TUP BULLETIN

速報515 レベッカ・ソルニット、希望を語る  050623

投稿日 2005年6月23日

FROM: minami hisashi
DATE: 2005年6月23日(木) 午前10時26分

☆戦争と抵抗の2年間を振り返って……★
ブッシュ政権がイラクを侵略し、また世界規模の反戦運動が発足してから、
早いもので2年を超える月日が経過しました。TUP速報にしばしば登場する
トム・ディスパッチの編集者、トム・エンゲルハートが2年間の回顧に代えて、
イラク戦争勃発前後に速報した記事のベスト精選集を特集しています。本稿は、
そのうちの一編、やはりTUPの常連、レベッカ・ソルニットの巻です。
本編ソルニット稿は、TUP速報96号「暗い時代の希望を語る」(03年
5月)を一部改訳したものですが、エンゲルハート氏も言うように、いま読み
かえしても新鮮であると私[訳者]は感じます。 井上

凡例: (原注)(*=リンク)[訳注][*=欄外訳注]〈ルビ〉
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2003年回顧精選: レベッカ・ソルニット、希望を語る
トム・ディスパッチ 2005年6月14日

まえがき 「ソルニットとの出会い」
――トム・エンゲルハート

2003年5月。これはネオコン集団やブッシュ政権にとっては最良の瞬間、
たいがいの私たち一般人にとっては最悪の時期に重なる。戦争がはじまる前に
立ちあがったという点で前例のない反戦行動の季節に、世界の民衆数千万人が、
わが国によるイラクへの突撃的な侵略に反対して行進し、抗議したが、今にな
って私たちが知るように(当時でさえ、私たちの多くが推測していたように)
――遅くとも(*)――2002年7月には、開戦の決定は石に刻んだかのご
とく至上命題になっていた。2003年5月中旬には、戦争の全面終結が宣言
されてしまった。反戦運動参加者たちは小道具を片付け、絶望の足取り重く家
路についた。ちょうどその時、「予期せぬ未知の人」(当時、私が記した言
葉)――暗闇のなかの希望の語り部!――がトム・ディスパッチに舞いこんだ。
薮から棒に、レベッカ・ソルニットは私に本稿「希望の行為」(*)――おそ
らく彼女自身を相手にしていただろうし、間違いなく彼ら、絶望し、身の回り
を片づけた人たちを相手にした、さらに究極的には、私たちに降りかかった意
気消沈と悪運の雰囲気を相手にした論評――を送ってきた。私は彼女の論考を
2003年5月19日に掲載したが、その時からずっと、それが落ちこんだと
きの私を元気づけてくれている。
http://www.tomdispatch.com/index.mhtml?pid=2486
[TUP速報では、96号「暗い時代の希望を語る」として配信――
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/90 ]

私たちを待ち受けていたものは――なんだか楽しい――運命そのもの、ある
いは予測を超えて展開する生命、予期せぬ驚きを紡ぐ言葉だった。ソルニット
が彼女の論を発展させ、それを小さいが効能が確かな本にまとめ、『暗闇のな
かの希望』[1]と改題して出版すると、同書はさまざまな言語に翻訳され、
世界中にゆっくりと出回りはじめた――あなたがこれまで何日/何週/何か月
/何年間もトム・ディスパッチを読んでいながら、まだ『暗闇のなかの希望』
が手元にないなら、それはちょっとどうかと思う。私がソルニット稿を掲載し
たあの5月、私は次のような紹介文を書いた(もし、私とソルニットが電子式
に出会ったいきさつを少しは詳しくお知りになりたいなら、次のリンク[2]
をクリック)――
[1.邦訳『暗闇のなかの希望――非暴力からはじまる新しい時代』
http://www.pen.co.jp/syoseki/syakai/0596.html ]
[2.TUP速報307号「テキサスの3倍大きな夢」
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/321 ]

「あなたにも思いあたるだろうが、前触れもなく、誰かが人生に入りこんでく
ることがある。そのように、時として原稿が書籍編集者に舞いこんでくる。時
に、どこからか声が読者に聞こえてくる。

「最近、そのようなことが私の身に起こった。それは、希望についての論稿に
包まれて届いたレべッカ・ソルニットの声だった。希望とその帰結について、
と言ってもいいだろう。そこには、私が言いたかった(が、どういう訳か、言
えなかった)ことがすべて語られているように思えた――あるいはむしろ、私
たち皆が聞く必要を感じていたが、聞かなかった言葉がすべて込められていた。

『直接行動は、ちょっと角の店まで買物に……といった類ではない。暗闇への
跳躍なのだ』とソルニットは書く。まさにそう。そして、歴史は『天候のよう
に移ろい、チェッカーには似ていない。チェッカーの勝負には終りがある。天
候が終わるなんてありえない』と彼女は続ける。ゲームが終われば、事は簡単
だ、と付け加えていたとしてもおかしくない。得点を計算し、勝ち負けを決め、
チェス盤を片づけ、別の用事に移る。現在のような歴史の境目にあって、得点
を計算し、片づけ、家に帰ってしまえば、悲惨な間違いをしでかしていること
になる。

「アメリカの第2次イラク戦争の影響が残っているのに、たくさんの反戦運動
がこのような間違いをやってしまった。私は彼らを責めない。その人たちすべ
てが行進したのだ。あれほどの反対表明があった。それでも戦争だ――それに
現在の世論調査結果を見たまえ! それに引き換え、ソルニットのこの一編が、
華麗な筆致はさておいても、これほど立派なのは、ゲームでもしているかのよ
うに勝敗を数え上げるのは止めよう、と私たちに望んでいる点にある。彼女は、
私たちのたった今の時代の、私たちの世界の暗さを認めること、だが同時に、
勝敗が問題なのではなく、勝敗は知りようもないと理解することを私たちに願
っている。そんなのはこれまで知りようもなかったし、現実として分かりよう
もない。さらに彼女が私たちに望んでいるのは、賭けてみること、暗闇の中へ
と跳躍してみること、つまり希望に賭けることなのだ。そのように望むしかな
いのは、はっきり言って、私たちは自らの行動の結果を知ることができないか
らであり、彼女はその要諦をとびっきり優雅に示している」

隅からすみまでアメリカ的なメディア著名人録に希望の専門家としてからめ
とられる運命に抵抗するソルニットは、その後を回顧して、次のように書く―

『暗闇のなかの希望』がトム・ディスパッチに掲載されたときに、私はイン
ターネットのウィルス性の魔力に開眼しました。作品がそれ自体の生命を得て、
Eメールで回覧され、数多くのサイトに転載され、反体制派の週刊誌に海賊版
が現れ、ある活動家によってパンフレットに印刷され、ばらまかれました。ト
ム・ディスパッチ、コモン・ドリーム、ツルース・アウト、Zネット、オル
ターネット、ナルコ・ニュースなどなどのオンラインで、私のニュースをたく
さん読みましたが、この媒体が、そこに書く人にとってどれほど強力になりう
るのか、私はさっぱり分かっていませんでした。私はこの媒体の力への改宗者
(そしてトム・ディスパッチの常連)になりました。

「ほどなく私は知らないうちに希望の公認スポークスパーソンにもなってしま
っていると気づき、その時から、この主題に関して、ヌクヌクした境遇の報道
関係者に対して話が合わないと公言してきたのです。敗北主義をごしょう大事
にするため、新しい独創的な方法を案出する彼らの才覚は相変わらず旺盛であ
り、彼らが押しつける希望なんて、毎度、宝くじに当たれと望むのとなんら変
わりません。彼らは、ブッシュとブレアが再選された、イラクの戦争は続くな
どと言いたて、確実で速やかな勝利だけが、そのために生きるに値し、敗北は
すべて最終的なものであると言わんばかりに、君たちは降参したほうがいいと
おっしゃります。損失が憂鬱〈ゆううつ〉を招くだけであり、飢え、隷属、あ
るいは暴力的な死を意味しない人たちにとって、米国や英国ででくわす降参や
絶望は一種の贅沢品ではないかしらと、今にして私はいぶかるのです。

「希望の力強い代弁者は、切実に希望を求める人たち――サパティスタを代表
して語るマルコス副指令、この春、タコベル社に対して大勝利を獲得した農業
労働移民の集団であるイモカリー労働者連合がそうですし、私が話しかけた労
働者夜間学校生徒の集団にいたカンボジア女性は、希望について、次のように
私に語りました――『なぜなら、希望がなければ、私は闘わなかったでしょう
し、闘いがなければ、私はクメール・ルージュ体制のなかで生きてはいなかっ
たでしょう』

うそ偽りなく、本稿はいつまでも新鮮だ。まだあなたがお読みでないなら、
お見逃しなく。すでにお読みなら、再読して、かつて思いも寄らなかったこと
を思い描いてほしい――私たち皆のために、驚きが用意されている。トム

希望の行為
世界を舞台に帝国に挑む
――レベッカ・ソルニット

私たちが望むもの

近代戦としては史上初の熾烈な戦争――数十万人規模の殺戮、毒ガス、塹壕
を埋め戻されない墓穴として生き、死んでいく男たち、戦車、有刺鉄線、機関
銃、航空機――第一次世界大戦に突入して6か月の1915年1月18日、ヴ
ァージニア・ウルフは「未来は暗いが、概して、暗いことが未来として一番い
いのではないかと考える」と日記に書いた。彼女は、うかがいしれないという
意味で、暗いと言ったのであり、恐ろしいという意味ではなかったようだ。わ
たしたちは、これをしばしば取り違える。未来は想像しがたいので、人びとは
世界の終わりが迫っていると思う。20年前、ソ連が消滅し、インターネット
が出現した世界を、だれが想像しただろう? 私たちは、願いごとが実現する
という意味合いを込めて、「望むもの」について話すが、考え方を切り替えて、
どうして望むのかと言ってもいいはず。私たちは原理にもとづいて望み、戦術
的、戦略的に望み、未来が暗いので望む。希望を持つほうが生き方として力強
く楽しいので、私たちは望む。絶望は、次に何が起きるか分かっていると決め
つける。 だが20年前、カナダ政府が北方の広大な土地を先住民族に返還し
たり、獄中のネルソン・マンデラが、自由になった南アフリカの大統領に就任
したりすると誰が想像できただろう?

この6月、21年前、100万の人びとが核凍結を要求してニューヨークの
セントラル・パークに集まった。彼らは要求を実現できなかった。その運動に
は、2、3年のうちには目標を達成し、日常生活に戻れると信じる人びとがい
っぱいいた。多くは失望し、あるいは燃えつきて家に帰ってしまった。だが1
0年もたたないうちに、ヨーロッパの反核兵器運動と、それがソ連最後の第一
書記ミハイル・ゴルバチョフに与えた影響のおかげで、本格的な核兵器削減が
交渉された。その後、この課題は政治予定表から抜けおち、せっかくの成果の
多くが失われた。アメリカは包括的核実験禁止条約を断じて批准しなかったし、
ブッシュ政権は、1991年に中断された本格的核実験の復活と新世代核兵器
の開発、核備蓄の増強を計画し、たぶん、かつては禁断だった場面での核兵器
の使用さえ目論んでいる。

いつも家に帰るのが早すぎる。いつも成果を計算するのが早すぎる。母乳や
乳歯から検出される放射性降下物を撒き散らしていた地上核実験の終結を実現
した1963年の大勝利に寄与したアメリカ初の大規模な反核兵器運動「女性
のためのストライキ運動(WSP=the Women’s Strike for Peace)」のメン
バーの手記を私は読んだことがある。その女性は、ある朝、抗議行動としてケ
ネディ大統領が執務するホワイトハウスの前で雨のなかに立っていて、ばかば
かしい、なんてくだらないことをやってるんだろうと思ったという。何年もた
ってから、彼女は、核兵器問題の活動家たちのなかで最も著名だったベンジャ
ミン・スポック博士[世界的ロングセラーの育児書を著した小児科医]が、女
性たちの小さなグループがホワイトハウス抗議して、雨にうたれて立っている
を見かけたのが、自分にとってのターニング・ポイントになったと語るのを聞
いた。その人たちがそれほど熱心になっているのなら、自分もこの問題につて
もっと考慮しなければならないだろうと博士は思ったのだ。

終わりのない変化

多くの活動家たちが、すべての活動には、逆方向で等価の力が即座に働く反
作用があると期待し、これがなければ失敗と考える。結局、多くの場合、活動
とは反作用なのだ。ブッシュがイラク侵略を決意すると、同じ週の末には、私
たちは1000万ないし3000万の人びとが七つの大陸で行進する地球規模
の平和運動を立ちあげる。だが、歴史はうねりと共通の夢とで成形されるので
あり、ひとつひとつの行為、ひとつひとつの瞬間は、その表われにすぎない。
歴史は、等価の原因/結果よりも複雑な景観なのだ。政治は、目に見える行為
のためだけでなく、集団的想像力の深層における広範な変動のためにも、変革
が生起する場としての表層である。もちろん、表層、深層の両方が欠かせない
が。時には大きな原因から小さな結果しか生まれないかもしれないけれど、た
まには小さな原因が大きな結果を生む。

何年か前、科学者たちが、気象の初期条件が同じなら、天候の経時変化は同
じパターンを辿ると思いこんで、長期天気予報の手法を開発しようと目論んだ。
結局、初期条件がほぼ完全に同じでも、検知さえできず、おそらくデータとし
ても想定できない微少な要因が、完全に異なった天候の原因になると判明した。
最終結論は、ある大陸で蝶が羽ばたけば、別の大陸の天気を変えてしまうとい
う有名な譬えで落ち着いた。

歴史は天候のように移ろい、チェッカーには似ていない。チェッカーの勝負
には終りがある。天候が終わるなんてありえない。だから、なにごとも不変の
まま保つ(save)なんて、ありえない。保つこと(saving)とは不適当な言い
かただ。イエスは救う(save)し、銀行は蓄える(save)。イエス・キリスト
と銀行とは、この世の移ろいから大切なものを別の場所に移し、保管する。私
たちはクジラの絶滅を防いだかもしれないが、クジラを救う(save)ことなん
て、やってはいない。クジラが絶滅しないかぎり、いつまでも絶滅を防ぐ努力
を続けるしかない。保つこととは、シミや汚れが損なわない場所にしまってお
くことを想定しており、こういう形の救済思想があるから、アメリカ人は危機
を片付け、家に帰って、別の危機がはびこるがままにしておくのがお上手なの
だろう。課題は滅多なことでは勝手に退散してくれない。たいていの国はクジ
ラの絶滅危惧種の捕獲禁止に賛成するだろうが、別の次元でクジラの海が危う
くなっている。殺虫剤DDTは米本国で禁制品になったが、第三世界に輸出さ
れ、農薬大手、モンサント社は別の悪事[農作物の遺伝子組み替え]に手を出
している。

世界はよくなる。悪くもなる。これに対応するのに求められる時間はまさし
くあなたの生涯の長さに等しく、運が良ければ、その長さを知ることはない。
未来は暗い。夜みたい。公算や見込みはあるが、保証はない。

アダム・ホークシルドが指摘するように、英国のクェーカー教徒たちが世界
史上初めて奴隷制度の問題に取り組んでから、ヨーロッパとアメリカで奴隷制
廃止が実現するまで三・四半世紀かかっている[*]。かつての不可能事が、
振り返ってみると必然になってしまったわけだが、草創期の廃止運動に献身し
た人たちのうち、生き長らえ、その結果を目撃できたのは、いたとしても数え
るほどだった。意図せぬなりゆきが期待を生むのか、奴隷制廃止運動は、最初
の女性の権利運動に飛び火して、広く燃え上がらせ、やがてアメリカ女性の選
挙権が確立したが、それまでに同じほど長い時間がかかっているし、さらにそ
の後83年かけて、はるかに多くのことを達成してきたが、決してまだ終わっ
ていない。行動は、ちょっと角の店まで買物に……といった類ではない。暗闇
への跳躍なのだ。

作家は行為の結果はめったなことでは直接的には現れないと分かっている。
本を書く。種子を蒔く。種子はネズミに食われたり、腐ったりするかもしれな
い。カリフォルニアのある種の種子は、山火事に遭って初めて発芽するので、
何十年も休眠状態のままだ。シャロン・サルツバーグは、著書『信仰』におい
て、仏教僧ウ・パンディタの教えを書物にまとめたいきさつを詳述し、その仕
事を“小乗(ささやかな善行)の範疇”と規定している。ずっと後になって、著
者は、その本とそこに書かれた瞑想法とが、ビルマ独裁政権による自宅監禁に
あって孤立させられていた民主化運動の指導者アウン・サン・スー・チーにとっ
て、「あのきわめて困難な歳月、精神を支える大国柱になった」と知った。エ
ミリー・ディキンソン、ウォルト・ホイットマン、ヴァルター・ベンヤミン、
アーサー・ランボオは、ヘンリー・デーヴィッド・ソローと同様、亡くなって
からずっと後になって、同時代のベストセラー作家たちが忘れられ、墳墓が草
むしてから、最大の影響力をおよぼすようになった。ソローの影響を受けたガ
ンジーの非暴力はインドで重要だったが、アメリカ南部においても同じほど重
要であり、さらにマーティン・ルーサー・キングによる非暴力の最新現代版が
醸〈かも〉しだしたものは、世界の市民的不服従運動に影響を与えてきた。ガ
ンジーとキングは、暗殺後数十年たった今でも私たちとともにある。

4月7日未明、カリフォルニア州オークランドの港に数百名の平和運動活動
家たちが現れて、イラク向け武器の積出しを請け負う事業所のゲートを封鎖し
た。港湾荷役労働者組合はピケ破りをしないと約束していた。暴動鎮圧装備で
固めた警官隊が到着し、正当性もなく、警告もなしに、木製弾と豆袋(お手玉)
弾を活動家たちめがけて撃ちはじめた。報道関係者3名、港湾労働者9名、活
動家50名が負傷した。私は、若い男たち数名の背中に――背後から撃たれて
――血がにじんだグループフルーツ半分大のミミズ腫れを目撃したし、華奢な
体つきのヨーガ教師の顎〈あご〉に卵大の腫れ。このように語れば、暴力の勝
利。だが、その暴力が港湾組合労働者を刺激し、反戦運動活動家たちとの協調
関係を固めさせ、地域問題と世界問題との相互関連性を浮き彫りにしたのであ
る。五月一二日、私たちは、非暴力手段で、ふたたびピケを張った。今回は、
港湾労働者たちがピケ参加者たちと連動して行動し――だれの記憶に照らして
も前代未聞――複数の船会社が、抗議運動に対峙せず、業務停止を選んだ。こ
のように語れば、物語はさらに進展しつづけ、私たちがさらに強くなったこと
になる。もうひとつ、3つめの語り口がある。ピケは多数のトレーラーを立ち
往生させた。いらだちを隠さないドライバーもいた。この戦争は人道目的であ
ると信じて疑わないドライバーもいた。ドライバーたちの一部――とりわけ、
輝く朝日を浴びて立っていた南アジア系の人たち――は、私たちのことをたい
したものだと考えていた。ピケが破られた後、ひとりの移民ドライバーが連帯
のクラクションを鳴らし、路肩にトレーラーを寄せ、車の装飾用にピースマー
クが欲しいと頼みにきた。私は前に出て、クロム鍍金のラジエーターグリルに
ゴム紐で留められるように、ピースマークに穴を開けてあげた。私たちは言葉
を交わし、握手して、彼はキャビンに乗り込んだ。彼はゲートで追い返された
――反戦トラック野郎の配送は門前払い。次に彼を見かけたとき、警官隊の背
後で独り縁石に腰掛け、愉快で恐いもの知らずの様子だった。この職を賭けた
男の自発的な勇気の結末が最後にどうなるか、だれが知りえよう?

新世代平和運動の勝利

反戦行動とブッシュ政権との間に、ごくあたりまえの因果関係を期待するの
は、失望のお膳立てをするようなものだった。だが、ひょっとすると……?
私たちは知りようもなさそうだが、それでも、ブッシュ政権がバグダードに対
する『衝撃と畏怖』集中爆撃案を退けたのは、世界世論と社会不安という代償
があまりにも高くつくと、私たちがはっきりさせたからであるようだ。何百万
人の私たちが、数千人の、ことによると数十万人の生命を救ったのかもしれな
い。

●2月15日の世界平和行動を伝える報道は、過小評価も甚だしかった。スペ
イン、バルセロナ100万人行進は素敵だったが、ノースカロライナ州チャペ
ルヒルで数千人規模のデモがあり、ニューメキシコ州ラスベガスという小さな
町で150人の人びとが夜を徹して平和の祈り集会を開き、ボリビアからタイ
にいたるもっと小さな町や村で住民たちが反戦の意志を表明した、と私は聞い
ている。

●活動分子は、社会集団を代表しない外れ者の群にすぎないと言われることが
多かったが、昨年の秋、メディアでなにかが変わった。それからは、反戦活動
家たちは、顔触れも多彩であり、正統な代表集団であると、たいていの場で受
け入れられるようになった――私たちの主導性と長期的展望にとって、分水嶺
的な勝利。

●発言したことがなく、街頭行進をしたことも、グループに加わったことも、
政治家に手紙を書いたことも、運動にカンパしたこともなかった多数の人びと
が、動きはじめ、数え切れない人びとがかつてなく政治に目覚めた。つまりな
にあろう、情熱の巨大な地下水脈が満ちて、変化の大河に溢れ出ようとしてい
る。新しいネットワーク、共同体、ウェブサイト、メーリングリスト、収監者
連帯グループ、連合が台頭した。

●国内でテロの脅威を叩き込み、海外でテロを招くのがオチであるような、い
わゆる対テロ戦争の名のもとに、私たちは、お隣りさん、おたがい、よそ者
(特に、中東出身者、アラブ系、イスラム教徒)を怖れ、監視したうえ、みずか
らを施錠して、私生活に閉じこもるように奨励されている。ありとあらゆるよ
そ者たちと一緒に、私たちの希望と抵抗をおおっぴらに生き方で現わすことに
よって、私たちは恐怖の教理問答を克服し、たがいに信頼した。イラクの人び
とに寄せる関心を行動で示しつつ、私たちは、平和を愛する人びとのありとあ
らゆる違いに橋を架ける共同体を構築した。

●私たちは指導者のいない地球規模の運動を実現した。有能な代弁者、理論家、
オルガナイザーたちは多くいたが、みずからの命運を指導者に委ねてしまえば、
あなたの強さ、清廉さ、創造力は、彼――あるいは時には彼女――と同程度の
ものに限定されるだけである。口コミやインターネットを介し、それに教会や
組合、直接行動同志グループなどの多様な集まりを通し、自己組織化できる数
百万の民衆以上に民主的でありうるのは、いったいどんな存在だろうか? も
ちろん、これまでの二〇年の間に指導者のいない行動や運動が組織されてはき
たが、これほど壮大な規模になったことはない。かつてアフリカの作家ローレ
ンス・ヴァン・デル・ポストが、だれもが追随者であることを止める時代にな
ったので、偉大な指導者は新たに出現しないと言った。たぶん、私たちは追随
するのを止めたのだ。

●私たちは、ベトナム反戦運動の不名誉な失敗に学び、首尾よく二分法思考を
ふりはらった。サダム・フセインを認めることなく、イラクに対する戦争に反
対することができた。戦場にいる兵士たちを思いやりながら、戦争に反対する
ことができた。敵の敵は味方、悪の対抗者は善という罠、あるいは元首と国民
との、将軍と兵隊との混同視といった罠に、アメリカの対外政策が繰り返しひ
っかかり、旧世代の急進主義者がひっかかったが、私たちのほとんどはひっか
からなかった。 私たちはアメリカに反対したのであり、イラクに味方したの
ではなかった。戦争に反対したのだ。また、私たちの多くは、すべての戦争に、
すべての大量破壊兵器に――わが国のものにも――反対であり、あらゆる場所
のあらゆる暴力に反対だった。私たちはただの反戦運動ではない。平和運動な
のだ。

●主流の情報筋は理由を語らず、おそらく知りもしないのだろうが、平和・反
グローバル化運動が問題を提起した声は、今では本流になっている。ブッシュ
政権と癒着〈ゆちゃく〉した戦争利権企業、ベクテル、ハリバートン、シェブ
ロン、ロッキード・マーティンなどが活動家たちの槍玉にあげられた。戦術は、
実効的な事業所の封鎖行動ではなく、企業活動の実態を公衆の疑惑の目に晒す
ことだった。直接行動が直接的に功を奏することは稀だが、今ではメディアが
かつてなく厳しく企業を詮索している。先日、ヘンリー・ワックスマン下院議
員がハリバートン社のテロ国家との繋がりを公に問いただした。イラク石油生
産を統轄管理する七〇億ドル相当の契約を、チェイニー副大統領が現職に就任
するまで率いていたハリバートン社に与えた政権の密室決定を、メディアがく
わしく取り上げている。こうしたことが飛躍的な前進なのだ。

もうひとつの歴史を見せる天使

アメリカの歴史は弁証法で動いている。、アメリカ史の最善のできごとは、
最悪の状況から導きだされた。奴隷廃止論者とアンダーグラウンド・レイル
ロード[地下鉄道*]、フェミニスト運動と公民権運動、環境運動と人権運動、
これらすべては脅威と非道を契機として成立した。現在も、最悪の事態がどっ
さり進行中である。しかし私たちには、反作用ではなく自主的創造としての進
歩的な行動主義が、いたるところの善意の人びとが課題を設定する行動主義が
必要だ。戦争が突き動かした熱情を掻きたて、次の戦争の防止するために、ま
た爆弾だけでなく、あらゆる形の暴力に対処するためにそれを注がなければな
らない。現在の悪に対処するだけにとどまらず、未来の可能性を引きよせる運
動が必要である。私たちには希望の変革が必要なのだ。そのためには、変化が
どのように機能するのか、私たちの側の勝利をどのように数えるのかを理解し
なければならない。
[南北戦争以前、自由州やカナダへの奴隷の脱出を助けた秘密組織]

かつてネバダ州の環境・反核非営利団体「シチズン・アラート(市民警報)」
の理事を務めていたとき、私は資金を募るための文書を映画『素晴らしき哉、
人生!』の題材を下敷きにして書いた。このフランク・キャプラ監督の映画は、
天使クラレンスが自殺志願者ジョージ・ベイリーを諭すために、ジョージが隣
人たちのために最善を尽くさなかったとしたら、街がどんなありさまになって
いたかを見せるといった筋書きであり、急進主義的な歴史観の見本になってい
る。ありえたかもしれない歴史を見せる天使は、じっさいに起こった現実では
なく、起こらなかった現実を示すのであり、これは最も評価しがたい現実なの
だ。シチズン・アラートの勝利の多くは、ネバダの大気、水系、大地、そして
住民に起こらなかったことである。シチズン・アラートに限らず運動全般とし
て、その成果の歴史の根幹は、踏みにじられなかった職業、検閲されなかった
思想、実行されなかった暴力や威嚇、犯行にいたらなかった不正行為、毒され
ず、堰き止めされなかった河川、落とされなかった爆弾、漏出しなかった放射
能、撒き散らされなかった毒性物質、破壊されなかった原生自然、再開発され
なかった田園地帯、絞り取られなかった資源、根絶されなかった動植物種なの
だ。

ベルリンの壁が築かれたあの夏、女性や有色人種を自由で平等な市民権から
分けへだてしてきた社会的慣習の多くに、是正策はおろか用語すらなく、同性
愛は病気と診断されて、犯罪と見なされ、エコシステム[生態系]は概念さえ
ないのと同然で、絶滅や汚染を気にかけるのは、ごく少数の人たちだけであり、
「化学の力で生活向上」と謳うキャッチフレーズがブラック・ユーモアに聞こ
えず、アメリカとソ連とが核のハルマゲドンを招来する一触即発警報体制で睨
〈にら〉みあい、文化にかかわる大問題の大半は、まだ問われてもいなかった
国に私は誕生した。もっと多くの降雨林、もっと多くの野生生物棲息域、もっ
と多くのオゾン層、もっと多くの動植物種が存在する世界だった。だが当時、
それらを保護する人たちはほとんどいなかった。生態学的な想像力が生まれ、
文化的に共有化されたのは、たかだかこの2、30年のできごとであり、人類
の多様性と人間の権利に関する理解が広まり深まったのも、その間のことだっ
た。

世界は悪くなっている。良くもなっている。そして、未来は暗いままだ。

誰も自分たちの行動の結果は分からないし、歴史は、ビックリするようなな
りゆきで世界を変えることになった小さな行為で満ちている。米英両国が10
00発以上の核爆弾を爆発させ、環境と健康にひどい影響をもたらしながら、
忘れられた歴史が、今も進行している(そして、ブッシュ政権が、批准されな
かった核実験全面禁止条約を踏みにじって、実験の再開を目論んでいる)ネバ
ダ核実験場の現地で、私は結集した活動家たち数千人の一員だった。私たちは
核実験場を閉鎖できなかったが、カザフの詩人オルザス・スレイメノフが私た
ちの行動に鼓舞されて、1989年2月27日、カザフ・テレビに生出演し、
詩ではなく――カザフスタン共和国セミパラチンスクにあったソ連核実験場の
閉鎖を要求する――宣言文を読み上げ、集会の開催を呼びかけた。翌日、50
00人のカザフ人たちが作家同盟に結集し、実験場の閉鎖をめざす運動を組織
した。彼らは自分たちの運動を「ネバダ=セミパラチンスク反核運動」と名づ
けた。

ソ連の核実験場はじっさいに閉鎖された。スレイメノフは触媒であり、ネバ
ダでの私たちが彼の刺激になったにしても、彼の拠〈よ〉り所になったものは、
詩を愛する民族社会にあって詩を綴ることだった。ことによると、スレイメノ
フが詩を書いたのはすべて、ある日、テレビ・カメラの前に立ち、詩の代わり
に宣言を発表するためだったのかもしれない。さらに、アルンダティ・ロイが
著した魅惑的な小説が作家をスターの座に押し上げたのも、ことによると、彼
女が立ち上がって、多国籍企業の利益に奉仕するダム建設と地域社会の破壊に
反対を表明したとき、人びとが気づくためだったのだろう。あるいはまた、作
家たちが地球を荒廃させる行為に反対したのは、ことによると、詩――最も広
い意味での詩――そのものが、この世界で生き残るためだったのだろう。

サム・ハミルが、ブッシュ政権による「衝撃と畏怖」作戦の宣言の直後、大
統領夫人、ローラ・ブッシュの「詩とアメリカの声」シンポジウムに招聘され
たが、謝絶し、怒りの手紙をネットに流すと、アメリカの詩人たちの自発的な
反戦運動が発足した。ハミルのEメール受信函が満杯になったので、反戦詩人
サイトを開設すると、今日までに1万1000人の詩人が投稿した。ハミルは
押しも押されぬ反戦スポークスパーソンになり、彼のウェブサイト「反戦詩人
たち」(*)は平和運動を組織する道具になった。
http://www.poetsagainstthewar.org

左ではなく、前へ

むっつり顔の伝統左翼は、明るい兆しを見ても、暗雲を探すのに熱心なこと
が多い。今年一月、イリノイ州のライアン知事が一六七件の死刑宣告を破棄し
た時、私たちなら、フットボール優勝チームのように頭からシャンペンかけあ
うはずなのに、一部左翼評論家たちは、重箱の隅を突ついて細かいことをあげ
つらった。私たちにとって、喜びはひとつの武器であり、勝利なのだ。自分で
は動かない人たちは、デモなのに楽しそうだ、世界の一大事を背負っているは
ずなのに、おもしろがっていると言って、時どき私たちに文句をつけるが、私
たちが疎外され、孤立し、無力を知り、悩みばかりのとき、大勢で街頭に出る
のは、勝利を求めるからだけではない。行動自体が勝利なのだ。

それにしても、この新しい喜びを知る運動と、昔ながらの顔役たちとのギャ
ップは広がるばかりである。彼らの不機嫌のたいがいは、始めるときから簡単
に見切りをつけ、せっかくの勝利の公算の足を引っ張るような前提に立ち、全
面勝利でなければ、すべて失敗と言い張る完全主義者の不機嫌なのだ。ここは
地上なのだ。ここが天の国になることはない。いつでも残虐行為は、いつでも
暴力は、いつでも破壊はあるだろう。今、とてつもない荒廃がある。あなたが
この文章を読んでいる間にも、何エーカーもの降雨林が消滅し、生物種が絶滅
し、女たちはレイプされ、男たちは撃たれ、途方もなく多くの子どもたちが、
たやすく予防できるはずの病因で死んでしまうだろう。私たちに、すべての時
点のすべての荒廃をきれいさっぱり解消することなんてできはしない。しかし、
荒廃を減らし、非合法化し、その起源と前提条件を掘り崩すことはできる。こ
れが勝利なのだ。

2001年9月11日を経て、私たちのほぼ全員が覚えた感覚は、悲嘆や恐
怖だけでなく、飛躍的に高揚した理想主義と受容性、問い、学ぶ姿勢、たがい
の繋がりを知る一体感、馴染みなく、安全でなく、容易でなくても、もっと多
くの何かのために、自分の人生を生きたいという欲求だった。現政権にとって、
この欲求に比肩しうる脅威は他になく、これを抑えるために彼らは手段を選ば
なかった。

それでも、あの欲求はすぐそこにある。これは、まだ名づけられてもいない
巨大な新しい運動、右に対抗する左ではなく、おそらくはお上に対する下じも
の、大きな者に対する小さな者の、統合に対する地方と分権の多様な運動の背
後にある力なのだ。古い定義を投げ捨てることができるなら、どこに新しい連
帯が広がっているか認識できるだろう。このような――中小農民、工場労働者、
環境主義者、貧者、先住民族、義の人、預言者の――連合は、企業利益や制度
的暴力の諸勢力に対する抜群に強大な力になるだろう。左翼と右翼は、フラン
ス革命後の国民議会で、急進派と保守派が議場の左右に別れて座っていた時代
の用語である。今、私たちは、そのような議席配分は言うまでもなく、左右対
決の世界にいるのではない。私たちは、破滅も、毒も、遺産も、全員にとって
全面的に新しいものである世界に生きているのだ。反グローバル化運動の活動
家たちは「もうひとつの世界は可能だ」と言っているが、もうひとつの世界は
可能なだけではない。必然なのだ。もうひとつの世界の造形に、私たちは参画
しなければならない。

私は希望に満ちている。あの暗い未来に何が起こるか分からないのも、その
理由だが、ここに生あるかぎり、私たちの道義に従って生きるからでもある。
希望、恐怖の対極、それに賭けよう。世界が救命艇であると想像してみよう。
企業や現政権が舟底を叩き割っていて、水が漏れる勢いは、私たちが水を掻い
だしたり、穴を塞いだりするのと同じぐらい(あるいはもっと)速いとしよう。
それでも、穴をあける人がいれば、水を掻いだす人もいるのだと気づくことが、
また過去形で嘆き節を唱えるよりも、現在形で物語を記すことが大切なのだ。
そうすることが、このボートを浮かばせる努力の一端。ボートが沈没すれば、
私たち皆が溺れてしまうのだから、どうして水を掻いださないでいられよう?
ボートを漕がないでいられよう? 無謀きわまるブッシュ政権は、これまで長
くアメリカ歴代政権が尻込みしてきたことをやらかしているようだ。昔からの
秩序がぶっ壊され、やりたい放題のこの世界。

サパティスタのスポークスパーソン、マルコス副司令も言葉を継ぐ――「権
力が記す歴史は、私たちが敗者だと教えた……権力が教えたことを私たちは信
じなかった。彼らが従順と衆愚を教えた時、私たちは教室を抜け出した。私た
ちは現代性の授業に落第したのである。……反乱という共通の弟子であること
によって、私たちは出会い、仲間になった。想像力、創造性、そして明日によ
って、私たちは仲間となっている。過去に、私たちは敗北だけを見つめてきた
のではなく、正義を求める願い、よりよい存在になる夢を見つけた。懐疑主義
など大資本の衣紋掛けにぶら下げ、私たちは発見したのだ。私たちが信じるこ
とができる、信じる価値がある、信じなければならないのは、私たち自身であ
る。……みなさん、健やかでありますように。そして希望と同じく、花ばなも
手塩にかけて栽培するということをお忘れなく」

花ばなは暗闇で育つ。「私は信じる」とソローは言った。「森を、草原を、ト
ウモロコシが育つ夜の闇を」

[筆者]レベッカ・ソルニット(Rebecca Solnit)は(本稿が執筆の端緒にな
った)『暗闇のなかの希望――非暴力からはじまる新しい時代』の著者。他に、
アメリカ西部作家奨励賞受賞作 River of Shadows: Eadweard Muybridge and
the Technological Wild West[仮題『影なす河――エドワード・マイブリッ
ジと西部技術フロンティア』](*)など、7冊の著作。もちろん、サンフラ
ンシスコに在住。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/booksea.cgi?ISBN=014200410
3

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R・ソルニット『暗闇のなかの希望――非暴力からはじまる新しい時代』
――井上利男訳、七つ森書館、2005年3月刊、2200円+税。
http://www.pen.co.jp/syoseki/syakai/0596.html
●トム・エンゲルハート氏による評言より――
「彼女が天使の(あるいは悪魔の?)言葉で書いた、その作品は美しく、絶望
の時代における希望の、不思議に満ちたささやかな来歴を明かしていた……チ
ェス盤上の動きではなく、天候の移り変わりに似て、不可思議で、予測もでき
ないソルニット式宇宙」
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/321
●4月24日付け朝日新聞「読書欄」、増田れい子氏による書評より――
「本書執筆の動機は03年春の世界規模の平和行動のあとの絶望を見つめるこ
とにあった。しかし著者は絶望の誘惑をかわし平和行動の真価に迫る……
……苛酷さを増す時代の中で市民は変化をとげている。著者は『花は暗闇で
育つ』と記す。ネバダ核実験場閉鎖運動、ホームレス支援、座禅と多彩に行動
する日常から紡ぎ出されるその思索と表現は、五月の薫風に似て新鮮」
書評全文: http://book.asahi.com/review/TKY200504260233.html

[原文]The Best of Tomdispatch: Acts of Hope
Challenging Empire on the World Stage
By Rebecca Solnit
TomDispatch, posted June 14, 2005
http://www.tomdispatch.com/index.mhtml?emx=x&pid=3273
Copyright 2003 Rebecca Solnit TUP配信許諾済み
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[翻訳]井上利男 /TUP