◎南北首脳会談に寄せる一在日の想い
(文責:キム・クンミ(金克美))
アメリカに移住した私が朝鮮半島の南北首脳会談の様子をみたのは米国東海岸時間で4月26日の夜、ネット配信のライブ中継でした。北と南の代表が手を携えて板門店の境界線を越えている。自分が生きているうちにこの映像をみることができるなんて夢をみている思いでした。
1989年にベルリンの壁を越えていく人びとの姿が報道された時、下からわきあがる民衆の力を目の当たりにし、南北の境界が無くなる日がくるのかもしれないと希望を持ちました。あれからほぼ30年が経ち、南北の融和は上からの力、国家首脳が動くことで実現ました。第一回の首脳会談が2000年に開催された時も今日のような希望をみたのでしたが、翌年に米国で911テロ事件が発生し、テロとはまったく関係のなかった北朝鮮はどういうわけだか「悪の枢軸国」に指定されてしまい、2007年におこなわれた第二回南北首脳会談も平和の実を結実させることなく今日の日まで来てしまったことから、この先もどんなシナリオが進んでいくのか定かではありませんが、朝鮮半島の情勢に影響を受けてきた一個人としてはこのまま大きな障害なしに朝鮮半島に往来の自由が訪れることを祈るばかりです。
こういうことが現実になるとは思いもしていなかったので、この先に実現できるかもしれないことがじわじわと一つずつ頭に浮かんでいます。
一番最初に浮かんだのは、2015年に亡くなった父がもう少し長生きしていれば、一緒にこの嬉しい驚きを分かち合えたのになぁということでした。祖父母が韓国の慶尚南道から日本の京都に移住したのはまだ朝鮮半島が植民地だった時代。1935年に日本で生まれた父は10歳で終戦を迎え、その後は在日朝鮮人として生涯を日本で終えました。南北両首脳が境界線を越える報道をみた夜は、父の好きな日本酒が手元になかったので、遺影にウォッカをささげて父の人生に思いをはせました。
次に考えたのは、北と南が自由に往来できるようになるのかなぁ、ということ。そうなれば母は、1960年代の「帰国運動」で北朝鮮に渡った彼女の父と姉、弟の墓を参ることができるんだということ。それは母が生きているうち実現したいことです。そしてそれが実現するということは、京都の万寿寺に預けてある(映画パッチギにでてきたあのお寺です)祖母の遺骨を、夫や子供たちと一緒のお墓にいれてあげることができる! 家族で法要をすることができれば、まだ北で生きている従兄の兄たちに会うことができるんだ! 会うことはかなわないと思っていた家族が、どんな人生を送ってきたのか語り合う日もくるかもしれない!
そういったことが一つ、また一つと頭に浮かび、静かな興奮の一夜を過ごしました。一個人の周りでさえもいろいろな変化があるだろうに、地域や社会、国家の単位になると、これから何が起こるかなんて想像がおいつきません。いいことばかりではないだろうけれど、とにもかくにも半島で戦争の危機が回避できただけでも、南北首脳会談の実現は大きな意味がある出来事です。
アメリカと日本が北朝鮮に対する圧力を強めるなか、さっと手をさしのべてこのチャンスを逃さなかった文在寅氏が、このタイミングで韓国の大統領で本当によかった。朴槿惠氏が弾劾されずにまだ大統領であったなら、正反対のことが起きていた可能性だって否めません。一国のリーダーがどういう人物であるかは、とてつもなく大きな意味を持つのだと再認識しました。
4月27日に放送された「デモクラシー・ナウ!」という米国の報道番組のなかで、平和運動家のアン・ライトさんが、いまは韓国に駐留している米軍兵士は心底ほっとしているでしょうと話しているのをみて、ほんとにそうだ!と思いました。日本の報道によると、安倍政権は「対話ムードを警戒し、北朝鮮の行動を検証できなければ圧力をかけ続ける必要がある」とくぎを刺しているそうですが、平和主義を憲法にうたう日本という国の政府代表が、まさか朝鮮半島が戦渦にみまわれることをのぞんでいるのではないと思いたい。でも残念ながらそうではなく、日米の首脳が武力行使を望んでいるのであれば、それはいったい何のためなのでしょう? 平和裏に戦争の終結と半島の平和を望む南北朝鮮のためでないことは明白です。武力行使となれば、日本を含むその地域の人々――市民だけでなく、駆り出される自衛隊や駐留する米国兵士――にとっても百害あって一利なし。武力行使を望む首脳は一日も、一刻も、一秒も早く、権力の座から退いてもらい、市民の平和に貢献するリーダーを望みたいと、切に願います。