DATE: 2006年3月11日(土) 午後0時03分
ハワード政権10年で、一体何を祝うというの!
オーストラリア人女性ドナ・マルハーンは、2003年春イラクでの「人間の 盾」に参加し、04年春には米軍包囲下のファルージャに入り、その帰路地元レ ジスタンスによる拘束を経験、04年冬から05年春にかけてイラク・パレスチナ を旅して、05年8月アメリカからシンディ・シーハンのキャンプケーシーにつ いて報告してくれました。オーストラリアに帰国したドナは自国のテロを見据 え、米国主導のイラク戦争・占領にオーストラリアが最も貢献してきたパイン ・ギャップに向かい民間査察を強行して逮捕され、現在保釈中の身でありなが らオーストラリア中を講演などで駆けずり回っています。 ブッシュ大統領のポチと呼ばれる世界の首相3人の内のひとり、ハワード首 相が10年の長期政権でオーストラリアをどんな国にしてきたか、ドナが訴えま す。 (翻訳:福永克紀/TUP)
ハワード首相、武装警官、老人の負傷者――私は別の国に居るの? ドナ・マルハーン 2006年3月3日
お友達の皆さんへ
昨日、私が疑問に思い始めたのは、路上に倒れた老人の手首を若い警官がねじ 曲げだした時でした。それは、「私はよその国に居るの?」という疑問でし た。
いや、ひょっとすると、それ以前、シドニーのハワード首相事務所前で少人数 のデモ隊にたいして、フィリップ・ストリートからマーティン・プレイスまで 歩く間、旗を掲げてはいけないと、警備の警官が言った時かもしれません。
旗を掲げちゃ、いけないって?
いつからそうなったの?
どうやら、今かららしい。ジョン・ハワード政権の君臨10年間が私たちに残し てくれたものは、暴力的な文化であり、人種差別の蔓延であり、穏やかにデモ をする老人が警官に怪我をさせられ、大衆が旗を掲げることも許されない警察 国家なのです!
ハワード政権の遺産について2、3言ってやりたいことがあると、昨日シドニー の首相事務所前に集まったのは、15〜20人ほどの少人数でした。難民の窮状 や、学生の権利や、イラク戦争や、その他私たちを取り巻くゴタゴタについて 訴えたのです。
ジョン・ハワードのお面をかぶった一人が路上芝居をやる程度で、「武器」と いえば拡声器ひとつしかないグループに、警察の反応は過剰なものでした。建 物の外には数十名もの武装警官隊が一直線に列をなし、建物内や、あちこちに もっと多くの警官を配備していました。
事態を見渡しているうちに私の胃が痛み出し、まるで違う国に居るように感じ ました。
皆が大勢のデモ隊と合流する予定のマーティン・プレイスまで歩いて行くま で、「デモ参加者は旗を掲げてはならない、手渡せ」と警察が命令した時は、 それが冗談なのか本気なのか私には分かりませんでした。
この途方もなくばかげた非オーストラリア的な命令を、皆は無視することに決 めました。あえて旗を掲げて出発したのです。その時です、警官たちがグルー プを阻止するため歩道にバリケード態勢をとったのです。警官たちは彼らを押 し倒し、旗をひったくり始めたのです。
年老いた男性が倒されたのは、この時でした。彼の旗は手からはぎ取られ、明 らかに逃れようもないのに、屈強な警官数人に押さえつけられました。それか ら、若い警官が彼の腕をつかみ、あたかも彼の手首を折ろうとするかのように 捻りあげたのです。私は唖然としました。
私は急いで駆け寄り、丁寧に警官に言いました。「やめていただけませんか? 彼の腕が折れてしまいます。彼はどこへも逃げられません、ですからこれ以上 彼を痛めつける必要はないでしょう」
その警官は私をにらみつけるだけでしたが、ほかの数人が私を取り囲みまし た。その内の一人が私に面と向かって「おまえ、何様のつもりだ?」と叫び、 私の両肩に手をあてがい全能の神のごとき強さで私を押したので、私はよろめ いてしまいました。
私は、体をしっかりと立て直した後でも、信じられない思いで頭を振ることし かできませんでした。間違いなく私は別の国にいたのです。いくつかの戦争地 域にも、凶暴な占領下の国にも、警察国家の国にも行ったことがありますが、 これは同じ感覚でした。
長年にわたり、デモ参加者に警官が暴力を振るう例は確かにたくさんありま す。私の友人、キリスト教平和主義者のジム・ダウリングも最近、市民集会で 質問するだろうと目をつけられ警官から殴られるという先制攻撃を受けまし た。制度的暴力の文化が、はびこっているのです。
しかし昨日は、一人の政治的「指導者」が五つ星のホテルで自分の「デモクラ シー」を町中に自慢する政治的な「祝賀会」をやっている時に、幾人かで町に 出て、胸につかえているものを平和的に吐き出そうとしていただけなのです、 つまりなんと言おうか、昨日は、全てが、普段にもましていやらしいものだっ たのです!
フィリップ・ストリートでは老人たちを出血させている一方、集合地点のマー ティン・プレイスではとてつもなく大勢の警察臨時部隊が集合していました。
ハワードの盛大なパーティーが開かれている豪華なホテルの近くにあるピット ・ストリートのいたるところで、何ブロックにわたり青い制服の軍団が広がっ ていました。私の生涯でこんなに多くの警官を見たことはありません。
その上、ハワードは国民の味方ですって? 彼は脅えのヤカラでしかありませ ん。
こんなの見たことがありますかと、記者に聞いてみました。彼女は、インドネ シア大統領の訪豪のときに一度だけあると言いました。これは私的な行事なの に、天文学的な費用がかかっていることを思い出させてやりました。彼女はそ のことを記事に書き加えるでしょうか? 肩をすくめた彼女には、気にかけて いる様子などありませんでした。だらけたメディアのおかげで、彼らがうまく やりぬけていくのです。
マーティン・プレイスに集まったデモ参加者は千人を優に越え、労働者や組合 の代表たちがハワード政権下でどれだけ労働者の権利が劣悪化したかを訴えま した。
私が友人に、まるで別の国に居るように感じると話したのは、この時でした。 彼は大きくため息をつき、私の目を見つめました。「僕はその別の国から来た んだよ」と、熱を込めて語りました。「独裁者、ピノチェトから逃げてきたん だ。今はここでも同じように感じるって、みんなに言いたいんだ。あそこで感 じたことを、ここでも感じ始めたんだ」 【訳者注:ピノチェト Pinochet 元チリ大統領 1973年8月23日に、自由選 挙によって選ばれた史上初めての社会主義政権であるアジェンデ政権を、アメ リカの支援によるクーデターによって倒した後、1974年6月27日に大統領に就 任。その後16年間にわたって軍事政権を率いて強権政治を行い「独裁者」と呼 ばれた。彼の政権下では多くの左派系の人々が誘拐され「行方不明」となっ た。(フリー百科事典ウィキペディア より)】
昨夜ラジオ・パーソナリティーのスタン・ゼマネクが反ハワードデモについ て、まるで誰かに指図されたかのように「何でそんなに気にするんだ?」とわ めいていたそうです。
これは普通じゃないと誰かが声にしなければならないから、あえて私たちが声 をあげるのです。怯えて逃げ惑う難民を拘留すること、争いごとがあるわけで もない国を侵略すること、経営者が理由もなく労働者を解雇できるようにする こと、警官が老人を傷つけることが義務だと考えること。
これは、よその国で起こっていることなのです。
私がデモから離れようとした時、ピーター・コステロ財務相が車から降りてホ テルのロビーに入っていくのが見えたので、このもう一人の「国民の味方」に 近づき質問しようとしましたが、厚い警官の壁に阻止されてしまいました。そ れで、そっと言うしかありませんでした……
「ハワード政権10年で、一体何を祝うというの?」
皆さんの巡礼者
ドナより
追伸:ありがたいことに、今日は良いニュースです。でっち上げで警察官への 公務執行妨害容疑をかけられていた、パイン・ギャップ6人の一人ショーン・ オライリーが、今日アリス・スプリングス裁判所で無罪となりました。これ は、良識が警察の弱いものいじめを打ち負かした偉大な勝利です。これが、私 自身と他の3人の年内におこなわれる裁判への良い兆候となるよう願っていま す。「パイン・ギャップ6訴訟基金」を支持してくださる方がおられました ら、私に連絡してください。
追追伸:シドニーの方々、忘れないでください、イラク戦争開始3周年の集会 は、3月18日(土)午後1時からベルモア・パーク(セントラル駅近く)でおこ なわれます。
追追追伸:「虚偽で固められた時代に、真実を述べることは革命的行為とな る」――ジョージ・オーウェル
原文:Howard, riot police and an injured old man: Am I in another country? URL: http://groups.yahoo.com/group/ThePilgrim/message/180