DATE: 2005年4月1日(金) 午後0時46分
銃を持つイスラエル兵士たちに、「良心に従って武器を捨てよ」と羊飼いたちの声が
2004年4月イラクで、米軍包囲下のファルージャに人道救援活動のために入り、そ の帰路、地元のレジスタンスによる拘束を経験したオーストラリア人女性ドナ・マル ハーンは、現在パレスチナに滞在しています。ヨルダン川西岸で巡礼の旅を続けてい る彼女が今回報告するのは、「シュロの主日」に、多くのパレスチナ人と共にベツレ ヘムからエルサレムに行進した時の様子で、前回の[TUP-Bulletin] 「速報481号 ド ナからの手紙 シュロの主日 礼拝の自由」の続報です。 (翻訳:福永克紀+協力:岸本和世)
ドナ・マルハーン シュロの主日――拒絶された自由 2005年3月21日
お友達の皆さんへ
シュロの主日、ベツレヘムの「まぶね(馬槽)広場」はカーニバルのような賑やかさ でした――聖なる都エルサレムに近いクリスチャンが多数を占める町での、キリスト 教の聖なる日の様子です。
いろどり豊かな群集がこの祝典を目立たせています。あるアメリカ人キリスト教徒た ちは、「教会は平和の教会」運動に属していることを表すようにゴスペルを歌いなが ら出発しました。この群集は、ベツレヘム共同体の大まかな実相を表している人々が 混じり合っていました――さまざまな年齢のパレスチナ人、男性も女性も、キリスト 教徒もイスラム教徒も、そしてその他のいろいろな国から来た国際的な混成集団で す。
しかし、一番注目を集めたのは、時代がかったロバにまたがりスカーフと衣服を着け た羊飼いたちでした。特別な衣装ではない普段着のままで、その羊飼いたちはまさに 新約聖書の中から踏み出して来たかのようでした。私たちには、彼らが皆ちょっとイ エスのように見えました。そんなふうにしようとすらしてはいなかったのですが。
群衆は、シュロの主日にエルサレムに近づくと、キリスト教徒なら誰でもするように するつもりだったのです――イエスがなさったように。つまり、2000年ほど前の出来 事を記念するために、シュロを持ってこの聖なる都に行進するのです。
私たちは、誰もが承知の迫りくる障害に意気を削がれるのをはねのけながら、この目 的地に向けてはつらつと出発しました。群衆がベツレヘムの町並みを縫って行く間、 ゴスペルの合唱が中東の音楽に溶け込んでいました。プラカードや風船を持ち、そよ 風にはためく旗と音楽の調子に合わせてシュロを打ち振りながら、私たちは行進した のです。
プラカードに書かれた文字は、さまざまなメッセージを伝えていました。「パレスチ ナに正義を求める米国キリスト教徒」「神の真実を、パレスチナに正義を」「希望を 活かせ-パレスチナに自由を」そして「神の子供たちを解放せよ」
ロバたちは、中心の広場と町のはずれにある検問所の中間にある険しい丘を登って 「ヘトヘト」になっていました。次第に歩みが遅くなり、デモの先頭から後ろに下が り出しました! 私たちもヘトヘトになっていて、ある人たちはロバたちが勝手に私 たちと共用した道端の大きなお山、あのー、うんこをうっかり踏んでしまいました。
ヘトヘトになっているロバたちはとっても可哀かった(それは、ロバたちの後ろを歩 かなければの話ですが!)ので、責任者たちはロバたちの身をとても案じて、催涙ガ スが使われるような事態になった場合に備えて、検問所に着く前に列から引っ張り出 しました。
催涙ガスの脅威はありましたが、群衆は「自由を与えよ」「正義なくして、平和な し」「壁を取り払え」「私たち、平和の内にやって来た」と、それまでより以上に声 を挙げて最後の行程を続けました。
私たちは、今まさにベツレヘムの町を分断しているイスラエルによる醜悪なコンク リート造りのアパルトヘイトの壁(でも、これはまた別の話です)の隙間をすり抜け ました。検問所に近づいたので、私たちは互いに腕を組み隊列を整えました。
何が起きたのか兵士たちが気がつく前に、私たちが検問所のすぐそばまで来たので、 彼らはびっくりしたようでした。
私たちが検問所に誰もいないかのように歩き続けたので、彼らはもっとびっくりした のです。
「気にするな。我々はお祈りのためにエルサレムに行くのだ」と、兵士が近づいて来 たので、デモ隊のひとりが叫びました。
兵士たちは、急いで私たちの前に急場しのぎの人間の障壁を急いで組もうとしまし た。私たちは、彼らが引き下がるべく前進し続けました。
私たちがゆっくりと前進していると、指揮官がやって来て責任者と話すことを要求し ました。彼がそうしていると、軍のジープが道の先を塞ぐために走り回り、近くの警 備駐屯地からさらに増援隊が招集されるのが見受けられました。
デモ隊は整然としていました。隊列は止まり、ベツレヘム地域のリーダーで、年長で 威厳のある銀髪のガッサン博士が、おだやかに指揮官に語りかけました。
「私たちは、シュロの主日の祈りをしにエルサレムにちょっと出掛けて行くところで す。当然の権利として」と、彼は指揮官に語りました。
「私たちは、祈るためにエルサレムに行きたいのです。エルサレムで祈るために行く 権利を私たちは持っています」
増援隊は迅速にやって来ました。彼らは私たちのやり方を真似て腕を組み、そして押 し、小突きました。「暴力はやめて下さい」という叫びが群衆から起こりました。
双方がにらみ合いました。エルサレムで祈りたい素手のパレスチナ人および外国人の 集団と、それを通させまいと黒光りするM-16突撃銃とピストルをかかえた10数人ほど の10代のイスラエル兵とが向き合って。それは対決でした。
ただ一つ違うのは、私たちが力強く確信を持って耐えていたことでした。
私たちの前にいるイスラエル占領軍の若い男女の兵士は、大きな自動小銃をかかえて いるのに、ためらいがちで緊張していました。
群衆の中のさまざまな人たちが、兵士たちに言いました。「行ってお祈りがしたいん です。今日は私たちにとっての聖なる日なのです。お願いです、行きたいのです」
ガッサン博士は兵士たちに語りかけました。「イスラエルのユダヤ人には、ベツレヘ ムに行きラケルの墓で祈りをささげる権利を与えている。わたしたちもエルサレムに 行って祈る同様の権利を持っていると思う。
「この人たちは、人間としての権利――モスクや教会で祈る権利――を求めている穏 やかな人たちなのだ。諸君はラケルの墓で祈りをささげようとしてやって来るユダヤ 人に、許可をもらっているかと訊くのか?
「これは違法であって、世界が注目しているのだ」
兵士たちは居心地悪そうにもぞもぞし、腕組みを強めました。少しも動くなと命じら れていて、デモ隊員は語り掛ける否応なしの聞き手を得たので……
「君たちはここにいる必要はない、家族のところに帰ればいい」誰かが言いました。
「ここにいるべきではないことは分かっているよな。ここにいたくないよな。君たち はいる場所を間違えているのだ。
「平和を守れ。自分たちの聖所で祈りをささげる人々の権利を守れ。私たちの隊列に 加わればいいんだ。
「君たちが祈りをささげる権利を、誰かが拒んでいるか? 誰かに祈ってはならない と言われたら、どう思うか?
「私たちをエルサレムに行かせるなら、君たちのためにも祈るぞ!」
デモ隊員たちは、兵士たちにメッセージを手渡そうとしましたが、彼らはそれを拒 み、質問にも答えませんでした。
「私たちと話すなと命令されているのか?」と、ガッサン博士は訊きました。
「人々はただ命令に従うばかりではないのだ。時には自分たちの意志に忠実になる。 君たちにも善意があるはずだ。民主主義の中で生きているなら、君たちには話す権利 がある」
隊列の端にいた首から銀の十字架を下げた上品なパレスチナ人女性が、大きなシュロ の束をしっかりとかかげていました。彼女も若い女性兵士たちの前に立って話そうと していました。
兵士たちの隊列の背後では、増援隊が到着し、作戦をどうするか仲間うちで話し合い 始めました。
頑丈そうな自動小銃がハンドバッグのように、彼らの肩からぶらさっがっていまし た。
ガッサン博士は、もう少し司令官と話したあとで、群衆に伝えました。「ベツレヘム に戻れと、彼らは要求している。暴力を使うぞと脅している。私たちと、許可なしに ラケルの墓に祈りをささげるために来るイスラエルのユダヤ人との間に、違いがある と認めることを拒否している。
「彼らは、この差別的な方針を自慢している。私が、それは人種差別だと言うと、見 ての通りでそうなるだけだ。これがやり方で、お前らはそれを甘んじて受け入れろ、 と言った」
「彼らは、私たちを阻止しベツレヘムに押し戻そうとしている。解散するか暴力を使 われるかを選べ、と言っている。
「しかし、私たちは衝突に興味はない。ここで暴力ざたを起こしたくはない。
「あの連中は暴力を使いたがっているが、私たちはそうしたくない」
差し当たり、デモ隊は道路で座り込んで穏やかに兵士たちを無視することにしまし た。そして、歌い出したのです。
「ウイ・シャル・オバーカム」の旋律を用いた活気ある歌で、デモの主目的がさらに 強固になりました。「平和に歩こう。いつの日かエルサレムで祈るのだ。いつの日か 正義と平和と愛が。いつの日か」 それから陽気なパレスチナの歌に、手拍子と詠唱 が続きました。
15分ほどの歌いと、力ずくでデモ隊を排除するとのさらなる兵士たちの脅しがあった 後で、一人のパレスチナ人男性が立ち上がって兵士たちに声明を読み上げました。
「私たちの民衆からのメッセージを持ってきました」と言って読み始めました。
アッサラーム アライクム(あなたたちに平和があるように)
我々ベツレヘムの住民は、今日民衆を代表してメッセージを携えてここに来ている。 我々は、今やベツレヘムを青空監獄に造り替えているこのコンクリートの壁と鉄条網 に捉えられている家族と友人たちを代表している。あなたがたは獄吏のように、この 聖地で尊厳ある人間として生きる我々の自由と能力を規制している。
我々勇気ある市民の代表団は、武器を持たず優れた強さと責務をもって公正な平和の メッセージを伝えるためにやって来ている。あなたたちは治安という名目で、旅行す ること、仕事に行くこと、学校に通うこと、エルサレム市にある我々の聖所で礼拝す ることを許可しない。あなたたちの政府は、日々我々から自決権という基本的人権を 奪っている。あなたたちは、毎日家族が結婚式や葬式や卒業式や宗教的祝日に出席で きないようにしている。アル・クーズ(エルサレム)は、ベツレヘムからたった20分 の所なのに、我々の聖所で祈りをささげたり礼拝することを我々に許してこなかっ た。
あなたたちが毎日私たちの町にやって来ては、組織的な暴力を使って我々の仲間を投 獄し、また当然の人間としての生活を営む能力を妨げている。銃と戦車と侮辱で、あ なたたちは私たちの子供に憎むことを教えている。
しかしながら、あなたたちそれぞれがこの物語に違った結末を選ぶ力と選択権を持っ ていると、我々は信じている。我々は、個々人としてまたこの組織から逃れられない と感じている兵士としての、あなたたちの良心と人間性に訴える。銃を捨てて、平和 と自由のための我々の戦いに加われ。
ベツレヘムの住民たちより
「これが、あなたたちへの我々からのメッセージだ」と、この人は結びました。喝采 と感動、そして失望が群衆に一斉に起こりました。
「今は引き上げるけれど、帰ってくるぞ。物語はこれで終わらないのだ」
あの上品なパレスチナ人の女性は、自分のシュロの枝を兵士たちに手渡し始めまし た。が受け取らなかったので、彼らの軍靴のそばにそっと並べました。
「これは、あなたがたのため、シュロの主日のためよ」涙声で彼女は言いました。
「これはとっても清いのよ、この地を清め続けるもので……」その声は高ぶりでふる えていましたが、語り続けました。
「少なくとも、私たちはここを清いままにするためにいくばくかのシュロを持ってい るの、ベツレヘムとエルサレムを聖地のままにするために……
群衆が解散すると、兵士たちは当惑し、ある者は動揺したようでした。
武器を持たない群衆、祈ることを求めて祈ったり歌たったりの人々は、機関銃を手に 当惑し落ち着きなく不安げな兵士たちを後にしました。
「君たちは暴力を選んだが、我々は平和を選んだ」と、ガッサン博士は言いました。
「しかし、我々は戻って来る」
私は清めることを求めるあのパレスチナ人女性と悲しみを共にしながら町に向うと き、小さな町ベツレヘムの断腸の思いを感じました。そして、ここで生まれ、ロバに またがった聖なる方に、わたしたち皆を助けて下さい、と祈ったのでした。
皆さんの巡礼者
ドナより
追伸:以下のサイトで、シュロの主日のデモの写真をご覧いただけます。 www.donnainpalestine.photosite.com
追追伸:「Pooped」とは、オーストラリアの日常会話で疲れたことを言います。もし かして、戸惑われた方もあるかと思って。 [訳注:訳文中「ヘトヘト」になる、と訳した部分に使われている語。動物などが 「糞をする」の意味もある]
追追追伸:ギリシャ正教会の会員がいらしたら、ご自分の教会首脳にこれ以上パレス チナ人の土地――教会のために人々が献げた土地――を、パレスチナ人の東エルサレ ム地区を占領しようとしているユダヤ人の利益のために売ることがないよう、書面で 頼んで下さい。彼らにはそんなことをする権利はありませんし、当地のパレスチナ人 の信徒たちもよい印象を持っていません。
追追追追伸:弟子たちは、ロバと子ロバを引いて来て、その上に服をかけると、イエ スはそれにお乗りになった。大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は 木の枝を切って道に敷いた。そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫ん だ。「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に祝福があるように。いと高 きところにホサナ。」イエスがエルサレムに入られると、都中の者が「いったい、こ れはどういう人だ」と言って騒いだ。そこで群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレ から出た預言者イエスだ」と言った。――マタイによる福音書21章6-11(新共 同訳による)
(翻訳:福永克紀+協力:岸本和世)
原文:Palm Sunday – freedom denied URL: http://groups.yahoo.com/group/ThePilgrim/message/155