DATE: 2005年3月11日(金) 午前4時58分
聖地では、すべてがうまくいっているわけではない。
2004年4月イラクで、米軍包囲下のファルージャに人道救援活動のために入り、そ の帰路、地元のレジスタンスによる拘束を経験したオーストラリア人女性ドナ・マル ハーンは、現在パレスチナに滞在しています。ヨルダン川西岸で巡礼の旅を続けてい る彼女は、イスラエル入国の際の状況を、母への手紙に託します。これはTUP速報446 号「巡礼者ドナの手紙 エルサレムより」)の続きで、パート2です。 (翻訳:福永克紀/TUP)
ドナ・マルハーン 母への手紙 その2――捜索 2005年2月25日
お友達の皆さん、これは「聖地より母への手紙」シリーズの2本目です。お送りする のが遅くなってごめんなさい。当地では何事にもとても忙しくて、しばしば圧倒的な 忙しさなのです。この手紙は、私の「国境」体験談の続きですので、よく理解しても らうためには最初の手紙を読んでいただいたほうがいいと思います。2005年1月6日 配信の http://groups.yahoo.com/group/ThePilgrim/message/145 (訳注:訳文は http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/478 TUP速報446号 「巡礼者ドナの手紙 エルサレムより」)にあります。書き送らなければならないこ とがまだたくさんあります(例:先日の催涙弾の初体験! 和平プロセス、アパルト ヘイトの壁(隔離壁)、土地の収用、入植者の暴力、家屋の破壊、などなど)。願わ くば、近いうちにこれらの話をお伝えできればと思っています。2ヶ月間それもでき なかった今、私は行動を共にしているISM(国際連帯運動)というグループの広報 担当室で働いています。それで膨大な量の広報文を書かなければならず、個人的な話 をそんなには書けないのです! 近いうちにもっと時間が取れるようにと願っていま す。少なくともあと1ヶ月、復活祭まではここにとどまるつもりです。 皆さんの巡礼者 ドナより [訳注:ISM International Solidarity Movement 国際連帯運動 http://www.palsolidarity.org/ (英語)パレスチナの自由とイスラエルの占領終 焉を目標に、パレスチナ人と国際活動家が非暴力運動を展開しているグループ。ドナ はサイダ村ではISMの面々と共に行動していた。]
親愛なるお母さんへ
入国審査窓口でイスラエル兵が、場内を彼の後についてくるよう手招きしたところま でお話しました。彼は私に背を向け足早に歩いて行って、私が追いつくのを待つこと もなく、私はあわてて彼の後を数歩おくれて追いかけたのです。
彼に連れ戻されたところは、「ドクター・フーのターディス『巨大ヘアーブローとス プレーマシン』」があった元の場所で、そこのドアは私が最初にこの入国審査のビル に入った入口でした。心臓が高鳴り始めました。「まあ、まさか、信じられないわ」 と思いました。「私にしゃべる機会も与えないで、国外に放り出すつもりなの?」
その兵士は、なお私と目を合わせることもなく、ベンチを指差しそこに座るようにと 唸り声をあげました。それから歩いて行ってしまいました。
これが、私が完全に完璧に混乱してしまった最初の例です。つづく6時間の間に、さ らに100回もこんな目にあいました。
ベンチにはもう一人身なりのいい柔和な顔つきのアラブ人が、悲しげな目をして座っ ていました。パレスチナ人のようでしたが、疲れ切っている様子でした。
「どうして、私たちはここに?」と、彼に尋ねてみました。「私たちを追放するつも りでしょうか?」
「分かりません」と、彼は答えました。「彼らは私の質問にまったく返事をしませ ん、だからもう聞くのはやめました」
私は深いため息をつきました。これは大変なことになるのだと気づきました。分かる でしょう、お母さん、私は聞きたいことは訊ねる人間です。お母さんもご存知のよう に、私は、何の説明もなく牛のようにあっちからこっちへと群れをなして動かされる のを喜ぶような人間ではありません。だれであれ人から押し付けられたばかげたこと を受け入れてはいけないことを、私に教えてくれたのはお母さんだったと思います。 でも実際に、そんなことを喜ぶ人を世界中で見たこともありません、特にオーストラ リア人ではね、オーストラリアの人は概して愛想がよくて親切です――どんな状況で もね。
私が自分の運命がどうなるかも分からず長い間ベンチに座っていると、突然若い女性 兵士が表れて「私についてきなさい」と、言いました。
彼女についていくと、そこは小さな更衣室のようなところでした。彼女は背にした カーテンを閉じると、ゴム手袋をはめ始めたのです。
「まあ、なんてこと、私のボディーチェックをするつもりなの?」と、私は思いまし た。
彼女が手袋をはめている間、私はなぜここに連れてこられ彼女は何をしようとしてい るのか、説明されるのを待っていました。私が育ったところでは、これはいたって一 般的なことでしょう。
「靴とコートを脱いで、足を広げなさい」と、彼女が言いました。
「私の体を調べるのですか?」と、訊ねました。
「そうよ、もっと足を広げなさい」と、なんの説明もなく言い返すだけです。
私は舌を傷つくほど噛み、言いたいことを我慢しました――「冷静に、冷静に、冷静 に」
私の目の前で入国審査窓口を通過する人をおそらく百人は見たけど、私が身体捜索を 受ける最初の人間だなあと私が考えているうちに、彼女が黒い大きなクリケットの バットのような棒で私の体を探り始めたのです。でも幸いにも私はまだ服を着ていた のです。
お母さん、「特別」処遇としてひとり選り抜かれるのは、決していい気分ではありま せん。知らない誰かに体を触られるのは、気分のいいものではありません。それは、 まったく不愉快なものです。
その棒からビーと音が聞こえると、彼女はそれを押し当てて調べました。ある時に は、私のシャツをめくったのです。
「これを脱ぐ必要がありますか?」と、そんなことを承知する気もなく訊ねました。 裸のボディチェックは拒否しようと、私はすでに決心していたのです。私は人権弁護 士などではありませんが、これを拒否する権利があることは知っています。
幸いにも彼女はその必要はないと答えながらも、必要だと思ったときには他の着物も めくり続けました。
金属探知機を使い終えると、今度は手でさぐり始めました。私の体のあらゆる部分を つつきまわしたのです。
向こうを向けと言われ、壁に両手を突いて彼女に背を向けた時でした、私の目に少し ばかりの熱い屈辱の涙が滲み出したことに気づきました。私は涙がこぼれ落ちないよ うにと、必死に目を閉じたり細めたりしたのです。
彼女が私をつつきまわすのを終えたとき、私は心の中で長くて深いため息をつきまし た。完了した彼女は、突然更衣室から歩いて出て行ったしまいました。
私はしばらくそこに突っ立っていました、靴もジャケットもなしで震えながら、反抗 していると解釈されそうななにかまずいことをしてしまわないかと思うと、怖くて動 けませんでした。
ほぼ10分間も待ったあと、とうとう寒さが身にしみてきました。靴とコートを身に着 けざるを得ませんでした。目の前のカーテンを見つめながらそのままそこにいまし た、まるでデイビッド・ジョーンズの試着室に閉じ込められたかのように! [訳注:デイビッド・ジョーンズ シドニーにあるデパート名]
何分か時間が過ぎるにつれ、我慢できなくなり始めました。冷静でいようと思ってい ましたが、それももう充分でした。なにが起こっているのかと、私はカーテンの隙間 から頭を出して覗いてみました。まだベンチで待ち続けているパレスチナ人男性以外 だれもそこにはいませんでした。
もう反抗でも何でもかまわなくなって、私は更衣室から出てその男性と並んでベンチ に座りました。そして「次はあなたの番だと思うけど?」と、ささやきました。
彼は、暗い顔でうなづきました。
それからベンチで20分から30分ほど待っていると、私は本当にじっとしていられなく なりました。
気がつくと、私をここまで連れてきたあの兵士が、通路の向こうで仲間たちとおしゃ べりをしていたのです。私は手を振って彼の注意を引こうとしました。立ち上がって 手を振り、数歩彼の方に歩みだして手を振り、飛んだり跳ねたりしながら手を振りっ て、さんざんやり終えてから、とうとう私は彼の方に歩いて行ってこう呼びかけまし た。「すみませんが、私のことは今どうなっているのでしょうか?」
目を上げた彼は、険悪な目で私のほうをにらみつけ、その威力にほとんど殴り倒され そうなほどでした。
「俺の仕事のやり方に、口を出そうってのか?」と、彼は叫び返しました。
私は一呼吸おきました――思うにこの時点で彼が尋ねるにはまったく奇妙な質問に、 少し、ほんの少し途惑って。
「とんでもありません、あなたがあなたの仕事をなさるのは大変喜ばしいことです、 ですから私は次に何をすればいいのかおっしゃって下さるとありがたいのですが」 と、答えました。
再び私をにらみつけた彼は、どこかへ立ち去ろうとしました。
「ねぇ待って、どうするんですか……」と、彼の後ろから叫びました。彼は振り返っ て私をにらみつけ、また手で「ついて来い」と指示したのです。
別の部屋に私を連れて行った彼は、私に座れと言いました。やっぱり、なぜここに連 れてこられたのか、これから何が始まるのか、何の説明もありませんでしたが、説明 という概念はここの運営方針に含まれていないのは、私にはもう分かっていました。
部屋の中には、いくつかのベンチやベルトコンベヤーやたくさんの機械がありまし た。手荷物が運ばれてきたり運び出されたりしていました。ここは特別のX線検査を するところなのだと思いました。
私が長らくそこに座っている間、雑多な男女の兵士たちが、私の前を行ったり来たり していましたが、まったく私を無視したままでした。読む本もなくすることもなく時 間がゆっくりと過ぎていきました。
ついに最初の兵士がやってきて、「ついて来い」とがなり上げ、またくるっと向きを 変え歩き始めたのです。
お母さん、この時点までには、彼のヤクザみたいな態度にはうんざりでした。お分か りのように、これは私を相手にするにはまったくまずいやり方です。私は声を潜めて ののしり始めましたが、だれも気にかける様子はありません、そこで大きな声で独り 言を言い始めました。
「一体、どうなってんの?」と、両手を大きく振りながら叫んだのです。
だれも何も答えません。兵士は、前方からちょっと振り返ると、私に向かって声をあ げて笑いました。
彼は私を手荷物の山のところに連れて行き、ただそれを指差すだけで、がなり声さえ 上げませんでした。
「分かりました」と、私は言いました。「わたしになにかさせたいのだったら、なに をどうしろって、あなたはちゃんと私に言わなきゃなりません。そんなことは言える んじゃありませんか」と、私は彼に訴えたのです。
「行ってあんたの荷物を見つけて来なさい」と、ぞんざいな返事でした。
私は荷物を見つけて、それを引きずってさっきの検知室に行き、座って半時間かそこ ら待たされることになったのです。時間がたつにつれ、私は気をもみ始めました。深 く息を吸い、冷静にと自分に言い聞かせました。
ついに女性兵士がやってきて言いました。「荷物をここに広げて、ポケットの中身を 全部出して、ハンドバッグをよこしなさい」
「私のハンドバッグをどうしようというのですか?」と、聞きました。
今回あえてそう訊ねる私は、部屋中からたくさんの視線に囲まれることになりまし た。
「もう2回も調べたでしょう、どうしてもう一度やる必要があるのですか?」と、続 けました。
「問題おこしたいのかね?」と、18歳そこそこの男の兵士が訊ねました。
息を吸って。
「いいえ、ただ私の質問に答えていただきたいだけです」
「もう一度、あんたの荷物を調べるんだ、こっちによこすんだ」
ハンドバッグには、私がこの世で持つすべての貴重品が入っていて、それを私の見え ないところへ持っていかれることにためらいを感じていたのです。
「こいつをあんたに返したときに、全部チェックできるぜ。俺を信用できないっての ?」と、あざけるように顔をニヤつかせてその兵士が言いました。
私はその皮肉さに大声で笑ってしまいました。信用?
信用ですって? 私は少しのあいだ笑いが止まりませんでした。私のプライバシーを 侵害し、体を検査し、3度もバッグを調べる人間が、信用なんて言うのかと思ったら あまりにもおかしくて、私は即座にバッグを手渡してしまいました。
「持っていきなさい」と、私はまだ一人で笑いながら言いました。
でも、機嫌よくしていようと努めていることができたのも、それまででした。という のも若者の兵士4人が、私が念入りに工夫して荷づくりしたバッグの中身をかき回 し、それらを金属製のベンチの上に投げ散らかすのが目に入ったからです。
「おお、神様」と、彼らが私の荷物を壊してしまうことなど気にかけることもなくす べてを投げ散らかしているのを見て、私は声もまともに出ませんでした。
私の独り言は、さらに大きな声になりました。「ああ、神様、とても信じられませ ん」と、両手で目を覆いました。体中がすくみあがりました。
女性兵士の一人が反応しました――「どうかしたの?」
私は顔を上げました。とうとう私の目を見る人にあったのです。3時間前にこのビル に入って以来、初めて私を見つめる人がいたのです。ですから、私は素直に返事をし ようと決めました。
「どうかしたのかですって? どうかしたのか聞いてるわけですね? ここに到着し て以来ずっと、私は乱暴に扱われて動物のような待遇を受けてきました。あの恐ろし い兵士が私を怒鳴りつけて、私の目を見ることもないばかりかなんの説明もしないの です。それで私は怖くなって、頭がぼうとなって……
彼女が途中で割り込んできました――「どの怖い兵士?」
「あの大男がいつも威張り散らかして、まるでギャングのように大声で私に言いつけ て乱暴に扱って、私はこんな扱いを受ける覚えはありません」
「彼のこと?」と、彼女は私に近づいてくるその兵士を指差しながら聞きました。
「ええ、まあ」と、恐る恐るうなずきました。
彼女は彼に呼びかけ、ヘブライ語で話し始めました。「やめてちょうだい」と、頼み ました。「もうこれ以上彼ともめさせないで!」
「だいじょうぶ」と答えた彼女は、私のちょうど目の前で彼と話し続けたのです。
彼女が話し終えると、彼は私を見つめました、初めて視線を合わせたのです。それか ら私に向かってニタッと笑ったのです。背筋が凍る思いでした。
「この方がいいかい?」と、彼が聞いたのです。
「いいえ、もっと悪くなったわ」と、さらに空虚になり孤独を感じながら言いまし た。
この時点ではもう、私の荷物の中身全部が大きな二つのベンチ上に広げられてしまっ ていて、部屋中のだれもが見ることができるようになっていました。これでやっと終 わって、今度は荷物を全部片付けられると思いました。
ところが終わりではなかったのです。
兵士たちは、先に小さな白布が付いた火箸のようなものを用意して、すべてのものを つかみ上げて、その火箸のようなものでこすり始めたのです。爆発物の痕跡を調べて いたのだと思います。お母さん、あなたが今感じているに違いないその気持ちが分か ります――私も、そう感じていたのです、どうかあまりに動転しないで下さい。彼ら は私の小さなバッグをからにして、何もかも取り出して、開けられるものは全部開け て、その中身をベンチのどこかしこに投げ散らかしたのです。時おり何かを取り上げ ては入念に調べたのです、ただ個人的興味のためだけに。時にはヘブライ語で仲間内 で冗談を言って笑い合ったり、あるものをお互いに指差し合ってまるで「見なよ、こ んなの使ってるぜ」と言っているようでした。
私はベンチの前に立っていました、頭を低く下げて、黙りこくって、でも時々はどう 押さえていても、うめき声や思わす息を飲む音が出てしまいました。
「座れ」と、突然一人の兵士が私に吠え付きました。
「いいえ、立っていてだいじょうぶです、ありがとう」と、荷物が私の視界から消え ることのないようにと思って答えました。
「座れと言ってるんだ」と、彼女は繰り返しました。
「私は喜んで立っています。あなた方が私のものを捜索している間は、立って見てい ます」
「あんたには、二つの選択肢しかない」と、彼女が言いました。「座るか、座るか だ」
今までで最初の反抗ですが、私は座るのを拒否しました。自分の私有物をこんなに粗 野にじろじろ見られた上に爆発物まで調べられるのを、監視する権利が私にあること はわかっていました、ええ、権利以外のなにものでもありません。ともかく、彼女に 何ができるというのでしょう? 座れと言う命令に従わないので逮捕する? 私の監 視なくして捜索を続行させるなんてとんでもありません。私は静かに立ち続け、結局 彼女はあきらめたのです。
しかし、18歳の少年兵が私の下着を吟味し、私の化粧品バッグの中身にいやらしい好 奇の目つきをするのを見るだけで、もう十分でした。
怒ったりカーッとなったりしたくはありませんでした。もう長いこと深く息をする力 も失くしていました――ほとんど息もできない状態でした。心臓が高鳴り、手が震 え、顔が赤くなるのを感じ、頭をたれました、そしたら始まったのです。
涙が止めどもなく溢れだし、まるで私の目が止めようもない漏れ穴のある古びた蛇口 のようでした。
やがて、それはすすり泣きに変わりました、静かなすすり泣きに。
兵士たちが私のプライバシーを侵害し続け、私を赤面させ屈辱を感じ続けさせている 間、私は両手で自分の体をくるみ、顎が胸に深く埋まるほど、できるだけ低く頭を下 げていました。
続く2時間、彼らが私のものを投げ散らかし笑い続けている間、私は泣いていまし た。
彼らがやっていることに泣きました。彼らのやり方に、そんなことをする理由に、あ ふれるほどの憎しみと怒りをもって泣きました。聖地に歓迎されないことに泣きまし た、それどころか、むしろ犯罪者のように扱われたことに泣いたのです。お母さん、 私はただそこに頭をたれて突っ立って、そのすべてのことに泣いていたのです。
ある時、以前に私に気がついたあの若い女性兵士が、水を飲みたいかと訊ねました。
辞退しました。水どころか、息をするのもやっとだったのです。でも、この申し出に はありがたく感謝しました。
それから、彼女は私の名前を聞きました。私は顔を上げて彼女に告げました。彼女も 自分の名前を言いました。
なぜ泣くのかと彼女が尋ねたとき、攻撃されていると感じることなく返答することが できました。
「屈辱的に感じるからです、まるで動物のように扱って、私のものをまるでごみのよ うに投げ散らかし、お腹の中で笑っているからです」
「あなた方が、これをやらなければならないのは理解できます」と、彼女に言いまし た。
「実際、そうでしょう、あなた方には厳しい治安対策が必要でしょう。
「しかし、人々を辱めることのない方法でできるはずです。もっとうまくできるはず です。何をしているのか説明するのです。みんなに優しく語りかけるのです。他人の 所有物には敬意をはらって扱うのです」
この時点で、私は一人じゃないと気がつきました。女性が一人、フランス人だと思い ますが、私の後ろのベンチに座って、やはり泣いていたのです。
横でも捜索をやっているところを見渡してみると、あの柔和な顔つきのパレスチナ人 に気がつきました。彼の持ち物も同じように投げ散らかされていました。彼の持ち物 にはいくつかの楽器があって、その中には中東の伝統的な弦楽器である美しい木製の ウードが二つありました。兵士がそれをベンチに叩きつけ、ネックとキーを壊してし まったのを見て、私は身が縮み上がりました。
気分が悪くなりました。涙がまた出てきました。私がそのパレスチナ人を見ている と、彼も私ともう一人のフランス人女性を見つめました。私が彼女のほうを見ると、 彼女は涙を浮かべた目で私と彼を見返していました。私たち3人は、恐怖と痛みのこ の部屋の中で、お互いを支える小さな三角形を形成したのです。
「だいじょうぶよ」と、私は彼女にささやきました、他に言う言葉も見つけることも できなくて、自分ではとてもだいじょうぶどころではないと感じながらも。
私が彼の方に目を向けなおすと、しばらく見詰め合うことになりました。彼の目は大 きくてその表情は厳粛なものでした。彼が手を差し伸べ私を助けたいと思っているこ とが、私には感じとれました。私を慰める言葉をかけたいと思っているのが分かった のです。彼は大きな声でそれを言えば罰を受けることになるので、言うことはできま せんでした、しかし、私は心を寄せる彼の声を確かに聞いたのです。
私は、連帯の証としてうなずきました。私は彼のその目を忘れることはないでしょ う、あの彼の目が私に何がしかの力を与えてくれて、大きく息を吸い込んで、いまや 涙でぐしゃぐしゃになった顔を涙でジトジトになったちり紙でふき、頭を高く持ち上 げようとできるようになったのです。
私に話しかけた女性兵士は、仕事を終わろうとしていました。彼女の任務は、おしま いなのです。捜索は終わり、私は再びすべての荷物を詰めなおすことになりました。 上にあったものや下にあったもの、どれが何の入れ物か、どれとどれがひとそろい だったのか、どれがどれの蓋なのか、見分けるには長い時間がかかりました。
それらを詰めなおしていると、たくさんの壊れているものが見つかり、また涙が溢れ だし、音もなく私のほほを流れ落ちました。どうにも止めようもありませんでした。
私の背後で待っている兵士に気がつきました。彼を見上げて、訊ねました。「私を 待っているのですか?」
「そうだ、今度は司令官と話すことになる」
胃が痛くなりました。気分が悪くなりショックを受けました、尋問はまだ始まっても いなかったというのです。
時間を気にして、残りのものをそのままバッグに押し込み、いくつかの通路をその兵 士のあとについて行きました。空っぽの部屋でプラスチックの椅子に座って待つよう に言われました。
お母さん、私は怖かったのです、というのも大半の力をなくしてしまって、本当に がっくりしていたのです。5時間も銃を携帯した怒りっぽい人たちに取り囲まれるの は恐ろしいものです、その人たちが威張り散らかすのは屈辱的なものです。知らない 国に来て、実にそれが聖地なのに、犯罪者のように扱われて、私は彼らにあんたらの 国なんて糞くらえだと言いたくなったのです。
でも、そうはしませんでした。ここは聖地なのです、お母さん、間違いなくほかのだ れとも同じく当地を訪問する権利は、私にもあるでしょう? 厳しい警備が必要なの はたしかです。でも、これが警備のためなのですか。これは軌道を逸しています。
手はまだ震えていました、でも、その部屋に一人でいる間に、私は、再び集中し自信 を取り戻し息を回復しようと試みたのです。
とうとう、彼らが私を呼び入れる時がきました。次の手紙で全部お話します。
愛を込めて、ドナより
(翻訳:福永克紀/TUP)
原文:Letter to my mother 2 – The search URL: http://groups.yahoo.com/group/ThePilgrim/message/153