TUP BULLETIN

[TUP速報] 294号 ガバン・マコーマック『北朝鮮危機入門』 04年4月28日

投稿日 2004年4月28日

FROM: minami hisashi
DATE: 2004年4月28日(水) 午後11時36分

北朝鮮について考える時、わたしたち日本国民には特殊なバイアス(歪み)が
かかっているようです。拉致事件、強制収容所、大量難民などを見れば、確か
に金正日体制は不気味な様相を示しています。だが、国民世論の大勢が隣国に
対する怒りと侮蔑に染まっているままでは、日本の右傾化を助長し、世界覇権
帝国アメリカへの軍事追従の道を是認することに繋がるはずです。今、わたし
たちに必要なのは、先入見ではなく、正しい情報にもとづく冷静な判断ではな
いでしょうか。危機の実相を把握してはじめて、対立を乗り越え、緊張をほぐ
す方策を考えることができるでしょう。そのためにも、本稿は格好の入門書で
あると信じます。

時あたかも北朝鮮は、リョンチョン(竜川)で発生した鉄道大事故の情報を公
開し、国際社会に支援を求めるシグナルを送りました。近隣の国ぐにと共に、
わたしたちの日本も心からの支援に向かえるのかどうか、注目したいと思いま
す。 / TUP 井上 利男
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◎ ガバン・マコーマック『北朝鮮危機入門』
東北アジアにおける対立と緊張の実相を学び、和解への道筋を考える
ジャパン・フォーカス 2004年2月14日

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Eメール・インタビュー
質問者: スティーヴン・R・シャローム & マーク・セルデン
回答者: ガバン・マコーマック
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凡例: (原注)[訳注] <ルビ>
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[問1] 現在の北朝鮮の政治・経済状況がどうなっているか、概略をお話しい
ただけますか?

[マコーマック] 北朝鮮は、1980年代まではアジアでは比較的工業化の進
んだ国のひとつに数えられていました。その後、みずからの選択の結果と、み
ずからの力のおよばない要因の両面でさまざまな事情が重なって、経済が衰退
に向かい、破綻寸前にいたりました。

1990年代の“社会主義”の終焉にともない、ロシア、中国両国とも、貿易
政策を“友好”から商業ベースへと転換しました。その結果、北朝鮮が輸入す
るエネルギー資源、なかでも石油の価格が急騰しました。高度に化成品・機械
集約型である農業が、深刻な打撃をこうむる事態になりました。しかもその直
後、未曾有の気象災害に繰り返し襲われ、食糧配給の慢性的な不能状態に陥り、
国民の多くが餓死しました。1日2食生活が奨励されましたが、実状では、1
日1食さえ、多くの人びとに適わぬ望みになったのです。国連・北朝鮮人道援
助調整官によりますと、現時点の北朝鮮では、児童の4割が栄養失調で発育不
全になっています。しかも援助側の国ぐにの北朝鮮に対する関心がなく、国連
世界食糧計画の備蓄が底をつき、2004年2月に(北朝鮮人口の6分の1を
超える)高齢者、女性、児童向けの配給400万人分が打ち切られました。

北朝鮮は、日本とアメリカ両国に、IMF(国際通貨基金)、世界銀行など国
際機関への加盟を阻まれ、外交関係樹立を拒否されているうえ、“テロ輸出”
国と名指され、経済制裁を課せられています。おまけに世界経済への幅広い参
画を望みながら、反面、そうなれば政治・公安体制の根本が揺らぐのではない
かと怖れ、いずれにしろ進退極まっています。北朝鮮にとって、かねてより韓
国は不倶戴天の敵だったはずですが、広範な分野におよぶ両国の結びつきが、
非武装地帯を超えて急速かつ目覚しく進展しています。これが最大の変化です。

朝鮮戦争時の戦闘状態は、終結してから50年以上も経過しましたが、いまだ
に暫定的“休戦”の状態にあり、軍優先政策のあおりで、北朝鮮経済は歪んで
しまっています。1987年、北朝鮮は発電用ガス黒鉛炉の運転を開始しまし
たが、その使用済核燃料に含まれているプルトニウムを、まもなく兵器開発用
途に転用しはじめたようです。自前の抑止力を確保して、半永久的な脅威であ
る米国に対抗し、さらに交渉のテーブルに誘い込む目論見がありました。

1994年に、米国が北朝鮮の核施設を攻撃する寸前まで危機が切迫しました。
その後、北朝鮮は、核・ミサイル開発計画を経済・外交関係の正常化のための
交渉材料として、クリントン政権の米国と国交を正常化する手前にまで持ちこ
みました。だが、ブッシュ政権の登場とともに、この動きは振り出しに戻って
しまいました。

北朝鮮は、1948年の建国いらい長くマルクス・レーニン主義の労働党独裁
国家でしたが、90年代末期になって、(94年に死去した金日成<キム・イ
ルソン>の息子)“親愛なる指導者”金正日<キム・ジョンイル>の統治下で、
共産主義理論を離れ、金正日を至高の軍事・政治主権者とする“先軍思想”を
奉じるようになりました。今日、プロレタリアート独裁に代わる軍部独裁は、
絶対君主制にそっくりで、これを民族主義と言いくるめ、正当化しています。
金正日の支配権は非常に広範におよんでいます。『朕は国家なり』と胸を張っ
て言える支配者は、金正日以外には、そうざらにいるものではありません。政
治に対する批評、ましてや反対などは許されませんでした。幼年期から人民の
思想統制に多大な努力が払われているのです。対立した者は、その家族ともど
も、おそらく10万人を超えますが、僻地や山間部の労働改造収容所で苛酷な
境遇に置かれています。

国家の経済統制は2002年におおかた放棄され、市場が重視されるようにな
りました。特別区を設けて、外国企業の誘致が図られ、特に韓国が積極的にこ
れに反応しました。北朝鮮は日本の援助と技術の導入を望み、関係を正常化す
るために、2002年9月、1970年代末期から80年代初期に行った日本
国民の拉致と“工作船”の日本領海侵犯に関して謝罪しました。しかし、日本
国民の反応には厳しいものがあり、これまでのところ働きかけは成果をあげて
いません。

歴史に由来する未解決の問題を、北朝鮮ほど数多く引きずっている国はありま
せん。北朝鮮は、いわば20世紀を封印した化石なのです。帝国主義の干渉、
外国勢力が介在した国土分断、冷戦に合わせて形成された国家構造、すべてが
未解決なのです。経済の失敗、とりわけ食糧配給体制の崩壊が、政権の信用を
しだいに損なってきました。国境の河を渡って中国に逃げる難民の流れは止ま
らず、指導部中枢に近い重要人物でさえも逃亡しています。苛酷な独裁支配の
存続を正当化し、支える口実として、悪意を含んだ、外部の強大な敵対勢力と
の対決ほどに好都合なものはありません。

[問2] ある時期、北朝鮮のほうが韓国よりも経済急成長をしているように見
えたのですが、何があったのでしょうか?

[マコーマック] 1960年代末、CIAが両国の経済調査を実施したところ、
ほとんどすべての分野で、北朝鮮が韓国の優位に立っていることが判明したの
です。79年から90年にかけて、国連食料農業機関の報告では、北朝鮮は農
業の奇蹟と呼ばれ、世界一の米の反収を達成しているとされていました。これ
らの報告は信頼性に欠け、それなりの成果があったとしても、その後、悪化す
るばかりでした。現在、両国の国内総生産を比較すれば、北朝鮮を1とすれば、
韓国は20ないし30になるまで格差が広がり、北朝鮮の農業は事実上破綻し
ています。(ただし、2003年の収穫は回復の兆しを見せています)

朝鮮戦争までは、半島のなかで先進工業地域であった北朝鮮は、日本支配から
の解放および(1948年の)朝鮮民主主義人民共和国建国の後しばらくは、
日本の植民地資産の接収と国有化、全面的な土地改革とソビエト型中央統制経
済の採用、それにソ連、東欧、中国からの相当規模の援助があいまって、目覚
しい成長率を達成していました。しかし、40年代から60年代にかけての初
期高度経済成長期(例外的に、50年から53年にかけての朝鮮戦争によって、
経済が劇的に後退)が終わると、北朝鮮はしだいに衰退に向かいました。工場
施設は老朽化し、または時代遅れになり、資源は軍に独占され、あるいは国家
指導者への個人崇拝を強化するために使われました。さらに90年代に入ると、
米国との対立が先鋭化しただけではなく、天災の頻発に苦しんだのです。

個人崇拝と計画経済との矛盾が拡大しました。結局、過度の個人崇拝からくる
越権行為と専制的な干渉が、しだいに計画経済の息の根を止めてしまったので
す。金正日が権力を継承すると、かれの側近がテクノクラートに置き換わりま
した。アメリカが、禁輸措置によって2国間経済関係を拒んだだけではなく、
世界銀行、IMFへの加盟を阻みました。北朝鮮が孤立から抜け出ようと試み
ても、ことごとく妨害したのです。

北朝鮮ほどに急激かつ長期間“産業空洞化”が進行した国はありません。急速
に発展する北東アジアの中心部にあって、絶望のブラックホールと化した北朝
鮮の地位には、さらに異常さが際立つようになっています。

[問3] 北朝鮮の権力が金日成から金正日に移ったことには、どのような意味
がありましたか?

[マコーマック] 父・金日成(1912年生まれ)からの権力委譲よりもずっ
と以前から、金正日(1942年生まれ)は後継者に育てあげられていました。
金日成が94年に死亡したときには、すでに金正日が実質的に国家を統率して
いたのです。

金日成には、抗日パルチザン、つまりゲリラ、反ファシスト闘士の経歴にとも
なう信望が備わっていました。金日成崇拝は、民族派、国際派双方からの絶対
的な信任の上に安定していました。だが、金正日の正統性は、金日成の子息で
あることから派生しているにすぎません。かれの権力継承を正当化するには、
大掛かりな演出が必要でした。金正日の手で、父・金日成の遺産である個人崇
拝体制が強化され、それがおよぶ範囲は家系全体に拡大しました。血統によっ
てのみ革命の継続が保証されるというわけです。国家がまるごと一族の不朽の
業績とされ、指導者とその一族を称える壮大な仕掛けが生産的な事業よりも重
視されるようになりました。

金正日のジレンマは、なんとか権力を維持しながら、いかに国家を改革するか
にあります。国家を“改革”し、開放すれば、かれ自身の王朝・封建的統治権
の信憑性が危うくなるのです。

[問4] 核を巡る紛糾に関して、1994年、クリントン政権と北朝鮮は解決
策を合意しました。その合意はどうなったのですか?

[マコーマック] 1994年のいわゆる“枠組み合意”にもとづいて、北朝鮮
は黒鉛炉計画を凍結し、IAEA(国際原子力機関)の封印カメラによる厳重
監視下で、プルトニウムを含有する使用済核燃料棒8000本余りを特別な貯
蔵プールに保管することになりました。見返りに、発電用の軽水炉2基が20
03年までに建造されることになり、それまでの繋ぎに年間460万トンの石
油の供与が約束されました。アメリカと北朝鮮は「政治・経済関係の全面的な
正常化に向かう」ことで一致し、アメリカは「北朝鮮に対し核攻撃で脅し、ま
たは核兵器を使用しないことを公式に確約する」と表明しました。

原子炉建設地の選定をめぐる論議が紛糾しましたし、費用負担(韓国70パー
セント、日本20パーセント)をめぐって、交渉当事国以外の関係国の合意取
り付けも手間取って、何年も空費しました。その間、北朝鮮の経済危機がどん
底に陥ったままであり、飢餓状況がきわめて深刻になりました。そこでワシン
トンは、北朝鮮の体制存続そのものが危うい、したがって原子炉建設の推進も
必要なくなると考えました。

連邦議会の支配権が共和党に移ると、こちらは初めから取引きに反対であり、
政治・経済関係の正常化にまともに取り組む気がなかったものですから、枠組
み合意は脇に押しやられ、これは民主党による見当違いの譲歩である、約束も、
実行も、とんでもないと批判されることになりました。1998年になって、
テボドン衛星が発射されると(周回軌道に乗せることには失敗しましたが)よ
うやく北朝鮮問題が切迫感をもって再浮上しました。2000年、マデリン・
オルブライト[国務長官・当時]と北朝鮮の陸軍元帥・趙明録<チョ・ミョンロ
ク>[人民軍総政治局長・国防委員会第1副委員長]による相互訪問が実現し、
両国は国交正常化と枠組み合意の完全実施のまぎわまで歩み寄りました。クリ
ントン大統領の公式訪問が期待されましたが、実現にいたる前に時間切れで終
わりました。

ブッシュ大統領が登場すると、北朝鮮は“テロ国家”である、邪悪であると決
めつけられ、その指導者は大統領お墨付きの憎悪の的になりました。現在の危
機は、2002年10月、国務次官補ジェームズ・ケリーが、北朝鮮はウラン
濃縮計画を秘密裏に進めていて、みずからそれを認めたと広言した結果、浮上
しました。疑惑追及と否認の応酬が続き、枠組みを壊してしまいました。ケ
リーが実際に何を聞かされたのか、それを正しく理解したのか、議論の余地が
残されたままです。ピョンヤン[平壌]は一切何も認めていないと言っています。
中国、ロシア、韓国は、北朝鮮が認めた以上、なんらかの計画が存在するので
はと疑っています。ケリーが聞いたと主張しているとおりに、北朝鮮が言った
としても、どんな動機でそのようなことを言ったのかは想像がつきません。

2003年、パキスタン核兵器開発の創始者アブドル・カディール・カーンの
口から、1990年代に遠心分離を含む核技術の設備をリビア、イラン、北朝
鮮、その他に引き渡したという告白がとびだしたものですから、ウラン濃縮関
連の話はなおさら複雑になってしまいました。ワシントンは、もっとも危惧す
る事態として、北朝鮮が招きかねない核不拡散体制の綻びをあげていましたが、
まさにそのとおりの状況が明かるみにでたのです。だが、ことは米国の同盟国
の失策であり、ほぼ確実に当初から米諜報機関も知っていたはずなので、責任
追及は叱責程度でうやむやになりました。

2004年2月末に北京で予定されている次回“6ヶ国協議”では、2002
年10月ピョンヤンで、誰が何を言ったか、それは何を意味したか、という難
問に向き合わねばならないでしょう。

ウラン濃縮疑惑の結末がどうなるにしても、ケリーが危機を煽りたて、枠組み
合意が壊れるまでは、北朝鮮がヨンビョン[寧辺]核施設の黒鉛減速炉の稼動と
使用済核燃料貯蔵プールからの搬出の凍結を誠実に履行していたことには、疑
いの余地がないようです。1994年合意はプルトニウム兵器(ナガサキ型)
開発を対象としていたのであり、2002年にケリーが言いたて、2003年
にカーンが暴露した結果、疑惑が浮上したウラン兵器(ヒロシマ型)開発は想
定していませんでした。2003年12月にヨンビョンを訪問した米国専門家
グループは、小型実験炉(5メガワット)が稼動し、周辺地域に電力と熱を供
給しているのを確認しましたが、大型炉(50メガワット)のほうは劣化と破
損がひどく、修復するには何年もかかるとみました。だが、貯蔵プールは空に
なっていて、プルトニウムが再処理され、核兵器開発計画に組み込まれた可能
性を示唆していました。

[問5] イラク戦争の準備段階で、多くの解説者が、サダムの大量破壊兵器の
あるなしにかかわらず、かれは合理的だから抑制がきく、だから国境を越えた
脅威にはならないと指摘していました。さらに解説者たちは、サダムの大量破
壊兵器使用というシナリオが考えられるのは、アメリカが攻撃する場合である
と言っていました。同じ理屈が北朝鮮にも当てはまりますか?

[マコーマック] まともな分析専門家なら誰でも、北朝鮮が、国家存亡の脅威
に直面しないかぎり、近隣のどの国であれ攻撃または侵略する、あるいは地域
平和への脅威になるなどとは言いません。北朝鮮は、貪欲に獲物を狩る虎では
なく、剛毛を立てて強がって見せ、攻撃から身を守るヤマアラシに譬えたほう
が適切でしょう。

どの隣国に対しても、北朝鮮が脅かしたことも、侵略行為におよんだこともあ
りませんが、もちろん、北朝鮮と韓国との関係は別の範疇のものです。194
5年に外部からの干渉のために国土が分断されてからずっと、南北双方が国土
統一に全力を傾け、たがいに正統性を主張してきました。1950年から53
年までの内戦は、この争いのために起こったのであり、50年たっても、決着
がつかないままです。だが、金大中<キム・デジュン>前大統領時代に対決姿勢
から“太陽”政策への転換があって、両国間の和解気運が大いに盛り上がりま
した。今日、韓国民は、北朝鮮よりも、むしろアメリカを怖れています。

[問6] 北朝鮮の人びとは被害妄想なのでしょうか? そうであれば、何故でし
ょうか?

[マコーマック] 被害妄想が、理由や根拠のない、あるいは過大に誇張された
恐怖を意味するなら、この言葉は北朝鮮を表現するのに不適当です。この国の
恐怖には理由がないとは、とても言えないからです。

ワシントンでは、北朝鮮の“核の脅威”はここ10年の問題ですが、北朝鮮に
してみれば、これまで50年間、米国の核の脅威に向き合ってきたのです。北
朝鮮ほど長く、このような状況で過ごしてきた国はありません。朝鮮戦争の際
には、北朝鮮は核による全滅に直面し、辛うじて免れたのです。マッカーサー
元帥、かれの後継・最高司令官リッジウェイ元帥、トルーマン、アイゼンハ
ワー両大統領、統合参謀本部のだれもが、一度やそこら、北朝鮮に対する核兵
器使用に賛成し、あるいは言及したのです。 英国、その他連合国が核使用に
反対しました。だが、結局、核使用を思いとどまったのも、ソ連の報復を恐れ
たからであり、スターリンの死後、交渉が急に進展したからにすぎなかったの
です。

さらに、休戦のわずか4年後、休戦協定に明らかに違反して、米国は核砲弾、
核地雷、核ミサイルを導入し、韓国政府の主張を容れて撤去するまでの35年
間、核を持たない北朝鮮を威圧する意図をもって、非武装地帯間近に配備して
いたのです。撤去されたといっても、北朝鮮にしてみれば、自国を仮想敵とし
た長距離核攻撃の演習が続いているからには、核の脅威がなくなったわけでは
ありません。しかし、“枠組み合意”のもとで、クリントンが、非核国に対す
る核兵器による先制攻撃はないと保証し、ついに脅威を除きました。ブッシュ
政権に替わって、せっかくの猶予も無効になり、北朝鮮を特定して“核攻撃対
象国リスト”に加えました。

同じ“悪の枢軸”国と名指されたイラクが、(わたしたちが知るように)大量
破壊兵器を保有せず、当面、それを開発する見通しもなかったのに、粉砕され
るのを目の当たりにして、ピョンヤンが次は自分たちの番であり、サダム・フ
セインが持っていなかったものを実際に持つことが、生存のための唯一の希望
であると結論したとしても許されるでしょう。核兵器がなければ、北朝鮮は貧
しく取るに足りない国です。核兵器があれば、いや、あってこそ、米国からの
攻撃を抑止するだけでなく、積年の苦情を盛り込んだ交渉に米国を引きこむこ
ともありうる話です。

北朝鮮は、20世紀(また現在までの21世紀)における自らの役柄を、被害
者と自己認識しています。植民地主義日本と米国の手にかかって、途方もない
一連の不正行為で苦しんできて、補償されることもなかったのです。自国への
脅威を取り去り、国際承認と正常化を要求する北朝鮮の声は、どぎつい調子に
聞こえるかもしれませんが、北朝鮮が抱く不安感の強さをよく表しています。
世界が決して理解してこなかったもの、それは、(日本による)植民地統治の
負の遺産、(米国による)核の威嚇、さらには経済封鎖と外交孤立化の解消を
求めるピョンヤンの叫びの核心にある正統性なのです。

[問7] 現在の北朝鮮危機に関係している地域の主役たち、韓国、日本、中国
の役割と立場はどのようなものですか?

[マコーマック] 2003年に提起された“6ヶ国間枠組み”は、北朝鮮に対
して、地域列強および世界大国(米国、日本、中国、ロシア、韓国)の北朝鮮
核武装解除を要求する共同戦線を示すことを意図していました。だが、危機の
進展とともに、米国の立場が弱くなり、予想に反して、圧力が、北朝鮮にだけ
ではなく、米国にもかかるようになりました。とりわけ奇妙なことに、ブッシ
ュ政権発足時に、米国にとって真の戦略上の脅威であると名指されていた中国
が、交渉の主役に躍り出てきたのです。

6ヶ国すべてが半島の非核化を表明しています。米国は別ですが、他の5ヶ国
は、北東アジアのもうひとつの戦争という企ては、絶対的な禁句であると考え
ています。あえて公然と米国に異を唱える国はありませんが、北朝鮮と隣り合
う4ヶ国は、北朝鮮の存続の願いは現実的で真剣であり、命乞いしなくても、
生存権を保証される権利が認められるべきだという考えで一致しています。ど
の国も、北朝鮮が核兵器を保有しているという米国情報を疑っていますし、2
002年に枠組み合意の崩壊をきたした米国版の状況報告を信じていません。

【韓国】 かつて同胞相討つ戦火を交え、それ以来、敵対的なまま膠着した軍
事対決に耐えてきた韓国ですが、今では、隣国に対していささかの恐怖心も示
さず、対話と協調の道を選んでします。これは、人間の本質は複雑にみえても、
決して悪ではなく、また貧しく、絶望的であり、友がいない者でも、敬われる
資格があるとする孔子の智慧の伝統に由来するものであり、金大中前大統領が
“太陽政策”と名づけた方針に沿うものです。この見方は、変化は起こりうる
と信じ、いかなる未解決の軍事的脅威であっても、適切に抑制できると信じる
ほうを選び、北朝鮮を“邪悪”と決めつける道徳主義的な原理主義者の枠組み
に賛成しません。ある評論家が喝破したように、結局、北朝鮮と韓国は単一の
“同族経営”を営んでいるのです。

今は常時、韓国の外交官、官僚、実業家たちがピョンヤンに数百人いて、取引
きし、対等に語り、南北間の道路、鉄道、光ファイバー、パイプラインを経由
して、新しい連携を構築し、エネルギー産業、観光事業、製造業の投資プロジ
ェクトを企画しています。

【日本】 20世紀前半、朝鮮は日本の植民地でした。日本支配が終わっても、
外部から押し付けられた国土分断、内戦とそれに続く国際戦争、さらには冷戦
へと推移しました。日本が韓国との関係“正常化”に向かう何らかの手だてを
取るまで、20年の歳月がかかりましたし、今日になっても、北朝鮮とは国交
がありません。

冷戦状況のもとでは、日本と北朝鮮の間の和解は、想像することさえ、およそ
不可能でした。冷戦終結後、植民地支配に対する謝罪と賠償を求める北朝鮮の
要求が、行き詰まりの主要な原因になりました。1990年代の経済危機のた
めに絶望にまで追いつめられて初めて、北朝鮮はその要求を棚上げすることに
同意しました。また北朝鮮は、2002年9月、訪朝した小泉首相に、197
0年代末から80年代初めにかけて、13人の日本国民を拉致したこと、また
90年代に“工作船”が日本の領海を侵犯したことに対し、劇的な謝罪を表明
し、これをもって変化への熱意を示しました。その後、北朝鮮は、拉致された
13人のうち、いわゆる生き残りの5人を日本に帰国させました。しかし、変
化への願望を示す、このようなシグナルは、ことごとく失敗に終わりました。
それどころか、拉致に対する日本国民の、とてつもなく大きな怒りの高まりが
他の問題すべてを霞ませてしまいました。

冷戦さなかの25年前の拉致は、国家テロの一形態であり、激しい怒りももっ
ともです。しかし、北朝鮮の謝罪と、かかる行為は二度と繰り返さないという
約束に続く、日本側の反応も実に不思議なものです。さらに、そう遠くない過
去、日本は多数の若い朝鮮女性を性的奴隷に徴用するなど、もっと大規模な国
家テロを行い、しかも、それを不承不承に認め、(間接的かつ不十分に)賠償
を始めるまで、50年以上もかかったのは、両国ともよく分かっていたことな
のです。

元拉致被害者の子どもたち6人の扱いが焦点になりました。今では全員が成人
(最若年者は18才)し、まったくの北朝鮮育ちであり、朝鮮語しか知りませ
ん。いくつかの例では、両親が日本国籍であることさえ知りません。それでも、
日本政府は、子どもたちを引き渡すべきであり、日本へ“帰国”させなければ
ならないと主張しました。北朝鮮側としては、両親たちが日本に1週間か2週
間滞在した後、家族の将来を決めるために、いったんは北朝鮮に戻すとした意
見の一致を、日本が無視していると抗議しました。子どもたちは単に動かして
すむような“物”ではない、独自の帰属意識を備えた人間であると北朝鮮は主
張しました。決めるのは、子どもたち本人であり、どこに住みたいか、両親と
話し合ってからであると言うのです。

2003年から04年にかけて、北朝鮮政府は基本的に同じ立場を表明しつづ
けています。04年2月、北朝鮮は、訪朝した日本政府代表団に対して、両親
がピョンヤンに飛来するだけでも、取り決め条件を満たすことになり、家族が
望むなら、両親に同行して出国できると発言しました。それでも日本政府は満
足せず、当の個々人がどう考えるかにはお構いなしに、無条件の引渡しに固執
しました。人権の観点に立った長期的な解決は、将来に両国関係が正常化して、
子どもたちが(自分で選んだ)国と両親の家とを自由に行き来するというもの
になるでしょうが、現在の日本では、このような考え方はほとんど支持が得ら
れていません。

現在も継続している北朝鮮との対立が、日本の政治的・経済的変化の中心軸に
据えられています。最近の日本は、北朝鮮に対する恐怖と憎悪、全国民的な社
会的通念に後押しされて、軍(“自衛”)隊の“正規化”および世界規模で戦
力展開する米国軍隊への支援の強化に向けて、一連の手を打っています。具体
的な例では、小泉首相は、自衛隊のイラク派遣を、北朝鮮による攻撃の事態に
際して、米国が日本を守ってくれるだろうとする期待に結び付けています。ま
た日本は、北朝鮮のミサイルを撃退するために、きわめて高価で、実効性も確
認されていない(米国の)ミサイル防衛システムの購入の確約、北朝鮮船舶の
日本領海への進入を規制する法規の強化、日本政府が適当と認める時に、北朝
鮮に一方的な経済制裁を課する権限の政府に与える法律の制定に踏み込みまし
た。

【中国】この上なく緊密な歴史的絆で北朝鮮と結ばれている中国は、今日の北
朝鮮にとって、食料やエネルギーの大半を供給する頼みの綱であり、将来にお
ける北朝鮮の発展の道筋を示す最適モデルにもなりえます。中国の側は、北朝
鮮の現在の姿に自身の過去を見ています。北朝鮮問題の解決案をまとめる中国
の役割は、米国の要請により、着実に重みを増しました。中国の“基本線”は、
いかなる武力行使もあってはならないとするものです。2003年8月、中国
は、北京会談を召集する議長国として、大胆にも、交渉の主要な障害は米国で
あると言い切りました。その後も明確な中国の立場が圧力になって、米国の姿
勢を和らげるのに有効に作用しています。北朝鮮は、(2002年および03
年に行われた3回の会合で)妥協の余地のない交渉拒否姿勢から転じて、完全
で検証可能、不可逆的な核計画の終結に一方的に合意しました。米国側は、2
003年末、なんらかの形の安全保障策を提示する用意があり、段階的な解決
策を検討すると示唆しました。また、中国は、北朝鮮に対して、要求していた
事前文書がなくても、次回会談に出席し、核兵器関連だけではなく、核開発計
画全般を凍結(最終的には破棄)するようにと説得しました。

かねてから中国は、北朝鮮に関する米国諜報機関の推測情報に異を唱え、2月
会合に先立って、北朝鮮がウラン濃縮計画を持っているとする米国の主張の核
心部分には納得できないと明言しました。この件に関して、イラク情勢に関す
る米国諜報の実績と情報操作の前歴からして、米国としては、北京での交渉相
手の国ぐにを説得するのは非常に困難になることでしょう。“6ヶ国”が将来
の地域共同体の中核をなすなかで、当面する問題の解決策が、どんな形であれ
まとまれば、中国は、東アジアまたは北東アジアの将来の秩序の形成にとって、
要としての役割を強化することになるでしょう。

[問8] 北朝鮮の兵器開発の現状がどうなっているか、だれか知っている者が
いるのでしょうか? 何が分かっているか、要点をお願いできますか?

[マコーマック] 米国諜報機関は、1993年(あるいはもっと早く)に北朝
鮮は“1発または2発”の核兵器を保有していたと、最初は推測していました。
2003年に米国が対イラク戦争を始める根拠になった情報と同じように、こ
の情報も、虚偽および政治的操作の両方、またはその一方の産物であったよう
です。2003年になって、米国は韓国とロシアの見方を受け入れ、北朝鮮は
実際には核兵器を保有していなかったと認めました。だが今度は、米国は、北
朝鮮が核兵器製造のための材料(プルトニウムおよびウラン)を保有し、作る
意志と意図もあると主張しました。

北朝鮮が、“抑止力”である核兵器を独自に保有したいと思っているのは、ほ
ぼ明白な事実です。だが、1994年の“枠組み合意”で、安全保障上の要求
が達成されたと受け取り、核兵器生産努力を棚上げしたのも事実で、ただ、米
国じたいがクリントン路線からブッシュ路線へと舵をきったので、北朝鮮も方
針を変えたというのが実相なのです。北朝鮮がプルトニウムを保有しているの
は、ほぼ確実です。また、プルトニウム保有量を増やすために、ヨンビョン貯
蔵プールから搬出した使用済み核燃料棒を再処理しているかもしれません。だ
が、“兵器化”を完成したとは、とうてい考えられません。運搬手段について
は、ノドン・ミサイルの発射実験は1993年の1回だけです。射程距離を延
ばしたテポドンの発射も98年の1回だけです。これは地球周回軌道に乗りそ
こね、海に墜落しました。テポドン2号も1回だけで、これは(韓国諜報部に
よれば)2002年に発射台の上で爆発しました。これでは、輝かしい成績で
あるとはとても言えません。

実際の状況を客観的に見定めることが難しいのは、北朝鮮が核兵器と運搬手段
を両方とも保有していると世界に思わせたほうが、米国諜報機関も北朝鮮も、
それぞれ別の理由で好都合だからです。つまり、米国は、東アジアでの覇権的
役割を正当化することができ、北朝鮮は、米国の攻撃を抑止するためにと言っ
て、体制を正当化できるわけです。

[問9] 北朝鮮に関連して、今、ブッシュ政権は何を達成しようとしているの
でしょうか?

[マコーマック] 重要な問題が奇妙な形で棚上げされていますね。つまり、ブ
ッシュ政権は政策を持っているのでしょうか? それとも、北朝鮮がブッシュ
政権内部の抗争の軸になっているのでしょうか?

ジャック・プリチャードは、2003年8月に辞任するまで、国務省の上席北
朝鮮専門官を務めていましたが、米国の政策を「よく言って、素人のやりかた、
悪く言えば、北朝鮮政権を崩壊させたいために、外交努力で危機を解消せず、
北朝鮮を失敗させ、完全に孤立させるように意図した策略に同盟諸国を誘いこ
もうとして、失敗したのである」(ニューヨークタイムズ2004年1月21
日号)と評価しました。政策推進に深く関わっていた人物による、この手厳し
さには、外部の評論家では、誰も敵いません。

ブッシュ体制内部のネオコン集団にとって、1990年代も今も、歴史と政治
より、道徳的な決めつけのほうが大事なのです。北朝鮮は邪悪であり、解放さ
れなければならない、というわけです。政治、経済、歴史の違いなら、交渉が
なりたちますが、悪は撲滅するほかありません。ブッシュみずから、北朝鮮の
指導者・金正日に対して毛嫌いを隠そうともせず、サダム・フセインに対する
のと同じような言葉を使っています。しかし一方でブッシュは、まったく正反
対の態度を見せ、朝鮮で交渉による平和的な解決が可能であるとほのめかし、
楽観的な見通しさえ表明しました。イラクで昏迷が深くなると、北朝鮮問題に
関し、比較的普通に近い見方がワシントンの前面に再登場します。ずばり言っ
てしまえば、チェイニーやラムズフェルド周辺のネオコンは、武力行使の用意
があることを頼みに、最後通告を出したがっており、大統領自身も妥協したく
ないと思っていますが、国務省は地域大国との交渉と協調に傾いているのです。

北朝鮮による、完全で検証可能な、不可逆性の核兵器開発計画放棄の見返りと
して、北朝鮮の安全保障上の懸念をなんらかの文書の形で解消し、経済援助を
供与する用意があるとする現在の米国の立場は、2002年と03年にジェー
ムズ・ケリーが表明したものよりも前向きの大きな一歩を踏み出しています。
実際に表面的には、この姿勢は(全面的な国交正常化という中心課題をはぐら
かしてはいますが)北朝鮮の要求に近いものです。それでも、2月25日の北
京会合に立ちはだかる困難な課題がいくつかあります。

1.双方が満足しうる形で、北朝鮮の安全保障に関する文書を、いかにまとめ
るか。
2.ウラン濃縮計画について、相反する主張がなされているなかで、いかにし
て事実認定に達するか。
3.テロ支援国家リストからの自国の削除を求める北朝鮮の要求に、どのよう
に応じるか。
4.北朝鮮による“凍結”が、短期的には重油供与の再開、長期的には事実上
の経済封鎖の解除を正当化するのに、じゅうぶんな善意の証しであることを、
いかにアメリカを説得し、認めさせるか。
5.もっと長期的には、解決すべき課題は、単に想定されている北朝鮮の兵器
開発計画だけではなく、全当事国間の関係正常化であることを、いかに全当事
国に納得させるか。
6.この関係正常化を、いかにして1950から53年にかけての朝鮮戦争を
解消する恒久平和協定に繋げるか。
7.いかに、北朝鮮による日本人拉致の問題を解決し、同時に、長期にわたっ
た植民地時代の、日本人による朝鮮人拉致および虐待の問題を解消するか。

議論の課題は、朝鮮半島の核兵器にとどまるものではなく、1世紀をかけて蓄
積した問題なのですから、2月末のほんの数日間で片づけるには、荷が重すぎ
ることは、ほぼ明白です。ピョンヤンの計算では、交渉を引き延ばして、11
月まで持ちこたえ、大統領選挙の後、もっとお手柔らかな米政権が登場するの
に期待を繋いでいるのでしょう。一方の米国は、イラクの事態で消耗している
うえ、諜報機関情報を世界に納得させるのは容易ではないでしょうし、武力に
よる短期決戦に訴える立場でもありません。

[問10] ブッシュ政権の戦略を、どのように評価なさいますか?

ふたつの大きな矛盾が米国の北朝鮮政策に作用しています。一方は核であり、
他方は戦略です。

米国は、地球上の、さらには宇宙の核にもとづく覇権を望んでいます。一方、
現存の核クラブへの新規参入を企てる国は、どこであっても阻止しています。
米国が1968年に署名した不拡散体制は、核兵器を保有しない国は、それを
獲得する策を放棄すると約束し、保有国は、非保有国に対する脅迫を行わず、
現有核兵器の削減に努め、包括的な核廃絶に移行すると約束する取引きでした。
核クラブ列強がこうした責務を誠実に果たすようになるまでは、他国に責務を
果たすように強要しても、それは単なる偽善です。核兵器の保有だけが、安全
を保障するとすれば、北朝鮮に文句は言えません。それで都合悪ければ、持て
る列強は核兵器の全廃に向けた方策を採らなければばなりません。

ふたつめは、米国の短期目標と長期目標の間にある矛盾です。北朝鮮での体制
変革は、米国にとって、ひとつの懸念の解消ではあります。でも同時に、地域
における米国の覇権の基盤を危うくもします。ジョージ・W・ブッシュと金正
日は逆説的な共生関係にあるのです。ブッシュの金正日に対する憎悪、そして
核の脅しが、孤立と囲い込み状況を維持し、金正日による支配の正統化、国家
主義的な支持者の動員、敵対者の鎮圧を許しています。ブッシュの側では、北
朝鮮の脅威が、日本や韓国の不安感を煽り、米国の保護を求めさせ、ワシント
ンの“核の傘”に逃げ込ませるので、北東アジアでの支配と覇権に役立つので
す。

東アジアにおける米軍駐留体制は、ピョンヤンからの脅威があって、ソウルと
東京で正当化されているのです。平和的手段、その他何によってであれ、“北
朝鮮の脅威”が解消すれば、ワシントンの戦略家たちは、日本と韓国に基地を
維持し、まもなく地域に作られることになる、非常に高価なミサイル防衛シス
テムの新しい理由付けを、なにか考えなければならなくなります。中国こそが
真の敵であると言いたてたい向きもいるでしょう。しかし、中国への敵対意識
と封じ込め政策を動機にする米国との軍事同盟などは、現代の韓国や日本で、
とても支持されないでしょう。逆説的にも、米国が北朝鮮に望むもの、すなわ
ち“体制変革”を達成すれば、米国じたいの地域支配が掘り崩されるのです。

脅威だが、経済的に不可欠な重要地域・アジアを、厳格に管理、維持しなけれ
ばならないという冷戦時代の思考から、米国が脱却すべき時なのです。近いう
ちにアジアは、とりわけ東アジアおよび北東アジアは、まちがいなく東南アジ
アと緊密に協調しながら、世界の富と力が集中する、自立した中心として台頭
するでしょう。現実はすでにその方向で動いています。安全保障を米軍基地の
連鎖およびワシントンの政治動向に委ねるという政策は、ますます異常なもの
になっているのです。

北朝鮮は、続けさまに植民地にされ、侵略され、見捨てられるという目にあっ
た小さな国です。その近隣諸国は世界経済の中核へと急速に発展しています。
それら諸国と“正常”な関係を結べば、北朝鮮もますます周辺諸国と同じよう
な姿に変貌できると期待できます。北朝鮮の周辺諸国には、北朝鮮を台頭する
アジア共同体に迎え入れたいと望む、各国それぞれの理由があり、これを実現
するための主役として独自の判断で行動することは奨励されるべきです。これ
を実現するためには、北朝鮮が核兵器開発の放棄の見返りに求めている代償、
すなわち核による威嚇の除去、外交関係の正常化、経済封鎖の解除は高くつく
ものではありません。

アメリカにとって、一方で日韓両国における現在の安全保障を維持しながら、
他方、北朝鮮が本気で変わろうとしていることを示すためのチャンスを与える
のが、賢明な選択です。金正日が公言している開国と正常化の望みは、試して
みるべきです。ワシントンなり東京なり、どこであれ、金正日は会談のために
招かれるべきであり、かれの核放棄の意志は試されるべきです。要求を押し付
け、交渉を拒否して、変化を強要する企てだけでは、まったく功を奏しません。
北朝鮮の“メンツ”は安全保障方程式の重要な因子であり、いかに歪んで見え
る自尊心であっても、それを支えている国民の苦しみへの、共感と公正の感覚
こそが、安全保障目標を達成するためには必要になるでしょう。金正日の支配
は現在の緊張を口実に維持されているのであり、その緊張がだんだん緩和され
ていって、日本およびアメリカとの経済・政治関係が正常化し、日本、その他
の資本が順調に流入するようになれば、そのような支配は長く続かないでしょ
う。

なににもまして、問題の解決は、北朝鮮の脅威という狭い枠ではなく、もっと
広い歴史の文脈のなかで問題を見ることができるかどうかにかかっています。
そのためには、ソウルの立場を敬意をもって真剣に考慮すべきです。ワシント
ンに無批判に従わなければ、厄介で信用できないなどと考えてはなりません。
北朝鮮は本質的に朝鮮民族の問題なのです。結局、韓国民が北の同胞と共に生
きていかなければならない以上、交渉の場でも、将来計画の策定においても、
中心的な役割を担わなければなりません。

[問11] 米英連合は行き詰まってしまいましたが、これは北東アジアの平和
と安全保障に、どのような影響を与えるでしょうか? 米国と国連の対立を解
消し、地域の緊張を緩和するのに役立つ、なんらかの地域的な取り組みがあり
ますか?

北朝鮮は、東アジアにおける現在の米国覇権構造の要です。ワシントンが描く
ポスト冷戦構想は、日韓両国に対して、軍事的・政治的・経済的に対米依存を
続けるなど、北朝鮮に対する恐怖と敵意の継続にもとづいた未来の世界像を受
け入れることを要求しています。日本のためには、東アジアにおける“英国”
の役割が提示されています。イラクでの日本の行動は、小泉の日本がその役割
を引き受けるのに熱心であることを示しています。韓国、あるいは朝鮮連邦の
ために割り振られた役割はまだ定かではありませんが、ひとつだけは明らかで
す。日本に対して従属的な地位にとどまるように期待されているのです。たぶ
ん、なんらかの形の北アイルランド東アジア版です。

しかしながら、米国の地域・世界政策は、対テロ、“悪”との戦い、北朝鮮に
対する安全保障といった否定的な優先課題を提示していますが、東アジアから
は、それに取って代わる非帝国的なビジョンの出現を告げる、ためらいがちな
兆しが現れています。哀しみ、怒り、“北朝鮮危機”で高まる緊張のかなたに、
“ヨーロッパ”型の方向へと移行する動きを、変革の道筋として感じ取っても
いいかもしれません。だが、ヨーロッパもそうですが、東アジアは固有のリズ
ムと独自の動きを備え、その地殻変動は、さらに大きな相互協力と地域共同体
へと動いています。

人びとは、なぜ20世紀の東アジアは、世紀前半の日本が支配する“大東亜共
栄圏”や、後半の米国支配のもとでの“自由主義世界”でなく、この地域の諸
国家間の協力体制へと進んで行かなかったのだろう、と問い始めています。日
本の支配は悲惨なものだったし、米国の支配は冷戦時代の産物で、それを生ん
だ条件が消え去った今、ますます異常なものになっているのです。地域全体の
合意ではなく、2国間協定・物流に縛られた枠組み、新世紀になっても揺るが
ない下部構造、対米依存の継続を求められる東アジアの人びとからは、きっと
いつの日か、「もう、たくさんだ!」という言葉が返ってくることでしょう。

アジアがいつまでも米国市場や安全保障に依存するというのは、ますます時代
錯誤に見えるようになってきました。人びとは、戦後ヨーロッパの変革を目の
あたりにして、何故、アジアが同じ道を辿ってはいけないのか、と問いかけて
いるのです。

戦争になれば、北朝鮮の金正日体制は崩壊します。だが、体制変革を目指すつ
もりで武力介入すれば、一件落着でおさまらず、イラクやアフガニスタンを呑
み込んだような泥沼に落込むでしょう。したがって最後のよりどころは、南北
の朝鮮民族による解決しかありえません。これを実現する必要条件は、朝鮮半
島の“正常化”です。朝鮮戦争に終りを告げる平和協定、世界2大重要国・日
米による北朝鮮との国交樹立、すなわち、あまりにも長く無視してきた課題に、
今こそ取り組まなくてはなりません。そうしてこそ初めて、半世紀もの間、北
朝鮮の国民生活を締めつけ、独裁体制護持を許す条件にもなってきた軍事的緊
張を解きほぐすこともできるでしょう。

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[2月北京協議後の追加質問] 2月の北京6ヶ国協議で達成事項があったとす
れば、何でしょう?

[マコーマック] 問9の回答欄で既述した6ヶ国協議における7項目の課題は、
核問題に限定した半島情勢にとどまらず、1世紀にわたって蓄積されてきたも
のであり、ほんの何日間かの協議で落着するものではありません。協議じたい
は目につくような紛糾もなく実務的に進められましたが、成果のほうも、6月
末までに再開すると合意できた程度のものであり、ほとんどなにもありません。
公式声明では、核兵器のない半島の実現は共通の責務と謳われてはいますが、
この素っ気ない表現じたいが立場の隔たりを隠しています。アメリカの立場で
は、北朝鮮は、軍事利用であれ平和目的であれ、核開発全般の「検証可能であ
り後戻りできない廃棄」を認めなければならなかったのです。北朝鮮側が提示
したのは、プルトニウム兵器開発についてのみに限定され、しかも凍結であり、
廃絶ではなかったのです。ウラン濃縮計画については、存在さえも否定しまし
た。両国それぞれの立場は遠くかけ離れていました。会議のもうひとつの主要
参加国・日本は、北朝鮮との最大の対立の火種、1980年代の日本人拉致事
件の提起を控えました。しかし、北朝鮮の出方しだいでは、日本政府による一
方的な制裁の発動を認める予備的な措置が国会で承認されていますので、問題
はさらにこじれたでしょう。米国は包括的合意にいたる“ロードマップ”を北
京会談で提示する可能性をまたもや諦めていました。それどころか、「検証可
能であり後戻りできない廃棄」以外にはないと主張するのみで、なんの代案も
持ってこなかったのです。ピョンヤン筋の話では、米国は、北朝鮮が核開発を
全面的に止めるだけでなく、ミサイル、通常兵器、生物・化学兵器、人権、そ
の他の面で、米国の満足のいくように対処しなければ、関係の正常化は望めな
いと言明したようです。

それでも米国の立場は、中国、韓国、ロシアからの圧力を受けて、確実に後退
しました。6ヶ国協議の席で、米国が無条件の支持をあてにできるのは日本だ
けでした。A・Q・カーンの自白を示しても、北朝鮮が濃縮ウラン兵器開発計
画を進めているとする米国の主張は、北京、ソウル、モスクワから否定または
大いに疑問視されました。米国はかねてから北朝鮮の安全保障を考慮すること
さえ拒否してきましたが、今回は討議の対象になっていました。「悪行に報奨
なし」とする米国の姿勢は、北朝鮮が凍結を表明し、完全放棄に向けた約束を
するという条件のみで、経済協力を提供するという北京、ソウル、モスクワに
譲歩せざるをえなくなり、ほころびてしまいました。最後通告は関与路線に道
を譲ったのです。

北朝鮮のジレンマは、交渉カードが一枚しかないことです。核兵器の“脅威”
が取り除かれたら、敵対諸国の思いのままになる、哀れな貧しい国になってし
まいます。北朝鮮としては、切り札を簡単に手放すわけにはいきませんから、
歴史的な悲願が達成され、日米両国との国交が正常化しないかぎり、(もしも
あるとして)核兵器を放棄し、(兵器関連だけではなく、平和目的のエネル
ギー関連の)核施設を解体し、おそらくは国内どこでも、場所を限定しない徹
底的査察を認めることはないでしょう。北朝鮮は、自国はどの国にとっても脅
威ではなく、他になんらかの方法で安全保障の要求が満されるときまでは、自
国の安全保障は独自の抑止力に依存すると主張しつづけています。

アメリカは、新世代の戦術・戦域核兵器の採用を推進し、既存の地球規模の軍
隊駐留と核兵器による覇権を宇宙にまで拡大すると予告していても、弱小国・
北朝鮮に対して思い通りに強制力を振るえないと悟りました。こと北朝鮮問題
に関しては、史上最強国の力といえども、地域の首都、特に北京やソウルの位
置まで退却せざるをえなかったのです。北京で6ヶ国がふたたび顔を合わせる
として、その6月末といえば、4ヶ月先には米大統領選挙が迫っていますので、
ピョンヤンの強硬な抵抗者ほどに、ワシントンの体制変化を熱望している者は
いないでしょう。米国の敵意は、また、北朝鮮の核兵器の木を見て、歴史的な
地政学という森を見ない姿勢は、金正日が残忍な支配を正当化するのを助けて
います。しかも、米国が金正日にとって脅威となっている以上、地域と第一の
敵たる米国にとって、高度の脅威でありつづけるという皮肉な満足を、かれに
与えているのです。

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[質問者]スティーヴン・R・シャロームは、ウィリアム・パターソン大学で政
治学を教える。新著『君はどちらに立つ?――政治学入門』(仮題)
Which Side Are You On? An Introduction to Politics
マーク・セルデンは、Z・Netジャパン・フォーカス世話人。最近の共同編
集書『戦争と国家テロ――長かった20世紀の米国、日本、アジア太平洋』
(同)War and State Terrorism: The United States, Japan and the Asia-
Pacific in the Long Twentieth Century
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[回答者] ガバン・マコーマックは、キャンベラのオーストラリア国立大学教
授。現在、東京の国際基督教大学、客員教授。現代東アジアの歴史、政治に関
する論文、多数。最新刊『標的・北朝鮮:核の破局に北朝鮮を追いつめる』
(未邦訳・仮題)Target North Korea: Pushing North Korea to the Brink
of Nuclear Catastrophe, Nation Books
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[原文] Making Sense of the Korean Crisis:
An Interview with Gavan McCormack
Posted February 15, 2004 at Japan Focus.
http://japanfocus.org/092.html
Copyright C 2004 Gavan McCormack [TUP配信許諾済み]
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翻訳 井上利男 /監修 萩谷良 和気久明 /TUP
特別監修 ガバン・マコーマック