TUP BULLETIN

速報623号 ドナからの手紙 ムスタファを悼む—悲嘆の中の悲嘆 060805

投稿日 2006年8月5日

DATE: 2006年8月5日(土) 午後4時21分

ムスタファ。14歳。バグダッド郊外の自宅前で遊んでいる時、射殺されました。


オーストラリア人女性ドナ・マルハーンは、2003年春イラクでの「人間の 盾」に参加し、04年春には米軍包囲下のファルージャに入り、その帰路地元レ ジスタンスによる拘束を経験、04年冬から05年春にかけてイラク・パレスチナ を旅して、05年8月アメリカからシンディ・シーハンのキャンプケーシーにつ いて報告してくれました。オーストラリアに帰国したドナは自国のテロを見据 え、05年12月に米国主導のイラク戦争・占領にオーストラリアが最も貢献して きたパイン・ギャップ軍事基地に向かい民間査察を強行して逮捕され、10月3 日から始まる裁判で最高7年の刑期を課せられるかも知れず、裁判準備に奮闘 中です。そんなドナのもとへ、イラクから悲しい知らせが届きました。 (翻訳:福永克紀/TUP)


ムスタファを悼む――悲嘆の中の悲嘆 ドナ・マルハーン 2006年7月31日

彼の名前は、ムスタファ。まだ14歳。バグダッド郊外の自宅前で遊んでいる時 に、射殺されました。彼を殺した者たちは、そのまま車で走り去りました。

「イラクで殺された人の中に知り合いがいますか?」と尋ねられたのは、ほん の昨日のことです――若い女の子、ちょうどムスタファと同じ年頃の子で、日 曜日のケアンズ平和祭で私が話をしている最後のほうに割り込んできて聞いた のです。

「ええ、何人か」と答えると、椅子に座ったその子は居心地悪そうに足を組み 替えました。戦争とは遠く離れたケアンズにいる人生で彼女がおぼえる悲しみ を、もっとリアルなものにしてしまったようでした。その何人かのリストに、 今日私はもう一人の名前を付け加えることになります。

彼の名は、ムスタファ。まだ14歳でした。遊んでいる時に射殺されたのです。

ムスタファはアリの長男、そしてイラクで通訳も助手も務めてくれた私の親友 ライドの最愛の甥っ子です。37歳のアリは、私の最後のイラク旅行では主に運 転手役を務めてくれました。ファルージャ難民の人々に援助を届けるのを手 伝ってくれたのです。

なんとか自分の家族を養おうとあがく典型的なイラク人男性の日常生活を、ア リを例にして皆さんに報告したことを覚えていますか。大半のイラク人男性と 同様、彼にとっては家族が全てでした。 [訳者注:『[TUP速報]419号 ドナ・マルハーンのイラク報告(5) 産油国 で石油不足を忍ぶ 04.12.09』 http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/449 のことを指し ている]

彼は、ガソリンを買うために昼夜を通して並ぶ車の中で寝起きし、何時間も灯 油を捜し求め、食料を買うためには本職以外の仕事もやってきました。いつも 心配しているのは、3人の子供のことでした。

「なにもかも悪くなる一方で、子どもの将来が思いやられます」と、当時私に 言っていました。

「毎日考えることはみな同じです。いつになったらこの苦しみが終わるんだ、 とね」

ムスタファは、物静かで恥ずかしがり屋の子供だったことを思い出します。私 がライドの楽器店に行くと、いつもムスタファが店内をうろうろしていて、ど こにでもいそうな典型的な子供のように思えました――スポーツ好きで、特に サッカーが好きで、コンピューターゲームで遊び、学校に行って勉強し父親の ような電気技師になりたいと。

たった14歳でした。遊んでいて撃ち殺されたのです。

彼は、米国侵略以前にはイラクには存在もしなかった「宗派間の抗争」とメ ディアが名付けるものの犠牲になったらしい。それは米国が言う解放がもたら した副産物――サウジ、シリア、イランからの外国人原理主義者の殺到、彼ら の偏狭なイデオロギーの輸入、彼らを守る民兵たちの移入。かつて非宗教的な 国家だったイラクが、いまや宗教的狂信者たちの戦場となってしまったので す。イラク人は、かつて共に食事をし共に働き共に生きてきた人々の間のあち こちに一線が引かれていくのを恐怖の思いで見ています。米国は片方に肩入れ している。分断攻略が破滅的効果を発揮しているのです。

「こいつは、政治ゲームなんです、でも付けは庶民に回ってくるんです」と、 ライドは言います。「もし、政治家の親分を気に入らなければ、かわりに庶民 を殺すんです、だって親分どもはグリーンゾーンに隠れているんですから」

こういったことを、ムスタファは全部理解してはいなかったでしょう。おじい ちゃんはスンニ派で、おばあちゃんはシーア派でした。そんなことは問題にな ることもなく、ムスタファは育ったのです。

アブ・ムスタファ(ムスタファの父)と呼ばれるアリは、息子の死以来5日間 一言も口をきけず、泣くことしかできませんでした。今日になってバグダッド から衝撃的な電話連絡を受けて初めて知ったライドは、今は気も狂わんばかり です。

この叫びは、一体いつ終わるというのでしょうか。息子の死を悼むアリの叫 び、祖国を悼むライドの泣き声、カナの虐殺や聖地全域に広がる暴力に加えこ れを適法と認める世界の指導者たちに象徴される人間性の喪失を嘆く私たち皆 の涙は。

わが家の窓台にすえられているロシア製バブーシュカ人形のように、悲嘆の中 に悲嘆があります。 [訳者注:バブーシュカ(Babushka)とは、元来ロシア語では「おばあさん」 を意味するが、ロシア人農婦がかぶる三角巾のようなスカーフを指す。人形の 中に人形が入っていて、またその中に人形が入っている入れ子状態のマト リョーシカ人形(matryoshka doll)のほとんどが、バブーシュカを被ってい るので「バブーシュカ人形」とも呼ばれる]

社会全体、すばらしい文化、人々の間の寛容が破壊されてしまったことに対す る悲嘆、そして無邪気さが奪われてしまったことに対する悲嘆。

その悲嘆の中には、膨大な数のイラク人犠牲者、私たちがその名も知ることも ない幾百・幾千にも及ぶ犠牲者に対する悲嘆があります。それから、投獄され 拷問を受け、屈辱を受けた人々に対する悲嘆が。

この悲嘆の中には、アメリカ人やイギリス人の母親の悲嘆、まるでわが魂を 失ったかのように感じる帰還兵の悲嘆があります。もうひとつの道を見失って しまったと今や世界中が分かっている悲嘆が。

さらにこの悲嘆の中には、愛するもの同士が寄り添って生きてきたのに、から になってしまった人生を生き続けなければならないという、私たちなどには及 びもつかないほど過酷な、それぞれの家族の悲嘆があります。

そして人形の一番中、バーブシュカの中核にある悲嘆は、もうひとりの子供の 死者に向けられるものです。

彼の名は、ムスタファ。まだ14歳。遊んでいる時、撃ち殺された。

皆さんの巡礼者 ドナより

追伸:皆さんがたの多くは、2004年にライドが私と一緒にオーストラリア中を 講演して回ったことから、彼のことをご存知でしょう。彼は今、一時ビザでシ ドニーに滞在中ですが、難民申請をするつもりです。もし彼にお悔やみの言葉 を送ってあげようと思われるなら、彼のEメールアドレスはxxxxxxxxx[訳者注 :アドレス省略]です。

追追伸:「暴力は、人種的公正を達成する方法としては実用的ではなく不道徳 である。実用的でないというのは、それが一切を破壊しつつ下へ下へと落ちて いく悪循環だからだ。不道徳だというのは、対立する相手の理解を勝ち取るの ではなく屈辱を与えようとするからだ。回心ではなく壊滅を求めるものだから だ。暴力が不道徳だというのは、愛ではなく憎悪に根ざすものだからである」 ――マーティン・ルーサー・キング・ジュニア

原文:Mourning Mustafa – grief within grief URL: http://groups.yahoo.com/group/ThePilgrim/message/186