FROM: minami hisashi
DATE: 2005年11月20日(日) 午前0時05分
☆イラク戦争の動機とその結果★
ジョージ・ブッシュと政権高官たちが戦争に手を染めたのは、どんな動機から
だったのだろうか? 戦争の結果、イラクはどうなってしまったのだろうか?
本稿「トム速報インタビュー」第4弾において、ブログサイト「情報通評論」
の主宰者、中東の現地情勢やワシントンの内幕に詳しいホアン・コールが、ト
ム・ディスパッチ主宰・編集者、トム・エンゲルハートの質問に答えます。現
在のイラク情勢を整理するのに格好の一編。井上
凡例: (原注)[訳注]〈ルビ〉《リンク》
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トム速報インタビュー:
ホアン・コール、ジョージ・ブッシュのイラク戦争を語る
トム・ディスパッチ 2005年10月17日
(読者の皆さんへ――本稿は、当サイト、トム・ディスパッチが企画するイン
タビュー・シリーズの第4弾。これまでにハワード・ジン《1.TUP速報5
49号》、ジェームス・キャロル《2.同556号》、シンディ・シーハン
《3.同558号》の各氏にご登場いただいた。トム)
1 http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/595
2 http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/602
3 http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/604
富、金庫、そして金梃子〈バール〉
――トム速報インタビュー: ホアン・コール(パート1)
[聞き手: トム・エンゲルハート]
私のオンライン生活にとって一日のスタートを告げる人物、ご当人が戸口に立
っている。ウェーブのかかった短髪、華奢〈きゃしゃ〉な印象の小柄な男。
ダークスーツとネクタイで粋に決め、日曜日の朝だというのに、こんな堅苦し
い格好ですみません、と詫びを言いながら入室する。彼が私の家に来訪したの
も、実を言えば、彼の専攻分野のひとつ、イラン情勢に関連して午後にPBS
[全米ネット公共放送網]のテレビ番組「グレイト・デシジョンズ[大いなる
決断]」のインタビューを受けるために放送局に向かう途中、ちょっと立ち寄
ってくれただけにすぎない。
彼が、もちろんホアン・コールその人だ。彼のウェブサイト「インフォーム
ド・コメント[情報通評論]」《1》がオンラインに初登場したのは、ブッシ
ュ政権によるイラク侵略の1年近く前、2002年4月のことだった。当時の
ようすを本人は次のように振り返る――「私は中西部の大学の一教授にすぎな
かった。私の講座で中東学を教え、論文を書いていた。私の関心は、宗教団体
や宗教運動、とりわけシーア派イスラム教とスンニ派近代主義とにあった。私
はこれらの動きの由来を知っていた。18世紀に遡るナジャフのシーア派聖職
集団の歴史を知っていた。それに、断続的であっても、中東暮らしがかなり長
かった。私のブログを始めたとき、それは、たまに暇を見つけては、いくつか
の考え方を提供し、初めのころは一日に50人から100人ぐらいの人たちに
読んでいただくというもので、私にとって庭いじりとたいして変わらない、さ
さやかな趣味の領域だった」 それが、今では、ブログの世界を追っているテ
クノラティ・コム[ブログ検索サイト]《2》のランキングでトップ100の
常連であり、たぶん地球上で最も多くのリンクを貼られているサイトになって
いる。バグダードのホテルに缶詰になった米人報道記者たちが、イラクからの
最新ニュースを求めて、彼のブログを読んでいる。快挙の秘密? ご当人は、
茶目っぽく笑いながら、こう答えを明かす――「私はタイピングが速いのです。
1分間に70語打ちます」
1 http://www.juancole.com/
2 http://technorati.com/
アラビア語、ペルシャ語、ウルドゥー語[*]をわがものにした「陸軍将校の
息子」であり、「トルコ圏情報源の活用法を知る」学者である彼は、ミシガン
大学で近代中東史を講義している。ことのほか温和な外貌と穏やかな物腰、そ
れにゆったりした話し振りを備える。ユーモアでさえ抑制が効いている。そし
て皮肉っぽい。本人から聞いたのだが、彼のブログの名称[「情報通評論」]
そのものが、その昔、2002年当時の人びとが好んでいた「ご大層な」ブロ
グ表題に対する地味な寸評になっている。それでも、彼のブログの読者のだれ
もが知るように、彼の精神は穏やかどころではない。ブッシュ政権とアメリカ
の対中東政策とにますます恐れいる、まともな人間として、彼はみごとなまで
に激しい気性の論客になれるし、しばしばなっている。
[インド亜大陸圏イスラム教徒が用いるアラビア文字表記の言語。パキスタン
の公用語]
自然が人類にふたたび猛烈な一撃――パキスタンで発生したばかりの地震――
を見舞った当日、彼はわが家の居間の安楽椅子に座り、朝食を待つあいだ、そ
の地域における歴史とプレート・テクトニクス[*]について私の知らないこ
とをどっさり語りはじめる。質問を受けると、彼は解答を整えるために一呼吸
置く。私たちの世界では稀なことだが、彼が考えているのを自分の目でじっさ
いに見ることができる。あなたが頭にいささかなりとも良識を持ちあわせた学
生ならば、彼こそは自分の教授になってほしいと願うに違いない人物である。
じっさい、私たちのインタビューが始まって1時間30分たって、私のテープ
レコーダーを切ったとき、私は表面を引っ掻いただけであるように感じた。ま
だ大量の質問が残っていて――たぶん、日を変えて――改めて問うことになる
だろうから、ここにトム速報で初めての二部構成インタビューの第一回分テー
プを文書に起す。
[地球の表層を構成する複数のプレート(岩盤)のマントル対流による動きで、
大陸移動、造山活動、地震などの地殻運動を説明する現代地球物理学の理論]
【トム・ディスパッチ】あなたは眠るのですか? これはあなたの読者諸氏が
不思議に思っている疑問なのです。例えば、10月4日。あなたは4件の記事
を投稿なさったのですが、いずれも発信時間が午前6時から6時半になってい
ます。7時に私が起床すると、いつもあなたがいらっしゃる。
【ホアン・コール】私は夜型の人間なのです。種明かしをすれば、中東のアラ
ビア語・ペルシャ語各紙は、アメリカ東部時間の午後10時、または11時ご
ろに発行されますが、それらは翌日の新聞なのです。だから、基本的にタイ
ム・トラベルのような感じです。明日の新聞を今夜読むのです。
【TD】地球規模のテロに関する最新の大統領演説について、あなたは「ミス
ター・ブッシュ、私はあなたの描く世界に見覚えがない」と書かれました
《*》。まず手始めに、私たちのイラク観――ブッシュのそれだけに限らず、
主流メディアの描くイラク像――に欠けているものを説明していただけます
か?
http://www.juancole.com/2005/10/arguing-with-bush-and-gwot-bush.html
【コール】イラク発のものだけではありません。これは私たちの目に映る世界
像なのです。米国は特異な島国社会です。米国民のほとんどはあまり旅してき
ませんでしたし、わが国のマスメディアは、つまり、いささかなりとも重要な
テレビ報道番組のすべては、およそ5つの企業に支配されています。国務省と
報道機関には、なんでも屋を珍重するあまり、深い専門知識を一種の偏向とし
て疑ってかかる伝統があります。だから、イラクを取材するジャーナリストが
中東をよく知り、アラビア語を解するなら、あまりにも地域に深入りしすぎて、
客観的になれない人物と見なされかねません。アメリカ流儀の客観性確保とい
うものは、なんでも屋を現場に舞い降りさせて、地元の情報屋に頼らせること
なのです。このような理屈は完全にまちがっています。例えば、BBC[英国
放送協会]であれば、中東報道の大部分をアラビア語を解さない連中に任せき
りにすることなど夢にも思わないでしょう。
基本的に言って、国民は、中東専門の記者ではない、前の年には東南アジアや
ロシアにいたようなジャーナリストを通して、あるいは前の週にはどこか別の
地域を担当していた政治家や役人を通して、中東のような地域のあれこれにつ
いて情報を与えられています。さらには、それにワシントンの政府筋がしかけ
る偏向が加わりますし、主にニューヨークやワシントンに控えている識者・プ
ロ解説者たちが中東について論評してくれますが、彼らとて大事なことは必ず
しも知ってはいません。ワシントンで顕微鏡観測されている世界のどこかの国
に実際に住んだことのある人は、だれでも米国内における各地の描かれ方にビ
ックリします。けっきょく、きわめて頑強な一連のイメージを植えつけられる
だけであり、それには、ほとんどどんな真実の情報も歯が立たないのです。
【TD】おっしゃることをイラクに当てはめていただけますか?
【コール】有名な例をあげるとすれば、イラク戦争前の[2003年]2月、
ポール・ウォルフォウィッツ国防次官[当時。現在は世界銀行総裁]が全米公
共ラジオの求めに応じたインタビューがそれにあたります。彼の発言の趣旨は、
サウジアラビアは米国の友好国であってきたが、イラクはそれに勝る友好国に
なるだろうというものでした。この言い方によって、中東における米国の安全
保障体制の柱として、サウジアラビアからイラクに乗り換えようとする彼の意
図が明らかになりました。サウジアラビア人はワッハーブ派イスラムであり、
聖地メッカとメジナを大事にしています。イラクはシーア派の社会だ、と彼は
言いました。シーア派は世俗的だ。彼はシーア派と世俗的という言葉をを並べ
て言ったのです。そのうえで、聖地を抱えているといったような類の問題がな
い、と彼は述べました。侵略を立案したワシントンの権力エリートは、シーア
派も含め、イラクが世俗的な社会であると考えていたようで、イスラム世界で
最も神聖な霊廟〈れいびょう〉都市に数えられるナジャフとカバラの存在に気
づいていなかったらしいのです。
これはウォルフォウィッツが愚かだという問題ではありません。情報を得てい
ないという問題なのです。故意に情報を入手しないのです。アフメド・チャラ
ビ(長いこと国を離れていたイラクの政治家、腐敗した銀行家であり、現在は
副首相)のような人物がイラクについて説いたことを闇雲に信じただけです。
たぶん彼はイラク現代史に関する本は一冊もちゃんと読んだことがないのでし
ょう。だって、イラクは世俗社会じゃなかったのですからね。
【TD】2002年4月、あなたはサダム後のイラクに描くアメリカの夢を考
察なさって、「民主的に選出された政府と友好的な政府とは、少なくとも長期
的に見て、必ずしも同一のものではない」とお書きになりました《*》。この
実態が、今、私たちの立ちいたっている局面であり、侵略の1年前には明らか
に非常に認識しやすいことでした。
http://www.juancole.com/2002/04/state-department-vs.html
【コール】ミシガン大学国際研究所が、2003年1月、イラク戦争について
の賛否論を書くようにと私に要請しました。戦争に賛成できないとして私があ
げた理由のうちに、(1)バース党政権を転覆し、イラクの世俗的アラブ民族
主義を傷つければ、スンニ派アラブ人社会はこれまで以上にアルカイダ型のア
イデンティティに引き寄せられる、(2)イラクを侵略し、大衆的な政治の動
きを解き放てば、シーア派イラク人たちはイランのアヤトラ[最高宗教権威
者]たちと組むようになることがじゅうぶん考えられる、というのがありまし
た。1990年代初期に戻って、ディック・チェイニー(現副大統領)の演説
を見てみれば、同じような発言をしていると思いますよ。
【TD】それでは、余人はともかく、ディック・チェイニーにとって、当時と
2003年3月時点との間になにがあったのでしょうか?
【コール】ディックは以前の関心事に優先する動機を見つけたのだと思います。
私たちのいただく政府はガラス張りではありませんので、私たちはわが国の副
大統領の動機はなんであったか正確に知る立場にいませんが、明らかに彼は、
かつての自分の懸念がどれほど妥当だったとしても、別の考え方のほうが重要
だと確信したのです。
【TD】では、そういう別の考え方とはどんなものか、あなたのご推察は?
【コール】私がチェイニーについて推測しているのは、彼のエネルギー産業に
おける経験およびハリバートンにおけるCEO[最高経営責任者]としての経
歴がその思考方法に影響を与えたはずだということです。米国の民間エネル
ギー部門にとって、イラクはたまらない魅力があったはずです。同国は国連の
制裁下にありました。それなりの投資をすれば、石油生産国としてサウジアラ
ビアに対抗できるであろうほどの国だったのです。サウジアラビアは、その気
になれば、日量1100万バーレルの石油を生産できる国です。戦争前のイラ
クは日量300万バーレルに迫る石油を産出し、油田地帯が探査、開放、採掘
されるなら、20年もすればサウジアラビアに匹敵する生産レベルになってい
たでしょう。そうなれば、大量の石油を市場に投入できたでしょう。精製事業
によって、お金を儲ける機会が生れたでしょう。しかも、イラクに自由市場制
度が成立すれば、欧米の石油会社には、油田を自社で保有する機会も生れたで
しょう。それは、中東の油田の大部分が国有化された1970年代以降、かな
わなかったことです。そういうあらゆる可能性がイラクでは閉ざされていたの
です。
石油産業は凄まじい業界です。構造的にそうなのです。たえず掘り出し物を見
つけること、その開発のためにも有利な契約を取りつけることで成り立ってい
るのですから。だから、いつも次の油田の奪い合いです。イラクにあることが
確実に分かっている石油・エネルギー資源が、制裁処置のもとで、また政府が
すべてを統制するアラブ社会主義体制のもとで封鎖されていたのですから、石
油業界人はまさしく気も狂わんばかりだったに違いありません。
制裁が解除され、イラクが生産を再開するのはいつになるのか、知る術もなか
ったのです。あなたが石油業界の人間だとしたら、10年先はどうなるか、見
通しを立てたいと望むものです。イラクが日量500万バーレルを生産できる
ことになれば、どうなるか? 価格に響くだろう。策定したいと望む計画にも
影響を及ぼすことになるだろう。でも、それを予測する術はなかったのです。
完全に不可知の領域でした。
だから、イラクはまるで金庫のなかの財宝でした。そのありかは正確に分かっ
ていました。財宝の種類も分かっていました。でも、手が届かなかったのです。
どう見たって、とるべき手段は、バールを持ってきて、金庫の錠をこじ開ける
ことでした。私が疑ってかかっているのは、チェイニーのような人物の場合、
このような考え方が彼の対イラク戦争支持に大きく関わっていたのではないか
――そして、彼はシーア派を含むイラクの[バース党ではない]別の勢力に賭
けてもいいと思ったのではないか――ということです。
【TD】彼は、政権内の大勢とは違って、別の勢力の存在をすでに知っていた
とでも?
【コール】ああ、彼はひじょうによく知っていました。この戦争の立案に関わ
った人たちのなかでも、チェイニーと(当時の国務長官・コリン)パウエルと
はイラクの現地状況に精通していました。
【TD】では、他の勢力について、またその動機について、どのようにお考え
ですか?
【コール】私たち歴史家がすべての文書に目を通すことができるようになり、
この件がどのように計画され、だれがそれを支持したかが解明されれば、ブッ
シュ政権はさまざまな勢力の連合体であり、その連合を組む各勢力はこの戦争
を遂行するそれぞれ独自の理由を持っていたことが分かるようになると私は考
えています。最も深く探究されたグループはネオコンサーバティブ[新保守主
義者]ですが、私たちが彼らを戦争推進勢力として最終的に評価するときには、
このグループはそれほど重要ではないということになるのでは、と私は感じて
います。彼らはたいがいの局面で指令する立場にはいませんでした。彼らは議
論する役回りを与えられていました。また、彼らはトカゲの尻尾だったのかも
しれません。ものごとが悪い方に転じると、彼らが言っていたことのほうが、
他の勢力の言っていたことより多めにリークされました。
ジョージ・W・ブッシュは、テキサス州の知事だったときから、彼言うところ
の「サダムを取り除く」ために、イラク戦争を願っていたということが、これ
から明らかになるのではないかと私は思います。彼が戦争を望んでいたかもし
れない理由はさまざまにあって、疑いなく複雑に絡んでいます。彼はエネル
ギー業界にコネがありますから、チェイニー流儀の考えに影響されたかもしれ
ませんが、私的で家族ぐるみの怨念もありました。つまり、父ジョージ・ブッ
シュは、湾岸戦争のあと、サダムは失脚すると期待していました。彼自身の告
白によると、サダムが生き残ったので非常に驚いたとのことです。彼は、イラ
ク軍の将校集団が――いわゆる――正しい行動に踏み切ると期待していたのだ
と私は思いますが、このことから、アメリカのワスプ[WASP=アングロサ
クソン系白人新教徒]特権層についてなにごとかが、彼らが政治に期待するも
のはなにかが分かります。だれかが惨めに失敗すれば、エリートの他勢力が踏
み込んで、その人物を排除すると彼らは予測するのです。イラクではそのよう
なことが実現せず、それがブッシュ一族の威信に対する一撃になったのだと思
います。W[子ジョージ・ブッシュ]にとって、一族の声望を回復することが
重要だったのかもしれません。
たぶん戦争の動機は数多くあったでしょうが、当のブッシュがどれぐらい政策
決定に中心的に関わってきたかということが、どうしたことかアメリカの言論
から抜け落ちています。まるで彼が風に吹かれる木の葉だったとでも言わんば
かりです。でも、そんなことはありません。ブッシュの大統領としてやってき
たことが一次資料にもとづいて最終的に検証されるとき、ペンタゴン・ナン
バー・スリーの人物[*]に帰せられたうちの多くのことがらが、じっさいに
は最初からブッシュの発想によるものであり、彼が強硬に急きたてたものであ
るということになるかもしれません。
[対イラク開戦論を主導した国防総省分析官、ダグラス・ファイス。なお、ト
ム・エンゲルハートによれば、ナンバー・スリーという言い方は、その上司、
ポール・ウォルフォウィッツ国防次官など、当時のペンタゴン内主戦論者総体
も同類であることを示唆していると解すべき]
ブッシュの個人的な流儀は成り行き任せです。あまり細かいことを処理してい
く忍耐力がないのです。テキサスでは、あれこれ起こる度ごとに共和党員も民
主党員もごっちゃにして州議会議員を招集し、方針を策定していました。これ
が施政者としての彼の前歴ですが、世界はテキサスの立法府のようなわけには
いきません。世界は、妥協しながらやっていけるような仲良しクラブではあり
ません。世界はもっと複雑で、危険を秘めた場であり、容認できる妥協が望め
ない規格外れの問題がしばしば起こります。テキサスを動かす調子で世界を動
かそうとするのは大間違いなのです。
米国政府は、組織の集合体として、紛争後の状況にまつわる経験をじっさいに
数多く踏んでいます。ボスニアしかり、コソボしかりです。これこそ、これま
での20年にわたり国務省やペンタゴンの大勢の当局者たちがやってきたこと
なのです。ボスニア語やアラビア語を知らなくても、戦争終結後の警察活動、
あるいは衛生やゴミ収集が必要なことが分かっている職能的な専門家たちがい
ます。こういう人たちがイラクに関して助言をしていました。私は、実際にそ
ういう人たちが存在していたことを知っています。彼らがやっていたことにつ
いて、私は事実として知っています。だが、いざその時になると、彼らはまっ
たく無視されました。どうしたことか、国防総省の文官たちはそうした専門家
たちを退場させ、こうして米軍は戦後イラクの地道な復興を図る方法を指示さ
れなくなりました。
【TD】あなたのおっしゃる金庫に話しを戻せば、鍵は2003年3月に壊さ
れました。2年半たった今、あなたが理解なさっているかぎりの現地状況に沿
って、ちょっとしたイラク案内をお願いしたいと思います。
【コール】いいでしょう。北から始めて、南に向かいます。イラクを構成する
18州のうちの3州は、クルド人の人口比率が高く、(湾岸戦争後に米英が設
定した)飛行禁止区域に入る地方であり、クルディスタンと称する連合を形成
していました。これら3州は地方議会と首相を備えた一種のミニ国家を成して
いました。最北地域では米軍が大部隊では駐留していませんでした。キルクー
ク市街は――むしろ(2001年に)アフガニスタン北部の多くの都市が北部
同盟に占領されたのと同じように――[湾岸]戦争中に米空軍による緊密な支
援のもとで、クルド人戦士たちによって奪取されました。だから、イラクの北
部はアフガニスタン戦争と似た様相を見せていました。
【TD】空爆支援、CIA、部族的な人びと……これが1960年代のラオス
以降のアメリカによる戦争の基本スタイルであってきました。
【コール】そのとおり、これがコソボ戦の姿でした。アフガニスタン戦もそう
でしたが、この地[イラク北部]では、クルド人民兵団、つまりペシュメルガ
(Peshmerga)と称する武装勢力がキルクークを奪取すると、トルクメン人、
アラブ人、クルド人から成る、この紛争下にある都市を抑える警察軍を組織し
ましたので、このことが格別に重要な意味を持ちました。クルド人は[キル
クーク地区]住民人口のたぶん半分に迫っているでしょう。大勢のクルド人た
ちがサダム・フセインによって追放されていましたが、大挙して帰還していま
す。私が現地の人たちから得ることができるすべての情報から考えて、クルド
人主体の3行政区は非常にうまくいっています。
【TD】それに、占領されていませんね?
【コール】その地には米軍部隊は大規模には存在していません。水面下では、
時おりクルド人勢力と米軍との間でいくつかの戦闘があり、クルド人はやりす
ぎであり、手に余るとアメリカ人が考えた時に、いくらか爆撃がありました。
だが、こういうのは公には報道されていません。そうした事例について、私は
イラクの人たちから聞きました。だが、全般的には、クルディスタンは米軍に
占領されておらず、経済的に非常にうまくいっているようです。失業率も低く、
建設工事が盛んにおこなわれています。
その反面、キルクーク地区は潜在的な火薬庫です。イラク全体と同地区とに不
幸な影響をおよぼす形で爆発しかねません。油田がキルクークを取り巻いてお
り、クルド人たちはこれらの油田と市街をクルディスタン連合に取り込みたい
と考えています。もともとこの地域で優勢でしたが、最近になってクルド人に
圧倒されたトルクメン人たちが、この考えに抵抗していますし、サダムが同地
に定住させたアラブ人たちもまた不満をもっています。通常の状況のもとでは、
クルド人が意志を通すでしょうが、トルクメン人はトルコに支援されています。
イラク北部は、ちょうどトルコ本国の鏡像イメージのような様相です。トルコ
では、クルド人が少数民族であり、トルコ人が優勢ですね。テロが頻繁に起こ
り、ほとんど毎日のように人びとが暗殺されていますし――もしもある種の民
族間戦争が勃発すると、地域的な類の激情を煽ることでしょう。だから、キル
クークについて危惧するのです。
そして次に、スンニ派アラブ人のいる中心部にいたります。ところで、イラク
における問題は4つの州だけにあるというのは、ほんとうではありません。私
が思うに、イラク国民の半分は、バクダードをはじめ同国の問題の多い地域に
住んでいます。特に問題の根が深い7つか8つの州は非通常型の低強度戦争の
状況にあります。どの報道も著しく暴力的な特定の事件に的をしぼる傾向があ
るので、そのような状況下で暮らした経験のない人には、それがどんなものか
想像しがたいでしょう。だが、ここで話している地域では、おそらく1200
万人の人びとが暮らし、そのほとんどの者は毎日起床し、仕事に勤〈いそ〉し
み、まったく武力行為に遭遇することがないのです。あなたがモスルに住んで
いるとしても、たいがいの日、あなたの目で武力行為を見ることはまったくな
いでしょう。その反面、実にしばしば遠くのほうで機銃の射撃音が響いている
でしょう。ときおり爆弾の炸裂する音が聞こえます。これがバグダードの様子
です。欧米の報道記者たちが、多くは米軍にどっぷり組みこまれたまま、天降
〈あまくだ〉ってきて、さあね、自分が見たところ市場は盛況で、万事すこぶ
る順調に動いてますよ、などと言うのが大間違いであるわけがこれなのです。
不安と恐怖をもたらし、投資、貨幣流通、雇用機会、子どもを通学させる意欲
を削いでいるものは、長期にわたり常態化した暴力の噴出なのです。これは肉
眼では見えないなんらかの状況なのです。
このように、イラクという国の中心部では治安が保障されていません。基本的
に、スンニ派アラブ人のゲリラ行動はイラクの不安定化を図り、米軍に撤退を
余儀なくさせることを狙っていて、米軍を排除したあかつきには、新政府の政
治家たちを殺害し、クーデターを実現することを願っています。これはアルジ
ェリアなどで用いられた典型的なゲリラ戦略です。
【TD】では、現在、進行中の同国の社会基盤の破壊にはどのようなものがあ
りますか?
【コール】ゲリラ行動は社会基盤を意図的に破壊しています。電力施設、石油
パイプライン、鉄道輸送がそれです。イラク人は、都市居住者でさえ氏族に組
みこまれているので、ゲリラ行動は戦士を民間居住区に潜り込ませ、反撃が被
害をもたらすことを狙って、米軍を意図的に誘いだしています。支族としての
復讐はいまだに人びとの名誉心において重要な部分を占めています。だから、
米軍がイラク人をひとり殺せば、私が推測するに、名誉を重んじる――報復を
義務とする――5人の兄弟と25人のいとこを敵にすることになります。スン
ニ派アラブ人ゲリラは、段階的に住民を反米化するために、その支族に関わる
名誉心にたくみに乗じてきました。1年前の場合よりも多くのスンニ派アラブ
人が米軍のイラク駐留に頑強に反対していますし、1年前はその前の年よりも
その数が増えました。
米国は民間居住区に対する大規模な爆撃を敢行してきました。それに替わるも
のとしては、部隊をイラク都市部の裏町に送りこみ、至近距離の白兵戦に投じ
るしかなく、そうすれば米軍兵の生命の代償がきわめて大きくなるからです。
そんなことになれば、アメリカ世論はたちどころに反戦論に傾いたことでしょ
う。
【TD】ブッシュ政権が侵略開始の準備をしていたころ、バグダードの裏通り
での市街戦に陥るだろうという不安が大いに語られ、たくさんの記事で予測さ
れていましたが、いま米軍は多かれ少なかれそういう状況に置かれています。
【コール】サダムはいつも軍隊を信用していませんでしたので、じっさいの戦
争経過においては、それが現実になりませんでした。彼はみずからが軍人では
なく、落第した法科学生であり、軍隊の首都入城を許しませんでした。彼は軍
隊を市外に留め、基本的に米軍に殺戮〈さつりく〉されるがままに放置しまし
た。だが、バース党から地下に潜り、主としてゲリラ行動を動かしている人た
ちは、都市部をみずからの拠点とするこの戦術の採用を決めました。そして、
それが功を奏しました。ファルージャのような――米国が建物の3分の2を破
壊し、街を長らく空っぽにし、非常に慎重になって、人びとをあまり帰還させ
ない――都市でさえ、確かに安定していません。あの地域では、毎日、米軍に
対する臼砲や爆弾による攻撃があります。米国がファルージャで友人を作った
とは決して言えませんね。
【TD】最近の記事《*》に、あなたはバグダードについて次のように書かれ
ました――「ブッシュは世界最大級の都市を、秩序がなく、公共機関がわずか
で、[住民サービスや病院など]公益事業もほとんどない汚水溜めに変えてし
まった」
http://www.juancole.com/2005/09/fayyad-in-baghdad-it-is-no-longer.html
【コール】それが、そこに住む人たちや、現地を訪れるアラブ人ジャーナリス
トたちの話しから得た私のイメージです。
【TD】ネオコンと彼らの戦前の見通しとに話しを戻しますが、外部の周縁地
帯は、出来損ない国家の野蛮な世界であり、わが国がそこに秩序を持ちこむこ
とになっていました。今日、イラクはそうなっているのではありませんか?
【コール】現時点でイラクは失敗国家です。
【TD】では、南への旅を続けましょうか……
【コール】南部はシーア派主体の地域です。私に言えるかぎりでは、南部諸地
域の大多数では、しだいにイラク・イスラム革命評議会が実権を握るようにな
りました。最高評議会は、1980年のサダムによる弾圧を逃れた原理主義イ
スラム宗教政党の連合体で、テヘランに本拠を置き、アヤトラ・ホメイニの後
援をえて、イランから出動しては、バース党の標的に対する本質的にテロ手段
による襲撃をおこなってきたのです。彼らは、バスラを経由したり、湿地帯を
渡ったり、東のバクーバを通ったりして、イラクに入り、各地で支持者を獲得
していました。
サダムが失墜したあと、最高評議会はイランから帰還しました。その指導部は
ナジャフとバスラとに本拠を置きました。その配下の人びとは都会から出て、
小さな街や村におもむき、政党事務所を開設しました。彼らは非常に優れた草
の根運動員でした。どのようにやりおおせたのか、私にはよく分かりませんが、
1月30日の選挙で、彼らは9つの州を勝ち取りました。
シーア派地域、南部に関する問題は次のとおりです。戦争の後、米国は連合諸
国の軍に南部に駐屯するように要請しました。これら――スペイン、イタリア、
ウクライナ、オランダ、ポーランド――の軍は、兵力が小さく、また多くの場
合、あまりじゅうぶんには統合されていませんでした。そこで、南部は多国籍
の軍隊によるツギハギ細工になり、人口百万の都市・バスラと別の50万都
市・メイサーンには、たった8000ないし9000人規模の英軍部隊が配備
されているだけ、といったありさまでした。地域の治安は、仮に確保されてい
たとしても、それは地元の民兵団に頼るものでした。そして、この民兵団をだ
れが動かしていたのでしょうか? 地域のシーア派宗教政党です。驚くにあた
りませんが、選挙がおこなわれると、彼らが勝利しました。したがって、目下、
バスラを取りしきっているのは、サドル師の運動と最高評議会なのです。それ
こそ、ホメイニであり、ホメイニの申し子なのです。もちろん、酒店やビデ
オ・ショップは閉鎖され、女の子たちはベール着用を強制され、民兵団が街路
をパトロールしています。彼らの党が民政を乗っ取って以来、彼らはいまや警
察にも認められているのです。
つまり、これが、先の1月30日、アメリカ人があれほどはしゃいだ選挙を実
施して、米国が権力の座につかせてやった宗教政党による今のバスラの統治の
実態なのです。たいがいのアメリカ人は選挙がブッシュの政治的勝利であると
受け止めましたが、バスラをはじめ現地でだれが勝利したのかについては、ま
ったく注目していなかったようです。今、英国は大きな問題を抱えています。
8000人の英軍部隊は、これらの集団の民兵が大勢入りこんでいる保安軍や
警察を相手にしなければなりません。もちろん、紛争が増えています。言って
おきますが、長期的には、英国はこの件で勝てるとは思いません。
(次回トム速報インタビューの予告:
ホアン・コール〔パート2〕、米軍のイラクからの撤退を語る)
[原文]Tomdispatch Interview: Juan Cole on George Bush’s Iraq
posted October 17, 2005 at 10:23 am
http://www.tomdispatch.com/index.mhtml?emx=x&pid=29215
Copyright 2005 Tomdispatch TUP配信許諾済み
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[翻訳] 井上利男 /TUP
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