TUP BULLETIN

速報493号 ドナからの手紙 5月4日 マーラ・ルジカを悼む 050511

投稿日 2005年5月11日

DATE: 2005年5月11日(水) 午前10時54分

マーラ・ルジカ。人道活動家。76年12月31日生まれ。05年4月16日イラクで死亡。


2004年4月イラクで、米軍包囲下のファルージャに人道救援活動のために入り、そ の 帰路、地元のレジスタンスによる拘束を経験したオーストラリア人女性ドナ・マルハ ー ンは、イラクからパレスチナへと5箇月におよぶ巡礼の旅を終えて母国オーストラリ ア に帰国しました。母国からの最初の報告は、2005年4月16日にバグダッドで死亡した 彼 女の友人マーラ・ルジカのことです。カリフォルニア出身のアメリカ人女性マーラは 、 CIVIC(戦闘の罪なき犠牲者キャンペーン)という組織を立ち上げ、アフガニス タ ンやイラクを駆け巡り、戦争被害者の家を一軒ずつ訪ね民間人犠牲者の記録をとり、 米 議会を動かし被害者補償の予算をつけさせ、そのためにも人を集めパーティを開き、 心 傷ついたドナ・マルハーンをなぐさめ、犠牲者の子供たちを訪ねてまわり、そして、 そ の途中バグダッドで自爆攻撃に巻き込まれ28歳で死亡しました。ドナからマーラへの 葬 送のメッセージです。 (翻訳:福永克紀/TUP)


ドナ・マルハーン アメリカの英雄――マーラへの追悼 2005年5月4日

お友達の皆さんへ

昨夜、米兵の遺体がイラクから母国に送還され、あたかも英雄のごとく迎え入れられ て いるのを見ながら、私はマーラのことを考えていました。

この美しい28歳のアメリカ人女性が、イラクで悲劇的な死を迎えてからすでに数週間 が たちます。その時私はヨルダンにいて、追悼の辞を書き送りたかったのですが、まと も な文章も書けないほどうろたえている自分に気づきました。いずれにしても、メディ ア がそれを書くだろうし、私が何か言っても誰かの言葉の繰り返しになってしまうだろ う と考えたのです。

しかし、およそ2週間前にオーストラリアに帰ってみると、多くの人がマーラのこと を 聞いたこともなければ、彼女の人生や死亡について何も知らないというのです。彼女 の 話は、誰かが語り、栄誉を与え、褒め称えなければなりません。

私が最初にマーラ・ルジカに会ったのは2003年4月で、私が「人間の盾」の活動をし て いる頃でした。ちょうどイラクを出国して、バグダッド爆撃の大混乱から隣国ヨルダ ン の安全な首都アンマンに移ったばかりの時でした。

私たち数人は、国際メディアが大挙している豪華なアンマンホテルで記者から取材を 受 けていました。

マーラもまたその場にいたのですが、彼女を見逃すことなどありえなかったでしょう ――魅力的な元気のいい女の子が、イラクに行き一般市民の死傷者の記録をとり、こ の 戦争の犠牲者に補償を求めるキャンペーンを始めるつもりだとメディアに説明してい た のです。彼女が私にくれた文章で、彼女が設立したCIVIC(戦闘の罪なき犠牲者 キャンペーン)の目標をまとめ書きしたものを、私はいまだに持っています。彼女の 行 動力と決断力には感銘したものです。

私たちは話し合い、即座に意気投合しました。彼女の人格はその顔によく表れていま し た――明るくて、開けっぴろげで、活発で。いつもにこにこ顔をしている金髪の小柄 な 女の子でした――典型的なカリフォルニアン・ガールと決めつけられかねなかったの に、彼女にはそれ以上の何かがあったのです。若い頃から他人を助けるべきだとの深 い 確信をいだき、それが彼女をニカラグア、ジンバブエ、パレスチナ、アフガニスタン な ど、世界中へと導いたのです。

その日アンマンで、マーラは得意なことをして有名になりました――パーティを開く こ とです。

どこであれマーラがいれば、人々を集め人生を謳歌させていたように思います。

バグダッドを離れて24時間もたっていない私は、他人と普通に付き合うのを恐れてい ま した。しかし、彼女が私の肩に優しく手をかけ、だいじょうぶだと言ってくれたので す。

まったくもって、私が思っていたとおりパーティはとてもつらくて、うまく人と交わ ろ うと努力したものの、私は会場を去らなければなりませんでした。私のトラウマを察 知 した彼女は、ただ優しく私を抱きしめてくれました。彼女の裏腹のない温かさが、イ ラ クで荒涼とした時を過ごした私の心を打ち、慰めてくれました。私たちはその後も連 絡 を取り合い、私は彼女の偉大な仕事の経過を追い続けていたのです。

次に会ったのは、私が2回目にバグダッドへ旅した時でした。私たちはどちらも、独 立 系の援助支援者やレポーターたちの小集団がたまり場とするところに顔をだしていた の です。始めて会ったとき以来、彼女はイラク中の民間人死亡者数を記録し、米国政府 が それを認めることを要求してその家族たちへの基金を出させ、すごい仕事を成し遂げ て きていました。

それに、やっぱり彼女はパーティを催していたのです!

マーラが怒っているのを見たことはありませんでした。彼女も、私たち他の者と同様 に 身の回りに見えることで挫折感を味わっていたにもかかわらず、だれの中にもあるい い ものを見つけ、人生を賛美しようと努力することを惜しみませんでした。

マーラは、バグダッドの通りを移動中に爆弾の衝撃で殺されました。その夜は、ホテ ル で開かれるパーティに行くはずでした――当然、彼女が主催するパーティに。1週間 後 にはバグダッドを出発するはずだったのです。

マーラは罪なき犠牲者を記憶する仕事をしてきました。彼女も今やその一人になって し まいました。

ジョージ・W・ブッシュがマーラをアメリカの英雄と考えるかどうか分かりませんが 、 私はそうだと思います。

いま現在、マーラは、私たちが人間の命の価値を、すべての人間の価値を記憶するこ と を望むでしょう。私たちがマーラのことを思うとき、マーラは私たちが戦争による下 劣 な大混乱で殺された人々の命を思うことを望むでしょう。

マーラは自分の国からイラクに、命と尊厳と正義に焦点をあてた明るいエネルギーを も たらしました。暗闇に光をもたらしたのです。非人道に、有り余る人道で応えたので す。

親愛なるマーラ、光の天使、平和の使者、武器なき英雄、安らかにお眠りください― ― ああ、そう、パーティを満喫してください!

皆さんの巡礼者 ドナより

追伸:マーラの仕事とそれを継続させる手助けの方法は、CIVICのウェブサイト

www.civicworldwide.org で。イラクでの民間人の死亡問題に関して、その他のウェ ブ サイトには以下のものがあります。 http://www.globalexchange.org http://www.codepinkalert.org  http://www.occupationwatch.org [訳注:すべて英語]

追追伸:現在はシドニーに戻っていますが、中東生活5箇月のあと、今カルチャー ショックから立ち直ろうとしているところです! 今後数ヶ月は書き物をしてすごす つ もりですが、あちこちで少しばかり講演します。以下のものです。

5月13日金曜日 シドニー 午後6時〜7:45 酒場の政治談議 「パレスチナ―― 行 程表の裏に隠れた行程」:サリー・ヒルズ デヴォンシャー通り64 ゲーリック・ク ラ ブ

5月15日日曜日 シドニー 午後3時〜6 フォーラム「シドニーからバグダッドへ 、 バグダッドからエルサレムへ」:フェアフィールド・ハイツ スタンブルック通り52 - 54 アッシリアン・スポーツアンドカルチャークラブ 主催:オーストラリアン・イ ラ ク・ハウス(シドニーのイラク人団体) 電話番号:XXXX[訳注:番号省略]

5月19日木曜日 シドニー大学平和グループ シドニー大

6月5日日曜日 ブリスベン  正午〜4時 「パレスチナのための平和ピクニック 」  スヴォボダ・パーク ビーンリー・ロードとスティラー・ドライブの角、クラビー ・ コミュニティー・ホール

追追追伸:講演会をおこないたいかた、最新情報を知りたいかたはXXXX[訳注: 番 号省略]にお電話ください。

追追追追伸:「人々のために物事をよくすることができる仕事についているってこと ?  それって、最高の喜びだと思うの。他にしたいことなど何もないわよ」――マーラ ・ ルジカ

(翻訳:TUP/福永克紀)

原文:Tribute to Marla – American hero URL: http://groups.yahoo.com/group/ThePilgrim/message/158