TUP BULLETIN

速報354号 リバーベンドの日記 7月31日 04年8月6日

投稿日 2004年8月6日

DATE: 2004年8月6日(金) 午前9時45分

イラクの女性、リバーベンドの日記、2004年7月31日


 戦火の中のバグダッド、停電の合間をぬって書きつがれる24歳の女性の日記『リバーベンド・ブログ』。イラクのふつうの人の暮らし、女性としての思い・・・といっても、家宅捜索、爆撃、爆発、誘拐、検問が日常、女性は外を出ることもできず、職はなくガソリンの行列と水汲みにあけあけくれる毎日。「イラクのアンネ」として世界中で読まれています。すぐ傍らに、リバーベンドの笑い、怒り、涙、ため息が感じられるようなこの日記、ぜひ読んでください。(この記事は、TUPとリバーベンド・プロジェクトの連携によるものです)。 http://www.geocities.jp/riverbendblog/

1カ月半の長い中断でした。リバーは無事だったようですが、きびしい暑さと電力事情はあいかわらず。叔母さんが亡くなっても故人を偲んで悲しみにひたる間もなく、墓地は満杯、モスクでお通夜をしようにも予約で一杯、交渉に忙殺される。近頃では誰もが目に見えない監視網にからめとられているようだ・・・暑さと息苦しさが伝わってくる7月31日の日記です。 (TUP/池田真里)



2004年7月31日(土)

さあ、復帰です・・・.

どうしようもない暑さと家族の問題で、これまでブログできなかったことをとっても悪かったと思っている。近くを通る度に私を非難しているように見えるコンピューターを、私は避けるようになったほど。

暑さは耐え難い。それは、朝早くから夜遅くまで続くのだ。陽が落ちてしまえばかなり涼しくなると思うだろうけど、バグダッドではそうはいかない。陽が落ちると、建物や街路は熱を吸収するのをやめ、反対に熱を発散してくる。漆喰とかレンガの壁から数センチ離れたところに立ってみると、その割れ目や裂け目すべてから熱波がくるのを感じる。

電力事情はかなり悪い。運良く十二時間給電される日もある。三時間きては三時間止まるという具合に。でもたいがいはそうではなくて、四時間の停電の後二時間使える程度だ。数週間前、私たちの地域では一日にたった一時間しか電気がこなくて、二十三時間も電力なしだった。この地獄のような気候の中、みんなは陽が沈む前に庭にでて、涼しく過ごせる方法を探そうとしていた。

ついでながら、人類の最も偉大な創造物のひとつはまちがいなく冷蔵庫だ。誰かが冷たい飲み物を欲しそうな様子を見せるたびに、私は台所に飛び込むのが習慣になった。それはちょっと臭うとしても、冷蔵庫の冷たい空気にしばしの間囲まれていられるかっこうの言い訳になる。発電機が動いている間は、冷蔵庫を作動させていられる。夜の間、冷蔵庫は冷たい空気や飲み物を提供するだけでなく、暗くなった台所におぼろげな黄色い光を投げている。

家族のことでは、上のおばの死があった。彼女は戦争のすぐ後に脳卒中を起こし、それが悪化してきていた。治安の悪さ、必要な医療機関の不足、雑多なストレスや緊張、それらすべてがとうとう死をもたらした。私たちは、イラク式の大規模で延々と続く葬儀の手順に忙殺されていた。亡くなった人は正式な準備儀式の後、埋葬される。埋葬そのものは一日ですむものだが。私たちが直面した最初の問題は墓地だった。おじたちが墓地に行ってすぐにわかったことは、数年前家族のために購入した区画が、ごく最近、墓地が超満員の為に他に場所を見つけることのできなかった人たちによって、すでに塞がっていたということだった。管理人は何度も謝ったが、彼によれば、今年ここだけで月平均約百体が運び込まれてきたという。いったいどこにこれらの遺体を埋葬せよというのだろう?

交渉の末、おじたちは仕方なく墓地の外の空きスペースにおばを埋葬した。その後すぐに、七日間にわたる弔いの儀式が、故人であるおばの家で始められた。七日間のあいだ、朝から晩まで友だちや家族、近所の人たちがきて、おくやみと哀悼に明け暮れる。これが「ファーティハ」と呼ばれるお通夜だ。同時に地域のモスクでも、別にお通夜が営まれる。これには男性が出席し、三日間だけ執り行われる。モスクの予約がまた問題だった。なぜならどこのモスクも最近お通夜の予約でいっぱいだからだ。

最近の近所の人びとや友だちからのおくやみはこんなふうだ。「彼女は死ぬには若すぎたけど、神さまに感謝すべきですよ。このごろの大方のものよりも、良い死に方ですよ。」死が不幸なことだとみなされていることには、かわりはないのだが、脳卒中や自然な原因で死ぬのはずっと好ましいことなのだ。たとえば車爆弾での死や銃撃や首を切られたり、拷問で死ぬよりも・・・

安全面の状況については、良くなったことと悪化したことが同時にある。通りではすこし安全な気がする。なぜなら、混んでいる場所やいくつかの住宅地でさえ警察官が立っているから。もちろん十分だとはいえないけれど、誰かが立っているのを見るとすこしばかりほっとする。しかしいっぽうで誘拐は増加している。伝染病のように。誰でも、誘拐された人々の誰かを知っているようだ。何人かは身代金目的であり、他は宗教的あるいは政治的理由によるものだ。外国人の誘拐が増えている。シリアやヨルダンと行き来する人たちは、どのように彼らの輸送車隊やバスや自家用車が道の途中で、覆面の男たちに止められ、パスポートや書類を調べられたかという話をしている。疑わしいことがあれば(英・米のパスポートを持っているとか)、チェックや一時的拘留から誘拐に変更される。

外国人誘拐に対して、やかましく非難している人たちからたくさんのEメールがくる。そこには、際限なく同じことが書かれている。「あの人たちはあなた方を助けに行ってるんじゃないか、彼らは支援者でしょう。」あるいは、「その記者は良い目的のためにそこにいるのでしょう?」などなど。今ここではすべてがごちゃ混ぜになっているという事実が、外国の人たちにはわかっていないのだ。外国人を見ても、しばしば誰が誰だか見分ける術はない。サングラスをかけたブロンドの人や、ベージュのベストで道を歩いている人は、レポーターかもしれないし、人道グループで働いている人かもしれないけれど、彼が、私たちがさんざん聞かされている、米軍のあくどい請負企業の“警備員"だっておかしくない。

誘拐された人たちのすべてに同情の余地があるだろうか? それは、ある。テレビに映っているおびえた彼らを見るのは嫌なものだ。遠い国で彼らを思い、今のイラクの地獄の中で一体どうなるのかと心配する家族や友だちがいるということを考えるのはつらい。でも、誘拐された外国人ひとりに対して、多分十人のイラク人が連れ去られている。トラックの運転手や外国の会社や建築会社の警備員たちはそうではないけれど、ここは私たちの国で、私たちはここにいなくてはならないのだ。イラクの夏の暑さのもとでは、同情にも限界がある。ファルージャやナジャフのようなところでは、一日に何十人ものイラク人が死んでいっている。不思議なことに、誰もそのことについて何も言わない。ひとりのイギリス人やアメリカ人、パキスタン人が死んだら、世界は大騒ぎするのに。全くうんざりする。

政治的には、事態はゆっくり動いていっているように見える。暑さのせいだろう。人々は明るい将来を思わせる国民会議を待っていて、そのことをさかんに論議している。問題は、いっこうにかわりばえしない政党が立候補しようとしているように見えることだ。イスラム革命最高評議会(SCIRI),ダーワ、イラク国民会議(INC),クルド愛国同盟(PUK)などのように。彼らに反対する、興味深い政治的な抵抗運動が作られてきているようだ。暫定占領当局(CPA)と統治評議会に関与してこなかった多くの政党は、現在のところ行動を共にしようとしている。

巷のうわさでは、Eメールやインターネットアクセスや電話が、厳重に監視されているという。実際Eメールの内容によって、拘束された人がいるといういくつかの情報を聞いている。これは気力を挫かれる話だし、今の私たちの「解放された」状態を明白に示している。わざわざ「愛国法」(米国テロ対策法の名前)のコピーを私に送ってくれることはないわよ。すでに、ここ一年、誰もがなんらかの容疑で嫌疑をかけられているような感じだから。

8:53PM リバーによって掲示

(翻訳/リバーベンド・プロジェクト:ヤスミン植月千春、池田真里)

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