TUP BULLETIN

速報331号 拘束された豪州女性の手紙No.6  04年6月28日

投稿日 2004年6月28日

DATE: 2004年6月28日(月) 午後11時30分

《豪州NGO女性ドナのファルージャ拘束報告No6》


イラクのファルージャでは、米軍の包囲網作戦が2004年4月5日から、4 月の末に米軍が複数の陣地から撤退し始めるまで続いていました。11日には 「一時停戦」が成立したとはいわれたものの、実際には激しい戦闘が行われて いました。そんな中、オーストラリア人女性ドナ・マルハーンさんは、4月1 3日に3人の外国人同行者と共に、戦火の中、救援活動のためバグダッドから ファルージャに向かいました。その帰り道、ファルージャ郊外で地元ムジャヒ ディンに20数時間拘束されました。その顛末を、8本のメールにしたためた マルハーンさんの文章を紹介します。本稿は、その6本目です。戦争とはどん なものなのかを知る手がかりになればと思います。

翻訳 TUP/福永 克紀 (翻訳・再配布了承済み)
 


ファルージャ6:親切 ドナ・マルハーン 2004年4月29日

お友達の皆さんへ

質問が終わると、私はクッションの部屋から連れ出され、かわりにジョーが案 内された。

ベスとデービッドは、廊下の端の床で敷物の上に座っていた。二人は黙って 座っていたが、私も座りながら表情を覗くと、口を利いてはいけないと教えて いた(訳者注:以前に出てきたデーブはデービッドの愛称。デーブとデービッ ドは同一人物)。

デニムのジーンズとジョギングシューズにティーシャツの男が監視していた が、顔中トレードマークのスカーフ(カフィエ)で覆っていたので、見えるの は目だけだった。その風情からは、まだ若者のように見えた――おそらくまだ 19歳。

カラシニコフを持っていた。近くに出入口があり、隣の部屋との間は薄いカー テンで隔てられていた。その中からだれかいる音が聞こえ、たぶん台所だろう と思った。

この静けさはありがたかった。今終わったばかりの茶色の服の人の尋問のこと と、その意味するところを考えることができた。

私たちが座っている敷物にビスケットが2袋、出されたままになっていた。私 は座ったまま考えながら、それをむしゃむしゃと食べ始めた。ところが、どう しても開かない袋があって、私はそれに手をやいた。「何とかならないの!」 と袋を開けようと苦労している私を、この男の子は、信じられないという顔で 見ていた。ついに彼は、銃を下ろし、優しく袋を取り上げ、開けてくれた。 「シュクラン」。私は、きまりは悪かったが、この小さな親切に感謝して、そ う言った。

親切は、それで終わらなかった。ベスは気分が悪くて、小さなボールのように 縮こまって横たわっていた。これを見た男の子は、毛布を持ってきて彼女にか けてやった。私があくびをして床に体を伸ばすと枕を持ってきてくれた。

しばらくすると私たちは互いにささやき話を始めたが、だれに止められること もなく、ついに普通にしゃべり始めた。ジョーが戻ってきて、デービッドが呼 び込まれた。

そしてついに私が待ち焦がれたときが …

「チャイ?」とスカーフの男の子がやや遠慮がちに尋ねた。

「それそれ」と答えてから私は「お茶が出るって分かってたわ」と得意げにみ んなに言った。

イラクでは、有名な中東のもてなしの習わしを守って、お茶を振舞うのは日に 20回ほどにものぼる。道でだれかに手を振るだけで、「うちでお茶を飲んで いきなさい」ということになる。

たとえ私たちが見知らぬ人間であったとしても。たとえスパイであるかもしれ ないとしても。だから、たとえ私たちの国の軍隊が彼らの家族を脅かしている ときでも、このスカーフの男の子は自分の文化と作法を忘れてはいないのだ。 彼の母親が見たら、誇りに思ったことだろう。

次の数分間、私はカーテンの向こう側のくすくすと笑う声を聞いていた。様子 を想像してみた。顔を隠したイラク人ムジャヒディン戦士たちが、カラシニコ フを置いて女に茶をいれてやっている。友達などには知られたくないことだろ う。

お茶はたいそう美味しくて、私は気持ちが楽になり始めた。それは私にとって は幸運の兆しであり、みんなの顔に浮かぶ不安の気持ちをみてとることはでき たものの、自分たちはみんな無事に帰れるという自信があった。あの茶色の服 の人はさっき私たちにこう言った。「怖がることはない、私たちはムスリム だ、あなたたちを傷つけたりすることはできない」。私は彼を信じた。彼らが 信念に従う人々であることを神に感謝した。そしてまた、常に私の慰めである 信仰を神に感謝した。

茶色の服の人がデービッドへの質問を終えると、私たち全員がその居間に呼び 戻された。彼は一般的な質問を少しして、それからかばんの中を調べた。これ は私たちには好都合だった。私たちのカメラを調べることになったからだ。最 近撮った写真やビデオには、私たちがファルージャでしていたことや、バグ ダッドでしていた子どもたち相手の活動が写っていた。これが終わると彼は出 て行ったが、武器を持った見張りの男がひとりでドアの近くに座り、私たちを 監視していた。

私たちは床に座り、いつでも前向きであろうと努めながら、日が暮れるまで話 をしていた。私はこの仲間たちと一緒だったことに感謝した。みんな成熟して いて冷静だった。違う人たちだったら簡単にパニックになったり適切に反応で きなかったりしたかもしれない。

しかし、通訳のアクラはこの事態全体の重みを感じていたので、突然泣き出し てしまった。彼女はこれから何がおこるのかということだけではなく、家族が どう思うかに怯えていたのだった。

ここの文化では、女性が一晩家を空けるというのはその家族の大変な恥になる のである。この捕虜事件で彼女は2日間も家を空けることになる。私たちが家 族はわかってくれると言っても、彼女には説得力はなかった。「もし、あの人 たちが返してくれなかったらどうなるの?」と叫び、泣きじゃくりながらアラ ビア語でお祈りを唱えた。

私は彼女に寄っていってこう言った。「アクラ、私は絶対に神を信じるわ、 きっとみんなうまくいくわよ」

「そうね、でもあなたは私のママを知らないでしょう!」と彼女は泣き叫ん だ。

たとえアクラが真剣でも、みんな大声で笑い出さずにはいられなかった。その あと私たちは、雰囲気を明るくして、まだ4時間かそこら泣きつづけていたア クラを元気づけるのに、この言葉を持ち出したものだった。

彼女のためにみんなで歌もうたってあげた:アバ(スーパー・トゥルーパー) や、ビートルズナンバー数曲(ウェナイムシクスティフォーなど)や、ウォル ツィング・マチルダ(私よりみんなのほうが歌詞をよく知っていた!)など。 私がボヘミアン・ラプソディをうたい始めると、歌詞の2行目に入らないうち にやめてくれの声がかかった。しかし歌はアクラの気持ちを落ち着けてくれる ので、私たちはもういくつか歌った。

イラクではサーカスのピエロをやっているジョーは、風船を取り出し、動物の 形にふたつ作り上げて、ひとつをアクラに、もうひとつを銃を持っている男に あげた。

「子供は、いるの?」と彼女は男に聞いた。

「ああ」と彼は言った。「あの子らは、バグダッドに連れて行かれた」。彼女 が子供たちにと紫のキリンを手渡すと彼は微笑んだ。

それから彼は話し始めた。「あいつらは、俺の兄弟を殺した」と静かに言っ た。

「それから、兄弟の息子と、姉妹の息子も。もう一人の兄弟は刑務所だ。俺だ けが残った。どんな気持ちか分かるか?」

彼の表情はおまえたちには分かるまいといっていた。

「それに今度は、最大の親友が殺された。足を撃たれてアメリカ兵に首を切ら れた。あいつは道に倒れて逃げれなかった」

「おお神さま」と私は思った。彼の友達もあの診療所に運び込まれた死体の中 にあったのだ。

この男の苦悩が体中からあふれ出るにつれ、私は、彼が家族の半分も殺した 国々に復讐しようと、手にした銃で私たち全員をぶん殴りたいのではないかと 思い巡らした。いや、もしかして彼の痛みをとるにはそれだけでは十分ではな いのだろうか?

しかし彼は、ペンタゴンにこそぜひ示してほしいような自制心で、そんなこと はやらなかった。自分と家族は、自分たちがやりもしないことでこんなにひど い目にあいながら、私たちがやりもしないことでは私たちを罰することはな かった。

まるで私たちの心を見透かすように、彼は私たちに念を押した。「我々はムス リムだ、おまえたちを傷つけたりはしない」

そして、キリンを手に座り、黙り込んだ。

盛大な食事と、十分なお茶と、それからベスには薬が運ばれてきた。時がたつ につれ窓のないこの部屋は、暑くなりムンムンしてきた。

立ち上がって車に移動せよと言われたときは、みんなほっとした。私たちは別 の家に連れて行かれようとしていた。もう暗くなっていて、ファルージャの町 の通りを抜けるとき、星がいっぱいの空を何度か目にした。それは驚くほどみ ごとだった。

着いた家に入る前、できるだけ空を眺めていたくて、ゆっくりゆっくりと歩い た。私の先生から教わった大好きな言葉を想いながら、心の中で微笑んだ。

「明日のことを心配するな。明日のことは、明日が心配してくれる。」と言う のだ。

「野のユリや、空の生き物のことを考えなさい…」

言葉を変えれば、不安なときには、美しいものを見つめるのです。自然の驚異 によく思いを凝らしなさい。

その夜、彼が私に見つめるべき星空の美を与えてくれたのであり、そのことに 私は感謝した。

今度の新しい家では、女たちは同じ部屋に入れられたがデービッドだけは別 だった。1時間ほどしてドアにノックがあった。男がメッセージを持ってき た。「あなた方は明日解放されてバグダッドに連れて行かれる

「そこまであなた方を連れて行くのに、誰かを手配しないといけない」と彼 は言った。「道は危険で誘拐されるかもしれない」

私たちを捕虜にしている人たちがこんな心配をしてくれるのがおかしくて、私 たちはニヤッとしてしまった。

彼がドアを閉めたとき、ほかのみんなは歓声を上げ、それから全員で抱き合っ た。私は、いずれにせよ明日には解放されるだろうと思っていたものの、こう して確証をもらうのはありがたいことだった。

夜明けの最初の祈りのあと出発する、と彼は告げた。夕食が出され、お茶とビ スケットもさらに来た。私たちはドアを閉ざされた部屋の中で、その日のこと をたくさん話し合い、デービッドのことを案じた。全員銃を抱えた男たちと一 人だけで一緒にいるのは楽ではないだろう。デービッドもあとで、自分は男た ちに殺されるのではないか、これが「最後の晩餐」になるのかと思っていたと 語った。

その夜は眠りづらかった。たんに暑さや、がたがたいう扇風機や、異様な環境 のせいばかりではなかった。あたり一面で何時間も続いた爆撃が激しかったか らだ。大きな爆音に家が揺れた。私は、その夜の半ばを、胃を締めつけられて 過ごした。

朝になって、前夜のことを話し合っていると、奇妙な爆音が聞こえたね、と皆 が言った。私たちの経験では、それはクラスター爆弾の音のようだった。この 爆弾は、大きな爆音で着弾し、ぐるぐると回るような音をあげ、一連の爆発音 とともに子爆弾が拡散して、イラクの子供たちが拾い上げて遊ぶのを待ち受け る。

クラスター爆弾のおかげで、何百人ものイラクの子供が腕や脚を吹き飛ばされ た。子供らが草原に転がるこの爆弾を見たとき、子供らの興味を引くように色 と形がデザインされている。この爆弾は悪魔の怪奇爆弾である。ただ人類を殺 し、不具にするためにだけの設計になっている。

もし私たちが聞いたのがクラスター爆弾なら、ファルージャの戦闘がいつ終わ ろうとも、1、2年あるいはそれ以上、罪もない人々を殺しつづけることにな るのは間違いない。

もう夜明けはとっくに過ぎていたので、私はバグダッドへの旅は本当に始まる のだろうかと密かに訝っていた。

ついにドアにノックがあり、急ぐようにと言われた。私たちは荷物を持って2 台の車に乗せられた。私の車を運転したのはイスラム教の導師、後ろの車はそ の友人だった。

ファルージャ郊外の道に近づくと、何百台もの車が並んで列を作っていて、 まったく動いていなかった。私たちの心は沈んだ。アクラはパニックになっ た。もう一晩、留め置かれるのだろうか?

車の間を縫うようにして行列の先頭まで行ってみた。そこにいた人たちの説明 では、アメリカ軍が道路を封鎖していてだれも通さないというのだ。1台が道 路を進もうとしたら撃ってきたというのだ。

ひとりの女性が、子どもたちをぎっしり乗せた自分の車を指し示して、言った 「子どもたちを、殺されないうちに避難させたいんですよ。どうして通してく れないの?」

ほかの車を見ても、ファルージャの血なまぐさい戦闘から逃げ出そうと必死な 家族連ればかりだった。そんな車が数百台も連なっているのだった。

私には、安全圏に逃げようとする人々を米軍が通さないなんて信じがたいこと だった。

「なんとかしてもらえますか?」と、私たちは聞かれた。

私たちは顔を見合わせ、先日と同じ冒険をまたしなければならないと覚悟を決 めた。車を降りて身支度を整えた。車の群と兵士たちの間には、長い空っぽの 道が無人地帯のように伸びていた。私たちは手を上げ、拡声器を握り締め、兵 士たちがいるコンクリートとレザーワイヤーの場所に向かって、無人地帯と なった人のいない道を歩き始めた(訳者註:レザーワイヤー:剃刀状の四角い 小鉄片のついた鉄条網)

パスポートについている血を見て、私はこの前のときのことを思い出した。今 回はもっといい結果になればと私たちは願った。

あなたの巡礼者より

ドナ

追伸:つづく。

追追伸:バグダッドからのグッドニュース、聞きたい?? 次は新プロジェク トの報告、それに写真。今、強力に進めています、たくさんの幸せそうな子供 たち!!!

追追追伸:過去の話は http://groups.yahoo.com/group/thepilgrim でね。

追追追追伸:「親切心を示すのに、本当に国境となるようなものはない」―― 友人、ニルシ

原文 http://groups.yahoo.com/group/ThePilgrim/message/82

同行者のジョー・ワイルディングのファルージャ報告 原文 http://www.wildfirejo.org.uk/feature/display/115/index.php 訳文 http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/iraq0404i.html