FROM: minami hisashi
DATE: 2005年5月29日(日) 午後6時26分
☆人生の門出に、頭を高くあげて……★
本稿は、アメリカ南部ジョージア州アトランタの黒人大学、スペルマン・カ
レッジにおいて、民衆史研究者ハワード・ジンが卒業生たちを祝福する講演で
すが、トム・エンゲルハートも言うように、平和と公正を希求するすべての人
びとを励ます言葉になっています。 井上
凡例: (原注)[訳注]〈ルビ〉[*リンク]
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トムグラム: ハワード・ジン、卒業生たちを祝福する
トム・ディスパッチ 2005年5月24日
編集者トム・エンゲルハートによるまえがき
5月の麗しい一日だ。降りそそぐ陽光、北へと渡る鳥たち、今シーズン最初
のユリの開花――まったくひどいことばかりどっさりある世界ながら、すべて
善しと想える昼下がり、学生たちは卒業式に集う。この人たちは、2001年
9月11日、一機めのハイジャック機が世界貿易センターの北塔に突っ込んだ
瞬間から数週間も経たないうちに、あるいはひょっとすると数日、それどころ
か数時間も経たないうちに大学生活のスタートをきった学生たちだ。彼・彼女
らは、自分たちに用意されているのは何だろうと、いささか不安な思いととも
に、不透明な未来と驚異とを覗きこむ権利を――この時代のあらゆる階層の人
びとにも増して――たしかに持っている。自分の落ち度でもないのに、ガッカ
リして当然の権利、ひょっとすると絶望して正当である権利さえも背負ってい
るのだ。
それにしても、卒業式の講演者が演壇に歩み寄るとき、太陽は明るく輝き、
世界は改まったと想ってもいい――私たち全員、学業を修めた学生たちに加え
て、その他の私たちも、老いも若きも等しく9・11学級のクラスメートであ
り、卒業する権利を持っているのではなかろうか?
だから皆さん、全員着席、脱帽のうえ、照りつける陽光の心暖まる熱気を感
じ、ハワード・ジンが、スペルマン・カレッジ学生たちへのはなむけに、ガッ
カリするのではなく、絶望するのではなく、頭を高くあげて世界に参画し、ひ
とりひとりが彼・彼女自身のために――そして他の人たちのために――何がで
きるのかを想ってほしいと語る言葉をじっくり考えてみよう。トム
落胆しても負けずに
――ハワード・ジン
(歴史家ハワード・ジンは、スペルマン・カレッジ[*]歴史学講座の主任を
務めていたが、1963年、公民権運動をとがめられ免職された。本年の同カ
レッジ卒業式に、同氏は講演者として改めて招かれた。本稿は、2005年5
月15日におこなわれた講演の記録である)
http://www.spelman.edu/
42年経ってスペルマンに改めて招かれ、私は心から名誉に思っております。
私を招聘〈しょうへい〉する票決をなされた教授会ならびに理事会の方がたに、
とりわけ学長のビバリー・テータム博士に感謝の意を表明いたします。ディァ
ハン・キャロル、ヴァージニア・デービス・フロイド両氏と同席させていただ
けるのも、格別な恩典であります。
しかし、今日は皆さん――本日、卒業される学生の皆さん――の日です。皆
さん、ならびにご家族の方がたにとって、喜ばしい日です。皆さんには未来に
対するそれぞれの希望を抱いておられると存じておりますので、私が皆さんに
何を望むと口にするのも、おこがましいかぎりですが、私が皆さんに望むもの
は、私の孫たちに望むのとまったく同じものなのです。
私のひとつめの望みは、皆さんが今この瞬間の世界のありさまを見ても、落
胆なされぬようにということです。わが国は戦争をしております――戦争に次
ぐ戦争、またもや戦争です――しかも、わが国政府は、何千、何万もの人びと
の生命を犠牲にしようとも、その帝国を拡大すると決意しているようですので、
落胆するのは簡単です。この国には貧困があります。ホームレスがいます。医
療を保証されない人びとがいます。教室は詰めこみ過ぎです。使える金が何兆
ドルとありながら、私たちの政府はその富を戦争に使っています。アフリカ、
アジア、ラテンアメリカ、中東に、マラリア、結核、AIDS[後天性免疫不
全症候群]に対処するために清潔な水と医薬品が必要な10億の人びとがいま
すが、わたしたちの政府は、何千発もの核兵器を保有しながら、さらに危険な
核兵器を実験しております。そうです、どれひとつとっても落胆するのは簡単
です。
それでも、たったいま述べた事態にかかわらず、皆さんが落胆してはならな
いのは何故なのか、私に話させてください。
50年前には、ここアメリカ南部で人種差別が南アフリカのアパルトヘイト
と同じほど堅固に定着しておりました。黒人たちが殴られ、殺され、投票機会
を奪われておりながら、ケネディやジョンソンといったリベラルな大統領が執
務していたのにもかかわらず、連邦政府はあらぬ方を向いていました。そこで
南部の黒人たちは自分たちで何とかしなければならないと決めたのです。彼ら
はボイコットし、座りこみ、ピケを張り、デモをし、そのために殴られ、投獄
され、なかには殺された人たちもいましたが、自由を求める彼らの叫びは、全
米、さらには全世界に聞き届けられ、大統領と連邦議会とは、以前に実施し損
ねたこと――米国憲法修正第14・15条の施行――をついに実現しました。
南部は変化なんてしない、と多くの人たちが言っていました。だが、南部はじ
っさいに変わりました。普通の人たちが組織化し、危険を引き受け、体制に挑
み、諦めようとしなかったので、南部は変わったのです。これこそ、デモクラ
シーが活気づいた瞬間だったのです。
これも皆さんに思い起こしていただきたいのですが、ベトナムで戦争が続い
ていたとき、若いアメリカ人たちが死亡し、麻痺状態で帰国し、私たちの政府
がベトナムの村むらを爆撃――学校と病院を爆撃し、おびただしい数の普通の
人びとを殺害――していたとき、戦争を止めようとしても無益であるとしか思
えない様相でした。だが、南部の運動とまったく同じように、人びとが抗議し
はじめ、反戦運動が広がりました。兵士たちが帰還して戦争を糾弾し、若い人
たちが軍隊に入るのを拒否しましたので、戦争は終わるしかなくなりました。
歴史が示す教訓は、皆さんが絶望してはならないということ、皆さんが正し
く、声をあげつづけるなら、状況は変わるということです。政府は国民をだま
そうとするでしょうし、新聞やテレビは政府の言いなりになるでしょうが、真
実が明るみに出る道があります。ひとつの真実は嘘八百に勝ります。皆さんは
現実的に行動しなければならない――仕事を見つけ、結婚し、子どもをもうけ
なければならない――と私にも分かっております。皆さんは裕福になり、私た
ちの社会が成功を定義するやりかたに従って、富と地位と名声とによって一人
前と見なされることでしょう。しかし、それだけでは、よい人生と言うにはじ
ゅうぶんでありません。
トルストイの小説『イワン・イリイチの死』を思い起こしてみましょう。死
の床にある人物が、何もかも正しくやった、ルールを守り、判事になり、結婚
し、子どもを持ち、立身出世して尊敬されたと自分の人生を振り返ります。そ
れでも今際の時になって、どうして失敗した気分になるのだろうと彼はいぶか
ります。トルストイ自身、小説家として名を遂げたあと、これではまっとうで
きない、ロシアの農奴制に反対して発言しなければならない、戦争と軍国主義
に反対して書かなければならないと決心しました。
私の望みは、皆さんがよい生活を独力で築くために何をなさろうとも――教
師になり、あるいは社会福祉士、あるいは実業家、あるいは法律家、あるいは
詩人、はたまた科学者になられようとも――皆さんの子どもたちのため、すべ
ての子どもたちのため、この世界をより良くするために皆さんの生活の一部を
捧げていただくことなのです。私の望みは、皆さんの世代が戦争の終結を要求
なさること、皆さんの世代が歴史上でいまだになされていない何かをなし、私
たちをこの地球上の他の人間たちから隔てている国境を消し去ることなのです。
つい最近、私はニューヨーク・タイムズ第一面で一枚の写真を見ましたが、
これが脳裏を離れません。メキシコに面したアリゾナの南側国境で、ごくあり
ふれたアメリカ人たちが椅子に腰かけています。この人たちは銃をかまえ、国
境を抜けてアメリカに入ろうとするメキシコ人がいないか見張っているのです。
私には、これはゾッとするありさまでした――私たちは、私たちのいわゆる
“文明”の21世紀のただなかにあって、私たちがひとつの世界と見なす存在
を、200の人工的に創出された存在、私たちのいわゆる“国家”に分割し、
越境する者は誰であれ殺すつもりでいると思い知ったのです。
ナショナリズム――国旗、国歌、国境への殺人さえも招くまでにすさまじい
思い入れ――は、人種主義や宗教的嫌悪と並び、私たちの時代の大きな邪悪の
ひとつに数えられないでしょうか? 子どものころから教えこまれ、仕込まれ、
吹きこまれてきたこのような思考方式は、力のある人びとには有益であり、権
力から外れた人びとには命取りであってきました。
ここアメリカで私たちは、わが国は他の国ぐにとは別、世界の例外、比類な
い道義の国であり、文明、自由、デモクラシーを伝えるために他所に領域を拡
大すると信じこむように育てあげられています。だが、皆さんがいくらかでも
歴史を知ると、それは本当でないと分かります。いくらかでも歴史を知ると、
私たちはこの大陸でインディアンたちを虐殺し、メキシコを侵略し、キューバ
に、そしてフィリピンに軍隊を送りこんだと分かります。私たちはおびただし
い数の人びとを殺しながら、デモクラシーや自由は伝えませんでした。私たち
がベトナムに行ったのは、デモクラシーを伝えるためではありませんでした。
パナマを侵略したのは、麻薬密輸を抑えるためではありませんでした。アフガ
ニスタンとイラクを侵略したのは、テロを抑えるためではありませんでした。
私たちの狙いは、世界史に登場する他のすべての帝国の狙い――企業のさらな
る利益、政治家のさらなる権力――だったのです。
私たちの仲間の詩人たちや芸術家たちは、ナショナリズムの病理について、
より明晰な理解を備えているようです。アメリカの“自由”や“デモクラ
シー”といった徳目を言いたてても、おそらく、ことさらに黒人の詩人たちは、
同胞たちがそんなものをほとんど享受してこなかったので、より覚めた目で見
ています。アフリカ系アメリカ人の偉大な詩人、ラングストン・ヒューズは自
国に対し次のように語りかけました――
お前はそれほど長く童貞だったのではない。
ご託をならべても、ばかばかしい……
お前は軍服を着たまま
相手かまわず強大国と添い寝して、
ちびの茶色い連中の皆から
甘い生活を召し上げた……
世界の強大バンパイア族の一員でありながら、
日本、そしてイギリス、そしてフランス、
その他すべての権力の色狂いのように、
正体を明かし、告白しないのは、どうしてだ。
私は第二次世界大戦時の帰還兵です。これは「正しい戦争」と考えられてい
ましたが、戦争は基本的な問題をなにひとつ解消しないし、さらなる戦争を招
くだけであると私は結論しました。戦争は兵士たちの心を汚し、彼らを殺人と
拷問に導き、国の魂を汚します。
私の望みは、皆さんの世代が戦争のない世界で皆さんの子どもたちが育てら
れることを要求なさることなのです。私たちがすべての国の人びとは兄弟姉妹
であると考えられている世界を願うなら、世界中の子どもたちは私たちの子ど
もであると考えられるなら、その時、戦争――常に子どもたちが死傷者数の最
大の割合を占める戦争――は、問題を解決する手段として受容できなくなりま
す。
私は、1956年から63年までの7年間、スペルマン・カレッジの教授で
した。当時、友人になった人たちは近年になっても私たちの友人のままですの
で、あれは心温まる時期でした。私は、妻ロスリン、子どもふたりとともに構
内で暮らしておりました。町に出かけますと、時どき白人たちが質問しました
――黒人社会で暮らすのは、どんな具合ですか? 説明するのは、いわく言い
がたしでした。だが、私たちはこれだけは知っていました――アトランタの街
中で、私たちは外国の領地にいるように感じ、スペルマンの構内に帰ってくる
と、家で寛いでいる気分になりました。
スペルマンにいたあの歳月は、私の人生の最もエキサイティングな、たしか
に最も教えられることの多かった時期でした。学生たちが私から学んだよりも
多くのことを、私は学生たちから学びました。当時は南部において人種差別に
反対する大きな運動が盛んだった時代であり、私自身、アトランタで、ジョー
ジア州アルバニーで、アラバマ州セルマで、ミシシッピ州ハッティズバーグで、
またグリーンウッドとイッタベーナとジャクソンとで、その運動に関与してい
ました。デモクラシーについて何がしかを私は学びました。デモクラシーは、
高所から、政府によってもたらされるものではなく、連帯し、公正を求めて闘
う人びとによってもたらされるものなのです。私は人種について学びました。
私は、いやしくも知性ある人はある時点で理解すること――ナショナリズムが
人工的な代物であるのとまったく同じく、人種は造られたもの、人工的なもの
であり、(コーネル・ウェストが書いたように)人種が問題になるとしても、
ある種の人びとが問題にしたがるので問題になるだけであることを学びました。
私は、真に問題になるのは、私たち皆――いわゆる人種がどうであれ、いわゆ
る国籍がどうであれ――人間であり、たがいを尊重することであると学びまし
た。
私はあの時期にスペルマンに居合わせて、私の教え子たち、たいそう上品で、
たいそう物静かだった学生たちが、あるとき急に学園をとびだし、町に繰りだ
し、座りこみ、逮捕されると、釈放されたときには情熱と反逆心に燃えている
という驚嘆すべき変身をとげるのを目撃できましたので幸運でした。皆さんは
ハリー・レフィーヴァーの著作 “Undaunted by the Fight”[『戦って挫け
ず』]でこれについて一部始終を読むことができます。私の学生であり、アト
ランタ座りこみ行動で最初に逮捕されたうちのひとりだったマリアン・ライト
(現在はマリアン・ライト・エーデルマン)が、ある日、構内のわが家を訪れ、
彼女の寄宿舎の掲示板に貼るつもりだったビラを私たちに見せました。ビラの
見出しがスペルマン・カレッジで実現しつつあった変身の典型例を示していま
した。ビラの冒頭にマリアンが書いていたのは、こうでした――「ピケに参加
可能な若い淑女の皆さま、下の欄に署名してください」
私の望みは、私たちの社会が成功を測る尺度の成果を得るだけで、皆さんが
満足なされないこと、規則が間違っているとすれば、皆さんが規則に追随なさ
れないこと、皆さんは内部に勇気を秘められていると私には分かりますので、
皆さんがその勇気を行動で示されることです。すばらしい人たち、黒人であれ
白人であれ、模範になる人たちがいます。私は、コンドリーザ・ライス、ある
いはコリン・パーウェル、あるいはクラレンス・トーマスといった、金持ちで
権力のある人たちの召使いになったアフリカ系アメリカ人たちのことを言って
いるのではありません。私は、W・E・B・デュボイスやマーティン・ルー
サー・キングやマルコムXやマリアン・ライト・エーデルマン、それにジェー
ムス・ボールドウィンやジョセフィーン・ベイカー、はたまた善良な白人たち、
平和と公正を求めて“体制”を無視した人たちのことを言っているのです。
スペルマンの私のもうひとりの学生、マリアンと同様、今にいたるまで私た
ちの友人のままでいてくれているアリス・ウォーカーは、ジョージア州イート
ントンの小作農家の出身ですが、有名な作家になりました。初めて出版した詩
集のうちの一編に、彼女は次のように書きました――
本当だ――
すべての壁を
ただちに
粉砕しようと
試み
白い
(アラバマの)浜辺で
裸のまま
泳ぎたいと
願った
黒く、若い
男のように
大胆な
人たちを
私はいつも愛してきた。
私は皆さんがそれほど遥か遠くまで歩くようにけしかけるつもりはありませ
んが、人種の壁はもちろん、ナショナリズムの壁をも打ち壊すために、皆さん
にできることが何かしらあります。皆さんにできることを実行するのです――
英雄的な何かをする必要はなく、ちょっとした何かをすれば、その何かのすべ
てが歴史のある時点でひとつに集まり、世界をよりよいものにしますので、た
った今、何かしようとしている他の何百万の人びとに加わっていただきたいの
です。
あのすばらしいアフリカ系アメリカ人作家、ゾラ・ニール・ハーストンは、
白人たちが彼女に望んだことをしようとせず、黒人たちが望んだことをしよう
とせず、自分自身であることにこだわりましたが、母親が自分にこう助言した
と語っています――太陽に向かって跳躍しなさい――太陽に届かないかもしれ
ないが、少なくとも地面を離れることはできる。
本日、皆さんはここにいることにより、すでに爪先で立ち、跳躍する準備が
できています。私が皆さんに望むのは、よい人生です。
【筆者】 ハワード・ジン(Howard Zinn)は、最新刊 “Voices of a
People’s History of the United States “(Seven Stories Press)[『アメリ
カ民衆史の声』*]をアンソニー・アーノーブ(Anthony Arnove)と共著。国
際的ベストセラー『民衆のアメリカ史』上下巻、明石書店2005年1月刊。
【原文】 Tomgram: Graduation Day with Howard Zinn
Against Discouragement
posted at TomDispach on May 24, 2005
http://www.tomdispatch.com/index.mhtml?emx=x&pid=2728
Copyright 2005 Howard Zinn TUP速報配信許諾済み
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【翻訳】 井上利男 /TUP