◎東西で、国民の愚かな選択と史書に記されるか?
2016年6月23日、英国にてEU(欧州連合)からの離脱を問う歴史的国民投票が実施され、結果、わずかの差ながら離脱派が勝利した。参院選を間近に控える日本も人ごとではない。政治プロパガンダの観点から、その国民投票について考えてみる。EUについてぴんと来ない場合は、末尾のおさらいを参照下さい。
EU加盟(あるいは残留)して得する人、損する人
EUの巨大単一市場は、消費者および欧州一円に勢力を広げる大企業にとって福音だ。たとえば、EU圏内のどこかの国の一工場で大量生産した製品を、そのままEU全域のどこでも売ることができる。いわゆる「規模の経済(スケールメリット)」が働き、消費者は製品を安価に入手できる。また、EUの製品安全基準はおよそ世界一厳しいので、安全な製品を入手できるのも消費者にとってメリットだ。
一方、土地の小企業、小規模生産者にとっては欧州全域に販路を広げる大企業に対抗することが容易でない。また、EUの厳しい製品安全基準を達成するコストも、相対的に小企業ほど負担になってのしかかる。
EU圏外の企業にとっては、EU内との取引では関税が課税され、また厳格な製品安全基準を満たさなくてはいけないため、厳しい競争となる。英国が EU離脱した時、欧州以外の国際大企業にとっては、棚からぼたもちになる。
なお英国内でも、金融関係者は、EU離脱の影響が最小限かまたは望ましいことと言われる。実際、英国のEU離脱キャンペーンには、ロンドンのヘッジファンドの複数の億万長者がスポンサーとしてついた。
以下に、EUの功罪を(英国内の)各々の立場からまとめる。
- 消費者: EUさまさま (→ただし、それが当たり前になっている)
- 小規模生産者: EUの規制が邪魔、のさばる大企業嫌悪 (→ EU嫌悪)
- 大企業: EUの単一市場万歳
- 被雇用労働者: EUの労働者保護規制、移動の自由、強力な経済活動さまさま (ただし、意識はしていない)
- 金融街(の大金持ち)、投資筋: 英国離脱は金儲けの機会
- 政治家: 政治状況のあらゆる「変化」は、自分を売出す機会
EU離脱へ投票する市民
前章で見たように、英国の消費者と被雇用労働者、つまり大半の英国人にとっては、英国のEU離脱は、経済的観点から見て、明らかに損でしかない。端的には、英国のEU離脱によって、大半の市民の生活水準が低下することは目に見えている。
それにもかかわらず、半数の英国有権者がEU離脱を支持したのが現実だった。しかし離脱が決まった後になって、離脱に票を投じた人の少なからずが真剣に青ざめている様子が、報道からもまた筆者の周囲でもうかがえる。たとえば、外資の工場で働く労働者が大量解雇の可能性におびえたり、欧州大陸でビジネスを繰り広げる(英国)人が、自分の仕事の将来に不安を覚えている様子だ。投票前に、自分の投票行動とその結果が自分の生計に与える影響との関係に考えが至らなかった、ということだ。
広範囲に有権者を調べた統計は、さらに理解に苦しむものになっている。 EUからの出資(財政援助)が多い地方、EUへの輸出高が多い地方ほど、むしろEU離脱派が多かったことが分かっているものだ。理性的に考えれば、自傷行為に見える。つまり、少なからぬ有権者の判断は、冷静な考察や論理に基づいたものではなかったことが明らかだ。
国民投票前、政治経済学者を含めて、英国のほとんどの知識人は、EU残留を強く主張した。しかし、その声は、国民のもとに十分に届かなかった。上の例はもとより、国民投票の結果として離脱派が上回った事実が、それをなにより雄弁に物語る。なぜそうなったのだろうか。
EU離脱キャンペーンの戦略
EU残留を説く知識人が理詰めで主張したのに対し、 EU離脱キャンペーンの多くは、単純なスローガンを繰り返すところに、その特徴があった。中でも有名なのが次の三つだ。
- 「コントロール」を取り戻せ
- 英国をふたたび偉大な国にしよう
- 国を取り戻したい
これらスローガンには、どれも内容がない。しかし、だからこそ、つまり曖昧なだけに、色々な場面で応用できる。たとえば、一番目の「コントロール」とは、自分で決められる (自決権と言ってもよいだろう)、あるいは調整できる、という意味だ。これは、たとえば、典型的には、
- 「EU(の密室)で自分たちのこと(規制など)が決められている。それはよくない(今の不況もそのせいだ)。自分たちのことは自分たちで決めよう」
- 「(EUの法のせいで)外国人移民が大量に押し寄せている。移民をコントロールして、自分たちのことは自分たちで決めよう」
などの文脈で使われた(念のため、ここでEUに責任を押しつけているのは、宣伝者の主張に過ぎない。実際は、すこし調べれば事実とは全く相容れないことが分かる。離脱キャンペーンが不正直だったと批判されるゆえんの一つ)。
政治経済学者のウィル・ディヴィーズ氏は、このスローガンは政治的に天才的だったと主張する。
http://www.perc.org.uk/project_posts/thoughts-on-the-sociology-of-brexit/
たとえば、EUの援助に頼っている地域や人々は、あるいはEUへの輸出に頼っている人々も、ある意味で、EUの言いなりにならざるを得なくて、自尊心が傷つけられた状態にある。そういう人々に「コントロールを取り戻せ」というスローガンは甘く響くものだ、と。EUなどに頼らずに英国人として自決して生きていこう、と刺戟するわけだ。
あるいは年金生活者には、自分たちの収入を「コントロール」術はない。まして、物価上昇に対抗する術もない。いわば、お上に財布を握られた状態で、自尊心が傷つけられた状態にある。くわえれば、自分が一線で活躍していた昔が(それが実際に幸せな時代だったかどうかは不問にして)懐かしく思い出されもするだろう。だから、「コントロールを取り戻せ」というスローガンも、あるいは、「ふたたび偉大な国に」というスローガンも甘く響く。実際、年齢層が高くなればなるほど、EU離脱派の割合が高くなる傾向が顕著だった。
EU残留を説く声が届かなかった
さて、前述のように、専門家をはじめほとんどの知識人は、EU残留を主張し、その理由を説いた。そのような論理的主張を受けて、離脱派は、それにどのように対抗したか。
離脱派キャンペーンのリーダーの一人、マイケル・ゴゥブ法務大臣は、「イギリスにとって、専門家なんてもう十分だ」と言ってそれらを退けた。中国の悪名高い文化大革命を彷彿とさせる反知性主義の発言が、現職閣僚から聞かれるとは驚きだ。ちなみに、ゴゥブ法務大臣の前職は教育大臣だった。教育破壊で名を馳せた氏らしい発言かも知れない……。
一方、離脱を強力に推進する(海外資本)タブロイド紙などは、「EU残留派の恐怖キャンペーンに乗るな」と呼びかけた。EU残留派の主張は、基本的に、もし離脱すればこんな悪いことが起きるから、離脱するよりは残留しておいた方がよい、というものが多かった。それを受けて、タブロイド紙は、残留派の主張の内容に立ち入ったり反論するのではなく、「恐怖を煽るもの」とくくって、感情に訴える作戦に出たわけだ。そして、相応の成功を収めたのだった。
EU離脱が決まった後、離脱推進のタブロイド紙はそろって、「離脱が意味することはこうだった」という記事を(臆面もなく)載せ、読者から阿鼻叫喚の声があがっていた。曰く、
「要するに、残留派の主張の『離脱すればこんな恐怖が』というのは、どれも本当だったのね……」
英国国民投票に学ぶ教訓
英国国民投票からは数多くのことを学べるだろう。ここでは、そのうち、最もババを引くことになる人々、つまり経済的に中間かそれ以下の層が、実質的に自傷行為になる投票をする傾向について考えてみる。
一つは、悲しいかな、多くの人々は、冷静な論理では動かなかった。それよりも、空虚なスローガンの繰り返しが、ツボにはまったのだろう、威力を発揮した。EU離脱キャンペーンのスローガンの一つ、「国を取り戻したい」とは、英国に限ったスローガンではない。冒頭の図に見るように、自民党のポスターでも、米大統領共和党のトランプ候補の演説でも、ほとんど同一の文句が使われている。これらスローガンの大衆に与える影響を見くびってはいけないようだ。
また一つは、政治家に対する(根拠の無い)信頼だ。筆者のある友人の離脱支持の主張は、全体としては、筆者が聞いた中では最も論理的なものだった。ただし、肝腎の経済的根拠はよく分からないとして、以下のように言った。
「経済が悪くなるかも知れないけれど、もし本当に酷いことになるのであれば、こんな国民投票の機会が与えられるべきではないだろう。(だから大丈夫なのだろう)」
つまり、論理的な彼にしても、根底で国民投票の実施を決定した為政者を信じていたわけだ。そしてそれは、英国民の間に広く見られる傾向と感じられる。しかし、報道の通り、英国離脱が決まってから明らかになった一例は以下だった。
- 政府は、EU離脱に向けての具体的計画や青写真を全く考えていなかった。
- (国民投票の実施を決定した)キャメロン首相は即座に辞任を発表した。
- 離脱派の実質上のリーダーで次期首相候補の最右翼と目された(前ロンドン市長)ボリス・ジョンソンは、キャメロン後の党首選への立候補を辞退、すなわち英国政治の一線から身を引いた。
- 離脱派のリーダーの一人、英国独立党のファラージ党首は、目標が達成できた(!)、として党首からの辞任を発表した。なお、その記者会見では、(離脱派のスローガン)「国を取り戻したい」をもじって、「(私)生活を取り戻したい」とのたまった。
政治家に対する最大の不信心者の度肝をも抜く無責任ぶり、無能ぶりを披露したものだ。
さて、前述のように、EU加盟で恩恵を受けているのは、英国の消費者と被雇用労働者だった。ただし、それはもはや日常であり当たり前になっているため、それがありがたいことである、という感覚はあまりないと言っていい。日本で、廃藩置県がありがたいことだ、と現代の世で実感する人がいないのと同じようなものだろう。
いきおい、EU残留派の主張は、「EU離脱すればこんな酷いことになる」という否定的主張に終始することになる。それに対するEU離脱派のカウンター攻撃
「残留派の恐怖キャンペーンに乗るな」
「インテリになど耳を貸すな」
は、残念ながら極めて有効だったようだ。現状に不満がある市民には、何であれ現状からの「変化」を求める欲求が勝ることがあるということだ。たとえその「変化」が現状よりはるかに地獄であっても、政治家への妄信もあれば、嘘も交えた大規模プロパガンダの影響も大きく、その事実が理解されないことがあるのが問題だ。
さて、ひるがえって、今回の日本の参院選はどうか。その最大のテーマについて、たとえば、以下の記事がよくまとまっている。
「EU離脱どころではない日本の岐路-民主主義からの離脱!?
参院選の最大のテーマは憲法」 (志葉玲)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/shivarei/20160701-00059482/
自民党は改憲案をすでに提示している。同改憲案は、軍国主義の復活だけでなく、時の政権による憲法の恣意的運用がまかり通る文案になっている。およそ人権を尊ぶ近代民主主義国の憲法とは呼べない代物で、実に恐ろしい。参院選の結果、改憲派が三分の二を占めれば、改憲発議が現実的になる。最終的には国民投票による過半数が必要とされているとは言え、今回の英国の国民投票に端的に示されているように、国民投票の結果は予測不可能だ。そもそも、改憲派が議会の絶対多数を占める状況であれば、国民投票でも改憲案が通る可能性が高いことと恐れる。
改憲の対義語は、「護憲」、つまり文字通り憲法を護ることだ。だから、護憲派の主張は、「改憲すればこんな酷いことになる」という主張に必然的になるだろう。それはもちろん正当だ。しかし、ネガティブな主張と言えなくはない。その時、
「護憲派の恐怖キャンペーンに乗るな」
「インテリになど耳を貸すな」
などのカウンター攻撃があるかも知れなくて、日本国民の少なからずがそれに乗りかねない、と恐れるのは杞憂だろうか。
日本と英国とは少々違うかも知れない。しかし、政治プロパガンダの手法は世界各国、そして時代を問わず、驚くほど似通っていることは歴史を振返れば明らかだ。「国を取り戻せ」のポスターの類似性を見るに、背筋が寒くて仕方ない。あるいは、自民党のキャッチコピー「前進か、後退か。」の内容の無さは、英国のEU離脱派のスローガンに比肩できるものではないか。
今回の英国の愚行を他山の石として学び、日本人を含めて人類が今後ほんの少しでも賢く行動していくことを願ってやまない。
参考: EU(欧州連合)のおさらい
EUは、ヨーロッパの28か国(2016年現在)からなる共同体で、加盟国間で以下を達成している。
- 経済障壁を取り除き、実質上の単一市場を達成。
具体的には、関税は全撤廃、法基準(製品安全基準など)の統一 (正確には最低限の基準の保証)。 - 移動と居住および労働の自由を保障
- 人道上の法制など、一定の道徳的基準を共有 (一例: 死刑は全廃)
これにより、EUは、世界最大の単一市場を誇る。端的には、たとえば、日本国内でりんごは青森(など)とみかんは愛媛(など)と分業されている体制が、欧州全域に広がっている、という感覚に近い。 EU圏内では、通常の国内取引と同様に、移動と商売の自由に加えて、製品基準が統一されていることも大きい。
EUの政治体制は複雑ながら、最高決定機関は、加盟国各国で民主的選挙で選ばれた議員からなる欧州議会である。
画像説明
左上: ナイジェル・ファラージ英国独立党党首のバスによるEU離脱キャンペーン「We want our country back」 (Reutersより)
右上: 安倍首相の写真の自民党ポスター「日本を、取り戻す。」 (自民党ウェブサイトより)
左下: 英国のタブロイド紙Daily Expressの2015年5月7日第一面紙面「Vote to keep Britain great」 (欧州議会選挙前、英国独立党を強く推す。写真の人物は、ナイジェル・ファラージ英国独立党党首)
右下: 2016年米国大統領選前の共和党候補ドナルド・トランプの演説「Make America great again」 (CNNより)