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TUP 翻訳グループ(Translators United for Peace )
アメリカという難題
力は腐る、絶対的な力はとことん腐る ――J・E・アクトン
by 星川 淳 (『自然と人間』4月号所収)
●アメリカ・プロブレム
これを書いている3月16日の時点で、世界はまだアメリカによるイラク攻撃の瀬戸際に踏みとどまっている。砂漠の気温上昇と、暗視装置を使った有利な夜間作戦遂行には新月前後が望ましいという条件に縛られ、米軍はもう待てない。攻撃準備が整ったまま開戦が遅れると、25万人の兵員維持費用も、米国内主戦派からの風当たりも重荷になる。本稿が出るころ、事態はどんな展開を見せているだろう。
しかし今回のイラク問題は、こうした表層を追うだけですませてはなるまい。もちろん、戦争がはじまればかけがえのない人命が失われ、物理的破壊や環境汚染も凄まじいはずで、そのこと自体の正当性を厳しく問い続けるべきなのだが、これまですでに明らかになった重要な問題がたくさんある。その一端が、右に挙げた攻撃開始時期の馬鹿ばかしさだ。91年から98年にかけての第一次国連査察(UNSCOM)が積み残したとされる5〜10パーセントの大量破壊兵器保有疑惑を解明するのに、気温や新月など何のかかわりもない。ただアメリカの軍事行動に都合のいいタイミングだという理由で、主権国家への武力侵攻をめぐって国連が振り回され、罪もないイラクの一般市民が脅威にさらされる。大量破壊兵器を除去するという名目で、戦術核を含む最先端の大量破壊兵器を惜しげもなく投入すると公言し、イラク国民を救うという名目で彼らを大量殺害しようとするブッシュ政権に、国際世論の84パーセントが「アメリカこそ世界の平和と安全に対する最大の脅威」と答えている(タイム誌調査/ちなみに北朝鮮は7パーセント、イラクは8パーセント)。もしアメリカが唯一の超大国でなかったら、だれも相手にしないようなたわごとの数々が、日々トップニュース扱いで茶の間を占領する。世界中で1500万人もの人びとが、こんな愚行はたくさんだと街頭に繰り出した。
私は9・11直後、坂本龍一氏らと編集刊行した『非戦』(幻冬舎)の中で、「パックス・アメリカーナ」(アメリカ支配の世界秩序)の終わりがはじまった――21世紀の世界は「アメリカ・プロブレム」を重い課題として背負うと書いた。あの卑劣な無差別テロがアメリカの時代を終わらせるという意味ではない。それを受けたアメリカ人自身の反応が、20世紀を勝ち抜いた覇者の責任と道義を大きく踏み外し、国際社会からの信頼を失うとともに、まるでテロリストたちの罠にはまったかのごとく、これまでなんとか押さえ込んできた内憂外患をすべて悪い方向へ増殖させるような崩壊スパイラルに入りつつあるのだ。
それにしても、ブッシュ政権誕生後わずか2年あまりでここまで事態が悪化するとは、だれが予想しただろう。クリントン政権のあいだに「双子の赤字」から空前の黒字へと持ち直していたアメリカの国家財政は、早くも史上最大の赤字へと転落した。国外でも、イラクのほかパレスチナ、インド、パキスタン、イラン、北朝鮮など、紛争の激化と新たな火種が同時多発の様相を呈している。イラク問題と同じく、9・11との関連性を明示できないまま米英が報復攻撃を断行したアフガニスタンでは、いまだにカルザイ大統領が米軍特殊部隊に守られ、首都カブール以外の地方は軍閥割拠の乱世に逆戻りしたばかりか、タリバン政権の手でほぼ根絶されていた麻薬原料のケシ栽培は世界一の不名誉な地位を挽回した。
今後、これら互いに関連し合った「アメリカ・プロブレム」(アメリカという難題)を掘り下げることは、私たち日本人にとっても、国際社会全体にとっても死活的重要性をもつ。そのさい、ブッシュ政権の特殊性と、アメリカ合州国固有の問題とを見分ける必要があるだろう。私はけっして反米主義者ではないし、米国史や外交・国際情勢の専門家でもないが、9・11からアフガニスタン攻撃を経てイラク侵攻前夜にいたるアメリカと世界の動きを見つめながら、考え続けたことを整理してみたい。
●インディアンとカウボーイ
思春期以来、アメリカ文化に大きな影響を受け、翻訳という生業を通して英語による思想形成も人並み以上に強めつつ、合計3年ほどの滞米経験をもつ私が、アメリカの本質を垣間見た思いで唖然としたことが三度ある。一つは、30歳近くなって編入した大学で、自分より一世代若い学生たちの国防意識に違和感をおぼえたこと。戦争放棄と非武装を基本とする戦後日本国憲法で育った私は、まず「国防」という概念自体に多くの疑問を抱くし、まして「攻められたら武器をとって戦う」などと即答することはありえない。むしろなかば本能的に、武器をとる前にできることはないのか、そんな危機的状況を招かない方法はないのか、仮に攻められるようなことがあるとしたら、その理由や相手の言い分は何なのか――といった自問が先に立つだろう。ところが、ベトナム戦争からそう時間がたっていない時代でも、アメリカの若者は「武器をとる」ことや「国を守る」ことについてほとんど疑いを差しはさまず、自明の理として軍事的国防を語った。その姿は、私には危うく映った。最近、日本でも異口同音の“自明性"をもって武力による国防を語りたがる人びとが声高になってきたのを見ると、当時の学生たちを思い出す。私たちには、半世紀以上にわたって自国の軍隊が一人も他国民を殺さず、寸鉄の武器も輸出しない「平和の文化」があるのだから、堂々と「武力の文化」との違いを主張し、前者の道を深める努力をすればいいのだが、戦後日本の歴代政府・与党は平和憲法を枷(かせ)としか見ず、それを生かす努力をするどころか、後者に対して卑屈になるばかりだった。
二番目に印象深い体験は、滞米中にテレビで見たアメリカのオリンピック報道だ。日本なら、どの種目も優勝戦ぐらいは取り上げ、自国の選手でなくても勝者の活躍を称えるだろう。ところが、アメリカのテレビでは自国の選手が勝ち進まないと報道を打ち切り、金銀銅のメダル獲得者もおざなりにしか映さない。いっぽうアメリカ選手が優勝しようものなら、これでもかと勝利の笑顔や国旗・国歌を称え上げる。その露骨さには、いささか驚き呆れた。勝者は報われ、敗者は切り捨てられる、残酷な文化の原風景といえよう。
三番目の体験は、コロラド州の運転免許交付窓口でのこと。それまで私は西海岸のカリフォルニア州にしか住んだことがなく、コロラドを含む南部・中西部・南西部の保守地帯の実態には暗かった。アメリカは東西の海岸部が進歩的で、内陸は「レッドネック」と呼ばれる保守王国(ブッシュ現政権の票田)とされるけれど、カリフォルニアは思想的・政治的にとりわけリベラルな別天地だし、私のつきあいはその中でもコスモポリタンな対抗文化人脈ばかりだった。だから、免許取得にきた韓国人移民と思われる人の拙い英語に係官が苛立ち、しまいに頭を小突く蛮行におよぶのを見て愕然とした。英語を流暢にしゃべらない者は人間ではないと言わんばかりの狭量と、根深い人種差別は、“白いアメリカ"の底流を流れている。
アメリカの悪口を並べるのが目的ではない。こうした30年を超えるアメリカとの接触を通じ、私は先住民との関係こそ合州国のやり残した宿題だと確信する。さまざまな理由でヨーロッパから渡来した白人たちは、基本的に先住民の土地と生活を奪い、武力によってそれを正当化しつつ反抗を抑え込んで、結局全土を掌握した。もちろん、その過程では建設的な相互交流も無数に起こったが、西部開拓とはインディアン(この呼称が差別だとの指摘もあるが、実際には先住民自身が誇りを込めて自称することも多く、本稿ではこだわらない)領土の強制収用であり、アパルトヘイトなど比べものにならないほどの徹底的な先住民弾圧であった。アメリカ人にとって武力を否定することは、この歴史の問い直しにつながるため、本能的な思考停止がかかってしまうようだ。アメリカのイスラエル擁護は、西部開拓の飛び地と見ればわかりやすい。パレスチナ人は無法の西部で駆逐されるインディアンというわけである。
●ネオコンと福音主義
ブッシュ政権は後世、イスラエルと強く結びついた「新保守主義者」(ネオコンサーバティスト=略してネオコン)と、福音主義と呼ばれる大衆的キリスト教右派が、その両方にまたがる石油・エネルギー・軍需・金融業界と画策した一種の無血クーデターの産物と分析されるだろう。安手の陰謀説めいて聞こえかねないが、大統領選の勝敗を分けたフロリダ州の不正な票操作、政権中枢を固める人びとの経歴や思想信条、エンロン疑惑などを氷山の一角とする財界との癒着、政権発足後の具体的な特殊権益優遇策、京都議定書や弾道ミサイル制限条約からの離脱に見られる単独行動主義(ユニラテラリズム)、一般的な市民権軽視と秘密主義といった多くの角度から、ブッシュ政権が米国史上まれに見る異常な成り立ちをしていることは裏づけられつつある。中でもラムズフェルド国防長官、ウォルフォウィッツ国防次官、パール国防政策委員長らネオコン人脈が、9・11以前から「アメリカの世界支配を確立するには“新たな真珠湾"が必要だ」と主張していたことは注目に値する。やはりネオコン寄りで知られるライス大統領補佐官が9・11直後、政権ブレーンを緊急召集した席で開口一番、「これを経済利用する知恵を絞れ」との課題を出したことも興味深い。その後の展開はほぼネオコンの筋書き通り進んでおり、事件をめぐる無数の疑惑に照らして、9・11被害者の中からさえブッシュ政権の関与を裁判で問いただす動きが出てきた。
ネオコンの考え方を要約すると、世界を不安定にして紛争や戦争を続発させれば、比類なき軍事力を有するアメリカへの依存が強まり、そこへ兵器を供給する軍需産業が儲かるから、経済的にも国益にかなうというものだ。もちろん経済覇権の確立には、軍事的支配で石油などの重要資源を押さえることも欠かせない。物理的な植民地をもたないことを除けば、19世紀への先祖返りのような強面(こわもて)の世界戦略を、自他ともに「帝国」呼ばわりすることが不気味に定着してきた。いっぽう福音主義(キリスト教原理主義)のシナリオでは、イスラエルが強大化してアラブ世界の反発を招き、核の最終戦争(アルマゲドン)が起これば、ユダヤ教徒は死に絶えてキリストが降臨する(生存者全員がキリスト教に改宗する)らしい。つまり、この二つの狂信的思想が合体すると、とりあえずイスラエルを強力に支援しながらアラブ/イスラム社会の暴発を誘い、世界的には強硬路線で紛争・戦争を誘発させるという危険きわまりない話になるが、政権発足後2年余の成果[下線部傍点]を見るかぎり、中東も東アジアもその方向へ引きずられている。イスラエルが自滅的・屈辱的なシナリオを受け入れているのか、たんなる打算で同床異夢に甘んじているのかは知らないけれど、緻密なようで幼稚なネオコンのほうが、イスラエルの手玉に取られるかもしれない。
いずれにせよブッシュ政権は、日本にとっても黙ってついていけば大過なかった戦後のアメリカとは違う。相手を見きわめずに対米追従を続け、軍事的・経済的な無理心中を迫られたらどうするつもりだろう。また米国流の自浄作用が働いて、遠からずもっとまともな政権に変わったときの代償も大きい。小泉=川口の思考停止コンビに、そんな責任を取る覚悟はあるまい。
●ハイパーエシックス
ひとことで言うと、21世紀の世界がめざすべき方向は、ブッシュ政権のそれとは正反対だと思う。国際法や国連を中心とする多国間主義を軽視・無視するのではなく、20世紀には慣例的に許されてきたような二重基準や不公正を改め、むしろ国際社会全体としてはるかに高い倫理性・道義性を実現することが求められる。これを仮に「超倫理性」(ハイパーエシックス)と呼ぼう。テロが貧困から生まれるというのは弱者・敗者の現実を知らない浅知恵で、非人間的な犯罪は非人間的な屈辱経験、つまり人間としての誇りや尊厳を踏みにじられた激しい怨念を土壌として育つ。それを力で抑え込もうとすればするほど、憎しみの連鎖が増殖するにすぎないことは、イスラエルとパレスチナの惨状が立証している。ブッシュ政権の強硬策はけっして成功しないばかりか、全世界にすさまじいテロの炎を広げるだろう。それがネオコンの意図だから、21世紀をテロと戦争の時代にしたくなければ、アメリカの封じ込めをこそ真剣に考えなくてはならない。国際世論の直感は正しいのだ。
ハイパーエシックスは次のようなことを要請する。すべての二重基準の撤廃。パレスチナ国家の確立。国連機能の拡充強化。核・生物・化学の全般にわたる大量破壊兵器の例外なき禁止(大国の保有を認めない)。劣化ウラン弾・燃料気化爆弾・クラスター爆弾をはじめ非人道的な大量殺戮兵器の禁止。軽火器製造・輸出の厳正管理。戦争のより厳密な非合法化。20世紀に遡る戦争犯罪(戦時性奴隷、原爆投下、無差別爆撃、大量虐殺など)の問責……等々。さらに、こうした公正化の責任は、経済力や軍事力が大きい国ほど厳しく問われる。昔からノブレス・オブリージュ(恵まれた立場にともなう重い義務)は原則である。それと逆行するブッシュ政権は、19世紀の歴史家J・E・アクトンいわく「力は腐る、絶対的な力はとことん腐る」の定石どおり、衰亡の兆しなのかもしれない。
最後に特筆すべきこととして、9・11以後進行するメディアの機能不全を挙げたい。国益のために国内外向けの情報操作をためらわないと公言するブッシュ政権は、オーウェルの『1984年』を地でゆくあからさまな世論工作・誘導を続けており、第四権力たるメディアが体を張って抵抗しなければ民主社会は守れない。米本国マスコミの惨敗ぶりはしかたない面があるにせよ、日本のメディアも右へ倣えでアメリカ大本営発表を垂れ流す現状は許し難い。ジャーナリスト諸姉諸兄の奮起を促すとともに、グローバル資本から自由な独立系メディア創設の必要性を痛感する。
★ 星川 淳(ほしかわ・じゅん)http://innernetsource.hp.infoseek.co.jp/1952年、東京生まれ。作家・翻訳家。82年より屋久島在住。著書に『環太平洋インナーネット紀行』(NTT出版)、『屋久島水讃歌』(南日本新聞社)、『地球生活』(平凡社ライブラリー)、訳書にP・アンダーウッド『一万年の旅路』(翔泳社)、J・ラヴロック『ガイアの時代』(工作舎)、W・R・ピット+S・リッター『イラク戦争』(合同出版)ほか多数。
★ 月刊『自然と人間』 http://www.n-and-h.co.jp/