DATE: 2005年8月21日(日) 午前9時31分
息子の命を奪った崇高な使命とは何なのか? 全米を揺るがすシーハン No2
オーストラリア人女性ドナマルハーンは、2003年春イラクでの「人間の盾」に参加 し、2004年春には米軍包囲下のファルージャに入り、その帰路地元レジスタンスによ る拘束を経験、2004年冬から翌年春にかけてイラク・パレスチナを旅して現地から報 告してくれました。そのドナが、今度はアメリカから、2004年4月にバグダッドのサ ドルシティで戦死した米兵の母親、シンディ・シーハンのことを報告しています。 シーハンはなぜ息子が死んだか答えて欲しいと、今月6日にテキサス州クロフォード のブッシュ大統領私邸に向かい、ブッシュの牧場の外で警察に止められ、ならば大統 領が会うまで帰らないとキャンプを張り続けて面会を要求しています。全米から支援 者が続々とかけつけるなか、日本のマスコミも報道するようになりました。ドナから の報告第2弾です。 (翻訳:福永克紀/TUP)
ドナ・マルハーン シンディ・シーハンのケーシーキャンプ続報 2005年8月14日
お友達の皆さんへ
シンディ・シーハンのピースキャンプ現象は米国で広がり続けています――多くのア メリカ人を深く勇気付け、また多くのアメリカ人を激怒させています!
キャンプケーシー(イラクで殺された彼女の息子の名前から命名された)でシンディ と支援者たちが焼け付く暑さや埃や蚊と苦闘するにつれ、当地のテレビやラジオ放送 が騒ぎ立て、彼女の行動や、戦争のよしあしや、その根拠となった嘘や、非常に多く の国の非常に多くの命を失う結果となった軍事作戦に対するブッシュ政権の説明責任 を取らせることなどで、討論やディベートがおこなわれています。
さまざまな人生経験のもと集まってきた戦争に反対するアメリカ人たちは、戦争に関 するディベートがまた真っ盛りになり、焦点がブッシュは回答するかどうかに絞られ てきたことに、勇気付けられています。
今日(土曜日)キャンプケーシーで起こった出来事をコードピンクのジョディ・エ ヴァンスが書いた以下の記述を皆さんにもお伝えしたいと思います。 [訳者注:コードピンク Code Pink 平和と社会正義を目指す女性主体の草の根運 動団体 URL: http://www.codepink4peace.org (英語)]
[訳者注:ここからジョディ・エヴァンスの記述]
ここ数日来のテキサスの太陽ですでにヒリヒリする日焼けと、ハリアリの猛襲を被っ ていた私たちには、もう日が昇る前から今日も猛暑の一日になることは誰にも分かる ことでした。インタビューの申し込みがものすごい数で、私たちは午前と午後に共同 取材の場を設けることにしました。
シンディは朝5時30分にかかってきた「トゥデイ・ショー」からの予想外の電話イン タビューと、前日の日差しの強さと暑さに疲れきっていました。朝の取材の最初の質 問は、イラクから帰還したばかりの若い兵士からでした。礼儀正しく、彼女にシーハ ンさんと呼びかけました。数々のカメラに囲まれて、息子さんの死を気の毒に思うと 述べ、彼もまたイラク戦争で多くの友人を無くしたと話しました。
「死は戦争の一部です、そして、我々がやっていることは世界に自由をもたらすこと で、もっと重要なことなのです。我々が享受する自由のために死んだすべての人のこ とを考えなさい。つまり、あなたの息子さんの命はバケツの水の一滴でしかないので す」と彼は言いました。
カメラの後ろに立っていた私たち皆が息を呑みました、しかしシンディは穏やかな冷 静な顔で彼の話に聞き入っていました。私たちの息遣いに、彼は「しかし、息子さん には同情します」とすばやく言いました。
この時シンディは彼の肩に手をやり、彼を脇に引き寄せふたりで原っぱの方に歩いて 行き、報道関係者にちょっとふたりだけにしてほしいと頼みました。記者たちは、今 まで見たこともない光景ですが彼女の言に従い、ふたりが歩いて離れて行く間も シャッターを切っていました。シンディは母親のようにこの若者を引き寄せ、5分ほ ど話し合っていましたが、彼の表情の変化は誰の目にも明らかでした。彼は足を少し 運び自分のイラクでの経験を書いた本を取り出し、彼女に与えました。それからふた りはしばらくの間硬い抱擁をかわし、私たちには話を続けているのが分かりました。
彼が去ると、彼女は記者たちと私たちの所に歩いて戻ってきました。またしても、こ の女性は、その強さと愛と勇気で私の涙を誘ったのです(ああ、言い忘れるところで したが、キャンプの誰もがこの若者を彼女と直面させまいと苦労していたのです)。 ケーシーキャンプに集まる人のために作った間に合わせの事務所に一緒に歩いて戻り ながら、私が彼女に抱いた畏敬の念をあふれるようにしゃべりだすと、彼女はそれを さえぎってこう言ったのです。「ふたりが抱き合っている時、あの若者が何て言った か分かる? 彼のお母さんは私に賛成しているって言ったの。お母さんは、もしイラ クで彼が殺されたら、私と同じ事をしたでしょうと彼に言ったそうよ……それから私 のことをママと呼んだの」
私は泣きました。キャンプケーシーにいらっしゃい。来て、日々心を広く開かれてみ なさい。今日あとでイヴ・エンスラーにこの話をしたら、「実は真実についてじゃな いんだ、愛についてなんだ」と言ったように。そして、シンディの愛は、自分の息子 ばかりではなく、真実と、世界中のすべての母と父の息子や娘に向けられているので す。
[訳者注:ジョディ・エヴァンスの記述はここまで]
私は、水曜日にクロフォードのキャンプケーシー・ピースキャンプに合流するつもり です。保守的なテキサスのど真ん中で、熱烈に戦争に反対するアメリカ人のグループ に混じるのは、なんといっても貴重な経験になることに間違いありません。
もしシンディにメッセージを送りたくても彼女のアドレスで届けることができないか たは、私に送ってください。私がメッセージをまとめてオーストラリアからの支持と 連帯のシンボルとして彼女にプレゼントします。
皆さんの巡礼者
ドナより
追伸:「議会がジョージ・ブッシュに説明責任を果たさせることもなく、メディアが 自らの職務を果たさずジョージ・ブッシュに説明責任を果たさせない以上、私たちア メリカ人大衆が、嘘をつき悲惨な戦争に引きずり込んだことの説明責任を果たさせる 必要があります。 2004年11月2日[訳者注:大統領選挙の日]は、彼が責任を果たした日ではありませ ん――今日なのです。彼がアメリカ大衆を欺き権力を乱用した罪から逃れているのを 許しておくのはもうやめたのです。 私たちは怒り狂っており、もうこれ以上我慢できないのです」――シンディ・シーハ ン
原文: Cindy Sheehan Camp Casey update URL:http://groups.yahoo.com/group/ThePilgrim/message/163