FROM: liangr
DATE: 2005年2月24日(木) 午前11時17分
「民主的選挙」の先にイラク女性を待ち受けるものは、あまりにも明白なのに・・・
女性と少数派を抑圧する政治が始まる・・・ 2月18日
戦火の中のバグダード、停電の合間をぬって書きつがれる24歳の 女性の日記『リバーベンド・ブログ』。イラクのふつうの人の暮らし、 女性としての思い・・・といっても、家宅捜索、爆撃、爆発、誘拐、 検問が日常、女性は外を出ることもできず、職はなくガソリンの行列 と水汲みにあけくれる毎日。「イラクのアンネ」として世界中で 読まれています。すぐ傍らに、リバーベンドの笑い、怒り、涙、ため 息が感じられるようなこの日記、ぜひ読んでください。(この記事は、 TUPとリバーベンド・プロジェクトの連携によるものです)。 (転載転送大歓迎です)
今回はぜひサイトも見て下さい。文中に出てくるアブー=アンマー ルの店のような食料品屋の写真が載ってます。
(TUP/リバーベンド・プロジェクト:池田真里) http://www.geocities.jp/riverbendblog/
2005年2月18日金曜日
メールアドレスの変更・・・
さあ、これが最後の変更。いくつかメール会社をためしてみて、結局 これに決めたわ。
baghdad.burning@g…
これからはここにメールして下さい。
3時24分 リバー
食料品と選挙の結果・・・
昨日、近所の人が立ち寄った。彼女はトマトソースで煮込んだ青豆の温 かい皿を持っていて、こっそりこう教えてくれた。「アブー=アンマール がいい青豆を持ってるわ。だけどテーブルの下に隠してるのをくれって言 わなきゃだめよ。店に出してあるのはちょっとばかり固いから」。そこで、 買い物リストに青豆を加え、E(弟)と一緒にアブー=アンマールの店へ 向かった。
近所の食料品屋さん、アブー=アンマールは、わが家から400メート ルほど離れたところの本通り沿いに野菜と果物の露店を出している。彼が いつからそこで店をやっているのか誰も思い出せない。彼に会ってもそれ とはわからないだろうけれど、アブー=アンマールはなかなかの商売人だ。 1年中伝統的なディシュダーシャを着ていて、寒い日にはくたびれたレザ ーの上着をはおって、黒いウールの帽子を耳までかぶっている。
わが家とこの通りのほとんどの家は、食料品をアブー=アンマールのとこ ろで買っている。彼は朝早く露店を出す。ちょうどいい頃合いに通りかか ると、さまざまな色でいっぱいだ。じゃがいもの茶一色、ほうれん草の濃 い緑、柑橘類の明るいオレンジ色、新鮮なイラクトマトのつややかな赤・ ・・。そして、いつもアブー=アンマールがいる。降っても照っても戦争 でも、野菜や果物の真ん中に座って、タバコをくわえ新聞を読んでいる。 雑音混じりにラジオから聞こえてくるのは、ファイルーズのセクシーな歌 声だ。滅多にないことだが、アブー=アンマールがいないときは、何か非 常によくないことが起こっているのだと言っていい。(訳注:ファイルー ズは1935年ベイルート生まれの伝説的なアラブの歌姫)
アブー=アンマールはいつもの場所で座っていた。新聞に何かしるしを つけていたから、きっとクロスワードパズルをしていたのだ。アブー=ア ンマールは立ち上がって私たちを迎えると、買いたい野菜を選んで入れる ようにビニール袋を何枚かくれた。新聞を腕の下にはさみ込み、小さな黄 緑の果実の山を指さして「今日のレモンは新鮮だよ」と言った。私はレモ ンの山へ向きをかえ、じっくり調べてみた。
アブー=アンマールの店へ行くといつも、自分の指でイラクの政治情勢 という脈拍をはかっているような気がする。この店に並んだ農作物から、 たいていイラクの目下の状況がはっきりわかる。たとえば、いいトマトが 一つもないときは、バスラへ向かう道路は閉鎖されているか容易ならぬ状 態で、トマトはバグダードまで届かないのだということがわかる。冬に柑 橘類が並んでいなかったら、たぶんディヤラへの道路が危険でオレンジや レモンが出荷できないのだということがわかる。また、アブー=アンマー ルは、さまざまなラジオ局で聞いたニュースを教えてくれる。その気があ るなら、彼の足下の新聞の山から選りどりで新聞を抜き出しニュースを読 むこともできる。それに、近所のゴシップで彼の知らないものはない。
「アブー=ハミードの家族が引っ越すって知ってるかい?」アブー=ア ンマールはタバコを一服吸い込むと、ボールペンの先で100メートルほ ど向こうの家を指した。 「ほんとう?」私はトマトに目を向けながら答えた。「どうして知って るの?」。 「先週、夫婦ものに家を見せているのを見たんだ。今週になってからも家 を見せていた。売ろうとしてるんだ」。
「選挙の結果聞いた?」E が尋ねた。アブー=アンマールはうなずいて、 サンダルをはいた足でたばこを踏みつぶした。「こうなると思ってたさ」。 肩をすくめて続けた。「ほとんどのシーアは立候補者リスト169に投 票した。投票日の夜、うちの近くのフサイニーヤで勝ったと大騒ぎしてい たよ」。フサイニーヤというのは、シーア派のモスクの1種である(訳注: 殉教劇劇場といわれる)。多くのシーア派がリスト169、つまりシスタ ーニお墨付きリストを支持して運動していると言われていた。
私は頭を振ってため息をついた。「じゃ、アメリカはイラクをもう一つ のアメリカにしようとしているんだってまだ思ってる? 去年、アメリカ にチャンスをやったら、バグダードはニューヨークみたいになるだろうっ て言ったじゃない」。 私は去年の会話を引いて言った。Eは私に警戒の表 情を見せて、タマネギに注意をそらさせた。「ほら、見てごらん、このタ マネギ――うちにタマネギあったっけ?」。
アブー=アンマールは頭を降ってため息をついた。「そうだな、ニュー ヨークになろうが、バグダードになろうが、地獄になろうが、俺にとっち ゃ違いはない。ここで野菜を売るだけさ」。
私はうなずいて野菜を詰めたビニール袋を計ってもらうために渡した。 「そうね・・・イラクをもう一つのイランにしようとしているのよ。リス ト169はイランになってもいいってことじゃない」。 アブー=アンマ ールは袋を古びた真鍮の秤にのせておもりを調節しながら、少しの間考え 込んだ。
「で、イランはそんなに悪いかね?」やっと答えた。そうね、悪くはな いわと私は答えようとした。悪くはないでしょう、「あなた」にとっては ――男性にとっては・・・むしろ、権利は増大する。あれこれ一時的な結 婚をし(訳注:一時的結婚については2004年1月15日の項を参照) 、恒常的結婚生活もいくつかもつ権利、そして女性を服従させる権利が。 これが悪いわけないわよね。けれど、私は黙っていた。きょうびイランを 批判するのはやばい。アブー=アンマールが差し出す袋にぼんやり手を伸 ばしながら、私は、選挙結果が初めて公表されたときの無力感にうちのめ された状態から立ち直ろうと努めていた。
スンニ派政権かシーア派政権かという話ではない。問題はイラン型イラ クになるかどうかなのだ。シーア派の多くもまた選挙結果に衝撃を受けて いる。この選挙結果で、スンニ派が中枢から排除されると言われているが、 そうではない。スンニ派だけではない。穏健なシーア派さらに一般の非宗 教的な人々も排除されてしまったのだ。
そのリストは恐ろしい。ダーワ党、イラク・イスラム革命最高評議会( SCIRI)、チャラビ、フセイン・シャリスターニ、そのほかイラン寄り政治 家やイスラム法学者がずらりと並んでいる。この人々が新憲法立案に中心 的役割を果たそうとしている。新憲法では、シャリーアつまりイスラム法 が基本となると言われている。問題はどの人々のシャリーアかということ だ。多くのシーア派イスラム教徒にとってのシャリーアは、スンニ派のシ ャリーアとは違っている。それにほかの宗教についてはどうなのか? キ リスト教徒やメンディイーンは?
アメリカ同調派とまったく同じ人々が、つまり昨年の輪番性大統領職を 務めた操り人形たちとまったく同じ顔ぶれが、選挙結果の上位にあらわれ たことに驚いたかしら? ジャファリ、タラバニ、バルザニ、ハキム、ア ラウィ、チャラビ・・・亡命者、有罪判決を受けた犯罪者、私兵集団の長 からなる集団。新生イラクへようこそ。
イラン寄り政党ダーワの党首、イブラヒーム・アル・ジャファリが先日 インタビューに応じていた。自分は公平な人間で、以前の非宗教的なイラ クを原理主義的シーア派国家にするつもりはないというふりを懸命にして いた。しかし、彼がダーワ党党首であるという事実に変わりはない。この 2,30年の間、イラクで起きた最も悪質な爆発と暗殺の首謀者である政 党、イランのようなイスラム共和国を提唱している政党なのだ。党員の大 部分は、かなりの時間イランにいる。
ジャファリは党の主義主張から自由ではありえない。
そして、イラク・イスラム革命最高評議会議長(SCIRI)、アブドゥル・ アジズ・ハキムだ。彼が12月の月替わり大統領に就任したとき、まず最 初に何をしたと思う? イラクは債務過重であるのにイランから1千億ド ルを借り入れると、決定したのだ。では、2番目に何をしたか? 個人( 特に女性)を守る「私人地位法」を廃絶しようとしたのだ。
彼らは西側記者に対する会見で立派な政党だという印象を与えようとし ているが、内実はまったく違っている。女性がもっともそれを感じている。 バグダードでは、これらの政党は女性に対して、ほんのわずかばかり出て いる部分さえ隠せと絶え間ない圧力をかけている。多くの大学では、男女 の隔離差別教育をするよう圧力がかかっている。威嚇や、印刷物や口頭で の警告、さらに襲撃されたり暴言を浴びせられることもあるという。
身の回りのいたるところでそれが感じ取れる。知らぬ間にじわじわと始 まっているのだ。いつの間にか足が少しでも出るスラックスやジーンズや スカートをはくのを止めている。これをよしとしない誰かに道を歩いてい て止められたり、説教されるのがいやだからだ。半袖を着るのをやめ首の かなりの部分を被ってくれる襟付きのだぶだぶシャツを選ぶようになって いる。髪を垂らすのをやめるようになっている。髪に注目されたくないか らだ。ポニーテールに結ぶのを忘れた日には、自分をひっぱたきたい思い でハンドバッグをかき回し、ヘアーバンドいや髪を束ねる輪ゴムでも見つ けて「やつら」の注目を引かないようにしなくてはいけない。
以前こういう状況について友人と真剣に話し合ったときのこと。ヴェー ルとヒジャブの話題になったとき、彼らは法にはしないかもしれないけれ ど、外出するときの女性の義務だとするような圧力が十分行き渡るように なるではないかと、恐れを述べた。友人は肩をすくめ、「イランの女性は、 それほど大したことじゃないって言うだろうよ。だって頭にぱっと何か被 って化粧して、出かけるなりなんなりするだけだから」 そのとおり。だ けど初めはそうじゃなかった。そんなふうにできるようになるのに20年 以上もかかったのだ。80年代、女性は服装が悪いといって、街角から引 っ張られ拘束され殴られたのだ。
またそれは、髪を被う云々という問題なのではない。戦争前にも友人や 親戚にはヒジャブを被る人はおおぜいいた。問題は社会を構成する原理な のだ。服装まで指図されるほどほとんどまったく自由がないということな のだ。そして、服装はほんの氷山の一角だ。女性に働く能力があるわけが ない、あるいは女性にはある種の職業や学問は認められないと考える法学 者や男たちがいる。今回の投票用紙にも何か居心地の悪い思いにさせるも のがあった。「男性」、「女性」の別がわかるようになっていたのだ。な ぜ男女の別がいるのかって? シーア派では女性の1票は、男性の半分と して計算されるからじゃないかしら? 将来そうするつもりだろうか?
バグダードはまたもや黒い幕で被われている。ビルだけでなく家々の中 にも大きな黒い布を垂らしているものがある。まるで全市をあげて選挙結 果を嘆いているようだ。これは「アシュラ」祭のためだ。(訳注:アシュ ラ祭については、2004年2月29日を参照)。アシュラ祭とは、イス ラム暦新年を祝う10日間であり、1400年余前現在のカバラで起きた 預言者の家族の死を記念するものでもある。それで全身黒ずくめの(緑、 赤の色が少し入ることもある)敬虔なシーア派の人々が、この日のための 特別な用具で自分の身体をうち叩きながら通りをねり歩くのだ。
私たちはアシュラ祭の間ほとんど家で過ごしている。この10日間に外 出するのはあまり賢明とはいえないからだ。きのう、叔母の家に行くのに 1時間20分もかかった。詠唱しながら自分のからだを叩くおおぜいの男 たちで道がふさがれていたためだ。恐ろしいというのでは言い足りない。 何人かは血を流してさえいて、背中や額を流れ落ちる血を効果的に見せる ために白い服を着ている。小さな子どもが黒服を着て小型の鎖を持ってい るのは見るも痛々しい。鎖は実際に人を傷つけるようなものではないのだ が、いかにもグロテスクだ。
正直言うと、吐き気がする。これは宗教とは何の関係もないサド・マゾ ヒズム的な疑似政治ショーだ。イスラム教において、肉体を傷つけるのは よくないことだ。穏健なシーア派もひどいと感じ、少しばかり見苦しいと 思っている。Eはシーア派のいとこを始終からかっている。「これってやっ てみたいだろう?」。しかしいとこだって不快に思っているのだ。それを はっきり表現できないのだけれど。私たちはいまとても「自由」だから、 おおっぴらにこの血なまぐさい行事そのものに嫌悪感を表明することはま ずいのだ。だけど、私はこのブログで表明できる。
また数件誘拐があったと聞いた。いままた暗殺のニュースがあった。バ ドル旅団が新たな「お尋ね者」リストを発表したという。が、生きて捕ま えようというのではなく死んでほしいというものだ。名前があがっている のは、ほとんどスンニ派の教授、前政権の将軍、医者など。スンニ派とシ ーア派の混住地区、サイディヤではすでに3件の暗殺があった。バドル旅 団の連中が家に押し入って家族を射殺したのだという。この多発する暗殺 は、明らかに選挙の結果を祝って行われているのだ。
テレビでアメリカの政治家が、スンニ派とシーア派の市中での殺し合い をふせぐのに米軍がどんなに役立っているか、語るのを見るのは面白い。 最近、ますますそれは違う、と思える。現に今この暗殺と誘拐の最中に、 米軍はただ傍観してイラク人同士が攻撃しあうままにしている。そればか りでなく、新生イラク軍つまり国家警備隊も米軍の護衛とレジスタンス叩 きしかしていない。
占領が終わったあとでさえ、非宗教国家イラクへの希望があった。希望 は急速に消えつつある。
午後3時3分 リバー
(翻訳:TUP/池田真里)