TUP BULLETIN

速報329号 拘束された豪州女性の手紙No.5  04年6月27日

投稿日 2004年6月27日

DATE: 2004年6月27日(日) 午後3時22分

《豪州NGO女性ドナのファルージャ拘束報告No5》


イラクのファルージャでは、米軍の包囲網作戦が2004年4月5日から、4 月の末に米軍が複数の陣地から撤退し始めるまで続いていました。11日には 「一時停戦」が成立したとはいわれたものの、実際には激しい戦闘が行われて いました。そんな中、オーストラリア人女性ドナ・マルハーンさんは、4月1 3日に3人の外国人同行者と共に、戦火の中、救援活動のためバグダッドから ファルージャに向かいました。その帰り道、ファルージャ郊外で地元ムジャヒ ディンに20数時間拘束されました。その顛末を、8本のメールにしたためた マルハーンさんの文章を紹介します。本稿は、その5本目です。戦争とはどん なものなのかを知る手がかりになればと思います。

翻訳 TUP/福永克紀 (翻訳・再配布了承済み)
 


ファルージャ5:尋問 2004年4月27日 ドナ・マルハーン

長い茶色の服に身をつつんだこの人物は、オーストラリアの参戦に強い関心を 示した。が同時に深い絶望感もみてとれた。

「その男のことを話してくれ、あんたの国の大統領――ハワードだったか?」 と彼は訊ねた。

「どうしてイラクと戦争を始めたのかね?」

「どうして彼はテレビに現れてアメリカ支持を誓ったのかね?」と、最近首相 がオーストラリア軍のイラク駐留続行を公に発表したことを訊ねてきた。ハ ワードの発言は、イラクのテレビやアルジャジーラのようなアラブ衛星放送で 大々的に放送されていた。

イラク人の友達はこの放送を見て、何か私に問題が降りかかるかも知れないと 気遣ってくれたぐらいだ。

ライドなどは、ある日私の家に飛んできて、こう言った。「ドナ、何やってん だこいつは? こいつに黙るように言ってやれよ! こいつのせいでイラク人 みんながオーストラリア人を憎んじゃうよ。君は今は外に出ちゃいかん!」

大半のイラク人は、オーストラリアがどのくらいこの戦争に関与しているかな どほとんど知らないし、オーストラリア兵がこの地にいることさえ知らない人 も多いのに、攻撃国の指導者がテレビのプライムタイムに出てきてイラク人の 注目を浴びることなんかいらないんだと、彼は説明した。

ライドの警告は理にかなっていた。それ以前は、オーストラリア人だと言え ば、常に温かく熱烈に歓迎されたものだった。しかし、ここ数週間、石のよう に冷たい眼差しを向けられたり、「どうしてあんたの国はアメリカに従うの ?」のような質問を受けたり、びっくりしたものだ。

この茶色の服の人物を説得しようとして、私は、オーストラリア外交政策の重 みが自分の肩にのしかかっているのを感じた。その荷は重かった。日々の生活 で攻撃の矛先を十分に感じているファルージャのイラク戦士によって捕虜と なった私にとって、それは何にもまして要らないものだった。私は心の中で ジョン・ハワードを呪った。どうして、彼はここにきて、イラク人に、彼らの 国の侵略に荷担する理由を説明できないのかと。私は、自分が無謀で、卑劣 で、危険で、無責任だと信じる政策を、どうして説明しようと試みることすら できよう。私はそんなことはしなかった。

自分はジョン・ハワードには賛成ではないと私は彼に言った。だからハワード の決定を正当化することなどできないと。

続く数分間、ファルージャにあるこの家の暗い部屋の床に坐ったまま、私は、 この戦争についての自分の見解を、あらんかぎりの情熱と明確さで、語った。 戦争と暴力への反対を表明し、イラクの人々と連帯してそばにいるために、去 年人間の盾としてイラクにやって来たことを説明した。また今回は、いろんな 仕残したことをしにきたこと、特にこの戦争の結果ホームレスになりトラウマ に苦しむ孤児たちの支援のことを話した。

ジョン・ハワードは保守的な政治家だということを説明した、また自分は彼と 対立する党に所属することも説明した。今年の選挙では新しい首相を選んでイ ラクから撤兵できたらと期待していることも説明した。

彼の顔が輝いた。「新しい首相?」

「そう願ってます」と答えた。

「インシャラー(神がお望みならば)」と彼は同意した。

ようやく、私が救われる接点ができた。

しかしまだ、苦悩を目の奥に秘めたこの茶色の服の人は、質問を続け、ますま す具体的な事を聞いた。

「オーストラリア兵はイラクに何人いるのかね? どこにいて、何をしている のかね?

「オーストラリア人というのは、イラクのことをどう思っているのかね? イ ラクと戦争したいと思っているのかね?」

私を見据えて彼はこう言った「イラクの人を傷つけたいのかね?」

この質問には、ほんとうにいたたまれない気持だった。戦争に反対する私の国 の友人たちのことを考えると、涙を懸命に飲み込まなければならなかった。私 はオーストラリア人は、イラクの人を傷つけたいなんて思ってもいないと説明 した。大多数は戦争に反対で、去年のデモでは何十万人もが、街頭に繰り出し たことも。

「ではなぜ、政府は戦争に踏み出したのかね? みんなが賛成しないのに」

また振り出しに戻ってしまった――自分がいわゆる民主主義国からやってきて いて、しかもその国が明らかに民主主義国のいい例ではないことに、私は肩を すくめ、自分が愚かなような気持になった。

泣きたかった。わめきたかった。戦争に反対して行進し行動したすべてのオー ストラリアの男や女や子供の切望を、彼に伝えたかった。みんなの平和への願 いを感じてほしかった。

これを信じてくれることを、切に願った。できうるかぎり、私は話した。

彼は、座りなおしてしばらく考えていた。静寂のなかに座って、私は苦悶して いた。

その静寂は、戸外の銃声と爆発音で破られた。外の、ファルージャの通りで は、女や子供の死体が地面に横たわっているのだ。外では、救急車は撃たれる ことなく走行もできないのだ。外では、狙撃兵の弾丸に頭を撃ち抜かれる危険 を覚悟せずには、誰も歩けないのだ。

私は部屋の中に拘束され、銃を持った男が出口をふさいでいる。しかし、その 時、私は、捕虜は自分ではないことに気づいた。捕虜は彼のほうだ。彼の妻や 子供やその隣人たちや …

私は、恥じて頭をたれていた。もはや、涙を我慢しようもなく、流れるままに 任せた。イラクとオーストラリアのための涙を。

あなたの巡礼者より

ドナ

追伸:このところ、ホームレスになったファルージャの住民のために赤新月社 が作った難民キャンプに行ってます。数百家族がテント暮らしをしています。 話は悲痛なものばかりです。おもちゃやゲームを配り、子供の遊び時間の相手 などをしています。キャンプの話と写真は、間もなくね。

追追伸:新しくメーリングリストに加わった方へ――以前のお話は、 www.groups.yahoo.com/group/thepilgrim で追いつけますが、ウェブサイト  www.sydneypeace.com では実にうまくファルージャの話と写真を載せてく れています。

追追追伸:5月6月と7月前半には、講演の予定が入っています――もっと いっぱい引き受けますので、予定表に入るように早めに連絡ください。

追追追追伸:「祈りの仲間」へのお願い――友人のライドがオーストラリアに 来てイラク人の目から見た占領について皆さんにお話をして、ついでに何か技 術訓練を受けたいと言っています。彼のビザを取るには、ちょっとした奇蹟が 必要です。でも、奇蹟はいつでも見てきました、だれか、奇蹟を起こせる人は いませんか?

追追追追追伸: 「そして、バンドはウォルツィング・マチルダを演奏した  私たちの死体を埋めるため私たちがやめている間  私たちは私たちの、トルコ人はトルコ人の死体を埋めた  それからまた繰り返し始まった」  ――バンドはウォルツィング・マチルダを演奏した エリック・ボーグル
 

 原文 http://groups.yahoo.com/group/ThePilgrim/message/81

同行者のジョー・ワイルディングのファルージャ報告 原文 http://www.wildfirejo.org.uk/feature/display/115/index.php 訳文 http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/iraq0404i.html