DATE: 2007年1月1日(月) 午後8時49分
2006年―アメリカの当初からの計画通りイラクは粉々になった
バグダードに住む若いイラク女性、リバーベンドのブログも書きつがれてもう 4年目に入った。戦争状態とイラクの人々の苦しみは終わらない。 以下のブログは、2006年末サッダーム処刑直前に書かれた。続いて処刑後、 12月31日付けのブログをお届けする予定。 (この記事は、TUPとリバーベンド・プロジェクトの連携によるものです)
原サイト:http://riverbendblog.blogspot.com/
日本語サイト:http://www.geocities.jp/riverbendblog/
2006年12月29日 金曜日
また一年が過ぎ去っていく・・・
こんなことがあれば、自分の国が深刻な問題に見舞われているとわかる。 たとえば・・・ 1.国連が無秩序と流血状態をただ見守るだけの特別な部門「国際連合イラク支 援ミッション(UNAMI)」を設置しなければならないとき。 2.上記の部門が自分の国の指揮で運営されていない。 3.このひどい状態に国を追いやった政治家たちは、もはや国境の内にも国境近 辺にもいなくなっている。 4.米国とイランの一致できる唯ひとつの意見が、この国の状態が悪化している ということ。 5.8年戦争(注:イラン・イラク戦争)と13年間の経済封鎖がこの国の「黄 金時代」のように思えてくる。 6.国は1日に2百万バレルの油を「売っている」らしいのだけれど、発電機の ためのガソリンを買うために闇市で4時間も立ち行列して待っている。 7.5時間ごとに1時間だけ電気がつくっていう状況なのに、さらに政府はそれ さえ切り詰めると通告している。 8.戦争を支持していた政治家たちはテレビ討論で、これは「宗派抗争」か「内 戦」なのかということに時間を空費している。 9.2週間行方不明であった親類の遺体の身元確認が実際にもしできるなら運が 良いと人々は考えている。
平均的イラク人の1日の生活は、遺体の身元確認や、自動車爆弾を避けること や、監禁されたり、追放されたり、誘拐されたりしている彼らの家族たちを探す ことだけに明け暮れている。
2006年は、はっきり言ってこれまでで最悪の年だった。間違いないわ。こ のすさまじい戦争と占領は、目下この国を全力で叩きのめしている。ここに大き な固く乾いた地面があって、それを粉々にするようなことを想像してみて。地面 を穿つ最初のくさびの役割を果たすのがミサイルや最新の軍事技術で、これらが 経済基盤を破壊することによって最初の裂け目ができる。次に幾つかもっと小さ なくさびとして働くのが、チャラビやアル=ハキーム、タラバーニー、パチャチ、 アラウィー、そしてマーリキーなどの政治家たち。裂け目は徐々に数を増し、固 かった地面を横切って伸び、沢山の骸骨の手のように地面の端に向かって伸びて いく。圧力をかけ、あらゆる方角から囲んで押したり引いたりすると、ゆっくり と、しかし確実に、あちこちで大小のかけらとなってバラバラになり始める。
それがいまのイラクよ。アメリカ人たちはとてもうまく粉々にしたわ。それが はなっからの計画だったんだと、ほとんど誰もがこの一年で確信するようになっ た。彼らには、単なる失敗だったというには、あまりに失敗が多すぎた。「間違 い」で済ませるにはあまりに凄まじい破壊だった。ブッシュ政権が選んで支持し 登用した人たちは、誰の目にも明らかにひどかった-詐欺師で横領チャラビから、 テロリストのジャファリ、私兵を率いたマーリキーまで。イラク軍を解体したり、 憲法を廃止したり、そして私兵集団にイラクの警備を任せるなどと決めたことは あまりに不利なことで、これを意図的と言わずしてなんと言うのだろうか。
今の疑問は、でも何故?ということ。この数日間わたしは自問自答してきた。 イラクをここまで痛めつけて一体アメリカは何を得るというのか? この戦争と占 領は大量破壊兵器だとかサッダームが現実的な恐怖であったからだとかいまだに 信じているのは錯乱したばか者たちだけに違いない。
アル=カーイダ? 笑わせるわ。オサーマが遠くアフガニスタンの山々の中の 10ものテロリストキャンプで育成できただろうテロリストたちより、もっと多 くの者たちをブッシュはこの4年間で効果的に生み出したわ。わたしたちのとこ ろの子どもたちは、今では「狙撃兵」や「聖戦戦士」ごっこをしてアメリカ兵の 眉間を撃ったり軍用ジープを転覆させて遊んでいるもの。
この年は特に転換点だった。ほとんどのイラク人が多くのものを失った。本当 に多くのものを。この戦争と占領によって私達が喪失したものを言い表すことな んて不可能だわ。毎日40体ほどの、切断され腐敗した様々な状態の遺体が見つ かっていると知っていることから湧き上がってくる気持ちを言い表せる言葉なん てありはしない。イラク人ひとりひとりに覆いかぶさっている恐怖の黒く厚い雲 を埋め合わせてくれるものなんてありはしない。手に負えなく怖しいものは、名 前が「スンニ的」か「シーア的」かなんて馬鹿げたことで区別されること。もっ と恐ろしいもの―戦車に乗ったアメリカ兵、地域をパトロールする黒いバンダナ に緑の旗を持った警察、検問の黒い覆面をしたイラク軍兵士。
もう一度、自らに問いかえさざるを得ないのだけど、なぜこのようなことすべ てが起こったのか?修復できないほどにイラクを破壊した理由は何だったのか? イランだけが得をしたように見える。イラクでのイランの存在はとても確固とし たものになっていて、聖職者やアヤトラを表立って批判しようものならそれは自 殺行為だ。状況はもはやアメリカの力を超えて、修復不可能なところまで行って しまったのだろうか?それともこれは最初からの計画の一部? 考えるだけて頭が 痛くなってしまうわ。
今一番わからないのは、なぜ火に油を注ぐようなことをするのかということ。ス ンニとシーア穏健派は南部の大きな都市や首都から追い出されつつある。バグダー ドはシーアが立ち去ったスンニ地域と、スンニが立ち去ったシーア地域とに引き 裂かれていっている-ある地域は脅迫のもとで、またある地域は襲撃の恐怖のう ちに。人々は検問で大っぴらに銃撃されたり、ゆきずりの車から撃たれて殺され ていっている…多くの大学では授業を中止した。何千人ものイラク人たちは もはや子供たちを学校にやってはいない―安全ではないからだ。
なぜ今サッダームの処刑を主張して事態を悪化させるのか?サッダームを絞首 刑にして誰が得をするのか? イランよね、当然。だけど他には誰?この処刑がイ ラクを打ち砕く最後の一撃になるのではないかと私は本当に怖い。あるスンニと シーアの部族は、もしサッダームが処刑されたら、アメリカ人に対して仲間を武 装させるぞと脅した。一般的にはイラク人たちは次に何が起こるか注意深く見守 っていて、最悪に対して黙って準備している。
サッダームはもはや統治者でもなければ何者でもないというのに、やはり今だか らやるのだ。アメリカの執拗な戦術的プロパガンダによって、サッダームはいま や全スンニアラブ人の代表となっている(彼の政権の殆どがシーアだったことは 無視して)。アメリカ人たちは、演説やニュース記事そしてイラクの操り人形た ちを通じて、彼が占領に対するスンニアラブ人の抵抗勢力を象徴していると主張 してきた。基本的には、この処刑によって、アメリカ人たちが言っていることは 「見よ、スンニアラブ人たちよ。これがおまえたちの首領(おかしら)だ。すっ かりわかっているぞ。我々は彼を絞首刑にする。おまえらの運命も同じだ。」と こういうことだ。間違えないで欲しい。この裁判と判決、そして処刑は100% アメリカのものだということを。何人かの登場人物たちはまあイラク人だけれど も、制作、監督、編集は正真正銘のハリウッドよ(安物のね、いっとくけど)。
だからこそ、もちろん、タラバーニーは死刑判決に署名したくなかった―なら ず者が突然改心したわけでもなく、絞首刑にした責任をとりたくなかっただけの ことよ―署名しても、はるか遠くまで逃げおおすことなどできないだろうから。
マーリキー政権は喜びを隠し切れなかった。彼らは実際の法廷に先んじて処刑 承認を発表した。数日前の晩のことだけど、あるアメリカのニュース番組がマー リキーの事務局長であるバシーム・アル=ハッサーニーにインタビューしていた。 彼はアメリカ英語訛りで来るべき処刑のことをカーニバルに参加するような口調 で喋っていた。彼は品がなく、とんでもないばか面で座り、彼の会話は「’gonna’, ‘go tta’ and ‘wanna’」(注:アメリカ英語で通俗的な発音の仕方) ..で散りばめられていた。つきあってるのがアメリカ兵たちばかりだと往々に してこうなるのよね。
ただ一つ確実に言えることは、アメリカ人たちはイラクから撤退したがってい るのだけれど、本格的な内戦にしてから出たいのだろうということ、なぜなら、 もし撤退して状況が実際に良くなってきたりしたらかっこ悪いから、違う?
ここ2006年の終わりにきてわたしは悲しい。国の状況のためだけに悲しい のではなく、私たちのイラク人としての人間性の状態のために。わたしたちはみ んな、4年前に私たちが誇りにしてきた思いやりや礼節を失ってきている。わた し自身を例にとってみると、4年ほど前には、アメリカ兵の死を聞くたびに身を 縮める思いをしていたものだった。彼らは占領者ではあるけれど、彼らもまた人 間で、彼らがわたしの国で殺されていっていることを思うと眠れぬ夜を過ごして いた。彼らは海を越えてこの国を攻撃しに来たのだから気にすることはないのだ けど、実際に同情していたのだ。
わたし自身のこういった気持ちをまさにこのブログに書きつづっていなかった ならば、かつてわたしがそんな気持ちでいたことがあったなんて信じられなかっ ただろうと思う。今では、かれらは単なる数字でしかない。この4年近くの間に 3000人のアメリカ人が死んだ? 本当? それはイラク人の1ヵ月の死者数に も満たないじゃない。アメリカ人には家族がいた?それはお気の毒さま。わたし たちもおんなじよ。道端の遺体や遺体安置所で身元確認を待っている遺体たちも ね。
今日アンバールで死んだアメリカ兵の命はわたしの従兄弟の命よりもっと大切 だって言うの? わたしはそうは思わないわ。従兄弟は6年もの間思い続けてきた 女性と婚約したまさに先月のその夜に撃ち殺されたのよ。
アメリカ人の死者数の方が少ないからといって、アメリカ人の死の方がより重 要だってことにはならないわよ。
午後1時 リバー (翻訳:リバーベンド・プロジェクト/ヤスミン植月千春)