DATE: 2005年4月25日(月) 午前9時52分
政府の嘘には慣れている。でもこれは危険な嘘。許せない。
戦火の中のバグダード、停電の合間をぬって書きつがれる24歳の 女性の日記『リバーベンド・ブログ』。イラクのふつうの人の暮らし、 女性としての思い・・・といっても、家宅捜索、爆撃、爆発、誘拐、 検問が日常、女性は外を出ることもできず、職はなくガソリンの行列 と水汲みにあけくれる毎日。「イラクのアンネ」として世界中で読ま れています。すぐ傍らに、リバーベンドの笑い、怒り、涙、ため息が 感じられるようなこの日記、ぜひ読んでください。(この記事は、T UPとリバーベンド・プロジェクトの連携によるものです)。 (転載転送大歓迎です)
(TUP/リバーベンド・プロジェクト:池田真里) http://www.geocities.jp/riverbendblog/
2005年4月18日月曜日
いいニュースと悪いニュース・・・
まず悪いニュースから。勇気ある若い女性マーラ・ルジカがバグダード空 港へ向かう途中で殺された。マーラの活動と関わった人々のことはここにあ る。 http://www.civicworldwide.org/ (訳注:マーラ・ルジカはアメリカ、カリフォルニア州の小さな町レイクポ ートで育った。アフガニスタンやイラクで家々を一軒ずつ訪ねて一般市民の 戦争犠牲者の実態調査を行い、米議会を動かして被害者のための補償制度を 勝ち取った。4月16日イラクで乗っていた車が爆破され死亡、28歳だっ た。上記サイトはマーラが作った戦争で犠牲になった一般市民のための組織 CIVICのサイト) もっと深くマーラを知りたい人はここを読んで。 http://justinalexander.net/ (訳注:バグダードで占領監視活動をしてい た26歳のイギリス人女性のサイト。マーラの死の数日後イラクを去る。マ ーラのことが書かれているのは、4月19日付けMarla’s Memorial) http://raedinthemiddle.blogspot.com/ (訳注:マーラと、市民犠牲者 の実態調査をしているラエドのサイト。マーラについては、4月17日の項 に書かれている)
いいニュース。イラクの一般市民のための緊急援助物資がさらにもう一便、 発送された。この活動はラエドたち家族が始め、すべて家族でやっている。 ラエドのブログには、寄付をした人すべての名前(イニシアル)と積み上げ られた援助物資の箱などのたくさんの写真、それにスキャナーで読みとった レシートがきちんと記録されている。 http://raedinthemiddle.blogspot.com/ (訳注:このサイトの4月14日 の項。第一期の活動として3回に分けて援助物資が発送され、これをもって まずは第一期を終了したと述べられ、収支、寄付者リストなど詳しく報告さ れている。活動開始後6カ月間に寄付総額18343ドル、うち17783 ドルが支出され残金560ドルは第二期の活動に回される。リストにはリバ ーベンド・プロジェクトから送られた寄付2900ドルも載っている。下記 で日本語で読めます。 http://teanotwar.blogtribe.org/entry-46789b1ff03d92c1f9593e66bcc92d53. html)
この活動を支えているすばらしい人々のうち何人かの名前をあげる。
ラエドとイラン人女性のニキ http://raedandtheirani.blogspot.com/ ラエドの弟ハリド http://raedandtheirani.blogspot.com/ もう一人の弟マジード http://me-vs-myself.blogspot.com/ ラエドたちのお母さんファイザ http://afamilyinbaghdad.blogspot.com/
午後1時17分 リバー
人質危機・・・
きっとおおぜいの人がイラクで目下進行中の事態に注目していることでし ょうね。シーア派数十人がマダインという町でスンニ派暴徒に人質にされた という事件のこと。http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/4452093.stm
このことを初めて知ったのは数日前だった。テレビ局アル・アラビヤの字 幕ニュースで流れた。字幕でははっきりしたことはわからなかった。大体こ んなことだった。「イラクのある町でスンニ派ゲリラが60人を人質に捕り、 シーア派が一人残らず町を出ていかなければ人質を殺すと言っている」 ニ ュースでは町の名前も、ゲリラが何と名乗っているかも、事件の経緯につい てさえ何も明らかにされなかった。
詳しい情報を期待してニュースチャンネルを見つめていた。字幕を読んだ とき心配で気持ちが重く沈んだことを思い出す。あれこれチャンネルを回し たあげくにインターネットで調べてみることにした。ヤフーで見つけたのは 同じようにあいまいなニュースだったが、もう少し詳しいことがわかった。 町の名は、バグダード南方のマダイン、人質事件を通報したのはあるシーア 派の著名な政治家だということ。
その時点でテレビのニュース局はまだ詳細を伝えていなかった。人質事件の 報道を続けていたのは、アル・アラビアとアル・イラキヤの2局だけ。だが、 伝えられる人質の数は増えた。マダインのシーア派人質は150人となり、 イラク国家警備隊と米軍が町を包囲していつでも急襲できる態勢を敷いてい た。
マダインはスンニ派とシーア派の町で、遠い昔から争うことなく共に暮ら してきた。マダインは、住民は一帯の部族の出身で、たとえ深いつき合いは ないにしても名前くらいはお互い知っているという町の一つだ。町で有力な 部族は、スンニ派とシーア派が混じり合っている。住民間の争いごとは、宗 教的なものというより部族や家族の問題から起こる。
多勢のスンニ派ゲリラが町を襲い、女性や子どもを含む60人から150 人の人質をとったなんて異常で恐ろしい話だったが、噂が広まってから2日 目には、何やら疑わしいものになっていた。
バグダードでは本気にされなかった。ほとんどの人は手を振ってニュース を否定し、「マダインを攻撃したいだけのことさ」と言うのだった。スンニ ・トライアングルの一角で、これまで1年間アメリカが手を焼いてきた町な のだ。多くの攻撃がこの町が拠点だといって報道された。しかしファルージ ャ、サマラ、モスルとは事情が違っていた。マダインの住民の半分はシーア 派だったからだ。攻撃しようにも簡単ではなかったし、理屈も立たなかった。
現にきのうはマダインから来たシーア派のデモ参加者たちが、噂は真実で なく町は平穏で、急襲や家宅捜査の必要はまったくないと訴えていた。
この数日間、イラク政権当局はテレビに出ては人質事件は「制圧され」、 事態は収拾に向かっていると述べ立てていた。収拾すべきものなど何もない ことは明らかであるのに。人質についての情報はまったくなかった。当事者 たる多数のシーア派の住民からさえも。2,3人が誘拐されたということは あり得るだろうが、スンニ派ゲリラがシーア派を追い出すという話と結びつ けようがないと言う人もいた。
さて、AP電はこう述べている。
「マダインをめぐる混乱は、民族、宗派間の溝が深く、暴力の恐怖が日常 であるような国にあっては噂がいかに速く広がるかということを示している。」
http://news.yahoo.com/newstmpl=story&cid=540&u=/ap/20050418/ap_on_re_mi_ ea/iraq&printer=1
えー、違うわ。そうじゃない。そもそも事件は噂として始まったのでは ない。噂は現実の人間を通してもたらされるものだ。灯油配達人がばらまく 、隣人から聞く、配給所の人が広めるというふうに。この事件がある情報源 から発信されたことは、はっきりしている。ニュース速報として現れ、「匿 名を希望するイラク人シーア派高官」からの情報とされた。この高官は、自 分が報道機関に伝えた噂の責任をとらなければならないだろう。
そしてまた、
「シーア派指導者と政府高官は当初35人から100人が人質となっている と考えていた。しかし、住民は、人質が捕られたという形跡は何もないとい う人々もいて、その説に異議を唱えていた。」
私たちは、新任の政府高官や報道担当官の多くがぬけぬけと嘘をついてい るのを知っている。治安や復興や民主主義について嘘をついたってかまわな い。もう慣れてしまった。家族の団らんや電話で冗談にして笑うのみ。しか し、スンニ派とシーア派の人質事件のような深刻なことがらについて嘘をつ くのは、まったく次元が違う。許しがたいことだし、このたびの危機をめぐ ってスンニ派とシーア派が武力衝突する可能性はほとんどなかったとはいえ、 それでもひじょうに不安な事態であった。また宗派間の抗争に火をつけたい 者たちにとっては絶好の機会だった。
我がイラク政府は、「いうことをきかない」で一般市民犠牲者や強制家宅 捜索といった日常のニュースを報道し続けるといって、テレビのニュース局 や新聞の活動を禁止するような政府だ。にもかかわらず操り人形たちは臆面 もなくこのように危険な噂を報道機関にまき散らしている。
午後1時6分 リバー
(翻訳:TUP/リバーベンド・プロジェクト:池田真里)