DATE: 2006年7月15日(土) 午前10時07分
かつて美しかったバグダードに今あるのは、内戦・死・殺害・爆発・レイプ
戦火の中のバグダッド、停電の合間をぬって書きつがれる若い 女性の日記『リバーベンド・ブログ』。イラクのふつうの人の暮らし、 女性としての思い・・・といっても、家宅捜索、爆撃、爆発、誘拐、 検問が日常、女性は外へ出ることもできず、職はなくガソリンの行列 と水汲みにあけあけくれる毎日。すぐ傍らに、リバーベンドの笑い、怒り、 涙、ため息が感じられるようなこの日記、ぜひ読んでください。(この記事 は、TUPとリバーベンド・プロジェクトの連携によるものです)。 http://www.geocities.jp/riverbendblog/
2006年7月11日木曜日
暴虐…
長い夏になりそうだ。いまはほぼ半ばにさしかかったところだが、一日一日が のろのろと過ぎていくだけのように思える。この夏は、暑さと、ハエと、何時間 も何時間も続く停電と、至るところで見つかる死体とがごたまぜになっている。
一昨日は破滅的な日だった。この日はジハード地区での殺戮のニュースで始ま った。地元の住民たちによれば、午前中、黒装束の私兵たちが車で乗りつけ、路 上の人びとや、家の中にいる人に対してさえも発砲したという。彼らは路上の人 びとを捕まえ、IDカードをチェックし、スンニ派の名前かシーア派の名前か確 かめた。スンニ派の人びとは連れ去られ、殺された。その場で殺害された人たち もいた。メディアはこの事件を軽く取り扱い、37名が亡くなったと報道したが、 住民たちは60名近い死者が出たと言う。
この殺戮事件で恐ろしいのは、この地区が、内務省治安部隊と米軍によって2 週間近くも封鎖されていたということだ。先週、この地域の人びとが訪れる「ス ンニ派」モスクの前で車両爆弾が爆発した。大虐殺の前夜には、同じ地区のシー ア派のフセイニヤ[イマームフセインの子孫を悼む、シーア派のモスクの一種] の前で車両爆弾が炸裂した。その翌日、悲鳴と銃撃と人びとの死がこの地区に満 ち溢れた。米軍と内務省治安部隊とがなぜ即座に対処しなかったのか、だれにも わからない。彼らは地区のまわりで傍観し、大虐殺が起こるにまかせていたのだ。
午後2時近くになって、つらい知らせを受け取った。この殺戮で私たちは親友 を失った。Tは26歳の土木技師で、友人たちとグループをつくり、ジャドリア のコンサルタント会社で働いていた。最後に会ったのは1週間前。うちに立ち寄 って、お姉さんが婚約したと知らせてくれたのだった。彼は、いま取り組んでい る最中のプロジェクトの写真を持っていた。バグダード郊外にある、半ば倒壊し た学校の建物だ。
彼はいつもは朝の渋滞と暑さを避けるために7時に家を出ていた。昨日、彼は 家にいることにした。前夜に突然止まった発電機の修理をするために、アブー・ カマルを家に連れてくると母親に約束したからだ。彼の両親によると、Tが歩い て地区を出て行こうとしたとき、銃撃が始まった。Tは頭部に銃弾を二発受けた。 彼の弟は、Tが着ていた血まみれのTシャツで、ようやくTを見分けることができ たという。
この地区の人びとはみな家に留まっている。だれもあえてこの地区に足を踏み 入れようとしない。そのため、虐殺された人びとのための弔いの儀式はまだ始ま ってもいない。私はまだ彼の家族に会っていない。お悔やみを言えるだけの勇気 とエネルギーが自分にあるかどうか、自信がない。この数ヵ月に、伝統的なお悔 やみの言葉を1000回も言ったような気がする。「バキーヤ イブ ハヤトゥ クム・・・アーヒル イル アフザン・・・」、「これがあなたの最後の悲しみ になりますように」。けれど、これは空しい言葉。口ではこう言いつつも、私た ちは、いまのイラクでは、いかなる悲しみも―どんなに大きな悲しみでも―これ でお終いとはならないと知っているからだ。
昨日はガザリヤでも攻撃があったが、犠牲者については、まだなにもわからな い。殺戮の背後には、サドルの民兵のマフディ軍団がいると言われている。イラ クについて世界が聞かされているニュースと、この国の実際の状況とはまるで違 う。人びとが自宅や住んでいる地区から追い出され、路上で殺されているという のに、アメリカ人やイラン人や操り人形たちは国民会議や進歩について話してい る。
バグダードはもはや一つの都市ではなくなったかのようだ。いまは小さな町々 に分断されて、町ごとにさまざまな相貌の暴力がのさばっている。私は眠るのが 怖くなってしまった。朝になるといつも、ひどいニュースがあまりにたくさんあ るから。テレビはひどいニュースの映像を見せつけ、ラジオはひどいニュースを 言いふらす。新聞には死体の写真が載り、紙面からは荒々しい言葉が飛び出して くる。「内戦・・・死・・・殺害・・・爆発・・・レイプ」
レイプ。アメリカ人がしでかした最新の残虐行為。実は最新というわけではな い―たんに、いまもっとも大々的にニュースになっている事件ってこと[200 6年3月12日に米兵10数名が起こしたレイプ事件。同年7月に報じられた。 http://www.geocities.jp/uruknewsjapan2006/0607_testimony_about_US_rape.html ]。かわいそうな少女、アビールは、米軍に最初にレイプされた女性ではないし、 レイプされるのが彼女で最後というわけでもない。今回のレイプ事件が発覚し、 公表された唯一の理由は、彼女の家族が全員、彼女とともに殺されてしまったこ とだ。イラクでは、レイプは触れてはならない話題だ。ここでは家族はレイプに ついて通報したりしない。報復するのだ。この3年間というもの、アメリカが管 理する刑務所で、またハディーサやサーマッラーのような町々が包囲攻撃にあっ ているときに、レイプが行われたという噂をずっと聞いてきた。自分たちの「ヒ ーロー」がそんな残虐な行為をすると信じられないアメリカ人のおめでたさとき たら、お話にならない。占領軍がレイプなんてするわけないだろうって???あ なたたちは国をレイプしたのよ、国民をレイプしないってわけがある?
ニュースでは、アビールの年齢は24歳ぐらいだったとされている [http://www.cnn.com/2006/WORLD/meast/07/05/iraq.main/index.html?eref=yahoo] が、この地区のイラク人によれば、たった14歳だったということだ。14歳。 あなたの14歳の妹のこと、あるいは、14歳の娘のことを思ってみて。少女が、 変質者たちのグループに集団レイプされ、殺され、レイプを隠蔽するために死体 を焼かれたと、想像してみて。彼女の両親も、5歳の妹も殺された。アメリカの ヒーローを歓呼で迎えよ。「解放」の支持者たちよ、頭(こうべ)を高く上げよ。 今日は汝が軍隊を誇るべき日。軍がアメリカの法廷で裁かれるべきだとは思わない。彼 らは地区の人びとに引き渡されるべきだ。それでこそ、正義が適切に行われる のだ。われらが最低の首相、ヌーリー・アル=マーリキーときたら、アメリカ人 たちに守られた安全なお屋敷に身を隠したままで「独自の捜査」を求めている。 だって、レイプされ、おそらくは拷問も受け、あげくに殺されたのは、彼の娘で も妹でもないんですものね。彼の家族は国外にいて、憤激するイラク人からも、 狂ったアメリカ兵からも、なにもされる恐れがない。
このことについて聞いたり読んだりすると、激しい怒りでいっぱいになる。か つて私がイラクにいる外国の軍隊に対して抱いていた同情は消え去った。アブー・ グレイブでの残虐行為により、ハディーサでの殺害により、最近のレイプと殺戮 のニュースによって、そうした思いは根こそぎなくなってしまった。装甲車に載 った彼らを見るとき、正直に言おう―やつらが19歳だか39歳だかということ を気にかけることなんてできない。やつらが生きて家に帰れるかどうか、気にか けることなんてできない。やつらが家に残してきた妻や両親や子どもたちのこと に思いをはせることなんて、もうできない。恐怖のただなかにあるときに、そん なことを気にかけることなんて、できない。彼らを見て、私が思うのは、いった いやつらは何人の無実の人を殺したのだろう、家に帰るまでにさらにどれだけの 人を殺すのだろうということだ。いとけないイラク人の少女を、これからまだ何 人レイプするのだろう?
どうしてアメリカ人たちはさっさと帰らないのだろう? 彼らはもう十分に損 害を与えている。もしも彼らが「逃げ去った」ら、イラクはめちゃくちゃになる だろうという話を聞く。でも、事実をいえば、いま現在、彼らはなにもしていな い。事態がこれよりどれだけ悪くなるっていうの?人びとは路上や自宅で殺され ている―これに対してどんな対策がなされているの?なんにも。彼らにとっては 都合のいいこと―イラク人がたがいに殺し合えばいい、彼らは虐殺を傍観してい ればいい―殺人とレイプに参加したいと思わない限りは。
シリアやヨルダンに向けて出国するバスも飛行機もタクシーも、夏の終わりま で予約満杯だ。人びとは大挙して荷物をまとめて去っていく。ほとんどの人は国 外にそのまま留まるつもりだ。ここでの生活は耐え難いものとなってしまった。 もはや国外で暮らす人々にとっての「生活」とはまったく別のものになったから だ。ただ生き延びるだけ。なんとか無事にその日を過ごし、次の日につなげ、愛 する人や友達を失うことに立ち向かう―Tのような友達を失うことに。
Tが本当に亡くなったと考えるのは難しい・・・きょう私はメールをチェック していて、受信トレイに彼からの未開封のメールを3通見つけた。その瞬間、心 臓が止まるほどの激しい喜びに突き動かされ、彼は生きていたんだ、と思った。 Tは生きていた! なにもかも、恐ろしい間違いにすぎなかったんだ! 貴重な 数秒間、目まいのするような信じられない思いに私は身をまかせた。それからメ ールの日付に目が止まり、打ちのめされた。彼がメールを送信したのは殺される 前夜だった。一通はジョークを集めたもの、もう一通は猫の写真いろいろ、そし て、3通目は、アメリカ占領下のイラクを歌ったアラビア語の詩だった。彼は、 戦争によっても失われなかったバグダードの美しさを描写した数行を強調表示し ていた・・・私はいつもバグダードは世界でもっとも素晴らしい都市のひとつだ と思っていた。でも、いまこの瞬間、Tや、あまりに多くの無実の人びとの血で 汚された都市を、少しでも美しいと見るのはとても難しい・・・
午後11時43分 リバー
(翻訳:リバーベンドプロジェクト:いとうみよし)
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