TUP BULLETIN

速報460号 スレイマンさんのイラク週報 2月1日〜8日 私たちには亀裂はない  050211

投稿日 2005年2月11日

FROM: liangr
DATE: 2005年2月11日(金) 午後4時09分

イラク人の間には少しの亀裂もない――イラク週報第3便
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イラク週報 2005年2月1日〜8日

イラク発
スレイマン

選挙明けの週です。みんなじっと待っています。が、何を待っている
のか、誰もしかとは知らないのです。選挙が終わって2日ほど、なにご
ともありませんでした。その後、再び暴力が荒れ狂い始めました。イラ
ク人のレジスタンスも再開しました。

治安
バグダードをはじめイラク全土で、毎日おびただしい犯罪が起き、そ
の話が伝わってきます。強奪、誘拐、殺人は、いまのイラクではごくあ
りふれた話です。たった数ドルのために、人殺しが行われることもあり
ます。その理由は、イラク人の50%以上が失業しているからだと思い
ます。毎月政府が配給する食糧の質量がともに落ちている上に、暮らし
を支える収入がまったくない人がおおぜいいるのです。

学校
春休みが終わって、学校が始まりました。でもまだ、ほとんどの家では、
子どもの送り迎えをしています。小さな子どもが通学途上誘拐され、身代金
を要求されるという事件が、ひじょうに多いからです。

選挙の結果
いま現在で、投票数の半分の開票が残されています。結果は、多くのイラ
ク人が予想したとおりでした。シーア派の立候補者リストが最も多く得票し、
アラウィは2番目、クルド人のグループは3番目となっています。

イラク社会を理解していただくために、いくつかお話しておきましょう。

イラクは混成社会
イラク社会は、さまざまな要素がとても複雑に混じり合った社会です。
小さなインドといっていいでしょう。さまざまな民族、さまざまな宗教、
さまざまな言語があり、その結果、主義主張もひじょうに多様です。
今日の報告では、この複雑な混成状態について、少し詳しくお話してみ
ましょう。ただ数字については、古い統計から私が推定したもので、公式
のものではありませんので、その点注意をお願いします。

1.民族
A. アラブ人
イラク南部、中部、北部の一部に住む最大の民族グループです。約
1700万人で、ほとんどがシーア派とスンニ派のイスラム教徒です。
シーア派の人々(約1100万人)は主にイラク南部と東部に住み、
スンニ派の人々(約600万人)は、西部と北部に住んでいます。首都
バグダードは、シーア派とスンニ派が混じり合って暮らしています。シ
ーア派の人々が住んでいるのは、ほとんどが貧しい地区です。これまで
の政権、とくにサッダーム政権がシーア派を無視してきたからです。サッ
ダームは、スンニ派の人々に依拠していました。しかし、だからといって、
スンニ派の人々が、他のイラク人のようにサッダームに痛めつけられなか
ったということではありません。シーア派の人々は、自分たちの指導者へ
の絶対服従によって、大きな力を発揮します。

B. クルド人
クルド人は、イラクで2番目に人口の多いグループで、イラク北部と
東部の一部に住んでいます。人口は約500万人です。言語はクルド
語で、アラビア語とはまったく異なっています。山岳地帯に暮らしていま
すが、イラクで一番いい土地に住んでいるといえるでしょう。クル
ド人の住む地域(クルディスタン)の首都はアルビルで、約8千年前から
続く古都です。聖書には、アルベラとして出ています。クルド人のほとん
どは、スンニ派イスラム教徒です。

C. その他
ほかに、トルコ系の人々(100万人)、アッシリア人(50万人)、
アルメニア人(20万人)、このほか多くの民族がいます。

2.宗教
a. イスラム教徒 2200万人
b.  キリスト教徒 200万人
c. スッバ教(イスラム教でもキリスト教でもない古代宗教) 25万人
d. ヤズディ教(クルド人の間で信じられている多神教) 30万人
e. その他 25万人

3.言語
a. アラビア語 イラク人の約85%がアラビア語を話します。
b. クルド語 イラク人の約20%が、インドーヨーロッパ系言語
の一種であるクルド語を話します。
c. アッシリア語 今のモスルからチグリス川をはさんで1.5キロほどの
ところにアッシリアの都ニネベがありました。紀元前
1千年頃のことですが、その頃の言語に起源があります。
d. トルコ語

重要なことは、このようなひじょうに複雑な混成社会で、人々がほん
とうに平和に暮らし、誰も相手の民族や宗教について、問いただすような
ことはしなかったのです。以上、説明してきたのは、このことをわかって
ほしかったからなのです。

みんなとても仲良く暮らしていました――1968年までは(訳注:こ
の年バース党政権成立)。その時から、ちょっとしたいざこざは起こるよ
うになりましたが、それでもどのグループの間もいい関係にあります。残
念なことに、外国勢力の多くは、この事実を歪めようとしていますけれど
も。

イラク人は、お互いをとても大切に思っています。私たちの間には、
少しの争いも亀裂もありません。
(翻訳:TUP/池田真里)