TUP BULLETIN

速報509号 リバーベンドの日記、5月30日、米軍が2004年2 月氏を拘束? 050606

投稿日 2005年6月6日

FROM: minami hisashi
DATE: 2005年6月7日(火) 午前2時06分

「間違い」拘束劇にかきたてられる不安


戦火の中のバグダード、停電の合間をぬって書きつがれる25歳の 女性の日記『リバーベンド・ブログ』。イラクのふつうの人の暮らし、 女性としての思い・・・といっても、家宅捜索、爆撃、爆発、誘拐、 検問が日常、女性は外を出ることもできず、職はなくガソリンの行列 と水汲みにあけくれる毎日。「イラクのアンネ」として世界中で読ま れています。すぐ傍らに、リバーベンドの笑い、怒り、涙、ため息が 感じられるようなこの日記、ぜひ読んでください。(この記事は、T UPとリバーベンド・プロジェクトの連携によるものです)。 (転載転送大歓迎です)

(TUP/リバーベンド・プロジェクト:池田真里) http://www.geocities.jp/riverbendblog/


2005年5月30日月曜日

うわっ・・・

なんてことだろう。

ムフスィン・アブドゥル・ハミードを覚えている? スンニ派では基本的 に唯一、積極的にイラク移行政府に関与しているイラク・イスラム党の党首。 忘れた人のために強調しておくと「アブドゥル・ハミードは2003年に輪 番議長の一人に選ばれました」 http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/3107887.stm (訳注:リンク先は 2003年7月29日のBBCニュース。米主導の暫定占領当局が設置したイラ ク統治評議会が議長を決めることができず、結局シーア派、スンニ派、クルド 人から9人を選んで1カ月毎の輪番制をとることとなったという内容の記事)。 ムフスィンってね、うーん、そうね、つまり「2004年2月氏」よ。

この数日、あちこちで強制家宅捜索や拘束があったことを聞いている。ター ゲットになっている地域のひとつがアミリヤだ。聞いたところによるとイラク 軍が家々を襲っては、15歳から65歳までの男性なら誰でも「容疑者」とし て手当たり次第に拘束し、その上略奪もしているという。米軍が占領後すぐの 何ヵ月か強制家宅捜索を繰り返していた頃のようだ。

今朝起きるとすぐ、「ムフスィン・アブドゥル・ハミードも拘束された」と いう興味深いニュースが飛びこんできた。

http://english.aljazeera.net/NR/exeres/6779B776-EA32-44AC-94AB- 088258872169.ht m

(訳注:米軍が誤って拘束したが、解放する予定という内容のニュース)  前イラク統治評議会つまり9人の操り人形のひとりでもあって、「スンニ派」。 協力を惜しまない見本としてすべてのスンニ派を代表してかつぎ出されている 人物でもある。たしかに彼は宗派としてのスンニ派を代表できる。部族として のスンニ派(おそらくアラブのスンニ派部族をなだめるために)もいれば(つ まりガジ・アル・ヤワルのこと)、さらに宗派としてのスンニ派を代表するム フスィン・アブドゥル・ハミードがいるというわけ。

米側はムフスィンは「拘束されて、インタビューを受けている」と言ってい るが、そう聞けばまるで、彼の車が穏やかに停止を求められ、幾つかの質問を 受けただけのような印象を受ける。実際にあったことは、彼の家が早朝に襲撃 を受け、ドアは打ち破られ、窓も壊されて、彼と3人の息子たちが頭に袋をか ぶせられて引きずり出されたのだ。今日のアラビヤTVに彼の家と妻の写真が映 し出されたが、家はめちゃめちゃだった。家具は壊れ、テーブルはひっくり返 り、本や紙類が散乱している。さっき、数分前のことだが、ムフスィンがテレ ビに出て怒り猛って話していたところでは、軍の要員たちは彼を床に押し倒し、 ひとりのアメリカ人はブーツで20分も彼の首を踏みつけていたという。

タラバーニは腹を立てているようだった。ムフスィンを拘束するなら事前に 自分に一言あってもよかったのではないかと思っているのだ、まるで襲撃や拘 束があるたびに彼に個人的に相談があるべきだとでも言わんばかりに。この拘 束事件は不安をかきたてている。言っておくと私個人としてはムフスィン・ア ブドゥル・ハミードは好きではない。なんだか乾ききったジャガイモみたいだ し、とにかく操り人形なのだから。でもこの拘束は不安をかきたてる。だって もしこれが本当に間違いだったというなら、想像しただけでもいかに沢山の人 たちが「間違い」のせいで不当に拘束されて、アブ・グレイブのような所で痛 めつけられている可能性が多いかがわかる。アブドゥル・ハミードは彼らの側 に立っている人間なのに安全ではなく、襲撃され、辱めを受け、拘束されたの だ。彼はその日のうちに解放されたけれども、ほかのイラク人たちはタラバー ニに憤慨してもらえるわけでもなく、政党がいきり立ってくれるような贅沢は 許されていない。

これはスンニ派へのなんらかのメッセージだったのだろうか? そうだと言 っている人たちもいる。多くの人たちが思っているのは、これはスンニ派に「 お前たちの誰も安全などではないのだ、我々と共に行動しているからといって」 と知らしめるためだったということ。あれが大変な誤解だったとか間違いだっ たとか言われてもそれはとても信じられない。

でも一方では、ある状況が明らかになっていくのを眺めるのは、たとえばだ れかを農場から連れ出してニューヨークの真ん中に立たせ、どう対処するかを 眺めるといった、人を難題に直面させるよくあるテレビ番組を見ているような ものだ。ああいう番組をなんと呼ぶのだったかしら。「だまし打ち?」 ムフ スィンは彼らの敵の立場に置かれてみて、今は襲撃や拘束についてどう感じて いるのかな。

午後11時37分 リバー

(翻訳:リバーベンド・プロジェクト/高橋茅香子)