TUP BULLETIN

速報512号 マーク・ダナー「虚実の間――それであなたはどうするの?」 050614

投稿日 2005年6月13日

FROM: minami hisashi
DATE: 2005年6月14日(火) 午前0時14分

☆トム・ディスパッチの卒業式メッセージ(2)★
先月、アメリカの5月は、卒業式のシーズン。本稿は、トム・ディスパッチ
が贈る卒業式メッセージ・シリーズの第2弾(そして今年度の最終回)です。
チャルマーズ・ジョンソンは、TUPアンソロジー『世界は変えられる』第
2集の序文で「私たちが平和のうちに生きていくチャンスに恵まれるかどうか
は、ひとえに情報に通じた市民たちの民主的な行動にかかっています」と日本
の読者に語りかけました。今回の講演者である歴戦のドキュメンタリー作家、
マーク・ダナーは「世間の人は報告書を読もうともしないので、ラムズフェル
ド長官は全国放映のテレビ記者会見で好き勝手なように言えたのです。そして、
私たちは、[政府の発表、マスメディアなどを]傾聴して信じようとする人た
ちと、読んで、考え、見抜こうと決心している人たちとに分割されることにな
ります」と語り、人生の門出にたった英文学専攻卒業生たち、後者の立場を選
ぶ人たちを激励します。井上

凡例: (原注)、〔脚注〕、[訳注]、[*]=欄外訳注、〈ルビ〉、(*ま
たは数字)または〔*〕=リンク: お願い――リンクURLが複数行にまた
がる場合、全体をコピー&ペーストして移動してください。
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トムグラム: マーク・ダナー「それであなたはどうするの?」
トム・ディスパッチ 2005年5月30日

まえがき
――トム・エンゲルハート

お気の毒だがあなたもその一員、9・11学級の私たち一同が卒業通知を受
け取るのは、たいして期待できそうにもない。1週間前、私なりの卒業祝いと
して、ハワード・ジンがスペルマン・カレッジでおこなった卒業式講演「落胆
しても負けずに」[*]を読んでいただいた。だが私としては――これも私た
ちが生きる厳しい時期のしるし――もっと卒業式の祝砲をぶっぱなし、ご意見
やご忠言の連発の2回目、今度は、5月中旬、カリフォルニア大学バークレー
校、英文学専攻科の卒業式におけるマーク・ダナーの講演を提供しなければ気
が済まない。
[TUP速報505号 ハワード・ジン「落胆しても負けずに」
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/548 ]

ダナーが指摘するように、私たちは、俗世間のできごとが暴露されても――
ブッシュ政権当局者たちのスキャンダル、愚行、犯罪が次から次へと暴露され
ても――別にどうと言うこともない奇妙な土地で暮らしている。あなたもご存
知だろうが、アムネスティ・インターナショナルが年次報告書(*)を刊行し、
アイリーン・カーン事務総長がグアンタナモを「現代の強制収容所」と名指す
といった驚くべき瞬間に私たちは立ち合っている。(「米国は、並ぶもののな
い政治・軍事・経済超大国として、全世界にあまねく統治行動の模範になって
いる。世界最強の大国が法の支配と人権を鼻であしらうなら、他の諸国に悪逆
行為を許す免罪符を与えることになる」とカーンは言う〔2〕。彼女はさらに
続けて言う――「グアンタナモ湾の拘禁施設は私たちの時代のグラーグ[旧ソ
連の矯正労働収容所管理本部]になり、国際法違反の自由裁量による無期限の
強制収容措置を覆い隠している……グアンタナモはソビエトの圧政の記憶を呼
び起こす……21世紀の民主主義国にあって、拷問は許容できると言えば、私
たちは中世に逆戻りだ」)
1. http://web.amnesty.org/report2005/usa-summary-eng
2. http://www.guardian.co.uk/print/0,3858,5201605-110878,00.html

ニューヨーク・タイムズ紙が第一面に並べる記事一覧のミニ見出しが、アム
ネスティの報告の厳しい内容を次のような痛快な一行で要約している――「米、
人権で叱られる」。(同号第一部[*]のずっと奥のページに埋めこまれた記
事本体には、「米国、人権を『鼻であしらう』――アムネスティ報告」〔*〕
という、もっとピッタシな見出しが付いている) ワシントン・ポスト紙は、
さっそく論説で「強制収容所」という言葉遣いを槍玉にあげ、こう嘆いて見せ
る(2)――「安定感のある、信頼のおける公共的な団体が方向を見失い、今
日では政治論争で通用する党派的な喧嘩騒ぎに加わるのを見るのは、つねに悲
しいものだ……」。
[アメリカの新聞は大部であり、「世界」「都市圏」などテーマごとに分冊に
なっている。日本の新聞の元日特別号の感じ]
1. http://www.mindfully.org/Reform/2005/US-Thumbs-Nose26may05.htm
2. http://www.washingtonpost.com/wp-
dyn/content/article/2005/05/25/AR2005052501838.html

プログレス誌編集者のマシュー・ロスチャイルドが最近の記事(「ラムズフ
ェルドとブッシュの刑事免責特権を剥ぎ取る」*)に書いたように、アムネス
ティ米国の政治的に穏健な事務局長、ウィリアム・シュルツがわが国の指導者
たちを告発し、裁判にかけるように他の国ぐにに呼びかけていても、それほど
ビックリするようなことではないのだろうか? 「それに(米国が自国の不正
行為を誠実に調査するのを拒むなら)……そのときこそ、われわれは諸外国政
府に対し、各国政府の責任をまっとうし、紛れもない拷問謀議犯たちを取り調
べるように訴えるだろう」とシュルツは発言した。
http://www.progressive.org/july05/roth0705.php

ロスチャイルドはシュルツの呼びかけを次のように要約する――

「(シュルツは)諸外国の当局者たちに、ブッシュとラムズフェルド、それ
に拷問スキャンダルに関わった政府高官たちを逮捕するように要請した。諸外
国政府は『拷問、すなわち残酷で非人道的な、人間の尊厳を傷つける扱いを含
む尋問手法の開発または実行に関与した米国当局者たちを取り調べる国際法上
の義務をまっとう』すべきである。

「カナダには政府に、またベルギー、チリ、フランス、ドイツ、南アフリカ、
ベネズエラには各国大使館に申し入れをおこない、いくらかおもしろがられは
したが、アムネスティの要請に留意する意向を引き出すことはさっぱりできな
かった。シュルツは挫けていない。諸外国政府がラムズフェルドなりブッシュ
なりを捕縛する可能性は『即座に現実化』することはないと承知のうえで、
『忘れないでおこう。ここにはやってはならないという法律はない』として、
長い目で見ている」

たしかにこれは、ほぼすべてを――ある意味で――知りつくし、それでもど
うしようもないというフラストレーション、それどころか最悪の失態を演じ、
最悪のすさまじい野心を抱き、私たちの世界にあらゆる災いをばらまく連中が、
栄誉(*)、引き立て(2)、顕彰(3)、賞賛を受けるといったことから来
る欲求不満に対する反応である。
1.http://www.medaloffreedom.com/GeorgeTenet.htm
2.
http://www.pbs.org/newshour/extra/features/july-dec04/justice_11-15.html
3. http://www.truthout.org/docs_2005/052805D.shtml

ダナーは、最新刊 “Torture and Truth: America, Abu Ghraib, and the
War on Terror”[『拷問と真実――アメリカ、アブグレイブ、対テロ戦争』]
(*)(主題が主題だけに言うのも悲しいが、すべての図書館になくてはなら
ない書)の著者であり、この欲求不満感に独自の視点から取り組んでいる。本
稿「それであなたはどうするの?」――彼の卒業式講演テキスト――は(今週
発売の)「ニューヨーク書評」誌(2)6月23日号に掲載される。同誌編集
部のご好意により、ここに講演録をオンライン配信できることになった。この
ままでもピッタシの演題だが、こういうタイトルもいいだろう――「(聞くこ
と、見ることが、たいてい信じこむことに直結する嘆かわしい憂き世にあっ
て)読むことと考えること」
1. http://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/1590171527/nationbooks08
2. http://www.nybooks.com/

では諸君、もういちど卒業だ。トム・ディスパッチが卒業式に関わるのは、
当面、これが最後だとお約束する。トム

それであなたはどうするの?
――マーク・ダナー

(本稿は、2005年5月15日、ハースト・ギリシャ劇場で執り行なわれた
カリフォルニア大学バークレー校、英文学専攻科卒業式の講演にもとづく)

私がここでお話しするようにお招きを受けたとき、演題をどうするか、たず
ねられました。私は返事をぐずぐず延ばし、もっと時間をくださいとお願いし、
案の定、締め切りが過ぎてしまいました。私がほんとうに提案したかったタイ
トルは、皆さんが専攻科目を問われたとき、次に何を聞かれるか、皆さんには
経験から分かっている質問「それであなたはどうするの?」、これだったので
す。英文学を専門にすることは、問うことによってだけではなく、問われるこ
とによっても生きることなのです。皆さんの額にクエスチョン・マークをしっ
かりと貼りつけて生きることなのです。少なくとも時おりは「実存的渇き」の
状態のうちに生きることなのです。つまり、ヒューマニスト[人間性研究者]
であることは、ものごとの表面を明確に見て、なおかつ表面の奥を見るだけで
はなく、我が身を論難者の立場、つまり、いかに微妙であっても、めったなこ
とでは社会があなたに投げ出すことを許さない反対者の立場に置くことなので
す。さて、“それで”あなたはどうするのですか?

新卒者に向かって、アメリカの社会は――その低俗でグロテスクな力のあり
ったけをあげて――この質問を雷鳴のように浴びせます。質問を浴びせるのは、
友人たちや親類縁者ですし、たぶんあちこちにおられるご両親でさえも、どち
らか一方はそうです。なぜなら、英文学を専攻する息子さんや娘さんは、はっ
きり言って、親にとって非常に逆説的な存在になるからです。親は子どもを自
分で決定できる人間に育てあげ、子どもが自分で決定できるようにと願います
――そこである日、あれまあ、子どもは自分で決定します。そうなれば、親御
さんは友人たちからの憐れむような同情の目に毎日のように晒されるはめにな
ります――その人たちの子どもは、もちろん、経済学専攻だったり、工学専攻
だったり、あるいは医者の卵だったりするのです――ところが当の親御さんは、
自分の子どもが将来どうなるか、不安に向き合わねばならないのです。

今のご時勢では、英文学専攻に限らず、人文科学の学生であるのは楽ではあ
りません。そのためには、なにごとか決定するさいに、あるいは少なくとも社
会の大勢が要求する“現実的な決定”をするさいに、ある種の決断、そして拒
絶――友人や家族の一部にとって、たいがいの雇い主にとって、はた迷惑な拒
絶――をなさなければなりません。拒絶は決断のひとつの形、つまり――特定
の本を読んだり、特定の詩を学んだり、特定の精神的傾向を身に付け、磨いた
りといった――何かをすることだけでなく、それとは別の何かをなさないこと、
基本的には、いかにして生計を立てるか、その手だてをドタバタ即決しないこ
と、言い換えれば、いかにして自分の在り方を正当化するのか、アリバイを固
めないのも決断です。と言うのも、アメリカ社会の多数派の見解では、実存に
関わる質問はとどのつまり経済問題――「君の職業は? 君の生存を正当化す
る経済的基盤は?」という類――なのです。

英文学専攻をはじめ、気骨のある人文科学の学徒たちは、シェイクスピアや
チョーサーやジョイスやウルフやゾラ・ニール・ハーストン[*]を読むこと
だけでなく、押しつぶすような重圧をものともせず、そのような質問に答える
のを拒絶することをも誉れとします。この人たちは、認識するしないに関わら
ず――知っていても、いなくても――“それ”に関して、自分はどうするとや
がて決めるにしても、道義に関わる想像力を育てるほうが、経済的な自己正当
化に励むよりも重要だと見ています。
[Zora Neale Hurston(1891-1960)=作家、人類学者、民話研究者。
http://www-hsc.usc.edu/~gallaher/hurston/hurston.html]

そのような態度は、この国で特に評判がいいことなんてあったためしがあり
ません。2001年9月11日を境に、いよいよはっきり疑わしいということ
になりました――そして、もちろん皆さんは、あの攻撃の、そして攻撃がもた
らした世界の変貌のほんの数日前に、ここに入学した9・11学級のクラス
メートです。と言うことは、みずからを異義申立て人、人文主義者と明かすこ
とにより、皆さんは、意識していてもいなくても、幸か不幸か、すでにアウト
サイダー(外れ者)を自認する道に何歩か踏み込んでいることになるのです。

白状しなければなりません。私も英文学を専攻しました……19日間です。
その昔、東部のバークレー、ハーバード・カレッジでのこと、私は哲学からの
避難民でした――哲学は、私にとって論理や計算が過剰、あまりにも実用本位
だったものですから――私本来の専門分野、私が自分で思いつき、構想して、
未来に向けたさらに大きな実用本位の熱意をこめて「現代文学および芸術」と
名づけたやつに逃げ込む前に、ほんの腰掛けのつもりで(キーツ詩集『秋によ
せて』に関する)個別指導講座に寄り道していたのです。

と言うことは、もちろん、きっかり25年前の今日、私は皆さんの今いる席
に座っていたのであり、とても細い糸にしがみついていました。まもなくふと
気づくと、私はマサチューセッツ州ケンブリッジの小さなアパートで仰向けに
寝そべり、ニューヨーク・タイムズ紙とニューヨーク書評誌を――隅からすみ
まで――読んでいました。こうして毎日、一日中すごし、卒業祝い金で生き長
らえ、香港料理店に頼んだチャーハンを食べていました(たまたま二軒向こう
隣にある店でした――それでもアパートを出て、または寝床を出て、チャーハ
ンを食べにいく時間がないと感じていたのです)。中華料理の出前係は無表情
に私を見ていましたが、1か月が2か月に延びるにつれ、訳知り顔になりまし
た。今なら私も分かっていますが、当時も分かっていたとすれば、私は鬱〈う
つ〉だと告げたことでしょう。でも、あのころ、私は休息しているという印象
に捕らわれていました。

やがて私は作家になりましたが、これは実存の渇きを克服する道ではなく、
それとともに生き、さらにはそれをもってささやかな生計を立てさえする道な
のです。おそらく皆さんのうちの何人かはこの道を辿ることでしょうが、皆さ
んが「それでこうする」とお決めになることが何であろうとも、覚えておいて
ください。すでに皆さんが知っていても、いなくても、読む術を学び、問う術
を学び、疑う術を学ぶことによって、皆さんはみずからを運命づけているので
す。そして今は、そのような技能を持つのが最も困難――私が憶えているかぎ
りで最も困難――な時期です。けれども、皆さんがその技をいったん身に付け
てしまうと、棄てるのは容易ではありません。皆さんの政府、あるいは皆さん
の上司が説くにしろ、あるいは皆さんのご家族や友だちが説く場合でさえ、皆
さんが世界について聞かされることと、その世界について皆さんが理解しない
わけにはいかないこととの間の大きな裂け目を見ないではすまない――これは
常に喜ばしい類の洞察であるとは限りません。お荷物になり、格好悪いことに
もなりえますし、常に皆さんを幸せにするわけでもありません。

私が作家になったのは、ひとつには、聞かされることと、私の目に見えるこ
ととのたいへん大きな違いはどうしようもないと分かったからだと思います。
私は戦争や大量虐殺や暴力について書くことから出発しました。ハイチ駐在の
外交官に教えてもらったのですが、国務省には、私の書き物の主題の大半を占
める国ぐにを表す「TFC地帯」という専門用語があります。TFCは――国
務省の公的な業界用語――「完全にオシャカ[機能不全]になった国ぐに
(Totally Fucked-up Countries)」の略語です。あれ以来20年、サルバド
ルやハイチやボスニアやイラクに関わりはじめてから20年経っても、私の母
は、当時でも学費が非常に高くつく「現代文学および芸術」教程を学ぶ息子の
心配に対処しなければなりませんでしたが、いまでもこのような繰り言を止め
ません――「どこかまともな場所に移って、やり直せないの?」

いまの皆さんの席に私が座っていたころ、国際問題の焦点は、中央アメリカ、
特にエルサルバドルにおける戦争にありました。アメリカは、ベトナムでの敗
北の余波をかぶっている最中であり、南方の同盟諸国を防衛しようと――左翼
反乱分子による攻撃にさらされた体制を防衛しようと――していましたが、そ
の手段たるや、自国民を相手に大量虐殺戦争を強行していたエルサルバドル政
府を支えることだったのです。私は1冊目の拙著に、そのような事件のひとつ、
エルモソテの大虐殺(*)について書きましたが、そこでは千人かそこらの民
間人がサルドバル軍の新しい精鋭大部隊――アメリカ人たちが訓練した大隊―
―の手で殺戮〈さつりく〉されたと言われています。わずかな時間のうちに、
千人の無辜〈むこ〉の民が、サトウキビ鉈〈なた〉にやられ、M16自動小銃
に撃たれて死亡したのです。

あの事件のなりゆきを――それに長年のあいだ、私が中央アメリカからイラ
クにかけて取材した他の多くの事件を――いま振り返ると、私はある種の道義
的な明瞭さを探していたのだと分かります。言うなれば、私がお話しした、見
ることと言われていることとの間にある、あの裂け目が存在しない場所です。
大量虐殺や殺戮や拷問がはびこる世界、つまり邪悪を目にする現場を措いて、
そのような場所をどこで探せばよいのでしょう? あの種の邪悪よりも明瞭な
ものが何かあるでしょうか?

だが、それがちっとも明瞭でないことに私は気づきました。千人の人びとの
大虐殺を命じたサルバドル軍の将軍と、その件についておしゃべりしてごらん
なさい。軍事的に必要だった、あの連中はゲリラを支持して、むざむざ危地に
陥ったのだ、「戦争ではあういうことが起こる」と将軍は皆さんに教えるでし
ょう。鉈を振るった若い徴集兵に話しかけてごらんなさい。あんなことはした
くなかった、おかげで今でも夢見が悪い、だが命令に従っただけであり、命令
を拒めば、殺されていたと兵士は言うでしょう。虐殺が起こったことを否定す
るのに手を貸した国務省のお役人に声をかけてごらんなさい。決定的な証拠は
なかった、いずれにせよ、自分の行為はアメリカの重要な国益を防衛し、増進
するためだったと役人は皆さんに告げるでしょう。彼らのうちの誰も嘘を言っ
ていません。邪悪を探すとしても、いったん死体のある場所を離れると、必要
条件である険悪な顔を見つけるのはとても難しいと私は気づきました。

別の例をもうひとつ挙げましょう。1994年の季節外れに暖かい2月、包
囲攻撃されたサラエボの市中の混雑した市場でのことです。私はテレビ取材班
に同行していました――ABCニュースのピーター・ジェニングスのためにボ
スニア戦争のドキュメンタリーを書き下ろしていたのです――が、いつものよ
うに私たちのスケジュールが狂って、迫撃砲弾が着弾したとき、混み合った市
場にまだ到着していませんでした。わずかに遅れて、私たちがカメラ陣ととも
に駆けつけると、黒っぽい血溜りとバラバラになった死体があるばかりで、そ
の中を遺族たちがよろよろと歩き回りながら、無煙火薬の胸が悪くなるような
悪臭に包まれて、金切り声をあげ、嘆き悲しんでいました。二人の男たちがネ
バネバする黒い液体のなかにゴム長を膝まで突っこんで立ち、早くも人間のか
けらをトラックの荷台に放り上げはじめていました。私は、濡れた舗装の上で
滑りすべりしながら、最善をつくして死体とその断片を数えようとしましたが、
この仕事はできたものではありませんでした。50? それとも60? 骨折
って数合わせが完了すると、その場で68人が死亡していました。

たまたまだったのですが、その翌日、私はその人たちを殺した当の人物を相
手に昼食会見をおこないました。自分の山荘のなかで容姿端麗な護衛たち数名
に囲まれたセルビア人の指導者は、死者の数にほとんど興味を示しませんでし
た。私たちはシチューを食していました。「君は彼らの耳を調べたかね?」と
彼は聞きました。失礼、何のことでしょう? 「やつらは耳に氷を入れていた
んだ」 私は言葉を飲み、シチューに集中しました。彼が言いたかったのは、
私に歴然であり、死体保管所から持ち出された遺体が現場に置かれていたこと、
現場そのもの全体がボスニアの諜報部員たちによるでっちあげであることでし
た。彼、この人物は精神科医であり、二、三分も議論すると、彼は自分の主張
が真実であると信じきってしまっていると私に思えるようになりました。私は
彼の人物評を書いていたのですが、もちろん彼は死体や死について話す気はあ
りませんでした。彼は自分の国家構想を話すことのほうが好きだったのです。
(1)

私には、この人物について書くにあたっての問題点は単純であり、犯した罪
のレベルが彼の人格のおもしろみを矮小にしていました。動機は卑劣であり、
どう見ても彼が引き起こした苦しみに釣り合っていませんでした。いつでもそ
れが邪悪にまつわる問題点であり、私の経験に照らせば、これが、大量殺人者
と話をするのがいつも期待外れに終わる理由なのです。だいそれた邪悪の行為
が強力な人格を生みだすのはまことに稀なことですので、それら両者の関連は
デタラメもいいとこに思えるのです。別の言い方をすれば、大衆小説が描こう
としていても、メロドラマではオチが決まらないのです。この大量殺人者を理
解するためには、ドストエフスキーやコンラッドを呼び寄せなければなりませ
ん。(2)

皆さんは9月11日学級のクラスメートですし、実例に事欠きませんので、
私たち自身の時代にグッと身を寄せてみましょう。私の経験では、いまほどに
露骨な虚偽が私たちの国民生活を牛耳っていたことはありません。このことと、
イデオロギーそのものとの関連を持ち出しても、思うに、わが国が攻撃された
という事実ほどには、それにアメリカは、このような攻撃に対して、あるいは
攻撃の恐れに対して――第一次世界大戦後の“パルマー・レイズ”[*]から、
第二次世界大戦時の日系アメリカ人の収容、50年代のマッカーシーによる魔
女狩りにいたるまで――あらかじめ予想しうる誇大妄想的な形で反応するとい
う事実ほどには関わりはありません。典型的には、「いつもの容疑者を一斉検
挙すること」によって、また芝居がかって狂ったように世界を善良な側と邪悪
な側に分割することによって牛耳っているのです。9月11日も例外ではあり
ませんでした。いかにも、その余波として――ここ、皆さんの今と重なり合っ
て――私たちはアメリカのこの傾向を純粋な形で見ているのです。
[The Palmer Raids =ウィルソン政権の司法長官、ミッチェル・パルマーに
よる赤狩り: http://chnm.gmu.edu/courses/hist409/red.html ]

私たちが生きる時代と、前に述べた他の時期との、ひとつのありがたい相違
点は、わが国政府の当局者たちが、かなり率直に――特筆すべき、前代未聞の
露骨さで――力と真実との関係をどのように考えるか説明していることです。
わが国の当局者たちは、勝てば官軍、力が真実を決定すると信じていますので、
昨年秋に匿名の大統領上級顧問も取材記者に次のように説きました[*]――
http://www.truthout.org/docs_04/101704A.shtml

「いまやわれわれは帝国であり、われわれが動けば、われわれ独自の現実を
創造するのです。君が――君なりに慎重に――その現実を調べているうちに、
われわれはさらに動くでしょうし、別の新しい現実を形成し、君はさらにそれ
を調べることができるでしょうし、ものごとがこのようにして決まっていくの
です」(3)

顧問の説によれば、報道記者は、顧問の言う「現実を存在基盤とする業界」
のメンバーであり、政権がもたらしている現実を「慎重に調べる」しかないの
です。9月11日事件とイラク戦争について、またそれらから派生したさまざ
まなスキャンダル――二つだけあげるとしても、“大量破壊兵器”スキャンダ
ルやアブグレイブ・スキャンダル――について、じゅうぶん時間をかけて調べ
た者なら誰でも知っているにもかかわらず、たった今のわが国の指導者たちが、
このように本気で信じきっている、これをいま承知しておくことは、私たち―
―ここで言う「私たち」とは、「現実を存在基盤とする社会共同体」のメン
バーである私たち全員――としては重要です。

いまあげたふたつの実例でおもしろいのは、スキャンダルの核心、不正行為
が私たちの目の前すぐそこにあることです。非常に重要なことは、文字どおり、
ひとつとして隠されたままになっていません。ウォーターゲート事件からこの
かた、私たちは、かなり筋書きの確かな醜聞事件の語り口を我が物にしてきま
した。先ず暴露段階、たいがい政権内部の情報提供者の協力によって、報道機
関が不正行為を暴露します。次に捜査がなされ、政府――それとも裁判所、ま
たは議会、あるいはウォーターゲート事件のように、その両方――が、間違い
なく起こったことの綿密な筋書きを組み立てます。公式見解にのっとった筋書
き、それも社会――世間――が納得できるものです。さらに罪滅ぼしの段階が
あり、裁判官たちが判決を下し、悪玉たちは罰を受け、社会は平静を取り戻し
ます。

私たちの時代――ポスト9月11日の時節――の特色として、このスキャン
ダルの語り口が顧みられなくなったことがあります。大量破壊兵器やアブグレ
イブにまつわる汚い話では、私たちは第一段階で足止めを食っています。内実
は暴露されましたし、私たちは不正行為を知っています。つい最近、ダウニン
グ街メモ(*)が流出して、イラク戦争の8か月近く前に英国の政府高官たち
が交わした議論の内容が明かされましたが、そのなかで――ワシントンから帰
国したばかりの――英国諜報機関の最高幹部が、米国大統領が「軍事行動は…
…不可避である」と決めつけただけでなく――英国諜報部の高官の言葉を借り
れば――「情報と事実が、政策に合わせて固められた」と、英国首相に向かっ
てはっきり告げています。このメモは何週間も公表されっぱなしです。(4)
http://www.tomdispatch.com/index.mhtml?pid=2486

だから、暴露はされました。私たちは何が起こったか知っています。私たち
に見えないのは、厳正な国会調査または司法捜査によって期待できるはずの成
果、犯罪のなんらかの自白――または判決――であり、なんらかの処罰なので
す。責任を問われるはずの彼ら高官たちは、いまだに職務室に居座っています。
彼らは罰を受けていないだけでなく、とんでもないこと、多くが昇進していま
す。そして私たち――皆さんと私、現実を存在基盤とする社会共同体のメン
バー全員――はなす術もなく、この目で見ていますし、見ることを強いられて
います。このような事態が、私たち全員にとって、ムカムカし、イライラする、
それなのに払い落とせない憂さの種になっています。

では最後の実例をあげましょう。この例は、小芝居の形を取っています。最
近のアメリカ喜劇センターから私たちに伝わった、事実にもとづく茶番劇です。
これからお話しするのは、正真正銘の実話喜劇が演じられているペンタゴン共
同記者会見室でのできごとです。時は、数週間前のある日。配役は、ドナル
ド・ラムズフェルド国防長官、統合参謀本部副議長を務める(そしてまもなく
昇進する)海兵隊のピーター・ペイス大将。それに道化役は、もちろん、しょ
ぼくれた不運な取材記者。

記者の質問は、アブグレイブに関わる、込み入った、だが完璧に情報の裏付
けがある議論を踏まえ、なんらかの組織的なできごと――幹部によって命令さ
れたなんらかの行為――がアブグレイブでおこなわれていたことを、あらゆる
報道が示唆しているという事実を指摘して始まりました。彼はサンチェス・メ
モについて言及しましたが、これは先ほど公開されたもので、記者の言葉を借
用すれば「そもそも陸軍が定めた野戦教範を大きく逸脱した」12項目の尋問
テクニックを、当時のイラクにおける総司令官、リカルド・サンチェス中将が
承認していたことを明らかにしています。12のテクニックには、長時間にわ
たる緊張を強いる姿勢、知覚剥奪(つまり「目隠し頭巾」)、「ストレスを誘
発するための」犬の使用などがあります。記者は、特別「身柄送致」(人間が
アメリカの諜報部員によって街角から拉致され、シリアやエジプトのような第
三国に移送されること、もっと世間に通じる言葉としては誘拐)についても触
れました。記者の質問と高官たちの回答を再現してみましょう――

イライラした記者「そして、以前に私どもが聞かされていた個人的な虐待行為
のあれこれというより、組織的な問題があるという[調査結果の]示唆に、あ
なたがたがほんとに対応することなどあるのかと私はいぶかしく思うのです」

ラムズフェルド長官「実施に移された調査がただの一回だけだったとは私は信
じませんし、6回、7回、8回、あるいは9回にもなったはずです――」

ペイス大将「おおがかりな査察が10回、あれやこれやの個別調査が300回
です」

ラムズフェルド長官「それであなたは、組織的、あるいは組織の関与という特
性を示しているのをひとつは見ましたか?」

ペイス大将「いいえ、閣下」

ラムズフェルド「私も見ていない」

イライラした記者「あの……?」

ラムズフェルド「質問かね?」

(笑い)(5)

他の記者たちが笑うと、ラムズフェルド長官は[質問中の記者が]追いすが
ろうとするのをあからさまに無視して、次の質問を促しました。

それにしても、イライラした記者は何が言いたかったのでしょうか? 私た
ちの前にあるのは、「あの……?」という質問に込められ、切り捨てられた意
図だけです。もちろん、私たちが知ることはないでしょう。米陸軍少将のアン
トニオ・タグバが指揮した、まさしく初めてのアブグレイブ報告を、たぶん彼
は読み上げたかったのでしょう。タグバ少将は結論にこう書いています――

「2003年10月から12月の間、アブグレイブ『監禁施設』において、お
びただしい件数の、加虐的、露骨、恣意的で犯罪的な虐待が加えられた……こ
の組織的かつ違法な虐待は意図的に実行されていた……」(二重鍵括弧は引用
者による)(6)

あるいは、赤十字報告にある次のような一節かもしれませんが、これは、アブ
グレイブで進行していた事態に関する、その時の目撃者たちによる唯一の即時
的な記録記事です――

「身体的また精神的に威圧するための、これらの手法は、公安上の犯罪容疑に
関連して、あるいは『情報価値』を有すると目されて、拘束された人間たちか
らの供述の引き出し、情報の抽出、あるいは他の形態の協力の確保のために、
軍情報部によって組織的な方法で用いられていた」(二重鍵括弧は引用者によ
る)(7)

(ところで、ここで私は、アブグレイブの囚人のうちの85ないし90パー
セントは「情報価値なし」と米軍じたいが評価していたと指摘しておかねばな
りません)

先ほどのちょっとした茶番劇――

ラムズフェルド「それであなたは、組織的、あるいは組織の関与という特性を
示しているのをひとつは見ましたか?」

ペイス「いいえ、閣下」

ラムズフェルド「私も見ていない」

――これと真実との間に、虚偽という大きな裂け目があります。と言うのも、
前述の報告のいずれも「組織的な」とか「組織の」とかいう言葉をあえて盛り
こんでいます――印刷物になったのです。報告書には至らない点も多分にある
でしょうが、肝心な点は、アブグレイブに関する基本的な事実、第一に拷問・
虐待は組織的であったこと、第二にそれは上層部から命令されたのであり、政
権が維持している主張に言うような「少数の腐ったリンゴ」による行為ではな
かったこと、その責任の所在は、政権のトップクラス幹部たちに、司法省や国
防総省、そして詰まるところホワイトハウスの当局者たちが下した決定にまで
辿ることできるという事実を私たちに伝えているということです。アブグレイ
ブについて、それにイラクだけでなく、キューバのグアンタナモ湾、アフガニ
スタンのバグラム米空軍基地、その他、世界中の秘密だったり秘密でなかった
りする軍事および諜報基地で進行していたことについて――また最も重大なこ
ととして、ほぼ確実に今でも進行していることについて――私たちが知ってい
ることの意味は明白であり、皆さんがバークレー校に入学なさってから間もな
くの9月11日の後、わが国の政府は、この国を公的に拷問しない国家から拷
問する国家へと公的に改変することに決定したということなのです。

この事実について興味深いのは、それが隠されているのではなく、明かされ
ていることです。私たちはこれを知っています――いや、むしろ物を読む意欲
のある人たちはこれを知っています。当局者の言い分と事実との間の裂け目を
見ることができる人たちです。そして、すでに私が述べたように、私たちはか
なり少数のままです。世間の人は報告書を読もうともしないので、ラムズフェ
ルド長官は全国放映のテレビ記者会見で好き勝手なように言えたのです。そし
て、私たちは、[政府の発表、マスメディアなどを]傾聴して信じようとする
人たちと、読んで、考え、見抜こうと決心している人たちとに分割されること
になります。そこで、皆さん、英文学専攻2005年卒業クラスの皆さんは、
たぶん報酬もないのに、我が身を第2の範疇に投じる道に運命の一歩を踏み出
したわけです。皆さんは“言葉の経験主義者”の道に踏み出しました。

さて、私たちはグルっと一回りして出発点に帰ってきました――初めの質問
「それであなたはどうするの?」――ふりだしに戻りました。私はその質問に
答えることができません。実を申せば、私自身、まだそれに応えていません。
しかし私にも、一編の詩を紹介することによって、皆さんが“それ”について
何をすることができるのか、これだけは示すことができます。その詩を書いた
のは私の友人であり、その人は、1年近く前に満ちたりた栄光の人生を終え、
93歳で亡くなりました。チェスワフ・ミウォシュ[*]は、もちろんバーク
レーの伝説的人物であり、ノーベル賞受賞者でした――それに、彼の人生の途
上、他の誰にも負けずに多くの不当行為を見ました。彼はナチズムとスターリ
ン主義の苦痛に耐え、次いでバークレーに来て、40年の間、街の山手、グリ
ズリーピークの美しい家に住み、執筆生活を続けました。
[ Milosz, Czeslaw(1911-2004)=リトアニア生まれ、ポーランドの詩人、
随筆家。1980年ノーベル文学賞受賞。第二次大戦中AK〔国内軍〕に加わ
り地下活動。戦後外交官としてワシントンとパリ(46〜50年)。スターリ
ン体制に絶望してフランスに亡命(51年)、のちアメリカへ渡り(60年)、
以後カリフォルニア大学教授。「連帯」の精神的支柱のひとりで、グダンスク
の70年事件記念碑の文は彼による。代表作『まひるの明かり』ほか。
――出所:工藤幸雄氏によるインタビュー記事「戦後ポーランドの文化を語
る」 http://www.e.okayama-u.ac.jp/~taguchi/kansai/milosz83.htm ]

彼の詩作のうち、一編を読ませていただきます。素朴な詩であり、これは彼
の言い方では歌ですが、その美しさと単純さのうちに、今日のお話しの主題に
密接に響きあっています。

世界の
終わりの歌

世界が終わる日
ミツバチはクローバーの周りを飛び
漁師はほのかに光る網をつくろう
幸せなイルカは海上にジャンプ
雨樋をかすめ、若いツバメは遊び
ヘビはいつものごとく金色の肌

世界が終わる日
ご婦人たちは野原を傘さして歩き
飲んだくれは芝生のはずれで眠くなり
街路で
野菜売りは声を張りあげる
また黄色い帆の小舟は島に近寄ってくる
バイオリンの調べは空中に余韻となって
星の夜に流れ入る

また稲妻と雷鳴を期待した輩たちは
あてが外れる
しるしと大天使のラッパを期待した輩たちは
今の時代にありうるとは信じていない
太陽と月とが天上にあるかぎり
マルハナバチがバラを訪れるかぎり
バラ色の幼児が生れるかぎり
今の時代にありうるとは誰も信じていない

ただ白髪の老人だけが、かつては預言者だったが
忙しすぎて、今は預言者ではなく
トマトを
結束しながら繰り返し言う
世界は終わりに突き当たることはないだろう
世界は終わりに突き当たることはないだろう

「世界は終わりに突き当たることはないだろう」 私は、この詩の終わりに、
2つの単語、場所と日付を付け加えるべきでしょう。チェスワフはこの詩を1
944年のワルシャワで書きました。皆さんは、世界の終わりに置くべき、も
っとふさわしい場所を思いつきますか? おそらくは1945年の広島です
か? それとも1945年のベルリンですか? あるいはむしろ2001年9
月のニューヨーク中心街はどうでしょう?

チェスワフ・ミウォシュが1944年にワルシャワでこの詩を書いたとき、
世界の終わりを見た人たちがいましたし、見なかった人たちもしました。今で
も同じですが。そして今、当時と同じく、真実はじつに重要です。誠実さは―
―才能や冴えよりもずっと希有であり――じつに大事です。世界の終わりを生
き抜こうとした人物――詩人、アーティスト――によって書かれた、あの詩の
なかのトマトを結束する白髪の老人は、皆さん自身と同類です。老人は預言者
ではなかったかもしれませんが、見ることはできました。9月11日学級の仲
間の皆さん、「それについて」皆さんがどうしようとお決めになることが、何
であっても――皆さんが作家であっても、あるいは教授、あるいはジャーナリ
スト、あるいは看護師、あるいは法律家、あるいは会社重役であっても――あ
の老人と彼のトマトのことを考え、皆さんの信頼を彼と一緒に保たれるように
私は願っています。皆さんが、あの老人を、そして皆さん自身の真実を求める
精神を覚えているように私は願っています。皆さんは彼のそばにご自分の場所
を確保するでしょうか?

脚注:
1.ニューヨーク書評誌1998年2月5日号、拙論 “Bosnia: The Turning
Point”[「ボスニア――転機」]参照。
http://www.markdanner.com/nyreview/020598_Bosnia_The_Turning_Point.htm

2.Zoetrope All-Story[ゾィトロープ(回転覗き絵)オール読み物誌]20
03年夏期号、拙論 “The Erotic Pull of the Strange”[「見知らぬものの
エロチックな誘い」]参照。
http://www.markdanner.com/zeotrope_erotic.htm

3.ニューヨーク・タイムズ・マガジン2004年10月17日号、Ron
Suskind, “Without a Doubt” [ロン・サスキンド「疑いもなく」]参照。

4.ニューヨーク書評誌2005年6月9日号、拙論 “The Secret Way to
War”[「戦争に至る秘密の道」]参照。

5.2005年3月29日付け米国防総省記者会見資料を参照。

6.ニューヨーク書評ブックス、2004年刊、拙著 Torture and Truth:
America, Abu Ghraib, and the War on Terror[『拷問と真実――アメリカ、
アブグレイブ、対テロ戦争』]所収、アントニオ・M・タグバ “Article 15-6
Investigation of the 800th Military Police Brigade”[「第800陸軍警
務旅団に対する第15-6条調査」](「タグバ報告」)参照。

7.前出『拷問と真実』所収、2004年2月付け “Report of the
International Committee of the Red Cross (ICRC) on the Treatment by
the Coalition Forces of Prisoners of War and Other Protected Persons
by the Geneva Conventions in Iraq During Arrest, Internment and
Interrogation”[「イラクにおいて逮捕され、留置、尋問中の戦争捕虜および
他のジュネーブ条約により保護される者に対する連合軍による処遇に関する赤
十字国際委員会(ICRC)報告」]参照。

[講演者] マーク・ダナー(Mark Danner)は、長年にわたり、ニューヨー
カー誌の専属記者、ニューヨーク書評誌の常連寄稿者であり、カリフォルニア
大学バークレー校ジャーナリズム学科教授、バード大学ヘンリー・R・ルース
記念講座教授。最近の著作は、ニューヨーク書評誌に初出の拷問とイラクに関
する記事の集成 Torture and Truth: America, Abu Ghraib, and the War on
Terror(*)[前出・脚注6]。ダナーの作品掲載サイトは「マークダナー・
ドット・コム 」(2)。
1. http://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/1590171527/nationbooks08
2. http://www.markdanner.com/

[原文] Tomgram: Mark Danner, What Are You Going to Do with That?
posted at TomDispatch, May 30, 2005
http://www.tomdispatch.com/index.mhtml?emx=x&pid=2949
This article appears in the June 23th issue of The New York Review of
Books. 本稿はニューヨーク書評誌6月23日号に掲載。
Copyright 2005 Mark Danner TUP配信許諾済み
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[翻訳] 井上利男 /TUP