DATE: 2006年4月25日(火) 午後10時01分
占領下で生まれて、また違う国の占領下で死ぬのはいや!
戦火の中のバグダード、停電の合間をぬって書きつがれる若い女性 の日記『リバーベンド・ブログ』。イラクのふつうの人の暮らし、女 性としての思い・・・といっても、家宅捜索、爆撃、爆発、誘拐、検 問が日常、女性は外へ出ることもできず、職はなくガソリンの行列と 水汲みにあけあけくれる毎日。すぐ傍らに、リバーベンドの笑い、怒 り、涙、ため息が感じられるようなこの日記、ぜひ読んでください。 (この記事は、TUPとリバーベンド・プロジェクトの連携によるも のです)。 http://www.geocities.jp/riverbendblog/ (TUP/リバーベンド・プロジェクト:池田真里)
2006年4月22日土曜日
女王さまの訪問・・・
バグダードは今、暦の上では春だ。わたしたちは冗談まじりにイラクに春は無 いなんて言ってる。寒くて風の天気から、すぐにじめじめした砂嵐のふた月、そ して燃えるような乾いた熱さ、つまり夏へと入ってしまう。それでも、この4月 はじゅうたんや敷物を巻いて夏服を取り出すための月だ。
夏服を取り出して冬服を片づけるのは、家族全員かかってのおよそ1週間しご とだ。冬服から夏服に全て替え終わる時には、家中がナフタリンや衣類や肌着の 虫除けのために時々使う新品の石鹸のにおいになってしまう。
恒例の「春の大掃除」などのほかには、ここ数週間はイラク基準に照らしてさ え不安定になっている。バグダードのアーダミヤ地区では、特にここ1週間、激 しい戦闘があった。ほとんどいつも何かしらの衝突がアーダミヤでは起きてはい るのだけれど、1週間前、内務省のならずもの部隊とゲリラの間で大々的な戦闘 となった。その結果として、私たちのところに年配の親類が滞在することになっ た。彼女の息子、母のはとこは「母の心臓は興奮に耐えられないんだ。銃弾で二 階の窓が粉々に飛んだ時、心臓発作を起こすんじゃないかと思った」と我が家に 彼女を連れてきた時にそう言った。
1週間前のアーダミヤでの突発的な衝突の前までは、イラク人特殊部隊(内務 省のならずもの)が去年この地域で彼らがやっていたような家々の強制捜査をし ない限り、イラク治安部隊に対してこの地域での闘いはしないという「暗黙の協 定」がゲリラとイラク警察の間に存在していたらしい。
そんなことで、私たちはビビZ(「ビビ」は、バグダードの方言で「おばあさ ん」とか「おばあちゃん」の意味)との日々を共に過すことになった。彼女の正 確な年令をわたしたちは知らないのだけど、ゆうに80歳台に入っているんじゃ ないかと思う。 彼女は柔らかくほとんど透明な皮膚をしていて、小さな顔は長 い白い髪の房で縁取られていて、一見頼りなく壊れそうに見える。彼女の眉はと ても白く、肌の白さとほとんど区別できないので、黒い瞳が、いまだにとても生 き生きと魅力的に輝いてみえる。
イラク人家族の中で最年長であることの特徴は特権を持つということだ。ビビ Zは、王者の気品と威信にみちて部屋から部屋へと動き回っている間に、わが家 を統治する暫定的な女王に自ら就任した。私たちの家に到着してものの10分以 内に、彼女は私の部屋を占領し、私はたちまち居間の居心地の悪いソファーに左 遷された。 彼女は何時間も費やして宿題から家事までのすべてを監督し、1番良 い冬服のしまい方、カーペットの巻き方、代数の勉強について当然のように助言 を与えた。 料理こそしないけれど、もったいなくも時々お味見をしてくださり、 いつもこれがひと匙、あれがひとつまみ足りないと気付かれるのであった。
お年寄り世代のイラク人と席を共にするのには魅力を感じる。何だか複雑な気 持ちが湧き上がってくるのだ。それはどんなものかというと、彼らはイラクのよ うな国に住んでいて多くの悲劇と栄光を経験してきているから、彼らと一緒に居 るとイラクの可能性への期待感に興奮したり、生涯続くかと思われる不安定さに がっくりしたり、そんな気持ちの狭間に投げ込まれるのだ。
ビビZの最初の思い出は君主制に関することで、彼女は明確にこれまでのすべ ての政府とリーダーを順番に記憶している。 彼女は、今返り咲いている人たちの 何人かに関するゴシップさえ知っている。「あの若い男は王になりたがってたわ」 と彼女はアル=シャリフ・アリ[立憲君主運動の指導者。ロンドンに拠点を置き、 イラクの王政復古運動を展開している。1921年以降、1958年に軍事革命 が起きるまで、イギリスの後ろ盾を得てイラクを統治してきたハシム家の子孫) のことを「彼は王女のひとりと宮殿のエジプト人使用人との間にできたんだと私 は思うわ」とあるイラクのチャンネルの短い報道に彼が現れると、彼女はこっそ り教えてくれるのだった。
今朝10時頃、電気は来なくなり、発電機を使うには早過ぎた。わたしは、ラ ジオを聞かなかければ夜のあいだに何が起こったのだかわからないじゃないのと 意見を言った。ビビZは、1957年に最初に彼女が見たテレビのことを話して くれた。裕福なご近所のひとりがテレビを購入したのだけれど、夫が仕事にでか けるやいなや、その地域の女性たちは1時間テレビを見るために彼女のお宅に集 まったものだそうだ。「男性がテレビに出ているときには、わたしたちはアバヤ [黒の長衣]を着たものよ」と笑った。「わたしたちが彼を見るようには、彼はわ たしたちを見ることができないことをウム・アディルがわたしたちを納得させる のに2週間かかったわ」
「政治家はやっぱり悪かったの?」後でわたしはジャファリがいくつかのコメント をしているのを見ながら尋ねた。
「歴史は繰り返す…政治家はご都合主義者よ…でもそんなことどうでも いいと思ってるの。彼らは悪かったけど、イラク人はマシよ」 彼女は説明を続け た―前世紀の間というもの、色とりどりのモザイク模様みたいな、ほんとに波瀾 万丈で有為転変のイラクの政治だったけれど、ひとつのことだけは変わらずに残 っていると―それはイラク人のお互いに対する誠実さと思いやりだと。
彼女は君主制時代の学生の反乱について話した。「イラクがポーツマス条約に サインしたとき、学生たちは王に対して反抗しデモを組織して、バグダード中追 いかけまわされたの。父は警察官だったけど、彼らがわたしたちの地区まで学生 たちを追い込んだとき、わたしたちは彼らを家に滑り込ませて、彼らを屋上から 屋上に跳んで逃がれるのを助けたわ。イラク人はイラク人で、違いはあってもお 互いをめんどう見合ったわ…女性や子どもたちは神聖で、誰もあえて家の中 の女性や子どもたちに触れたりなどしなかった。」
当時、外国の占領者に忠誠を尽くすことは、絶対に許されざる罪だった。「今 では、唯一生き延びる保証を得るには占領者に忠誠を誓うことだけど、それです ら安全ではないわ。」彼女はこう言いながら深い溜息をつき、お祈り用の数珠が 彼女の薄い手の中でそっと音をたてていた。
「何年も生きてきて初めて、私は死ぬのが怖くなったわ」昨日の夜、夕食のあと みんなで座ってお茶をすすっている時、誰にいうともなく彼女は言った。わたし たちはみんな、彼女が長く生きることを望み、神のみこころならば、まだこれか ら何年も先があるわと言って、異議を唱えた。彼女はわたしたちが理解せず、ど うしたって理解できないだろうというように頭を振った。「すべての人々は結局 死ぬし、わたしは大方のイラク人より長生きをしてる―今では子どもたちや若い 人たちが死んでいる。わたしは外国の占領下で生まれたからこそ死ぬのが嫌なの … わたしは死ぬときにもどこかの占領下でなんて思いもしなかったから」
午後11時54分 リバー
(翻訳:リバーベンド・プロジェクト:ヤスミン植月千春)