、組合や地方支部が次々にコービン支持を表明した。これにあわてたニューレイバーの重鎮たちや、当初は泡沫候補として鼻にもかけなかった既製のマスメディアによる容赦ないバッシング・キャンペーンが始まったが(これは現在も続いている)、全国で行われたスピーキングツアーはどこも満員(3ヵ月の選挙期間中に99回実施)。党員数もうなぎ上りに増え、ニューレイバーに失望して党を去った元党員だけでなく、政治そのものに絶望していた若年層が彼に投票するために党員登録した。

左派論客のオーウェン・ジョーンズは、コービン現象について「左派の声を国政に反映する政党が必要だとわかっていたけれど、まだ自分たち英国の左派にはその準備ができていないと思っていた」と嬉しい誤算であったことを認めた。

また彼は、サンダースやコービンなど民主社会主義への若者の傾倒について「35歳以下の人間にとっては、1989年のベルリンの壁崩壊による共産主義の敗北よりも、08年のリーマン・ショックによるネオリベラリズムの失敗=過剰な資本主義の敗北のほうがより影響が大きい」と語る。ジョーンズ自身も31歳で、ちょうどこの年齢層にあたる(オーウェン・ジョーンズは、サッチャリズム以降の英国で行われた労働者階級の悪魔化についてのデビュー作『チャブス』と、英国の社会機構を牛耳る一握りのエリートを活写した第2作『エスタブリッシュメント』が共にベストセラーになり、左派言論界のジャスティン・ビーバーとも言われている)。

見渡せば、先進国のほとんどがリーマン・ショックの支払いに追われており、まず社会的弱者が、続いて昨日までの中流層が生活を切り詰めることでツケを払わされている。その一方で、大企業や大銀行は合併を繰り返して巨大化、富は十分に蓄積されているのにトリクルダウンはいつまでも起きない。古くて新しい問題、階級問題が顕在化しつつある。

草の根の自発的な運動による左派の台頭は各地に見られる。例えば、ギリシャでは反緊縮を掲げた急進左派連合シリザが政権に就き(1年に2度の選挙で)、スペインでは結党2年足らずの左派政党ポデモスが初めての国政選挙で69議席を獲得した。

急進左派が声を持つ国では、極右の台頭が押さえられる傾向も見られる。両者の、少なくとも一部は同じ人々で構成されている証左と言えるだろう。自分たちが得るべき権利と自由を取り戻すために、上に向かって戦いを挑むか、下に向かって拳を振り上げるかの違いのように思う。

ポデモスは、後にウォールストリート・オキュパイへと続く直接民主行動「15M(2011年5月15日から数カ月間にわたりスペイン全土で発生した大規模民衆示威行動、少なくとも650万人が参加)」に萌芽を持つ。15Mは、2009年に始まり当時も進行中だったアイスランド革命と、同じく進行中のアラブの春に刺激を受け、それらの根っこに2003年に世界中で起きたイラク戦反戦デモや1999年のシアトルWTO反対行動があると言われている。つながっているのだ、時間も空間も。

サンダースは大統領になれないかもしれない。しかし彼を支持する人々は、選挙のあともどこかに行ってしまうわけではない。誰が大統領になっても声を上げ続けるだろうし、エスタブリッシュメントも、もうその声を無視する事はできない。

以下に続く「バーニー・サンダースの台頭 米民主党と無党派先進左派の狭間」は、バーニー・サンダースについて、おそらくいま日本語で読めるもっとも包括的な記事と思われる。初出は『世界』2015年12月号。

(前書き:藤澤みどり 本文:宮前ゆかり)

バーニー・サンダースの台頭:民主党と無党派先進左派の狭間

宮前ゆかり

「ここに集まっている我が兄弟、姉妹である皆さんは、社会のあらゆる支配権力に挑戦する政治的革命を担っています(歓声)。やる気はありますか?(歓声)……2008年の金融危機で人々の暮しを台なしにした巨大銀行、一般市民には手の届かない高額な医薬品や保険制度で人々を苦しめる巨大な医療企業、そのような大企業の利害に操られる政府や議会……皆さん、過激なアイデアについて知りたいですか?(歓声) アブラハム・リンカーンがゲティスバーグの戦いでこう言いました。『人民の、人民による、人民のための政府』、(歓声)これがわたしたちの革命です(歓声))

10月17日、コロラド州立大学の陸上競技場に押しかけた老若男女の支持者9000人は、社会民主主義者を名乗る大統領候補バーニー・サンダース上院議員(74歳)の一言一言に熱狂的な歓声を轟かせた。コロラド州内からだけではなく、はるばるワイオミング州から数時間のドライブでかけつけた人々もいた。演説の主なテーマは「歯止めのない資本主義経済による不均衡な富の配分を糺す」だったが、その他にも移民政策、環境問題、公共教育、国民皆保険、反戦など「先進的政策」の展望を、約45分間広く熱く分かりやすくアピールした。

7月末のアリゾナ州フィーニックスでの集会では1万2000人、8月8日ワシントン州シアトルでは1万5000人、翌8月9日オレゴン州ポートランドでは2万8000人と、サンダース候補は2016年大統領選挙候補者による聴衆動員数の記録を次々と破っている。

■筋金入りのグラスルーツ

さすがに年季が入っている。サンダースは、どのような複雑な問題について質問されても学校の先生のように分かりやすくすらすらと説明でき、指摘された無知や過ちから迅速に学ぶ姿勢もある。

シアトルの集会で突然若い黒人女性の活動家が登壇してサンダースの演説を遮り、全米各地で広がる黒人に対する警察の暴力について言及が足りないと抗議した時、サンダースは静かにその場を譲って降壇した。その後、全米でテレビ放送された民主党大統領候補による議論の場で、サンダースは「サンドラ・ブランド」(2015年7月、警察の暴力に抗議し逮捕されて牢獄で殺されたBlackLivesMatter の女性活動家の名前。彼女の死をめぐる警察や検察の数々の不正を報道機関が黙殺していることに対し、 Say Her Name 〔彼女の名前を言え〕が抗議のスローガンとなっている。なお、BlackLivesMatterは「黒人の命も大事」の意。13年に黒人少年が銃殺された時にツイッターで広がったハッシュタグ。その後路上の抵抗運動となった。)の名前を挙げ、シアトルの活動家たちの渾身の抗議の意図を汲み上げ、路上の抵抗運動への確固たる連帯を示した。

グラスルーツの脈拍を把握し、キャンペーンに汲み上げていくスピードも速い。パレスチナ問題に対する姿勢が曖昧だとか、軍産複合体に対する批判が足りないという先進左派の不満が広がる前に、サンダース選挙対策陣営は公式ウェブサイトで具体的な政策リストを明らかにした。

ナチスに家族を虐殺されたポーランドのユダヤ人移民の息子としてニューヨークで育ったサンダースは、シカゴ大学在学時から社会主義者青少年同盟のメンバーとして活動し、約半世紀にわたり労働組合運動や公民権運動など一貫して階級闘争の視点から社会問題に取り組んできた。サンダースは、バーモント州バーリントン市長時代から無党派の政治家として経験を積み、その後ワシントンで長年下院議員、上院議員を務めてきた手腕もさることながら、究極的には風見鶏的思惑に左右されない筋金入りのグラスルーツ活動家なのだ。

サンダースは民主党員ではない。無党派のまま民主党に大統領候補として指名を求める、という立場で出馬しており、あくまでも二大政党政治に挑戦する超党派の姿勢を貫いている。1991年に無党派で下院議員となり、下院革新議員団を創設して民主党の法案の80%以上に支持を表明してきたサンダースは、民主党にとっては強力な味方ではあるものの、独立の立場を崩さない頑固な曲者である。2006年の上院選挙でも、民主党公認は受けても当選した場合には党の推薦・指名を辞退する、という条件で民主党と駆け引きをした。

巨大企業からの政治献金を拒否しているサンダースは、選挙資金の 80%を200ドル以下、平均約30ドルというごく小額を寄付する膨大な数の一般市民に依存しており、他のどの候補よりも早く100万ドル獲得を達成した。米国史上のすべての大統領選挙候補の政治資金確保の履歴を上回る勢いである。サンダースは小額寄付の合計金額だけではなく、オバマ大統領の選挙戦での同じ時期に比べ世論調査でもボランティア動員数でもその数値をはるかに上回っている。

■クリントンvsサンダース

10月13日、ネバダ州ラスベガスで7年ぶりに行われた民主党大統領候補討論集会では、元国務長官ヒラリー・クリントン、バーモント州上院議員バーニー・サンダース、元メリーランド州知事マーティン・オマーリー、元バージニア州上院議員ジム・ウェブ、元ロードアイランド州知事リンカーン・チェイフィーが登壇した。9月初旬に突然民主党候補として出馬を決め話題を呼んだハーバード大学法学部のローレンス・レッシグ教授は、討論に招待されなかった。登壇間際まで出馬が噂されていた副大統領ジョー・バイデンはついに姿を現さなかった。(バイデンは21日、正式に立候補断念を表明した。他の候補も次々に降板を表明している。)

主流メディアCNNに属する既得権益ゲートキーパーとして、アンダーソン・クーパーは特に公平な司会者ではなかったものの、間髪入れない矢継ぎ早の質問で民主党内の外交と経済政策に争点を絞り、各候補の底意をあぶり出した。特に経済的不平等の構造および巨大銀行の解体是非をめぐる議論ではクリントン対サンダースの応酬が焦点となり、先進的勢力としての民主党の真価を問う理念的分水嶺が浮き上がった。

大恐慌の教訓から生まれ、1933年以降、金融独裁から米国経済を守る防波堤として機能してきたグラス=スティーガル法(銀行規制法)を90年代に崩壊させた前クリントン政権・グリーンスパンFRB議長の経済政策が現在の金融独裁体制を強化させたとするサンダースの批判に対し、ヒラリー・クリントンは「わたしはニューヨークの上院議員としてウォールストリートを代弁し、金融界に自粛を促した」と手柄であるかのように応答し、図らずも金融機構との癒着関係を印象づける失言となった。クリントンはサンダースが掲げる先鋭的左派政策を牽制するために「初の女性大統領」の実現を先進派のマイルストーンとして位置づけようと、時にはチャーミングな面、時には攻撃的な態度を示しながら、テレビの視聴者を魅了する雄弁を振るった。

大統領候補討論会視聴者のリアルタイムの反応は平均7:3の割合で圧倒的にサンダースが優勢だったが、各主流報道機関はクリントン圧勝と報道している。

サンダースを異端の過激な左派と描こうとすると、皮肉なことに「中産階級の利害拡大」に依存する民主党の建前との間に矛盾が生じる。狩りをする農村地域の選挙民の意向を代弁してきたサンダース上院議員は、連邦政府の強硬な一括銃規制には抵抗しており、共和党穏健派一般市民の見解に近い。金権政治による搾取からの解放、労働者の福祉と権利の拡大、基本的人権の保証など、サンダースの掲げる政策は、世界で最も急進的な権利章典を掲げた建国の革命的展望と重なると同時に、保守とされる護憲派の共和党勢力と親和性が高いのである。

■社会民主主義は米国の正統的ルーツ

最近の世論調査では、教育、医療政策、経済政策など国内政策について、超党派の米国一般市民の大多数がサンダースの掲げる政策を支持している。

  • 75%:「労働者、環境、雇用を保護する」公正な貿易関係を支持
  • 71%:負債のない大学教育をすべての学生に提供することを支持
  • 70%:社会保障制度の拡大を支持
  • 59%:富裕層の課税率をレーガン政権当時レベルまで増強することに賛同
  • 58%:巨大銀行の解体分割を支持
  • 51%:単一支払者制度の国民医療保険制度を求める

(調査:Progressive Change Institute)

1943年に実施された世論調査結果はもっと急進的だった。

  • 94%:老齢者年金を支持
  • 84%:雇用保険を支持
  • 83%:国民皆保険を支持
  • 79%:連邦政府の学資援助を支持

圧倒的な国民の圧力を背景にして、1944年にルーズベルト大統領は上記すべてを全国民に保証する「第2の権利章典」を提唱したが、企業利権を代弁する共和党および白人至上主義の南部民主党勢力の反対により、この法案は成立しなかった。もしサンダースが70年前に登場していたとしたら、彼の描く社会主義的展望はごく中道的保守派としてそれほど目立たなかったかもしれない。2015年後半からのサンダースの台頭は、リンカーンやルーズベルトが果たせなかった経済的正義実現の戦いを引き継ぐ米国の歴史的な文脈で語られるべきである。

過去200年にわたり、反動勢力との絶え間ない葛藤を続けながらも、言論と報道の自由、宗教の自由、奴隷制の撤廃、児童労働の禁止、8時間労働、週末を休日とする週40時間労働、労災保険の義務化、労働基準法の設立、女性参政権の確立など、米国が先進的政治体制の先端を切り開いてきた履歴は疑いの余地がない。特に公教育の実施、全米を繋ぐ大規模な公共高速道路網や国立公園の設置など、「コモン」「パブリック」という社会主義的理念に基づく一連の政策は、20世紀に最も豊かな国になった米国の国力の基盤を生み出した。米国がもともと社会主義的文化に基づく国であるという歴史を忘れている人は少なくない。

■OWS運動とBlackLivesMatter

近年、米国の底流に流れる革命的脈略を最も分かりやすい形で表出しているのが、スペインの反緊縮運動の流れを受け継ぐ「ウォールストリートを占拠せよ=オキュパイ=OWS」運動である。OWSは2011年当初から身体を張った物理的な占拠やデモで注目を集め、OWSの最も効果的なキャンペーン「We are 99%」により、階級闘争の構造に対する一般市民の理解を広く普及させた。しかし、CIAやFBIによる組織分断の煽動と介入が激しくなると、OWSは当初の都市圏集中型の抗議手段から撤退し、2012年後半から、巨大金融企業による汚職の告発や債務者救済キャンペーンの拡大、ストライキを前提にした組合運動への参入、学費負債の撤廃、最低賃金を15ドルに上げる全米キャンペーンなど経済的な具体策を自治体レベルで実現する分散型反緊縮運動に切り替えた。

初期のOWSでは高等教育を受けた白人の若者たちが運動の中心的存在となりがちだった。2013年夏頃から黒人銃殺事件が可視化され、黒人に対する警察の組織的暴力に関する報道が広がり始めると、経済格差や貧困問題と人種差別の暴力が同じ根を持つ資本主義経済の構造的暴力であることが理解されはじめた。

BlackLivesMatterの活動家たちは、人種差別を維持する経済構造そのものを変えるための具体策として、全米で適用されるべき警察の権限と役割、収入や雇用の格差解消策、教育や生活の質の向上、営利牢獄企業の撤廃など包括的で具体的な10項目の政策改革案をまとめ、クリントンとサンダースと会見した。

2013年初頭から、OWSはオバマ大統領による公約違反リストを整理し、政治改革の長期的戦略として、二大政党の利害に依存しない独立候補者を全米に擁立する選挙対策の構築を宣言した。すでに各州の小都市で社会主義者の市議当選の傾向が広まっている。

グラスルーツの支持層を動員して大統領になったオバマが結果的には公約を破り既成権力構造に呑み込まれていった教訓から、各分野の市民運動家たちは次期大統領候補に対する要求を明確にし、圧力を急激に高めている。グラスルーツの戦略的圧力を受け、各候補はそのエネルギーをどのように汲み上げていくのか。

共和党に対し、大富豪のコック兄弟は巨額(8億9000万ドル以上)の選挙献金を用意しているという。クリントンにも巨大企業が膨大な選挙資金を投入している。グラスルーツに忠誠を誓うサンダースが民主党候補に指名されるかどうかは微妙だが、民主党候補に指名されなかった場合には、無党派のまま大統領候補として出馬するシナリオも考えられる。そうなれば、現在の共和党候補に不満を持つ共和党員の票がサンダースに流れる可能性も高まり、二大政党の基盤が大きく揺らぐだろう。

ヨーロッパ(ギリシャ、スペイン、英国)やカナダでグラスルーツに支えられる反緊縮・社会主義的気運が高まっている。金融独裁体制から脱却するためにバーニー・サンダースの支持者が求める「政治的革命」と、 BlackLivesMatterやOWSの抵抗運動は、新しい経済体制を生み出すことができるだろうか。

(初出『世界』2015年12月号)