TUP BULLETIN

速報549号 ハワード・ジン、帝国の拡大限界を語る 050928

投稿日 2005年9月28日

FROM: minami hisashi
DATE: 2005年9月28日(水) 午後11時43分

☆アメリカ民衆史の専門家が語る戦争と平和★
イラク戦争で息子を奪われた母親、シンディ・シーハンが戦争の意味を米大統
領に問い詰める闘い、米国内における戦争の皺寄せや人種差別などの矛盾を一
挙に暴いたハリケーン・カトリーナ災害――これらふたつの事件が、ともに現
代米国史の流れを変えつつあるようです。ターニング・ポイントにあるいま、
トム・ディスパッチの主宰者、トム・エンゲルハートが、アメリカ民衆の抵抗
の歴史の専門家、ハワード・ジンに、通史における現在のアメリカ帝国の位置
づけを聞きます。井上

凡例: (訳注)[訳注]〈ルビ〉《リンク》
お断り――繁雑を避けるため、リンクは日本語サイトのみに付しました。出所
などの英文サイト・リンクは奥付けにリンクを付した原文サイトにあります。
なお、本稿のリンクURLが2行以上にまたがる場合、全体をコピーして、お
使いください。
===============================================================

トム速報インタビュー:
ハワード・ジン、帝国の拡大限界を語る
トム・ディスパッチ 2005年9月8日

【読者の皆さんへ
――トム・エンゲルハート

近ごろでは、分かりきったことを予言するのにも、気をつけなければ。この前
の私の記事「アメリカの内なるイラク」に「……米国内におけるペンタゴンや
政府の国造り能力を見ても、息を呑むこともない。(だが、“再建”事業の契
約はハリバートン社の手に落ちることになると予言してもよい)」と書いた。
ところが、読者の皆さんが素早く教えてくれたとおり、私はすでに時流に乗り
遅れていた。もはやその時、ハリケーン・カトリーナ関連の最初の契約工事―
―メキシコ湾岸の海軍施設の被害を修復する事業の請負――が、わが国副大統
領の古巣会社[ハリバートン]に発注済みだった。” 州軍、その他の部隊がつ
いにニューオリンズに立ち入ったころ、じっさい、“アメリカの内なるイラク
化”はひたすら拡大していた。FEMA[連邦緊急事態管理局]が被災死体の
報道写真の撮影阻止を画策するという――イラクからドーヴァー空軍基地に帰
還する戦死兵たちの遺体の件を思わせる――実態があったし、ニューオリンズ
市内とイラクにいたGI[兵士]たちが双方の状況に見られる不気味に響きあ
う共通項について触れたり、ルイジアナ州軍の要員がニューオリンズの狙撃犯
になりかねない分子を“テロリスト”と呼んだりしたのは言うにおよばず、
アーミー・タイムズ[陸軍機関紙]の記事がニューオリンズの“暴徒”に言及
しているしまつ。それに「イラクやアフガニスタンなど、戦乱の渦中にある各
国における軍事作戦の支援を専門にする警備業者」が、企業や私邸の警備に就
くために、こぞってビッグ・イージー[ニューオリンズの別称]に向かってい
ることを忘れないでおこう。国内に還ってくる戦争を語ろう……

さらに、カトリーナ危機において政府が最初に発動した対策――ガソリン添加
物の汚染基準の緩和とペンタゴンの新しい北米方面軍司令部の増強――は、政
権の既定方針を前倒しする以上の意味を持っていないと、私は指摘しておいた。
私がそのように書くやいなや、ウォールストリート・ジャーナルのデイヴィッ
ド・ロジャーズ、ジョン・J・フィアルカ両記者が、連邦議会の共和党会派が
割って入り、なお一層の汚染基準の緩和、「物価下落傾向を緩和するための」
さらなる減税策の検討、それに(ゲェ!)「アラスカの国定北極圏野生生物保
留区域内の沿岸部における石油・ガス資源探査」の許可を要求していると書い
た(9月8日付け「ハリケーン、議会を動かす」)。嵐に吠えるブルドッグを
語ろう!

なにがどうなろうとも、私は、当サイト[トム・ディスパッチ]を予測可能で
分かりきったものにしたりしたくないという衝動に駆られ、2台の安物テープ
レコーダーと適度の図太さとで武装して、新機軸としてトム速報インタビュー
をスタートさせるつもりだ。新聞に載る識者の短評や、テレビに登場する“ニ
ュースの人”の通常12秒間のコメントでは、私たちにじかに語りかける言葉
を久しく聞いていないと私はしばしば感じている。それに、私たち皆に関心が
ある問題について、思いのままに語る人たちに目の当たりに接するというアイ
デアが気に入ってもいる。そう、私にとって、ハワード・ジンと会話するのは、
この上なく愉快なことだ。トム】

帝国の拡大限界
――トム速報インタビュー: ハワード・ジン

彼は、白髪がモジャモジャ、背が高く痩せている。ファシズムに対する大戦で
は爆撃手を務め、それ以後ずっと、アメリカの戦争に反対しつづけてきた復員
軍人だが、道を拓く先駆的な書『民衆のアメリカ史』上下巻[明石書店200
5年1月刊]《*》の著者として、私たちの歴史を貫いて繰り返し湧きあがっ
てくる、思いがけない抵抗の声を汲みあげる筆達者として名高い。荒涼とした
世紀の研究専門家でありながら、(10歳は若く見えるが)齢83歳にして、
後ろ向きの姿勢がまったくうかがえない。声は穏やかで、明らかに自分自身を
話半分に受け止め、みずからの意見を開陳するとき、皮肉っぽくクスクス笑う。
折に触れ、ある考えが自分で気に入り、年輪を刻んだ顔が輝いたり、誠意あふ
れる笑いが弾けたりするとき、まるで少年のようだ。
http://www.hanmoto.com/bd/ISBN4-7503-2055-2.html

休暇シーズンの朝、小さなコーヒーショップの裏手のポーチに席を取っている
のは、私たちだけ。彼の前にクロワッサンとコーヒーが置かれている。インタ
ビューはやはり食べてからにすべきですね、と持ちかけてみたが、彼は、食べ
ながら話しても、とくに差し支えないと言ってくれたので、新米取材者である
私は、怪しい手つきで2台のテープレコーダーの録音ボタンを押した――その
うちの1台は保留〈ポーズ〉にしておいたが、それでも数分間分の録音ミスが
あった(これは、ニクソンの悪評高い18分間の録音漏れみたいなヘマですね、
と私たちは冗談を言いあった)。始めるにあたり、彼は食べかけの朝食を脇に
押しやり、そのまま手を付けなかった。こうして、インタビューは始まった。

【トム・ディスパッチ】あなたは、アンソニー・アーノーヴと一緒に、わが国
の最初の時期からごく最近までを通したアメリカ民衆の抵抗の声を汲み上げた
新著 “Voices of a People’s History of the United States”《*》 [『民
衆の声で綴るアメリカ史』]を出版されたばかりです。今、特筆すべき抵抗の
声の発信者、シンディ・シーハンが登場しています。彼女のことを、どうお考
えでしょうか?

/250-0133278-0437004

【ハワード・ジン】すでに進行中の抵抗運動は――そして、現在の反戦運動は、
イラク戦争が始まる前でさえ、すでに進行していましたが――しばしば一個人
の果敢な抵抗をきっかけとして特別な弾みを得て、特別な活性化をきたします。
私は、ローザ・パークス、彼女のひとつの行為、その意味するものを想起しま
す。
[Rosa Parks =1955年12月1日、アラバマ州モントゴメリで、仕事帰
りにバスの黒人席に座っていて、白人のために席を空けるように強要されたの
を拒否、逮捕される――
http://www2.netdoor.com/~takano/civil_rights/civil_04.html]

【TD】諸運動を結びつけたシンディ・シーハンに相当する人物を、歴史のな
かからあげていただけますか?

【ジン】ベトナム戦争時代の反戦運動には、それに該当する個人はいませんで
したが、奴隷廃止運動まで遡ってみますと、フレデリック・ダグラスがそうい
う意味の特別な人物でした。彼が奴隷身分を脱し、北部に来て、初めて奴隷制
度に反対する人びとを前に語ったとき、運動の萌芽が存在していました。すで
に(ウィリアム・ロイド)ガリソンが(彼独自の反奴隷制新聞)「解放者
(the Liberator)」を発刊してはいましたが、フレデリック・ダグラスは、
ガリソンやその他の廃止論者にはできなかった形で、奴隷身分そのものを代表
できたのです。彼の劇的な登場と説得力とが、奴隷制廃止運動に格別な活力を
与えたのです。

【TD】シンディ・シーハンもまた、他のだれにも代表しえない、じっさい、
代表することがほとんど不可能なあるもの――戦争で死んだアメリカ人、そし
てもちろん、彼女自身の亡くなった息子さん――を代表しているのだと思いま
す。

【ジン】おもしろいです。シンディ・シーハンの他にも、ハッキリした声をあ
げた母親が登場していましたが、彼女はひとつの行為を実行しようと決心し、
それが特別な共鳴作用を生んだのですが、反響を呼ぶ行為をやったことは、た
だ単にブッシュの行き先を見つけただけでして【自分の考えに一人笑い】、そ
の結果、この戦争の両極、戦争勢力と反対勢力との対峙状況を創りだしたので
す。彼女はブッシュの近くに居座るだけで、全米の注目の的、重心になり、そ
の周りに民衆が、それこそワンサカと集まってきたのです。

【TD】ブッシュ政権は、大統領が挑戦[異議申立てなど]を受けそうな場に
近寄るような危険は決して冒さないという長期戦略を堅持してきましたが、今
では、文字どおりに軍事基地にでも閉じこもらないかぎり、もはやそういうこ
とから逃げられないのでは、と思いますし、それでも……

【ジン】ソルトレーク・シティの市長が、大統領演説にその場で抗議するため
に、2000人の聴衆を前に発言した話しをお読みになりましたか? これが、
まさしくベトナム戦争で起こりはじめたことだったのです。しばらくすると、
(当時の大統領リンドン)ジョンソンと(副大統領フーベルト)ハンフリーは
軍事基地の他はどこにも行けなくなりました。シンディ・シーハンにまつわる
要点は、彼女もまた遠慮知らずの発言者であるということです。つまり、わが
国はイラクから撤退しなければならないと、大胆明確に発言するものだから、
(ニューヨーク・タイムズのコラムニスト)フランク・リッチのような反戦論
客でさえ、彼女の立場は“終末論”であり、限度をどこか踏み外していると論
評したりするのです。ひどい話しです。と言うのも、私が思うに、撤退の問題
について、彼女は膨大な数の民衆の声なき願いを代表しているのですし、政治
家たちやジャーナリストたちがあえて言おうとしないことに踏み込んで発言し
ようとしているからです。スケジュールや条件をあれこれ言わずに、単純に撤
退を要求した新聞は、全米を見渡しても――たぶん、シアトル・ポスト=イン
テリジェンサー[通報者]と他の1紙のみで――ごくわずかです。

ふたつの戦争における撤兵の論理

【TD】1967年に執筆なさった “Vietnam: The Logic of Withdrawal”
《*》[『ベトナム――撤兵の論理』]の著者として、現時点の撤退をめぐる
議論の論理を、当時のそれとどのように比較なさいますか?
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htmy/089608681X.html

【ジン】ベトナム戦争初期に、明確に即時撤退を要求する重要人物や論者が皆
無だった時期がありました。だれも彼もが、なんらかの形で口篭もっていたの
です。交渉すべきだ。妥協すべきだ。北爆[北ベトナム爆撃]は止めるべきだ、
といった類です。イラク戦争が始まって2年が経過した今、私たちは比較して
もよい時点に差しかかっていると私は思います。私の本が出版された67年の
春は、ジョンソンが最初の米軍大部隊を投入した65年初頭のエスカレーショ
ン[戦争規模の拡大]からちょうど2年目でした。比較しうるのは、当時と現
在の論法であると私は思います。言葉遣いさえ似通っています。われわれは尻
尾を巻いて逃げるわけにはいかない。敵に勝利を譲るわけにはいかない。世界
において信望を失うわけにはいかない、といった類ですね。

【TD】……あの当時は、信頼性が決め言葉でした。

【ジン】そう、まさしく信頼性でした。われわれがいなくなれば混乱状態や内
戦をきたす……

【TD】……それに血の粛清。

【ジン】そのとおり、血の粛清――と言うのも、現在進行形の破局状況を正当
化するひとつの方法は、現在の情勢を維持しなければ、さらに大きな悲劇を招
くと断言することなのです。私たちはこの心理が働くのを何度も繰り返し見て
きました。例えば、広島の場合もそうです。もっと大きな破局的結末、つまり
日本侵攻のために100万人が死ぬ事態を避けるために、数十万人を殺さなけ
ればならないというわけです。

結局、わが国がベトナムから撤退したとき、このようなおぞましい警告がなに
も実現しなかったのは、おもしろいことです。わが国が撤退した後、状況がよ
くなったと言うのではありません。中国人は追放され、ボートピープル[海上
脱出難民]や再教育収容所が見られましたが、米軍がベトナムに駐留していた
とき、現に発生していた大量殺戮とはどれも比べものになりません。米国がイ
ラク駐留軍を撤収させると――これを言っておくのが大切だと私は思うのです
が――なにが起こるのか、だれにも予測できません。だが、要点は、現在、イ
ラクで進行している惨事や混乱、暴力の確実性と、私たちに予測できない結末
のどちらが悪いのか決めることなのです。それにしても、悪くなるかもしれな
いというのは不確実であり、たった今、わが国による占領の悪いところは確実
なのです。この両者の間で選択を行い、占領を終らせると、なにが起こるか分
かりませんが、思いきってやってみなければならないと私には思えます。もち
ろん同時に、撤兵したあとの最悪の事態を避けるために、できることはなんで
もするのです。

軍内部の抵抗

【TD】しばらく話題をシンディ・シーハンのことに戻したいと思います。ベ
トナム戦争の終盤には、米軍はほとんど戦えなくなっていました。戦争に反対
する軍人家族たちもいたにはいましたが、戦争に対する抵抗の主力は、徴兵年
齢の兵士たち自身でした。今、わが国の軍隊は全志願制を採用しています。軍
内の士気は低下し、抵抗の具体的なケース――例えば、イラク再派遣の拒否―
―があることも分かっていますが、今回の抵抗のほとんどは兵士たちの家族に
よるものです。これには、歴史に先例があるものなのでしょうか?

【ジン】このようなことが起こった過去の戦争を私はまったく知りません……
まあ、米国に限っての話しですが。考えられる最も近い例は、南北戦争期の南
部諸州連合で、自分たちの夫が死んでいるのに、大農場主たちは、民間人の主
食になる作物の栽培を拒んで、綿花取引で儲けていると、兵士の妻たちが騒ぎ
たてたことでしょう。今年の秋、ジョージア州ヴァルドスタのデイヴィッド・
ウィリアムスが著作『民衆の南北戦争史』を出版しますが、同書にこの実状を
描いています。

ソ連の事例に、もっと近い類似が見られるかもしれません。ロシアの母親たち
は、彼らにとってのベトナム、アフガニスタンにおける戦争に抗議しました。
それがソ連が下した撤兵の決定にどれほど大きな役割を果たしたのか、私は知
りませんが、そこには確かに劇的ななにかがありました。

ベトナム戦争期に、戦争に反対するゴールドスター[家族や組織に戦死者がい
ることを表わす金星記章]の母親はいるにはいましたが、これに匹敵するもの
ではなく、その理由をあなたはあげました。イラクにいるGIは、徴兵された
者とは置かれている立場が違います――もっとも、ベトナム戦争では、軍に志
願入隊した者たちによる抵抗が多かったことも言っておかなければなりません
が。それに、この戦争にも、ある意味では被徴兵者、すなわち戦闘任務に就く
ための署名をしなかった人たち、戦争に行くなどとは思っていなかった州兵や
予備役がいます。彼らも徴兵されたと言ってもかまわないでしょう。

それでも、これはおおむね全志願制の軍隊なので、今までに例を見ない形で、
抗議が親たちの手に委ねられているのです。彼らの子どもたちはそれほど気軽
に抗議できる立場にありません。もっとも、戦争が続くにつれ、GIによる抗
議はどんどん増えると思いますが。これは避けようもありません。報道されて
いる以上に軍内部の抗議や不満が潜在していると――証明する術はありません
が――私は想像しますし、この動きは目に見えないので、伝えることができる
ものよりも、もっと多くあることでしょう。

ブッシュ政権にイラクからの撤兵をほんとうに余儀なくさせるものはなにか、
考えてみますと、ひとつには軍隊内部の反抗があります。デイヴィッド・コー
トライト( “Soldiers In Revolt: GI Resistance During The Vietnam War”
《*》[『反乱のなかの兵士たち――ベトナム戦争期におけるGIの抵抗』]
の著者)は、ベトナム駐留軍内部で起こったことが、米国がベトナムから手を
引くことになった重大な要因だったと信じています。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-
bin/booksea.cgi?ISBN=1931859272

【TD】それでは、下のほうではなく、上層部における軍内の抵抗はどうなん
でしょう。はるかに朝鮮戦争まで遡りますと、将校たちの間に、間違った時、
間違った場所で、間違った戦争をやっているという感覚があり、それがベトナ
ムで繰り返されました。イラクの戦場にいる上層部の要員は、自分たちは破局
的状況に陥っていると、ずいぶん前から知っていることが明らかです。そうい
う彼らが、[駐留兵力の]削減や撤収について、最近、ブッシュ政権の許可な
しに発言しはじめた者たちなのです。

【ジン】一枚岩と思えた上層部に、裂け目ができると、[戦争]継続がずっと
困難になりますので、これは重要な進展です。私が思いつく一例は――戦争状
況ではありませんが――マッカーシズムです。(赤色分子排斥主義者の上院議
員ジョセフ)マーッカシーがアイゼンハワー政権の大物に手を伸ばしはじめ、
(ジョージ)マーシャル大将を追及し、攻撃の手が最上層部にどんどん迫るよ
うになると、ますます多くの人たちが彼から距離を置き、これが彼の活動停止
の決定的な理由になりました。今ではしばらく前から、軍最上層部の不満が明
確になっています。例えば(退役した中央軍司令官のアンソニー)ジニは当初
からはっきり発言しています。一時、名前が似ているのが心配しましたが【笑
い】、彼が思いのままにハッキリ物を言っているので、今は気分がいいです。

【TD】それに彼のような退役将校は、軍内の他の人たちのために発言してい
ます。

【ジン】そのとおりです。彼らは他の人たちが言えないことを言う立場にあり
ます。つまり、わが国の戦争の多くに、軍による抵抗がありましたが、ベトナ
ム戦争期までは、じっさいに政策を変えるまでには至りませんでした。[アメ
リカ独立戦争時の]革命軍にはワシントンに対する反乱がありました。メキシ
コ戦争では、膨大な件数の脱走があったにもかかわらず、戦争を止めることは
できませんでした。第一次世界大戦においては、軍による抵抗は私には思いつ
きません。もちろん、米国はほんの短期間、じっさいには1年半の間、参戦し
ていただけです。たしかに、第二次世界大戦は違った状況にありました。これ
がベトナム戦争をこのような歴史的な現象にしているのです。政府の政策の変
更において重要な要因になる軍内部の運動が見られたのは、このときが最初で
す。それ以来、今回を除き、米国は短期の戦争を行ってきたのは、興味深いこ
とであり、これらの戦争は、反戦運動が展開する時間を与えないように、短期
決戦で終るように練られていました。今回、彼らは見込み違いをしました。今、
これは条件の問題だとは私は思いません。まさしく時間の問題なのです。いつ、
どのようにしてなのかです。米国がイラクから出ていかなければならないこと
に、なんらの疑問があるとも思いません。問題は次のことだけです。どれだけ
の時間がかかるか? さらに何人死ななければならないか? そして、どのよ
うに撤兵するか?

帝国の拡大限界

【TD】あなたが60年代に関してハッキリとお書きになった論点、戦争犯罪
の話題に移らせてください。だが、当時の大勢として、“戦争犯罪”は、もの
ごとの最後に登場し、最初に幕引きされる告発の対象でした。私たちは、この
数年の間に、アブグレイブやグアンタナモからアフガニスタンまで確かに数多
くの犯罪を見聞しました。戦争犯罪がテーマになると、アメリカ人は不完全に
しか追及しないのはなぜなのか、私は不思議に思うのです。

【ジン】米国では、それ――戦争犯罪、戦争犯罪人――は、向こう受けするに
はあまりにもつらいテーマであるように、ほんとうに思えます。指導者たちが
間違っていると発言する意欲はありますが、もう一歩踏み込んで、指導者たち
が悪徳であると言うのは大きな飛躍です。アメリカ文化においては、残念なが
ら、大統領や雲の上の人たちはきわめて特別な存在であり、間違いは犯すかも
しれないとしても、犯罪者にはなりようがないという、君主至高主義的な考え
方があります。国民がベトナム戦争反対に転じたあとですら、ジョンソンやマ
クナマラ(国防長官)、その他が戦争犯罪人であると言う論議は広がりません
でした。これは、大統領とその配下に服従するというアメリカ文化と関係があ
ると私は考えています――この一線を超えると、国民は考えるのを拒むのです。

【TD】アメリカの例外主義文化は、これとどのように関係するのでしょう
か?

【ジン】私なら、ベトナム戦争に反対したアメリカ人の非常に多くが、それで
もこの国の基本的な善意の正しさを信じていたと思うでしょう。彼らはベトナ
ムを例外的な状況だと考えたのです。反戦運動の中の少数派だけが、帝国主義
と拡大志向とで一貫した政策の一部としてそれを見ていました。これは今でも
言えていると私は考えます。アメリカ人にとって、われわれは例外的に善良な
国民であるという考えを捨てるのは、非常につらいのです。われわれは折に触
れて間違ったこともするが、これは個別の脱線にすぎないと知るのは、安心で
きることなのです。特定の政策または特定の戦争に対する批判を、国家および
その歴史の全面的な否定評価に拡張するには、多大な政治的良心を必要とする
と私は考えます。それは、アメリカ人が後生大事にしなければならないらしい
急所に、あまりにも間近に迫って打撃を与えることになります。

もちろん、このことにもそれなりの正しい要素もあります――これには、おそ
らく米国は正しい立場に立つであろうとする道義的原則があります。ただ国民
が原則を政策と混同しているだけなのです――そして、国民が頭のなかにこれ
らの原則(普遍的な正義、平等、その他もろもろ)を持ち続けるかぎり、それ
らが厚顔にも恒常的に踏みにじられてきたという事実を受け入れることを非常
に嫌がります。これが、大統領とその配下を戦争犯罪人として見ることになる
と、急に止してしまうことに関して、私が説明できるただひとつの方法です。

【TD】イラクにおける破局状況から視野を広げて、アメリカ帝国プロジェク
トのブッシュ政権版をどのようにご理解なさっているのでしょうか?

【ジン】私は、アメリカ帝国が中東で拡大の限界に達したと考えるのが好きで
す。私は、アメリカ帝国の未来がラテンアメリカで開かれているとは信じてい
ません。この地域で持っていた勢力がどのようなものであれ、使い果たしてし
まって、私たちは米国と協力しようとしない諸国政府の台頭を見ているのだと
考えます。これが、イラクにおける戦争がこの政権にとってこれほど重要であ
ることの理由のひとつかもしれません。イラクの向こうに、行き場がないので
す。だから、こう言ってみましょう。私は、いつ実現しようとも、イラクから
の撤退を――半分、願望、半分、信念として考えているのですが【クスクス笑
い】――アメリカ帝国の縮少の第一歩として見ています。けっきょく、私たち
はこれを余儀なくされる歴史上で最初の国ではないのです。

これは米国内の異議申立てによって実現すると言いたいですが、主として、米
国がわれわれの属していない地域にさらに進出していくことを、世界中の他の
国ぐにが受け入れないことから実現するのでは、と思っています。将来には、
9・11はアメリカ帝国の解消のはじまりを画するものとして見られることに
なると私は信じています。すなわち、即座に戦争に対する国民の支持を固めた
事件そのものが、長い目で見れば――どれぐらい長くかは私は知りませんが―
―アメリカ帝国の弱体化と崩壊のはじまりと見なされるかもしれません。

【TD】これには皮肉な巡り合わせがありそうです。

【ジン】たしかにそうです。

戦争の根絶

【TD】戦争の問題に話題を移したいと思います。考えうる戦争の根絶を純粋
に夢想的な計画でないものとして、あなたは書かれました。戦争を根絶やしに
できるとほんとうに信じておられますか? それとも、戦争は私たちの遺伝子
に組み込まれているのでしょうか?

【ジン】私に分からないことはたくさんありますが、ひとつのことは非常にハ
ッキリしています。戦争は私たちの遺伝子に組み込まれているのではありませ
ん。私は、男性心理には、この種の暴力や軍国主義を求める何かがあると主張
する説明を読めば、いつの場合でも、たとえそれが戦争に参加した人たちのも
のであっても、信じることができません。私はこのことを歴史的経験にもとづ
いて言っているのです。つまり、これはたいがい男ですが、暴力的行為におよ
び、戦争に行った人びとの例を、戦争に行かず、戦争を拒否した人びとの例に
比較すると、人びとは自然に戦争を望んでいるのではないようなのです。

人びとは戦争に付随する多くのもの――仲間意識や、武器を帯びるスリル――
を欲しがるかもしれません。これが国民を惑わせていると私は考えます。スリ
ルや仲間意識、こんなものはすべて数多くの別の方法で味わうことができるの
です。だが、国民が戦争に駆立てられるように操作されていときだけ、それら
のものは戦争に由来するとされるのです。私にとって、生まれつきの戦争本能
説に対する最強の反論は、政府が国民を戦争に駆立てる手段として頼らなけれ
ばならない、ごく最近、私たちが見た実例にあるような膨大な量のプロパガン
ダや詐欺行為の程度にあります。それに、強制力も忘れてはなりません。だか
ら、私は、戦争を好む自然な傾向という説を切り捨てるのです。

【TD】あなたご自身が戦争に行かれた……

【ジン】私は20歳でした。第8航空軍団に所属し、戦争の最後の任務のいず
れかでイングランドから飛びたったB17爆撃機に、爆撃手として乗り組みま
した。私は、若く先鋭的な反ファシズム主義者として参戦し、あの戦争を信じ、
ファシズムに対する正義の戦争という思想を信じていました。私は、戦争の終
わりに、私たちが従事していた暴力行為、各地の都市の爆撃、ヒロシマ・ナガ
サキ、私が任務を遂行していた爆撃は正当とされうるのか、疑問を抱きはじめ
ました。次いで、私は連合国指導者たちの動機を疑うようになりました。彼ら
はほんとうにそれほど深くファシズムが気掛かりだったのだろうか? 彼らは
ユダヤ人のことを心配していたのだろうか? これは帝国のための戦争だった
のだろうか? 空軍で、私は別の爆撃機に乗りこんでいた若いトロッキストに
出会いました。彼は私に「いいかい、これは帝国主義戦争だ」と言いました。
私はいささかショックを受けました。「おや、あんたは航空任務に就いている
んだ。どうしてここにいるんだ?」と私は言いました。彼は「君のような人た
ちに話すためにいるのさ」と彼は応えました【笑い】。彼は私を転向させたわ
けではありませんが、少しばかり揺さぶりました。

終戦後、歳月が過ぎるうちに、私は、戦争が実現するとされていた約束につい
て、いやが応でもじっくり考えるようになってしまいました。周知のように、
マーシャル将軍が、私――それに、他の1600万人の人たち――に宛てて手
紙を発送し、私たちに戦勝の祝辞を述べ、今や世界は変わると語りかけました。
5000万人の人びとが死にましたが、現実として世界はそれほど変わってい
ませんでした。つまり、ヒットラーやムッソリーニは去り、日本の軍事機構は
崩壊しましたが、ファシズムと軍国主義、それに人種主義はいまだに世界中に
はびこり、戦争はいまだに続発していました。そこで、私は、戦争というもの
は――おや、われわれはファシズムを打倒したとか、われわれはヒットラーを
排除したとかいうふうに(まるでわれわれはサダム・フセインを排除したと言
うみたいですね)――どれほど即効薬になるにしても、どれほど熱意を掻きた
てようとも、事後の効果はドラッグ類のそれと同じであるという結論に達しま
した。まずハイになりますが、やがておぞましい状態に沈んでしまうのです。
だから、いかなる戦争も、邪悪に対する戦争ですら、どんなこともたいして達
成しないと私は考えはじめました。長い目で見て、戦争は問題解決になりませ
ん。戦争してる間に、膨大な数の人びとが死にます。

それに、近代軍事技術という条件下では、戦争は不可避的に子どもたちに対す
るもの、民間人に対するものになるという結論にも達したのです。民間人と軍
人の死者数を比較すると、第二次世界大戦では50対50だったのが、ベトナ
ム戦争では80対20、現在ではたぶん90対10へと、民間人の割合が高く
なっています。あなたは、イタリアの戦場外科医、ジーノ・ストラーダをご存
知でしょうか? 彼は “Green Parrots: A War Surgeon’s Diary”《*》
[『緑の鸚鵡〈オウム〉――戦場外科医の日記』を執筆しました。彼は、アフ
ガニスタン、イラク、その他の場所で戦場外科に携わっていました。彼が手術
を施した人びとの90パーセントが民間人でした。この事実を直視すれば、現
在では戦争は常に民間人に対するものであり、したがって子どもたちに対する
ものなのです。いかなる政治目標も戦争を正当化できません。だから、私たち
の時代の人類が直面している大命題は、専制政治や攻撃性の問題を解決するこ
と、しかもそれを戦争以外の方法で達成することです。【静かに笑う】 非常
に複雑で困難な仕事ですが、着手しなければならない課題です――そして、こ
れこそが、第二次世界大戦終結からずっと、私が貫いてきた反戦運動参画の論
拠になるものなのです。

-0133278-0437004

[原文]Tomdispatch Interview: Howard Zinn, The Outer Limits of Empire
posted September 8, 2005
http://www.tomdispatch.com/index.mhtml?emx=x&pid=20715
Copyright 2005 Tomdispatch TUP配信許諾済み
===============================================================
[翻訳]井上利男 /TUP

———————————————————————-
TUP速報
配信担当 萩谷 良
電子メール:TUP-Bulletin-owner@y…
TUP速報のお申し込みは:http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/
*お問い合わせは多数にのぼり、ご返事を差し上げられない場合もありますこと
をご了承ください。
■TUPアンソロジー『世界は変えられる』(七つ森書館) JCJ市民メディア賞受
賞!!
■第II集も好評発売中!!