FROM: liangr
DATE: 2005年3月12日(土) 午後8時10分
米国の一貫した「外部の目の排除」と「まず撃て、話はあと」の方針、情報改竄を前 に、「誤射」などと言っていていいのか・・・ **************************************
誤射ではない!! イタリア記者銃撃事件 (TUP 萩谷 良)
イラクの抵抗勢力に拉致・拘束されたイタリア紙「イル・マニフェスト」の記者が 、解放されて車でバグダード空港へ向かう途中、米軍の銃撃を受け負傷、同乗してい たイタリア軍情報局の救出工作チームの責任者が落命した3月4日夕刻の事件につい て、日本のマスコミの報道は及び腰、あるいは無関心の姿勢のようです。しんぶん赤 旗、報道ステーション、News23がとりあげましたが、継続性を期待できるのは赤旗だ けかもしれません。 米国は事件をあくまで「誤射」として片づけようとしていますが、ああいう事件を 誤射と呼ぶことのうちに無視できない問題があることを、以下明らかにします。
■英語・仏語圏の報道にもとづく事実経過 2月4日に拉致されたジュリアーナ・ズグレーナ記者は、3月4日夕刻に目隠しを されて、人質引き渡しの場所に車で連れて来られた。上空にヘリコプターの爆音が聞 こえた。拉致集団メンバーが車を置いて去ったあと、目隠しのまま待っていると、ほ どなく救出責任者ニコーラ・カリーパリ氏の呼びかける声がした。雨後でぬかるむ道 路を車で空港に向かった。空港まで1キロ足らずの地点で、突然サーチライトで照ら され、すぐに戦車などによる銃弾の雨を浴びせられた(現地時間午後8時55分頃)。 車を運転していたカリーパリ氏の部下が、自分たちはイタリア人だ、と叫んだが、射 撃は10〜20秒間続いた。ズグレーナ記者によれば300〜400発の銃弾が発射された。米 軍は、車のエンジンを射撃したと言っている。記者の隣に坐っていたカリーパリ隊長 が記者の上に覆い被さって守り、こめかみに被弾して即死。記者は彼の最後の息を聞 いている。記者も左肩に被弾、鎖骨を骨折し左肺を損傷した。運転手は、携帯電話で ローマの首相官邸に連絡した。官邸ではベルルスコーニ首相が、情報局幹部、および イル・マニフェストのガブリエレ・ポーロ社長と、解放祝いにシャンペンを飲んでい たところ「アメリカに撃たれた」「ニコラが死んだ」という情報局員の叫び声が入っ てきた(*)。携帯電話は、米兵に押収され、まだ返却されていない。車を運転して いた情報局員は生き残り、記者とともにローマに帰って、当局の事情聴取を受けてい る。記者は帰国後、6日付の自社紙に「私の真実」(**)と題する手記を発表、事件の いきさつを書いている。
■証言のくいちがい 銃撃を行なった部隊(陸軍第3歩兵師団とも海兵隊とも伝えられる)の証言によれ ば、現場は爆弾テロの多い、イラクで最も危険な地域なので、検問所を設けた。高速 で走ってくる車があったので、手による合図、白色光の照明、ついで威嚇射撃で制し たが、速度を落とさないので射撃したとのこと。記者らが通ることは、少なくとも現 場の部隊には知らされていなかった。
記者と情報局員によれば、車は40〜50キロで走っていた(イタリア外相は40キロを 越えないと議会で答弁)、照明などでの事前の警告はなく、照明後ただちに銃撃が始 まった。運転手は照明を浴びて即座にブレーキをかけたが、止まらないうちだった。 現場は、米軍により完全に制圧された「特別の道路」(***)で、検問の必要はない。 検問所はなく、銃撃したのはパトロール隊だった。
当日、この時刻に、イタリア人人質を救出した車が通るということは、米軍には知 らせてあり、バグダード空港では、イタリア政府、情報局関係者、記者のつれあいで あるピエル・スコラーリ氏のほかに、CIA関係者と米軍の大佐も記者らを迎えに来 ていた。(****)
(なお、記者と同乗していた情報機関員の人数もヨーロッパと米国では、カリーパリ 氏のほかに2人(前者)、1人(後者)という違いがあるなど、情報のくいちがいが 多数みられる。「検問所」という言葉も、検討ぬきに使われている)
■この事件の意味 止まれと合図されて止まらないはずはありません。 かりに記者たちの通ることが現場の部隊に知られていなかったとしても、米軍が、 動く者は射撃せよ、「まず撃て、話はそれから」、敵とまちがえたと言えば誰を殺そ うとかまわないという方針をとっているからこそ、起きた事件です。 これを誤射と呼ぶのは卑怯な言い抜けです。
ズグレーナ記者は「私の真実」で、解放前に、拉致団体から、米軍にはあなたを生 きて帰らせたくない者がいるのだから、介入に用心するように、と言われ、そのとき は信用しなかったが、じつはその通りだったと書き、米軍は人質を交渉と身代金で取 り戻せば拉致集団を増長させるから嫌っているのだろうとの推測しています。 スコラーリ氏は、記者がファルージャの生き残りに取材して、化学兵器、ナパーム 弾、燐が使われたことを知ったのが、米軍にねらわれた理由だと主張しています。 これらは推測であり、まだ断定はできません。それより、理由や個々の人間がどう であれ、米軍の方針から逸脱した行動を取る者には懲罰を加える米国の体質を、ここ に見るべきではないでしょうか。
そうであれば、ホワイトハウスからバグダード空港近辺のパトロールにつながる命 令系統はどこかで切れていなければなりません。「殺りましょうか」「・・・」「で は」、というような会話を想像しても、少しもおかしくないでしょう。しかも、ブラ ックウォーター社などの傭兵であれば、軍律には束縛されません。(2004年3月31日 にファルージャで4人の「民間人」がイラク市民に襲撃され、焼けた死体をさらしも のにされた事件が、その後のファルージャ全滅作戦の「発端」となったのですが、そ の「民間人」、じつは軍人あがりの傭兵を雇っていたのがブラックウォーター社です )
エンジンを撃ったと言いますが、弾丸は、カリーパリ氏は頭部、ズグレーナ記者は 左胸と、致命的な部位に正確に命中しています。 ここで起こる疑問は、それほどの殺意があれば、殺すのは容易だったのに、なぜ記 者たちを生きて帰らせたのかということですが、それは、情報局員がローマの政府と 携帯でイタリア語で通信していたからだと考えれば説明がつきます。
カリーパリ氏は女性記者の身代わりとして亡くなったと一応見られています。 しかし、昨年の9月に起こった人道支援活動NGOの女性メンバー、シモーナ・ト レッタさん、シモーナ・パリさんの救出でも、対イラク交渉の中心人物だったことを 思えば、ズグレーナ記者のいう「米国は交渉や身代金で人質を取り戻すことが気に入 らない」という条件にまさしくあてはまる、米軍にとって目ざわりな人物です。その こめかみを正確に撃ち抜いた弾丸は、部隊に紛れ込んでいた特別の狙撃手のものだっ た、というのも、可能なシナリオのひとつです。
2003年3月20日からの戦争で、米軍は、おおぜいの無辜のイラク人の子ども、女性 、老人を「検問所」やパトロールで殺してきたし、報道陣に「埋込取材」(米軍の中 にいて、米軍の許可する行動しかとれない)を要求して、たとえば英国のITVのク ルーがイラク軍に近づいたとき、射撃してディレクターを殺したり(2003年3月22日) 、バグダードのパレスチナホテルで、中に大勢の記者がいるのに戦車で砲撃し、多数 を死傷(2003年4月8日)させてきたのです。
要するに、今回の事件を、あれは誤射だったと、今の段階で判断するのは、あまり に軽卒です。イタリア軍情報局が事件の翌日に誤射説を発表したのなどはいい例で、 明らかに政治的意図があります。 ある日本人ジャーナリストは同僚から「ブログやHPに今後の取材予定なんか書い たら、ねらわれるからやめておけ」という意味の忠告を受けたと言っていますが、も しそうなら、ズグレーナ記者は、記者であるというだけで、すでに狙撃の対象だった とすら考えられます。
2003年11月29日に起こった日本人外交官殺害事件を思い起こすべきでしょう。あの 事件は、復興支援会議がフセイン元大統領の郷里に近い危険な場所で開かれ、そこに 至る道路は、殺された奥参事官が日本のある代議士に、ここだけは危ないから通って はいけないと語ったとされるルートで、そこに白昼、ナンバープレートを外すという 目立つ車で(これは米軍の習慣です。奥氏、井ノ上正盛書記官は、米軍の護衛のもと に、安心して危険なルートに入っていったのだと考えることも可能です)出かけて、 銃撃を受けたのです。
午前11時に起きた事件を米軍は夕方5時と伝え、車を引き渡さず、パスポートも紛 失していて、しばらくたってから、現地住民に預けていたのが戻ってきたという奇怪 な事情説明とともに返却され、奥氏のパソコンが事務所から紛失し、加えて、日本で は氏の遺体に残る銃弾の特定を「遺族の感情を配慮して」行なわなかったのでした。 車の弾痕を見ても、きわめて正確に奥氏に弾丸を集中させており、すれちがいざま に撃ったとは思えません。
奥氏は、イラク復興は国連主導でと主張しており、日本企業がイラクの油田の利権 を得られる方向で動いていた人でもあります。ところが、日本企業が氏の死後、翌年 3月に利権を獲得したのは、イラクではなくイランのアザデガン油田でした。悪の枢 軸と名指しされる国の油田です。米国が日本にイラクの利権の分けまえをやりたくな かったことがうかがわれます。こういう状況を見ても、米軍が奥氏を嫌い、亡きもの にしようとした可能性が考えられるのですが、マスコミの論調は「誤射」説がせいぜ いのようです。 奥、井ノ上両氏は、日本の外務省にとって、イラク現地での交渉や活動ができる能 力をもった、なけなしの人材だったと言われていますが、そういう人たちが独自の活 動を展開することを、米国は好まず、見せしめを考えたと考えれば、カリーパリ氏と 通じるものを感じさせられます。出る杭は打たれるということです。 米軍はつねに武装組織の抵抗を恐れているから、記者も撃ってしまうので、たんな る過剰反応だ、というような論調は、いかにも及び腰です。 あんな事件すら、「テロリスト」の仕業と言われるような今の状況で、ズグレーナ 記者銃撃事件もうやむやにするとしたら、奥、井ノ上氏、カリーパリ氏もですが、こ れまでも、これからも不当に命を奪われて、報道されることもないイラクの大勢の人 たちは、まったく浮かばれません。
イタリアではローマの地方検察がこの事件を殺人事件として捜査していますが、ズ グレーナ、カリーパリ氏らを銃撃した兵士らに対する取り調べが可能かは不明です。 米軍当局は、これらの兵士に対する事情聴取を終えているのですが、今後詳しい調査 をするとのことで、まだ兵士の氏名も明かしておらず、調査結果は3〜4週間後に発 表するとのことです。
*The Guardian 3月7日 < http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/ 0,2763,1432040,11.html > **TUPからイタリア語原文による正確な全文の訳を配信の予定。 ***AP/Reuters < http://www.rferl.org/featuresarticle/2005/03/c74e2351-0e4b- 41ad-bacf-f9121408048c.html > **** ベルルスコーニ首相も議会で同様の答弁をしている(AP 3/10/2005 < http:/ /www.boston.com/dailynews/069/world/A_look_at_differing_U_S_and_It:.shtml > 〔萩谷 良/TUPメンバー〕