DATE: 2005年3月16日(水) 午後1時33分
内戦を抑えているのはシスタニ? チャラビ? それとも・・・3月9日
戦火の中のバグダード、停電の合間をぬって書きつがれる24歳の 女性の日記『リバーベンド・ブログ』。イラクのふつうの人の暮らし、 女性としての思い・・・といっても、家宅捜索、爆撃、爆発、誘拐、 検問が日常、女性は外を出ることもできず、職はなくガソリンの行列 と水汲みにあけくれる毎日。「イラクのアンネ」として世界中で読ま れています。すぐ傍らに、リバーベンドの笑い、怒り、涙、ため息が 感じられるようなこの日記、ぜひ読んでください。(この記事は、T UPとリバーベンド・プロジェクトの連携によるものです)。 (転載転送大歓迎です)
(TUP/リバーベンド・プロジェクト:池田真里) http://www.geocities.jp/riverbendblog/
2005年3月9日水曜日
チャラビをノーベル平和賞に・・・
今朝はみんな大きな爆発音で起こされた。私はもう目を覚ましていて横に なって天井を見つめながら、今日は家で必要な物を買いに出るのにふさわし い日かどうか考えあぐねていた。その時とつぜん大きな爆発音が響き、その 瞬間家が揺れた。私はとっさに部屋の窓のそばに立って両手で冷たいガラス を押さえた。実際には何も見えず、ただ空がどんよりと曇っていた。
階下へ走っておりると、Eと母がキッチンの入口に立っていて、家の向い にある数軒の家越しに何か見えないかと目をこらしていた。「どこで起きた の?」と私はEに聞いた。彼は自分も知らないと肩をすくめてみせた。後に なってサディア・ホテルの前でごみ運搬用の大型トラックが爆発したのだと 分かった。外国の警備会社の人たちを泊めさせているので知られたホテルだ。 疑わしいというか、謎につつまれたような人たちもいるという噂だ。泊まっ ている外国警備会社には元南アフリカ傭兵たちもいると言われる。そのホテ ルはわが家からは遠く離れているので、爆発はよほど大きかったに違いない。 爆発音がしたすぐ後、黒い煙がもくもくと空に昇っていった。
私は今日、面白いeメールを受け取ったのだが、それはよりによってシス タニをノーベル平和賞にノミネートしようと署名を集めているサイトがある と教えてくれるものだった。私はちょっと信じられずに笑ってしまった。シ スタニがどうしてノーベル平和賞をもらうの? イラクにイラン式政府を実 現させたいという人たちに投票するよう仲間に呼びかけたから? それがノ ーベル平和賞に価するっていうわけ?
イラクで内戦が起こらなかったのはシスタニがいたからだと誰かに聞いた ことがある。ばからしい。シスタニはスンニ派になんの力も持っていないし、 シーア派にだってほとんど影響力はない。イラクで内戦が始まらなかったの はイラクの人たちがじっと我慢していたからだし、それにあまりに疲れてい たからだ。私たちの生活が他人との抗争に振り回されてばかりいて、この上、 国民がお互いに角を突き合わせるなんて今は考えるのもぞっとする。シスタ ニは恐ろしい政策を秘かに実行しようとしているイランの聖職者で、私たち はそれが押し迫ってくるのを日々感じとっているのだ。
誰かにノーベル平和賞をとらせるとしたら、それは私のお気に入りのあや つり人形、アハマド・チャラビはどうかしら。本気よ、笑わないで。アハマ ド・チャラビは私たちのだれもが共感できるただ一人のイラク人政治家。イ ラクの政治的論争がきちんとしていたことなんて一度もなかったし、最近は 以前よりももっとひどいことになっている。ある意味で私たちは論争の仕方 を知らないのじゃないかって私は思う。どちらの論陣も実際は賛成するよう な問題について話しはじめておきながら、エスカレートしていって大激論を たたかわせることになることもある。政治論争はまずそうなってしまうのだ。
討論は通常、現在の二つの党か政治家(たとえばアラウイとジャファリと か)について始まることが多い。たとえば誰かがこんなことを言う。「アラ ウィが勝てなかったのは残念至極だ。これであのダーワのジャファリについ ていくことになる」。すると誰かがこう答える。「頼むよ。アラウィは完全 にアメリカ人だ。もし彼が地位を得たら我々の自立は実現できない」。それ からしばらくは討論らしい調子で幾つかの言葉がかわされる。それらの声が だんだん尖っていって、誰かが非難を蒸しかえす。ほどなくそれが大政治論 争になっていって、言葉の端はしには宗教的な響きも含まれてくる。誰もど うしてそうなるのか、どうして恐ろしいことにイラク人の政治討論といえば すぐにエスカレートしていってしまうのか誰にも分からない。
しばらくすると沈黙が訪れる。その時点で両方が相手をまったくどうしよ うもない愚か者だと決めつける。つまり憤慨に満ちた沈黙で、誰もが目を剥 き、いかにも軽蔑するように唇を薄く引き締めている。
これまでに私が分かったのは、そういう論争が始まったらとにかく行きた いところまで行かせてしまうのが一番だということ。怒鳴る者には怒鳴らせ、 叫ぶ者には叫ばせ、はっきりと名指すもほのめかすも、いずれもなすがまま。 重要なのは最後だ。論争相手と別れるときに友人とか親類とかでいる関係を 断たず、最低でも決して生涯の敵とはならないように十分気を使う。それは 簡単なことで、立場がどうであろうと、論争が終りそうになったところで幾 つかの言葉を言えばすむことなのだ。論争の最後の憤慨に満ちた沈黙こそう まく扱って、いかにもたったいま思いついたかのように次のような言葉をつ ぶやくのだ。
「本当にわるいのは誰か知ってるよね。アハマド・チャラビさ。あいつは 堕落した悪党だからな」。
まるで魔法のように空気が一変して晴れ、皆が賛成して眉をあげ、それま で言い争っていた人たち全員がいささかわざとらしく笑いながら頭をうなず かせて、この非のうちどころのない意見に一致して同意し、チャラビが出た 幾つかの記者会見だのおかしなファッション・センスだのについて面白い話 を引き出したりする。みんな再び友だちになり、家族になる。みんながお互 いに情にもろいイラク人に戻って心を通わせあえる。つまりみんなが互いに、 また世界中と、仲良くなる。
そう、だからアハマド・チャラビこそノーベル平和賞にふさわしい人物な のだ。
午後9時1分 リバー
(翻訳:リバーベンド・プロジェクト:高橋茅香子)
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