DATE: 2004年6月8日(火) 午前9時00分
新閣僚指名でコネ獲得戦開始? 庶民は停電と暑さとの闘いが続く
戦火の中のバグダッド、停電の合間をぬって書きつがれる24歳の女性の日記『リバーベンド・ブログ』。イラクのふつうの人の暮らし、女性としての思い・・・といっても、家宅捜索、爆撃、爆発、誘拐、検問が日常、女性は外を出ることもできず、職はなくガソリンの行列と水汲みにあけあけくれる毎日。「イラクのアンネ」として世界中で読まれています。すぐ傍らに、リバーベンドの笑い、怒り、涙、ため息が感じられるようなこの日記、ぜひ読んでください。(この記事は、TUPとリバーベンド・プロジェクトの連携によるものです)。 http://www.geocities.jp/riverbendblog/
相変わらずの電力事情。暑さの中で息も絶え絶えのリバーですが、新閣僚指名と就職事情の関係をチクリと皮肉り、批判的視線は変わらず元気です。(TUP/池田真里)
2004年6月1日 木曜日
屋上
暑い。暑い、という言葉しか出てこない 息もできないほど。空気は乾いていて焼けつくようだ。昼前には、もう暑くて外へ出られなくなっている。この地区では、二時間電気がきて四時間停電ということの繰り返し。ほかの地区でもそうだ。目下の問題は、あちこちの地区で発電機にガタが来始めていること。酷使と粗悪な燃料のせいだ。これは大問題で、夏の盛りへ向けてますますたいへんな問題になるのは、目に見えている。 私はこの二日間というもの、政治状況をあれこれ考えながら過ごした――それと、屋上の掃除もね。この二つにはまったく共通点はない。ただひとつのことを除いては。屋上も政治状況も大混乱。
屋上は、イラクの家庭にとって神聖な場所である。設計には、ほかの場所と同じくらい熱意が投入される。屋上は平らで、もたれて町を見おろせるようにたいてい低い壁で囲われている。この一年の間に、イラク人と屋上はなんだか深い関係になってしまった。爆破音を聞くと屋上へ駆け上がって煙が上がっている場所を知ろうとする。屋上に集まって頭上を飛んでいくヘリコプターを見守る。貯水タンクの水量が減ったときは、重い足を引きずりながら屋上へ。てんでな方向に張り巡らされた屋上の物干しひもに洗濯物を干す。いつ明けるともしれぬ停電の夜は屋上で眠る。
この屋上で眠る、というのは、両親がかつてなつかしそうに話してくれた昔の暮らし。子どもの頃、屋上にマットと低いベッドを持ち出して眠ったことを何度も何度も聞かされた。その頃は冷房はなかったし、天井の扇風機さえないことがあった。バグダッドの暑気とバグダッドの猛烈な蚊の群れは生活の一部、文句を言っても始まらないことと受けとめられていた。そしていま再び、両親はこども時代を思い出すことになったのだが、それは決してわたしたちに子どもの頃語ってくれたようにではない。だってわたしたちは現に五〇年昔に戻ってしまっているのだから。停電の間、家の中で寝るのは不可能だ。闇と熱気にからだ全体をくるみこまれ、むき出しの皮膚はどんな小さくとも逃さず蚊の群れに襲われる。
それで数日前に、リバーベンドとE(弟)は、掃除をすべく屋上へ送り込まれたってわけ。 夜明け、容赦ない太陽が一日の旅に出発して三〇分後から掃除を始めようということにした。Eは生温い水のはいったバケツをもち、私はほうきとモップをもって屋上に集合した。点検の結果、屋上はすさまじい状態だとわかった。砂塵がいたるところ降りつもっていた。ここ数週間に何回か砂嵐があったのだが、バグダッド中を吹き荒れた砂塵がすべて示し合わせてうちの屋上に集まったかのようだった。
二時間とくしゃみ六百回、水をバケツ十五杯費やした末に、屋上はやっと寝られる状態になった。あと一時間でマットレスと枕を運び込む、その時まで、屋上で寝ることになっていた。が、突然電気が通じたので、私はコンピュータにへばりついている。
新内閣の顔ぶれは、とても面白い。閣僚の何人かは、イラク国内出身(つまり亡命者でない)で、残りは海外出身、それぞれ異なる政党に所属している。ということはつまり、これで各省庁でどんな人が雇用されるか「決まり」ということ。今日び就職するには、しかるべき人のしかるべき推薦状が不可欠。しかるべき人とは、しかるべき誰かを知っていて、その人はまたしかるべき誰かを知っていて、その人はまたしかるべき誰かの友人で、その人はまたしかるべき親戚があって、その人はまた・・・もうわかったでしょ?
この問題については、明日きちんと書くわ。こんどこそ、明日。このところブログする気になれなかった。暑さがものすごくて、電気の通じている二、三時間をコンピュータの画面を見つめて過ごす気にはなれなかったのだ。 リバーによって掲示 午後一〇時五四分 (翻訳/TUP・リバーベンドプロジェクト、池田真里)