TUP BULLETIN

速報338号 シドニー反戦落書き事件 04年7月21日

投稿日 2004年7月21日

FROM: Schu Sugawara
DATE: 2004年7月21日(水) 午前11時30分

国内法を超越する、国際的な義務
*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=**=*=*=*

去年3月、イラク侵略が強行されるホンの2日前に、シドニーのオペラ・ハウス
に真っ赤なペンキで「NO WAR」と大書して逮捕された人間がいました。
オーストラリア人映画作家で、長年、環境や人権問題の活動家でもあるデイヴ・
バージェスと、オーストラリア在住のイギリス人で天文学者のウィル・ソーン
ダースです。

彼らがなぜ、何を頼りに、どんな思いでその暴挙に出たのか、
彼らのホームページと最近のメールニュースをご紹介します。

千早/TUP翻訳メンバー

May Earth be Filled with Peace and Happiness!

*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=**=*=*=*

————————————–
シドニー、オペラ・ハウス 反戦“落書き”事件
————————————–

シドニー、オペラ・ハウス
ノー・ウォー

「個々人は、国家に従う義務を超越する国際的義務を負っている。したがって
(個々の市民には)平和と人類に対する犯罪発生を予防するために、国内法を犯
す義務がある」
-ニュールンベルグ戦犯法廷、1950年

「ドイツでヒトラーがやったことは、すべて合法だったということを決して忘れ
ないで」
-マーティン・ルーサー・キング・ジュニア

「私たちは今、ひとつの社会全部を破壊しようとしているのです。
これはそれほど簡潔で、かつ恐ろしいことです」
-デニス・ハリデイ 元国連のイラク人権コーディネーター
(訳注:同氏は「オイル・フォー・フード・プログラム」コーディネーター。こ
の発言は1998年9月30日、米・英主導の国連の動きに抗議して辞任した際
のスピーチで、イラクへの経済制裁について述べたもの)

「シドニーのオペラ・ハウスに登って『ノー・ウォー』ってペンキで書くなん
て、とてつもなくとんでもないことだと思った。オーストラリアの誇るべき建造
物にいたずら書きするのはひどい行為だけど、そんなことでもしなくちゃ誰も耳
を貸そうともしていなかったってことなんだ。平均的な市民は彼らの行動を見
て、決して『あれは間違っている』なんて言ったりなどしないさ」
-ヒース・レジャー
(訳注:オーストラリア出身の映画俳優)

<基礎的事実>

2003年3月18日、朝8時頃、僕たちはシドニー、オペラ・ハウスの一番高
い帆のてっぺんまで登って、舗装用の赤いペンキで「ノー・ウォー」と書いた。
僕たちはすぐに逮捕され、悪意ある損害行為とチョークやペンキで建造物に印を
つけた罪などで告訴された。そして悪意ある損害行為で有罪になった。オペラ・
ハウスの契約業者から出された、ペンキを落とすための最終的な請求書の金額は
15万1000豪ドル(訳注:1200万円余)だった。僕たちは控訴し(有罪
判決に異議を申し立てているが、もっと重い罰を科せられることを怖れて、刑に
は触れていない)、今、控訴審を待っている。

<どうしてやったのか>

デイヴの陳述から

米国、英国とオーストラリアが即刻戦争を始めることが目に見えていたので、私
たちは、すぐ何かしなければいけなかったのです。罪のない市民たちが殺される
のを避けるために、そして反道徳的で違法な戦争を止め得るすべての合法的、民
主的な手段が失敗に終わっていたので、やるべきことは「非常にインパクトがあ
り、かつ私たちが『大多数のオーストラリア人と世界中の人々の考え』だと信じ
たものを反映しているものでなければならない」という点で私たちは同意しまし
た。この理由から、私たちは大っぴらに、誠実に、シドニー、オペラ・ハウスに
白昼堂々ペンキを塗ることにしたのです。逮捕されるだろうと思っていました。

シドニー、オペラ・ハウスにペンキを塗るについては、とても気が重かったで
す。しかしながら、以下のようなできごとが私をその決断へと導きました。

・2月17日に首相が、わが国の最大の反戦ラリーに参加した百万人もの人々を
「暴徒(mob)」と表したこと(ABCラジオ)
・国連安全保障理事会が、イラク侵略の承認を拒否したこと
・3月12日水曜日の夕方、アンドリュー・ウィルキーが国家査定局(ONA)
を辞任したこと
(訳注:対イラク戦争に抗議して辞任した諜報局職員。今年の総選挙で、緑の党
から出馬を表明している)

告訴されるだろうと思いましたが、それでもオペラ・ハウスにペンキを塗るに
至ったわけは、

・私たちの政府が、無辜の市民の虐殺に手を貸そうとしていると感じたから
・国際法に照らして、この戦争は違法であると信じたから
・この戦争が、わが国を国際テロの標的にするだろうとの確信があったから
・ときには(極端な状況下では)より大きな犯罪を阻止するためであれば、私た
ちのような行為は合法であることを知っていたから(下記*参照)
・この戦争の違法性と、首相によってオーストラリア国民に押しつけられた民主
主義の裏切りをもって、私たちにはそういう行為におよぶ権利があると思ったか

*この考え方は、1990年代に北東森林同盟による行動に適用され、森林問題
活動家たちへの不法侵入罪の訴えが却下されました。これは法廷が、彼らこそが
法律を擁護していたのであり、NSW(ニュー・サウス・ウェールズ)州森林省
が法を破っていた(環境影響評価もせずに伐採していた)と判断したからです。

*もう一件、英国のブリティッシュ・エアロスペース社(訳注:航空機会社)がイ
ンドネシアに売却することになっていて、東チモールで使われる可能性が高かっ
たホーク・ジェット(地上攻撃用戦闘爆撃機)の操縦席を壊した4人の女性が、
大量虐殺を防いだという理由で勝訴したことも知っていました。このとき(19
96年)私は英国にいて、その空軍基地(ブラックプール近くのウォートン)で
行なわれた法的なデモに参加しました。

私は、次の条件、

・私たちの政府がイラクへの侵略戦争に加担しないと決めたら
・イラクへの攻撃が、国連の安全保障理事会で承認されたら
・オーストラリアの連邦議会で、イラク攻撃の是非を問う自由投票が行なわれた

のいずれかが起こっていれば、この行動には出ませんでした。

ウィルの陳述から

数ヶ月も前から、不当なイラク侵略の可能性の高まりと、英国とオーストラリア
がその侵略に加担するつもりでいることを、増大する恐怖心を感じつつ見ていま
した。この間、オーストラリア国民の圧倒的でかつ増え続ける戦争反対の声を、
オーストラリア政府が無視していることは明白でした。3月18日の宣戦布告直
前には、70〜85%の国民が反対していたのです。私が最終的に「なんらかの
直接的な行動に出るべきだ」との確信を持ったのは、ジョン・ハワード(訳注:
豪首相)が「オーストラリアの参戦に関する決断は、国連の第二の決議を見るま
で先延ばしにする」と言明したくせに、その第二の決議がなくなったときには
(出したところで、多くから拒否されたはずですから)、「いずれにせよ派兵す
る」と宣言したのを聞いたからです。これからしても、自分の意のままに戦争を
始めるために、そして最初から人々の民主的な主張を意図的に無視して、首相が
オーストラリア国民を故意に欺(あざむ)いたことは明らかでした。

こうして違法な戦争を防ぐ合法的手段がすべて閉ざされたために、このあまりに
巨大な犯罪を予防するために自分ができる最善のことを、法律を破ることを承知
でやろうと決心したのです。その結果、処罰を受けたり、国外追放になる可能性
があることもわかっていました。

<どうして舗装用のペンキを使ったのか>

私たちは事前に、舗装用とアクリルの両方のペンキをタイルに試しましたが、ア
クリルのペンキはツルツルのタイル面に全然くっつきませんでした。舗装用ペン
キは、はがすのは大変だけれど取れないことはないと、わかっていました。た
だ、はがすための費用がそんなにかかるとは、思いもしませんでした。

<なぜ、かわりにバナー(垂れ幕)を使わなかったのか>

バナーをかけることも考えましたが、持って登るには重すぎるだろうし、強風の
中で広げるのは危険すぎるし、また、すぐに取り除かれてしまうから、強い印象
を残せないと思いました。

<追加のお知らせ!>

寄付金を集めるため、きれいな絵ハガキも売っています。
(訳注:ホームページに詳細-英語)

★。・:*:`☆、。・:*:`★.。・:*:`☆、。・:*:`★

シドニー、オペラ・ハウス 反戦“落書き”事件の続報
〜“落書き犯”からのニュースメール〜
2004年5月19日

☆オペラ・ハウスにペンキを塗る者たちに、新「テロ」法
☆控訴審は7月29日
☆週末拘留も15回を終え、残るは24回
☆寄付のお願い

NSW州政府は先週、シドニーのオペラ・ハウスに侵入したり損害を与えようと
する者に対し、懲役5年以内、最高11万ドルの罰金刑を規定する新たな法律を
発表した。この法律は、元々僕たちの裁判の判決が降りるたった3週間前の1月
に発表されているが、7月29日に開かれる控訴審の2ヶ月前に再度の発表をお
こなったというのは、単なる偶然だろうか? その内容だって、僕たちオペラ・
ハウスの“画家”が受けた有罪判決と実によく似ている。

僕たちはすでに「悪意ある損害行為」に対する刑の「週末限定拘留9ヶ月(計3
9回)、15万1000ドルの罰金」の内、週末拘留は15週を終え、4万ドル
も支払った。15万1000ドルの罰金だと1文字3万ドルってことだから”N
O WAR”じゃなくて4文字(訳注:Fから始まる罵りの言葉)にしとけば罰金
も安かったって?

「限定拘留刑の3分の1、または13週のいずれか多い方を終えた者は、刑務所に泊まることなく16時間の社会奉仕活動を週末にすればよい」という第2段階制度の申請ができるので、この金曜に、NSWの仮釈放委員会が僕たちの同申請を審査することになっている。

最近200万ドルもステージドアひとつに費やしたオペラ・ハウスは、僕らの罰金も最初16万6000ドル要求していた。それってオペラ・ハウスが本来支払っていない消費税の1万5000ドルを含んでいたから、その分は僕たちの指摘で削除されたんだけど。

僕たちは、控訴審でこの15万1000ドルについても問題にしている。今後この金額に変化が出るかどうかわからないが、これまで集まったのは6万ドルだ。僕たちに寄付をしようとか、個人的にビル・ゲイツを知っている人は是非連絡して下さい。

寄付金に余剰が出たら、イラクをはじめ「対テロ戦争」で苦しめられている国々の病院を支援する「国境なき医師団」に寄付します。

★。・:*:`☆、。・:*:`★.。・:*:`☆、。・:*:`★

引用
(訳注:二人の行為に関するコメント。ホームページより)

私はデイヴィッド・バージェスとウィル・ソーンダースを支持します。他の人々と同様に、私もオペラ・ハウスに「ノー・ウォー」と書いたことには疑問を抱いていました。しかし今や、すべての分別ある人間にとって、この戦争が正当化されない違法なものであったことは明白です。デイヴィッドとウィルがこの戦争に対し、力強く立ち向かった行為の正当性は立証されたのです。彼らは英雄であって、悪党ではない。牢屋に入れるなんてとんでもなく不当な行為です。オーストラリアが戦争に反対していた事実を世界に示した勇敢なる男たちに対する、決定的な侮辱です。

とにかく、これをきちんと整理してみましょう。デイヴィッド・バージェスとウィル・ソーンダースは建造物の壁面にいくつか言葉を書き、のちにそれは消されました。彼らの行為は、彼らが必死に阻止しようとしていた恐ろしいできごとに比べたら、取るに足りないことです。今、誰かが責任を問われるとしたら、それは戦争を作り上げた嘘つきたち、オーストラリアでは首相や外相のような連中であって、戦争を止めようとした彼らではありません。
-アンドリュー・ウィルキー 2003年12月10日

水曜日だったと思います、車で通りかかって見上げたら、週のはじめに帆のてっぺんにペンキで書かれた「ノー・ウォー」のスローガンが消される作業中でした。赤いペンキをタイルから落としていて、その赤い色が帆全体を走り落ちていき、まるでこの巨大な建物の表面に血が流れ落ちているようで、とても心が乱される光景でした。この戦争中に流される血を、この問題でまっぷたつに分かれた国や世界の痛みを物語っていたのです。
-シバオカ アツシ牧師
シドニー、セント・ジェームズ教会 2003年3月23日の説教より

昨日、戦争に反対し抗議する者たちが、シドニーのオペラ・ハウスにスローガンを塗りつけました。今朝、ほかのある者たちは、キャンベラの首相官邸脇に大きな車をなんなく停めることができました。さて、ここで2つのオーストラリアの象徴的な建造物の、ゆるすぎたセキュリティーが問われているのです。もし彼らが反戦活動家でなくテロリストだったら、一体どうなっていたでしょうか?
-ケリー・オブライエン
ABCテレビ 『7:30レポート』(訳注:時事番組) 2003年3月19

「とんでもないモーニング・コールだったよ」
-NSW警察警視、フィル・ロジャーソン

「建造物に対する悪意ある損害行為で私たちは告訴されました。・・・私たちの首相は、悪意を持って丸々一国に害を及ぼそうとしています」
-デイヴ、ロックス警察署前で 2003年3月18日

「オペラ・ハウスでの一件は、私たち全員にとって強烈な前兆である。もし、州首相や警察長官のいるビルから見える、WTCに匹敵するようなシドニーを象徴する建物に、これほど簡単に近づけるのなら、訓練されたテロリストが通り抜けられる戦略上重要な場所は無数にあるはずだ。そして、反戦活動家と違ってテロリストは逮捕されたいなどとは思わないし、これほど明確な目標を掲げたりなどしないだろう」
-ザ・オーストラリアン紙 社説 2003年3月19日

「これは、抗議のやり方としては、大変恥ずべき行為だ」
-NSW州首相、ボブ・カー 2003年3月18日

「私は『やらなくちゃ!』と思ったことをやっただけです」
-ウィル、ダウニング・センター地裁前で 2003年4月16日

「彼らは40歳と30歳で、ホントに無謀な平和活動家ってとこだろう」
クリス
(訳注:記されていたURLはすでにアクセス不可)

「デイヴィッド、あなたはテロリストですか?」
「いいえ」
-スタン・ツェマネックの質問に答えて 2UEラジオ局 2003年6月3日

「先週、夕食の席で『オペラ・ハウスの帆に塗り付けられた“ノー・ウォー”の
スローガンが悪かったなんて思わない』と言ったら、大変なさわぎになった」
-レオ・スコフィールド サンデー・テレグラフ紙 2003年3月23日

「屋根の上 偉大な眺め 平和の辞」
ベニータ、反戦俳句の壁
(訳注:記されていたURLはすでにアクセス不可)

※文中に出てくる「ホーク・ジェット操縦席損壊行動」は「シード・オヴ・ホープ(希望の種)・プラウシェア(鋤)」というグループの、東チモール問題担当の4人の女性が1996年1月に起こしたもの。一旦は「不法侵入と犯罪的損壊行為」で有罪となり刑務所に入れられたが、監禁6ヶ月後の1997年7月に再審。彼女たちが損壊行動中に操縦席に残した、動機を説明する文書やビデオが証拠として採用された。より大きな犯罪予防のための行動だったこと、英国の法律や国際法も大量虐殺を違法としていることなどを主張、亡命中の東チモール政府指導者やジャーナリストのジョン・ピルジャーも証人として証言し、無罪判決を勝ち取った。
参照(英語):
http://www.plowsharesactions.org/webpages/weba.htm

※反戦“落書き”では、メルボルン在住の反戦活動家リタ・カウアーも、去年の
侵略戦争開始日に、抗議をしていた米領事館前の銅像に赤ペンキで手型をつけた
罪を問われ、罰金9000ドル(約72万円)をかけ、裁判で係争中。

(翻・抄訳 千早/TUP翻訳メンバー)

原文URL:

Sydney Opera House
NO WAR
http://www.sydneyoperahousenowar.org/

SYDNEY OPERA HOUSE
NO WAR
Update #8 – May 19th, 2004
早晩、同HPに掲載される予定。

Quotes
http://www.sydneyoperahousenowar.org/quotes.html

NO WAR cards
(絵ハガキ注文と寄付の詳細 英語)
http://www.sydneyoperahousenowar.org/cards.html

《全文 TUP用、翻訳と配信許可済み》