ジュリアン・アサンジを捕まえる:語られざる物語
ジョン・ピルジャー
2017年5月20日
ジュリアン・アサンジの無実が立証されたのは、スウェーデンがアサンジに容疑をかけた訴えが腐敗していたからだ。検察官マリアンヌ・ニーは司法妨害で訴追されるべきである。アサンジに対するニーの執着は単にニーの同僚や司法制度の面目をつぶしただけでなく、戦争犯罪および「他国への特例引き渡し」におけるスウェーデンの米国との国家的共謀を暴露した。
アサンジがロンドンのエクアドル大使館に庇護を求めなかったとしたら、アサンジはチェルシー・マニングが耐え忍ばなければならなかったアメリカ型拷問地獄の道を歩んでいたことだろう。
この可能性はスウェーデンで展開された残忍な茶番劇によって覆い隠されてきた。アサンジのオーストラリア弁護団の1人、ジェイムズ・カトリンはこう言った。「お笑い種だ」「泥縄式にやっているようなものだ」。
そのように見えていたかもしれないが、実は常に重大な目的があった。2008年に、「サイバー対諜報評価部門」により用意された国防総省の秘密文書には、ウィキリークスの信頼性に傷をつけ、アサンジを個人的に中傷するための詳細な計画が予告されていた。
その「ミッション」とは、ウィキリークスの「重心」である「信頼」を破壊することだった。これを「醜聞暴露と刑事訴追」の脅威により達成しようという。これほどまでに真実を語る予測不可能な情報源を沈黙させて犯罪者に仕立て上げることがこの計画の目的だった。
これは恐らく無理からぬことだった。ウィキリークスは、人道上の問題の大半に米国がいかに権勢を振るってきたかを暴露してきたのであり、特にアフガニスタンとイラクでの米国による壮大な犯罪–しばしば殺害をはじめから意図した大規模な民間人の殺戮、そして主権と国際法に対する侮蔑が露呈したのだ。
これらの情報開示は米国憲法修正第1条により保護されている。2008年の大統領候補として、憲法学教授バラク・オバマは、内部告発者は「健康な民主政治の一部であり、報復行為から保護するべきである」と褒め称えた。
2012年に、オバマ選挙本部はそのウェブサイトで、オバマは第1期中に他のすべての米国大統領を合わせたよりも多くの内部告発者を起訴したと自慢していた。チェルシー・マニングがまだ裁判を受けてもいない時に、オバマは彼女が有罪であると公に宣告した。
見る目がある人間なら、米国がアサンジに手をかけるようなことがあれば同じ運命がアサンジを待っていることを疑う者はいない。エドワード・スノウデンが公開した文書によれば、アサンジは「捜索標的リスト」に掲載されている。ウィキリークス創始者は「サイバーテロリスト」だとする当時の副大統領ジョー・バイデンがばかげた中傷をしてからというもの、アサンジの誘拐や暗殺をちらつかせることは、米国でほとんど政治的およびメディアの通貨のごとく流通するようになった。
リビアの破壊者であり、昨年ウィキリークスが明らかにしたようにISISに資金援助している勢力の秘密の支持者であり、個人的な受益者でもあるヒラリー・クリントンは、彼女独自の臨時措置の解決策を提案した。「この男をさっさとドローンで片付けられないの?」
オーストラリアの外交電報文書によると、アサンジを捕まえようとする米国政府の努力はその「規模も本質も前代未聞である」。バージニア州アレキサンドリアでは、秘密の大陪審がほぼ7年かけてアサンジを起訴できるような犯罪を考案しようと試みてきた。これは簡単ではない。
修正第1条は、ニューヨークタイムズ紙の編集者であろうと、ウィキリークスの編集者であろうと、出版者、ジャーナリストおよび内部告発者を保護している。言論の自由という概念そのものが米国の「建国の美徳」、つまりトマス・ジェファソンが呼ぶところの「我が国の通貨」として説明されている。
この障害に直面した米国司法省は、「スパイ行為」、「スパイ行為を行うための共謀」、「横領」(政府資産の窃盗)、「コンピューター詐欺および乱用」(コンピューターのハッキング)、そして一般的な「共謀」の容疑を考案してきた。頼りにされている諜報活動取締法(注1)は第1次世界大戦中に平和主義者や良心的兵役拒否者を思いとどませることを意図していたが、終身刑や死刑の条項がある。
このようなカフカ的世界でアサンジが自分を弁護する能力は、米国がアサンジの事件を国家の秘密と宣言していることによって著しく限られている。2015年に、ワシントンの連邦裁判所は、ウィキリークスに対する「国家安全保障」調査に関するすべての情報公開をブロックした–調査が「進行中および継続中」であり、調査情報の公開は「差し迫った審理」に悪影響を及ぼすというのが理由だった。判事バーバラ・J・ロスステインは「国家安全問題では行政府に適切な敬意」を示す必要があると言った。これはカンガルー裁判(注2)だ。
アサンジにとってこの裁判はメディアによって裁かれてきた裁判だ。2010年8月20日に「強姦捜査」を開始した時、スウェーデンの警察は非合法にストックホルムのタブロイド紙と連携してこれを行った。新聞の第1面にはアサンジが「2人の女性を強姦」で告訴されたと報じられた。「強姦」という言葉は、スウェーデンでは英国とは非常に異なる法律的意味を持つ可能性があり、致命的に間違った現実が世界中を廻るニュースとなってしまった。
24時間も経たないうちに、ストックホルム主任検察官エヴァ・フィンがこの調査を引き継いだ。フィンは「アサンジに強姦の嫌疑をかける理由は一切ないと考える」と言い、直ちに逮捕令状を取り消した。4日後、彼女は「いかなる犯罪の疑惑もまったく存在しない」と言い、強姦調査そのものを打ち切った。
そこに登場したのが、クラエス・ボーグストロムという非常に攻撃的な社会民主党の人物で、当時はスウェーデンの差し迫った総選挙の候補者の1人だった。主任検察官が事件の捜査を打ち切ってから数日内に、弁護士であるボーグストロムは自分が2人の女性の代理人である弁護士であること、そしてゴーテンベルグの別の検察官を求めたことをメディアに発表した。この検察官が、ボーグストロムが個人的にも政治的にも懇意にしているマリアンヌ・ニーだった。
8月30日、アサンジはストックホルムの警察署に自ら赴き、問われた質問に応えた。アサンジはこれで事が終ったものと理解していた。2日後、ニーは事件の捜査を再開すると発表した。
記者会見で、ボーグストロムはすでに捜査が打ち切られた事件の法的手続きがなぜ進められるのかとスウェーデンの記者から質問された。この記者は、女性の1人が強姦されていないと発言したことに言及した。ボーグストロムは「いや、彼女は弁護士ではないから」と答えた。
マリアンヌ・ニーが事件の捜査を再開した日に、MUSTという頭字語を持つスウェーデンの軍事諜報機関は「ウィキリークスは(アフガニスタンで米国軍の司令下にある)我が国の兵士に対する脅威」と題した記事で公にウィキリークスを糾弾した。
スウェーデンの首相も外相も、何の罪にも問われていないアサンジを攻撃した。スウェーデンがアサンジを庇護した場合には、米国とスウェーデンとの間の諜報共有体制が「打ち切られる」とスウェーデンの諜報機関SAPOが米国側から言われたと、アサンジは警告されていた。
5週間にわたり、再開された「強姦捜査」が決着するのをアサンジはスウェーデン国内で待っていた。その時、ガーディアン紙は、ウィキリークスの開示情報に基づき「イラク戦争日記」を出版する間際であり、アサンジがそれをロンドンで監修することになっていた。
ようやくアサンジは出国を許された。アサンジが出国すると、即時にマリアンヌ・ニーは欧州逮捕状と、通常はテロリストや危険な犯罪者に対して適用される国際刑事警察機構の「非常警報(レッドアラート)」(注3)を発行した。
アサンジはロンドンの警察署に出頭し、そこで正式に逮捕され、ワンズワース牢獄で10日間独房に監禁された。34万ポンドの保釈金で保釈されたアサンジは、電子的な標識をつけられ、毎日警察署に出頭することを求められ、実質上の自宅軟禁を強いられ、その間アサンジの事件は最高裁判所に至る長い旅路を開始した。
アサンジは今もなおいかなる犯罪も問われていない。アサンジの弁護士は、アサンジがスウェーデンを出るための許可をマリアンヌ・ニーが与えたことを指摘し、ロンドンでビデオまたは面接での取り調べを受ける用意があるというアサンジの提案を繰り返してきた。弁護士たちは、この目的のためにスウェーデンやその他の欧州当局がよく使っているスコットランドヤードの特別な施設を提案した。ニーは拒否した。
ほぼ7年間、スウェーデンは44人の人物に対し警察の捜査に関係がある取り調べを英国内で行ってきたにも関わらず、ニーはアサンジを取り調べて、それにより事件の捜査を前に進めるということを拒否してきた。
スウェーデンの報道機関に掲載された記事で、スウェーデンの元検察官ロルフ・ヒレグレンは、公平性を完全に失ったとニーを非難した。ヒレグレンはこの事件に対するニーの個人的な入れこみを「異常」だと述べ、彼女の降板を要求した。
アサンジは、仮にスウェーデンに送還されても米国に「引き渡され」ないという保証をスウェーデン当局に求めた。これは却下された。2010年12月、インデペンデント紙は、両国政府がアサンジを米国に引き渡すことについて話し合ったことを明らかにした。
進歩主義的啓蒙の拠り所であるとの評判とは裏腹に、スウェーデンは米国へ引き寄せられ過ぎて、難民の違法な国外追放を含むCIAの秘密「身柄引き渡し」を許してきた。2001年に起きた2人のエジプトの政治的難民の引き渡しとその後の拷問は、国連の拷問禁止委員会、アムネスティ・インターナショナル、ヒューマン・ライツ・ウオッチにより非難された。スウェーデンの国家としての共犯性および不誠実さは、成功を収めた民事訴訟およびウィキリークスの外交文書に記録されている。
「アサンジが英国に移動して以来ウィキリークスにより公開された文書は、公民権に関する事柄について、スウェーデンが一貫して米国の圧力に屈してきたことを明らかに示している」と、オンラインの「ノルディック・ニュース・ネットワーク」の編集者で、アサンジが直面してきた複数の紆余曲折や危険について専門知識を持つアル・バークは書いている。「アサンジがスウェーデン当局により拘留された場合には、その法律的権利が適切に考慮されることなく米国に引き渡される可能性があるという懸念は当然のことだ」
こうしてアサンジへの攻撃は激化した。マリアン・ニーは、「強姦」容疑に関係した2人の女性のうちの1人の電話から警察が取り出した数百のSMSメッセ-ジにアサンジのスウェーデンの弁護士やスウェーデンの裁判所がアクセスすることを認めなかった。
この決定的に重要な証拠についてニーは、公式に告発が行われアサンジに尋問するまで、自分にはそれを公開する法的な義務はないと言った。それならなぜニーはアサンジに尋問しようとしないのか。「キャッチ22」〔ジョセフ・ヘラーの同名の小説に描かれた、抜け出しようのないジレンマ〕ではないか
先週アサンジの容疑の捜査打ち切りを発表したとき、ニーは、容疑を一掃するはずの証拠について何も触れなかった。SMSメッセージの一つは、女性の1人がアサンジに対する告発を望んでいなかったことを明らかにしている。「それなのに、警察がアサンジを捕まえようと必死だった」。この女性はただ「アサンジに[HIVの]検査を受けてほしかった」だけだったので、警察がアサンジを逮捕したとき、「ショックを受けた」という。彼女は「アサンジに対して何も非難しようと思っていなかった」し、「嫌疑をでっち上げたのは警察だった」。証言には、「自分の周囲の人や警察に無理強いされ」ていたという彼女の言葉が引用されている。
どちらの女性も強姦されたと主張していない。それどころか2人とも強姦されたことを否定しており、1人はその後「わたしは強姦されていない」とツイートしている。女性たちは警察に利用されたのだ–女性たちの弁護士が今何と言っていようと。彼女たちもまた、この悪意に満ちた物語の犠牲者であることは間違いない。
「強姦に反対する女性たち」のカトリン・アクセルソンとリサ・ロングスタッフは書いている。「[アサンジ]にかけられた容疑は煙幕であり、その陰に隠れて多くの政府がウィキリークスを弾圧しようとしているのは、強姦と殺人と破壊を伴う戦争と占領の密かな計画をウィキリークスが大胆にも一般市民に知らせたためだ…。捜査当局は女性に対する暴力にほとんど関心がなく、強姦容疑をやりたい放題に操っている。[アサンジは]英国で、あるいはスカイプを通じて、スウェーデン捜査当局による尋問に応じる用意があることを明確にしている。当局が自らの捜査に不可欠のこのステップを拒否しているのはなぜなのか。当局は何を恐れているのか」
アサンジは過酷な選択を迫られた。アサンジを米国に送還するかどうか言おうとしない政府への身柄引き渡しか、それとも、避難場所と身の安全を確保する最後のチャンスと思われるものを求めるか。
アサンジが米国で残酷かつ異例の懲罰を受ける恐れに直面していること、この脅威がアサンジの基本的人権を侵害していること、そして祖国オーストラリアでは政府がアサンジを見捨て、米政府と共謀していることを立証する証拠に基づいて、南米の大半から支持を受けた小国エクアドル政府はアサンジに難民資格を認定した。
当時ジュリア・ギラードが首相だった労働党政権は、アサンジからオーストラリアのパスポートを取り上げることさえちらつかせた–が、それは違法だとの指摘を受けてやめた。
著名な人権問題専門弁護士でロンドンにおけるアサンジの代理人であるガレス・ピアスは、当時のオーストラリア外相ケビン・ラッドに手紙を書いた。「世間でどれほど広く取りざたされ、それが往々にしてまったく間違った前提に基づいているかを考えれば…アサンジ氏に無罪推定を確保しようとすることは非常に困難である。アサンジ氏の頭上には今、1本どころか2本ものダモクレスの剣(注4)が吊り下げられており、それはアサンジ氏の祖国では犯罪ではない二つの異なる犯罪容疑のために二つの異なる法域に順送りに身柄を引き渡される恐れがあるということ、そして、政治的圧力が非常に高まっている状況において、アサンジ氏の身の安全が危険に晒されるようになってきているということだ。」
ロンドンのオーストラリア大使館に連絡してピアスはようやく回答を受け取ったが、その回答では彼女が指摘した急を要する問題点がどれ一つ答えられていなかった。私がピアスとともに出席した会合で、オーストラリア総領事ケン・パスコーは、アサンジの件の詳細について、自分は「新聞で読んだことしか」知らないという驚くべき発言をした。
2011年シドニーで私は、オーストラリア連邦議会の保守党議員マルコム・ターンブルと数時間会って話した。アサンジに対する脅威とそれが表現の自由と正義に対してどのような広範な影響を及ぼすか、そして、なぜオーストラリアはアサンジを支持すべきかについて議論した。当時ターンブルは、表現の自由の擁護派という評判を取っていた。ターンブルは現在オーストラリアの首相を務めている。
私は、アサンジの権利と生命が脅かされていることを伝えるガレス・ピアスの手紙をターンブルに渡した。ターンブルは、これは明らかに恐ろしい状況であると言い、ギラード政権に対してこの問題を取り上げると約束した。その後ターンブルは沈黙を続けただけだった。
ほぼ7年の間、この壮大な司法的破綻は、ウィキリークス創設者アサンジに対する中傷キャンペーンによって覆い隠されてきた。このような前例はほとんどない。いかなる犯罪の告発も受けていない人間に対して極めて個人的で、くだらない、卑劣で冷酷な攻撃が向けられ、彼は、たとえ自分の妻の殺害容疑で身柄引き渡しに直面する被告人ですらも受けないような扱いにさらされた。アサンジに対する米国の脅しはすべてのジャーナリストに対する脅しであり、表現の自由の原則に対する脅しであるということは、功名心にはやる浅ましい人間の眼中にはなかった。それは反ジャーナリズムと呼ばざるを得ない。
アサンジは格好な攻撃の的であり、訴える金もないだろうという前提の基に、ウィキリークスを踏み台にして複数の本が出版され、映画制作の契約が結ばれ、メディア業界での出世の道が開かれ、弾みがついた。しばしば大金を儲けた人びとがいた一方で、ウィキリークスは活動を続けるために苦闘してきた。
英『ガーディアン』紙の前編集長アラン・ラスブリッジャーは、同紙が掲載したウィキリークスの暴露を、「この30年でもっとも大きなスクープの一つ」と言った。ところが、『ガーディアン』紙の情報提供者であり情報源であるアサンジを守る努力は何一つ試みられなかった。それどころか、その「スクープ」は値上げのためのマーケティング計画の一部になった。
アサンジにもウィキリークスにも一銭も払われないまま、『ガーディアン』紙は大々的に宣伝して本を出し、それをもとに呼び物のハリウッド映画が作られた。本の著者ルーク・ハーディングとデービッド・リーはアサンジに対して「人格が壊れている」「冷淡」といういわれのない中傷をした。彼らはまた、アサンジが米大使館公電デジタルファイルを保護する目的で同紙に極秘で伝えていたパスワードを公表した。ロンドンのエクアドル大使館に閉じ込められた形のアサンジに対して、ハーディングは大使館の外にいる警察官の側に立ち、「最後に笑うのはロンドン警視庁かもしれない」と自身のブログでせせら笑った。
ジャーナリズムを学ぶ学生は、「フェイクニュース」のソースが至るところにあることを理解するには、この時期を勉強するのがいいかもしれない–偽りの権威を自認するメディアの内部からも、そしてまたそのメディアが機嫌を伺い、守っている権力と権限の延長上にも、「フェイクニュース」は出て来るのだ。
2010年、生放送でのカースティ・ウォークの忘れもしない質問で、無罪推定はまったく考慮されていなかった。「どうして女性たちに謝ってしまわないんです?」とウォークは尋ね、続けて言った。「行方をくらまさないという約束は守ってくれるんでしょうね」
BBCの番組「トゥデイ」ではジョン・ハンフリーズががなりたてた。「あなたは性犯罪者なんですか」。アサンジがそんな話はばかげていると答えると、ハンフリーズは、何人の女性と寝たことがあるか知りたいと言った。
「米フォックスニュースでさえあそこまで堕落しただろうか」と米国の歴史家ウィリアム・ブルムは思いを巡らせた。「アサンジが私のようにブルックリンの街角育ちだったらよかったのにと思う。そうすれば、あんな質問にはどう答えればいいか知り尽くしていたはずだ。”あんたのおふくろさんも入れて、ってことか”」
先週、スウェーデンが捜査打ち切りを発表した日、BBCのワールドニュースで、私はギータ・グル=ミューシーのインタビューを受けた。彼女はアサンジの件についてほとんど知識がないようだった。アサンジに対する「告発」と頑強に言い続け、トランプをホワイトハウスに入らせたのはアサンジだと言って非難した。そして、「世界中のリーダーたちが」アサンジを非難してきたという「事実」に私の注意を向けた。こうした「リーダーたち」の中に、彼女はトランプのCIA長官も含めていた。私は彼女にきいた。「あなたはジャーナリストですか」
2014年に英議会が「身柄引き渡し法」を改正した理由の一つは、アサンジに対してこのような不正義が行われたためだった。「アサンジの主張はあらゆる面で勝利をおさめています」とガレス・ピアスは私に言った。「『身柄引き渡し法』のこうした改正は、アサンジが主張したすべてのことを、英国が今では正しいと認めているということを意味します。それでもアサンジはその恩恵を受けていません」。言い換えれば、〔改正された法律の下であれば〕アサンジは英法廷で勝訴し、難民となることを余儀なくされずに済んだはずだということだ。
2012年にエクアドルがアサンジを保護する決断をしたのは非常に勇気あることだった。亡命を認めることは人道的行為であり、そうする権限は国際法の下ですべての国家が享受しているにもかかわらず、スウェーデンも英国も、エクアドルの決断の正当性を認めようとしなかった。
ロンドンのエクアドル大使館は警察の包囲の下に置かれ、エクアドル政府は非難を浴びせられた。ウィリアム・ヘイグ外相当時の英外務省は、外交関係に関するウィーン条約を破って大使館の外交上の不可侵権を解除し、警察を送り込んでアサンジの身柄を拘束することをちらつかせたが、世界中で怒りの声が上がり、政府は撤回せざるを得なくなった。
警察はある晩、大使館の窓に姿を見せ、これ見よがしにアサンジと彼を保護しているエクアドル大使館をおじけづかせようとした。
以後、アサンジは、日の光の入らない小部屋に閉じ込められている。時々体調を崩しているが、病院の診察施設へ行く途中の安全を保障されていない。それでもこうした状況の中、アサンジの粘り強さとブラックユーモアは驚くほど健在だ。幽閉状態にどう耐えているか聞かれたアサンジはこう答えた。「厳重警備監視監房も顔負けなのは間違いない」
この件はまだ終わっていないが、当局のもくろみは破たんしつつある。国連人権理事会の恣意的拘禁に関する作業部会–各国政府が人権に関する義務を順守しているか審査し判断する裁決機関–は昨年、アサンジが英国とスウェーデンによって違法に拘束されているという判決を出した。国際法が持てる力を最大限に発揮したのだ。
英国、スウェーデン両国は、16カ月にわたる国連の調査に参加し、証拠を提出して、作業部会に対して自国の立場を擁護した。作業部会が判決を出したこれまでのケース–ビルマのアウン・サン・スーチー、マレーシアで投獄されている野党指導者アンワル・イブラヒム、イランで拘束されている米『ワシントンポスト』紙記者ジェイソン・レザイアン–では、英国、スウェーデン両国は、作業部会を全面的に支持していた。今回との違いは、アサンジに対する迫害がロンドンの中心部で続いているということだ。
ロンドン警視庁は、今でももしアサンジがエクアドル大使館を出れば保釈条件違反で逮捕するつもりだと言っている。そうしたらその後はどうなるだろう。数カ月投獄されて、その間に米国が英法廷に身柄引き渡し要請を出すのか。
英政府は、もしそうなることを許すなら、世界の目から見れば、凶暴な権力によって正義と自由に対して、そして私たちみなに対して仕掛けられた戦争という犯罪の従犯者として、歴史的に徹底的に恥をさらすことになるだろう。
ジョン・ピルジャーのツイッターアカウント: @johnpilger
訳注
1: 米国で第1次世界大戦に参戦後の1917年に成立し、国防違反に1万ドル、懲役20年を課した。反戦活動家、左翼の取締まりに使われた。
2: カンガルー裁判、不正規[いかさま]裁判、つるし上げ
3: 国際刑事警察機構が加盟国の申請により発行する通知。その国で逮捕状が出ている被疑者などについて人物を特定し、発見したら手配元の国に引き渡す方向で協力するよう各国に要請するもの。
4: ダモクレスの剣:常に差し迫った危険にさらされている状態。シラクサの僭主ディオニュシオスが、頭上に大変細い糸で剣を吊り下げた宴席で廷臣ダモクレスをもてなし、支配者の栄華につきまとう危険を悟らせた故事から。