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速報653号【TUP論説】 ブッシュ政権下に進むアメリカ民主主義の死 070110

投稿日 2007年1月9日

FROM: hagitani ryo
DATE: 2007年1月10日(水) 午前2時11分

グラスルーツから起こりつつある反撃に蘇生の希望をたどる ====================================

三権分立の原則を揺るがす行政権の急激な拡大や政治献金の影響力によって腐敗 するアメリカの「民主主義」。アメリカ憲法の精神のもとに立ち上がるアメリカ 市民たちの姿をお伝えします。 (TUP・宮前) ====================================

行政権の肥大に対抗するアメリカ市民

宮前ゆかり

二〇〇六年一一月初旬、イギリスの『ガーディアン』紙のインタビューで、元 大統領候補アル・ゴアはこう語った。

「アメリカの憲法は、代表制民主主義の理論を思慮深い文章で定義することに 心血を注いだ印刷文書の文化から生まれました。当時の討論や憲法制定会議の様 子は入念に記録されており、ひとつひとつの言葉をめぐる討論が、個々の権利に ついて人々の注意を促してきました。……現在のアメリカのように理性ある討論の 役割が弱くなり、理性が公の場から消えると、真空が生まれ、感情に訴えるイデ オロギーや宗教的原理主義がなだれこみます。……デモクラシーとは、究極的には 対話なのです。その対話から人々が除外されたり、自分から参加を拒否する人々 が増える環境では、対話そのものが政治や経済の権力を狙う人々に牛耳られてし まいます」

今回の中間選挙で、下院・上院での力関係のバランスが民主党に傾いた。9・ 11事件以来「恐怖」をあおられてブッシュ政権の思うままに動いていた世論が、 イラク戦争やハリケーン「カトリーナ」対策などを通し、市民権侵害と不正政治 の仕組みに目覚めたのだろうか。本来立法部門に託されている行政部門の監視と 憲法の尊重を要求する選挙民からの強烈なメッセージである。すでに二〇〇七年 から上院議長となるネバダ州のレイド議員と、歴史上初めて女性の下院議長とな るカリフォルニア州のぺロシ議員(ともに民主党)は、これまで審議の遅延や証 言妨害などによって抑圧されていた「行政権の不正に対する調査」を展開する意 図を明らかにしている。グラスルーツ運動の力が大企業の膨大な政治献金の影響 力を押しのけるところまで来たのかもしれない。しかし、のんびりと喜んではい られない状況だ。

Habeas Corpus の抹殺と行政権の急激な拡大

九月二八日、米国上院議会にて「軍事委員会法」(Military Commissions Act of 2006)が成立した。アメリカ憲法が保証する人権の基盤だったhabeas corpus (人身保護令状=人身保護を目的とし、拘禁の事実・理由などを聴取するため被 拘禁者を出廷させる命令書)を確保する権利を否定する法律だ。

結論を先に言うと、マグナ・カルタに由来するhabeas corpusという基本的人 権保護の概念を抹殺する軍事委員会法の成立により、憲法修正条項である権利章 典一〇条のうち、第三条以外のすべての条項が事実上効力を失う。立法部門や司 法部門からの制御を押しのけたブッシュ大統領は、アメリカ史上前代未聞の行政 権限を発揮できるようになった。

第一条を例にとると、裁判なく人々を拘禁することが許されることにより、言 論の自由、報道の自由、宗教の自由、集会の自由など、これまで当たり前とされ てきたあらゆる権利が侵害される。9・11事件以来、着々と行政権の拡大を進め てきたブッシュ大統領は、 ①政治的に都合の悪い米国市民および非市民を誰でも どこでも逮捕し、拘禁し、拷問する合法的な権限を持ち、②いつでもどこの州に 対しても戒厳令を下す権限を持つことができるようになったのである。これに は、FEMA(連邦政府緊急事態管理局)からの委託によってハリバートン社が アメリカ各地に建設を進めているとされる多数の拘禁施設の使用目的が明らかで はないという背景がある。

この法案を阻止するために、人権問題に取り組む一般市民や活動家たち、何万 人にも及ぶ全米の弁護士、著名な法律学者や実際に司法に携わる専門家たちが、 大規模な反対運動を繰り広げた。しかし、9・11事件やイラク戦争を背景に、人 権よりも国家の安全を優先させる気運の上院で、賛成六五票、反対三四票という 圧倒的な差でこの法案は通過したのである。

普段は自分たちの国の憲法に対する信頼が固く、二大政党間の醜悪な葛藤にも 寛容で、下手な政治的共謀説には強い懐疑心を見せるアメリカ一般市民も、さす がにこの法案の通過には驚愕の念を隠せなかった。「これはもはやアメリカの法 律ではない!」この法案に票を投じた民主党も含む議員たちに、一般市民たちか らの抗議の電話が殺到した。

議会では主にグアンタナモやアブグレイブに収容されている「テロリスト容疑 者たち」に対する法律的な保護の有無について討論が展開され、原則として「ア メリカ市民権を持たない者」を対象としているという前提で議論された。しか し、実はあいまいな法案の言語に埋もれた「国家の敵」の定義は大統領にゆだね られる。悪夢のような状況がアメリカの一般市民にも及ぶ可能性があることを身 近に想像するのは、第二次世界大戦当時にアメリカ各地の強制収容所に拘禁され た日系移民の人々だろう。

グアンタナモやアブグレイブには、五年以上経った今も、「容疑」がいまだ明 らかになっていない「テロリスト容疑者たち」が何百人も収容されている。ま た、拷問によって「白状」した罪状が結局根拠のないものであったことが明らか になっているのに拘禁が続いている例もある。不運な「手違い」がもとで収容さ れた人もいるし、無実の未成年者もいる。彼らは基本的な人権の保護や法的な手 続きが一切保証されないまま、将来の運命も定かではない。グアンタナモやアブ グレイブのこのような悲惨かつ不法な事態がようやく明るみに出て、ブッシュ政 権への世論の批判が高まってきたこの時期に、「有罪の判決があるまでは潔白」 というアメリカの司法原則から離れ、「国家への危険をもたらす」という疑いを かけられた人間は誰であろうと、証拠の要求も弁護人への接触も許されないまま 牢獄に永遠に拘禁されることが議会で承認されたのだ。今回の法案の通過によ り、進行中の人権保護の訴訟を放棄するよう通達を受けた弁護士もいる。

ブッシュ政権が成立してすでに六年が経った。9・11事件直後の緊急対策とし て議会から軍事力使用権の承認を獲得したブッシュ大統領は、それ以来、最初は 「9・11事件にかかわったテロリスト」を対象にした行政権限を、その後「大統 領令」を発して「テロリスト」の解釈を広げることで、また愛国者法、そして今 回の軍事委員会法案の通過などを通してじりじりと拡大させてきた。こうして市 民の人権が急激に侵害されてきたが、なかでも特に深刻なのが、自国民に対する スパイ活動である。

ブッシュ大統領の指示によって国家安全保障局(NSA=National Security Agency)が、アメリカ国民を対象に不法かつ大規模な電話盗聴および電子メール 傍受活動を行ってきたことが暴露された。これは、正当な令状もなく国民を対象 に盗聴行為を行うことを禁じる 一九七八年の FISA法に違反する。しかも NSAの盗聴の対象になった何万人もの一般市民は、平和運動や環境問題、動物 愛護活動などに参加する人々だったことから、この盗聴活動が名義上の「国の安 全」や「テロ対策」であるよりも、国内の政治操作や言論の威圧が動機であった とする意見が圧倒的だ。司法部門や立法部門を無視する行政権の急激な拡大は、 過去の独裁政治の歴史を繰り返す前兆であるという歴史家たちの警告は無視でき ない。

立法部門を骨抜きにする選挙不正

ヒトラーやナチスも合法的なステップを踏んで台頭した。憲法の解釈も十分に 審議できない議員たちがワシントンに集まる現在のアメリカ立法部門のあり方が 問題だ。

立法部門を骨抜きにして行政権の拡大を確保する手段のひとつに、選挙操作があ ることに注目する必要があるだろう。民主主義の主権者である市民の政治的意思 決定は、選挙という手段によって実行される。しかし、現在のアメリカでは、人 種や所得レベルなどを含めた地域自治体内の選挙投票バターン分析に基づいて選 挙区の境界線を変更したり(「ゲリマンダー」と呼ばれる)、言葉の不自由な移 民人口や低所得者、老齢者にとって取得が難しい特別な身分証明書の提示を投票 のために義務付けたり、様々なカテゴリーの人口を選挙投票リストから「間違っ て」削除するなどの組織的な操作が行われている。また、入札過程や技術監査過 程が不透明なコンピュータ企業(ディーボルド、ESS)やソフトウェア企業に よって開発された電子投票マシンに対する疑惑も根が深い。

郵便物の扱いの手違いで選挙投票用紙の送付が遅れ投票できない有権者が続出 したり、電子投票マシンの不備が明らかにされて(遠隔ハッキングの疑惑、記録 削除、投票した候補者とは逆の候補者に票が移る、投票数が複数倍に増える ―― すべて共和党に有利な「事故や間違い」)、選挙への信頼が低下していた。今回 の中間選挙でも、投票当日の混乱は世界で最も裕福な国の選挙とは信じがたい光 景だった。

現在、選挙民リストはすべてコンピュータのデータベースに依存しているが、今 回大混乱が起きたコロラド州デンバー市では、そのデータベースが一番大切な時 間(仕事を終えた労働者が投票しにくる午後四時以降)に突然シャットダウンし た。それまで最高八時間以上も並んで順番を待っていた人々も含めて多数の人た ちが投票できず、しかも投票締め切り時間(午後八時)の延期要請も地元の裁判 官により拒否された。オハイオ州やメリーランド州では威圧的・暴力的な投票妨 害事件が報告されている。

Signing Statement(大統領署名声明)という隠れ蓑

三権分立というアメリカ民主主義の基本に従い、アメリカの行政を司る大統領 は、議会から提出された法案に署名することによってその法律を受け入れるか、 拒否権を行使して立法部門に戻す仕組みになっている。アメリカの憲法に基づく 均衡な役割分担を前提にしたやりとりだ。

しかし、最近になって、これまであまり知られていなかった大統領の行動が明 るみに出た。拷問行為はすでにアメリカの憲法でも国際法でも禁じられている が、愛国者法を制御する形で拷問に言及する「拷問禁止法」が、アリゾナ州の マッケイン議員によって提出され、チェイニー副大統領の強硬な反対とロビー活 動を押し切って、二〇〇五年一〇月五日に超党派の合意を得て成立した。しか し、ブッシュ大統領が実際にこの法案に署名したのは、同年一二月三〇日の夜八 時過ぎのセレモニーにおいてだった。大晦日前夜に誰も注目していない場面で、 大統領は「大統領の判断で法律を無視する場合もありうる」という法律の例外的 解釈を密かに書き込んだのである。これが今大きな問題となっている 「Presidential Signing Statement(大統領署名声明)」と呼ばれるものだ。

「大統領署名声明」は、建国以来、歴代の大統領が時として法案を受け入れる 際に自分なりの解釈や意図を署名の近くに書き込む風習だった。従来は特に大き な影響を及ぼすものとは考えられておらず、レーガン大統領の登場までは、歴代 大統領全員による「大統領署名声明」の書き込み合計数は七五件だった。ところ がレーガン政権の頃から、アメリカの憲法について特に行政権を重視し、立法部 門や司法部門の抑制的影響力から行政部門を解放しようとする法律学者たちの間 で、この「大統領署名声明」の使用を奨励する動きが活発になった。なかでも特 にその効果的な役割を説いたのが、当時まだ若かったサミュエル・アリトだ。現 ブッシュ政権のもとで最高裁判事に就任した人物である。この新しい解釈を実行 に移し始めたレーガン、ブッシュ(父)、クリントンの三大大統領は、合計で二 四七件の「大統領署名声明」 を出した。

ところが現ブッシュ大統領になってからは、二〇〇四年末までにすでに一〇八 件の「大統領署名声明」 がある。「拷問禁止法」に挿入された内容は、特にア ブグレイブ収容所のスキャンダルでも明らかなように、実際の影響が深刻である ため注目を浴びた。このことがきっかけで憲法学者たちが調査したところ、ブッ シュが異議を唱え、行政権の優越性を主張する署名をしたため憲法その他の法律 の解釈に問題を起こす法的な案件数が七〇〇件以上に上ることが判明したのである。

企業という名の「個人」

なぜ尊い憲法がここまで崩壊の危機にさらされることになったのだろうか。こ の疑問に答えるためには、民主主義の議会政治を脅かす巨大企業の影響力と行政 権拡大との関係を検討する必要がある。

建国当時、中央集権的な企業国家を目指すアレキサンダー・ハミルトンと、権 力分散構造を唱え、農林業に基づく地方自治を重んじるトマス・ジェファソンと の間で討論が繰り広げられた。ジェファソンは、イギリスの植民地であった経験 を持つアメリカでは「富豪貴族階級の誕生」を芽のうちから摘み取る必要がある と主張し、「裕福な企業」が公共の利益を侵害する可能性について深く憂慮して いた。またジェームズ・マディソンは、「戦争」および「国家の安全」の名目に よる行政権の濫用と拡大が民主主義の最大の脅威となると警告した。その後、マ ディソンとジェファソンが草案を練った憲法修正条項一条から一〇条により、個 人の「幸福と安全を追求する権利」と自由を保証する「権利章典」が確立した。

この権利章典から派生した概念として、「国家による個人の権利の侵害」を退 けるために「平等な法律の保護」を保証することが憲法修正条項一四条第一項に 明記された。本来は奴隷から解放されたばかりの黒人たちに「平等な法的保護を 保証する」ことを意図した修正条項であったが、混沌とした一九世紀のアメリカ では、この概念の確立に乗じて「企業」の影響力を拡大し、国家による規制や司 法上の介入を退け、「企業」という実体に「個人」と同等な「権利」を確立しよ うとする多くの訴訟が続いた。そして一八八六年に「Santa Clara County v. the Southern Pacific Railroad」という訴訟で、「企業」という実体には「個 人(Personhood)」としての権限が与えられているとする解釈が確立したのだ。

その後一二〇年にわたり、「州」や「国家」の法律的権限および資本の規模を はるかに超え、国境や貨幣の境界線を超える巨大企業が爆発的な成長をとげる。 それとともに、環境問題や労働問題など公共の利益を代弁する「国家」機関が、 「個人としての人権」を主張して肥大化する企業を規制することがますます困難 になった。また、企業から議会に流れる政治献金の弊害についても歯止めが利か ない状況が続いた。この理不尽な権力の構図が、アメリカ民主主義の根底を揺る がしている。つまり、市民一人一票の選挙に基づいて意思決定されるはずの民主 主義の仕組みに「企業」が介入して「個人」の重みを陳腐化することで、究極的 には「権利章典」で謳われている個人の権利を「企業利益」が踏みにじることを 許す歴史が続いてきたわけだ。

今回の中間選挙でも、戦争で暴利をむさぼり株価が高騰しているオイル企業、 エネルギー企業、農薬会社や製薬会社、傭兵企業を含む軍事企業などからの膨大 な政治献金やソフトマネーの影響があり、企業にとって不利な方向を目指す候補 者に対して圧力がかけられた。各自治体から立候補した地元の市民は、いくら新 鮮なアイデアを出しても、政治運動資金、特にテレビの広告費用が足りなければ 選挙に勝つことはできない。州レベルや全国レベルの選挙ではなおさらだ。最近 では、エンロンのスキャンダルや、イスラエル政府の政治操作もからむロビイス トの巨大な汚職の発覚によって、主に共和党内の政治家たちの汚職が芋づる式に 暴露された。しかし、企業を規制する法律の根本を覆さない限り、共和党と民主 党の二大政党であろうと、またはグリーン党を含む第三勢力であろうと、政治汚 職の根を絶つことはむずかしい。

ただし、この点についてはひとつ希望が生まれた。二〇〇二年、この歴史的な 一八八六年の訴訟のオリジナルの判決記録をつきとめたトム・ハートマンの著書 “Unequal Protection: the Rise of Corporate Dominance and the Theft of Human Rights (不平等な保護――企業支配と人権略奪の台頭)"が発表され、一九 世紀の最高裁で「企業という個人」という概念は実際には認知されていなかった ことが判明したのである。これまで覆すことのできなかった論争に終止符を打 ち、本来の「企業市民」の責任を追及し、議会政治に市民の意向が直接反映され るように政治構造を改革するためには、司法部門や立法部門に対する市民の働き かけが今後よりいっそう重要である。

学問の自由、言論の自由への介入

ブッシュ政権の行政権拡大路線の影響は、政権アジェンダに合わない情報を除 去し、政権方針を支える情報のみを選りすぐる政治的介入という形で、教育や学 問の各分野にも及んでいる。大学教授たちの授業の内容や論文などの検閲も多発 しており、宗教、哲学、政治学などの部門について外国から著名な学者を招くこ とに対する弾圧、小中学校や高校などのクラス内での教諭や生徒の発言に対する 監視なども報告されている。特に、オイル企業に都合の悪い地球温暖化や代替エ ネルギー開発に関する研究結果の発表を遅延させたり、宇宙の誕生に関する説や 科学的な性教育なども含めて、キリスト教原理主義に反する科学的知識に対する 抑圧が頻繁に見られる。国立研究機関(NOAA、NIST、NASAなど)や政府内各省 (森林局、連邦政府緊急事態管理局、衛生省など)で長年キャリアを積んできた ベテラン科学者たちの大量解雇や、彼らが提出した報告書の抹殺または内容の変 更や検閲が起きている。アメリカが誇りとしてきた宇宙科学分野でも、戦争用の 宇宙技術には多大な予算を組んでいる一方で、地球温暖化や宇宙の始まり・仕組 みの研究への予算はカットされている。

メディアは何をしているのか

9・11事件後から現在に至るまで、アメリカ主流メディアは「権力の監視役」 としての役割を放棄し、ブッシュ政権のプロパガンダ・マシンとなりさがった。 脆弱な報道姿勢は、メディア企業の経営構造そのものに由来する。二〇〇七年一 月には再びFCC(連邦政府通信委員会)による報道機関の独占規制緩和などを 含む検討事項の報告が予定されている。これまでFCCが後押ししてきたメディ ア統合およびメディア規制の動きは、民主主義の基盤を揺るがす危険な要素だ。 しかし、イラク戦争が暗礁にのりあげるなか、カトリーナ災害への対応の無能さ を露呈し、EU、アジア諸国、そして南米諸国との外交でも不適切な傲慢さを恥 じないブッシュ政権に対し、国民の支持率が目に見えてさがりはじめ、主流メ ディアへの不信も表面化してきた。戦争突入当時は鼻息の荒かったFOXテレビ でさえ、視聴率が二〇〇五年に比べて二〇パーセント以上も下がっている。その ような今になって、主流メディアは戦争の正当性を疑う世論に追従する形で、よ うやく政権批判の報道を行いはじめた。もちろん、この背後には主流メディアに 見切りをつけ、グラスルーツの独立メディアを支持し、ドキュメンタリー映画や インターネットから包括的な情報を得る市民が増えたという圧力がある。

もちろん、主流メディア組織内でこれまで粘り強くジャーナリストとしての責 任を果たしてきた人々が多く存在する。特にケーブル・テレビ・チャンネル MSNBCのキース・オルバーマンの番組「カウントダウン」は、ここ数カ月に わたり、辛辣なブッシュ批判の「特別コメンタリー」を出して、視聴率が記録破 りに伸び続けている。彼の特別コメンタリーは五〇年代に憧憬をあつめた著名な CBSキャスター、エド・マーロウ氏の威厳のある真摯なコメンタリー・スタイ ルを踏襲するもので、テレビだけではなく、ウェブ上に掲載されたビデオ・ク リップにもアクセスが殺到している。彼が伝統的な「ニュース部門」の出身では なく「スポーツ解説」番組の出身であったことが、かえって彼のキャリア寿命を 救うことになったという見方もある。腐敗したテレビ企業の中で唯一「事実を伝 える能力を発揮できる」のはスポーツ・キャスターしかいないという笑えない冗 談もあるくらいだ。近年テレビの論壇環境では、威圧的で下品なビル・オライ リー風の番組スタイルが蔓延している。テレビそのものに辟易していた視聴者に とって、キース・オルバーマンの存在は実に新鮮だ。

近年アメリカの言論界で顕著になった意地の悪い冷笑主義(cynicism)の風潮 の対極にあるのが、アメリカ人が重んじる懐疑的思考(skepticism)である。 9・11事件後にテレビ番組や新聞の論調が戦争突入と愛国心一辺倒に傾き、正面 切った政治解説や批判的な分析が見られなくなったとき、アメリカ人が得意とす る辛辣な懐疑的思考の底力をここぞとばかりに実践したのが、多くのコメディア ンたちや漫画家たちだ。一般市民たちが声に出せない本音の疑問を音量を上げて 語ってみせたテレビ番組は、FCCの規制が一般放送局ネットワークよりも緩い ケーブル・テレビに集中した。

なかでも特にコメディ・セントラルで爆発的な人気を得ているのがジョン・ス チュワートの「デイリー・ショー」と、そこから派生したスティーブン・コルベ アの「コルベア・レポート」だ。「デイリー・ショー」ではCNNやFOXの ニュース番組の欺瞞や怠慢を辛辣かつ面白おかしく分析し、二〇代、三〇代の若 者たちの多くが「デイリー・ショー」を通して「必要なニュース」を得ていると いう。コルベアは現政権を握るネオコン共和党支持者のキャラクターになりきっ て彼らの愚考・愚行を暴露してみせる。彼はホワイトハウス専属プレスが毎年行 う記念講演で基調スピーカーとしてこのキャラクターを演じ、普段辛辣な批判を 目の当たりにすることのないブッシュ大統領が笑うに笑えない場面に迫られた。

全米の新聞に掲載される風刺漫画で特に重要な影響力を持つのが、G.B.ト ルゥデゥがベトナム戦争時代から続けている「Doonesbury」である。この漫画シ リーズでは、ゲイの結婚、人種差別問題、政治汚職の仕組みやホームレスの問題 など、アメリカ世論が避けてきたテーマを取り上げ、登場人物もブッシュ大統領 やカール・ローブからイラクで負傷した兵士たち、戦争で家族を失った子どもた ちまで多様だ。ここ数カ月にわたり、Doonesbury では特に一般のアメリカ市民 が目をそらしている帰還兵士たちの生々しい体験を描き、手足を失った兵士たち からじかに聞き取りした血なまぐさい戦争のトラウマや、福祉や医療制度の縮小 に直面する社会復帰の苦しみなどを描いている。

今回の選挙の原動力となったのは、こうした人間としての「痛み」に目覚めた 人々ではないだろうか。イラク戦争の脅威を身近に感じている二〇代の若者たち の投票率が圧倒的に増えた。伝統的に共和党支持者が多かったラティノ人口も、 ブッシュ政権のあからさまな人種差別と残酷な移民政策を目の当たりにして、今 回の選挙では大幅に民主党に動いた。カトリーナ災害によってこれまでアメリカ 社会の意識下に隠されていた組織的な人種差別や貧困問題の現状がより明らかに なったのと同時に、これまでは共和党から「なくても結構」と言われていた「政 府」の本来の役割や責任に対する意識、「汚職」や「政治腐敗」に対する批判的 関心が高まった。

この秋に創立一〇周年を迎え、全米五〇〇局以上の独立ラジオ局を網羅する 「デモクラシー・ナウ!」。「アメリカ人は悪いニュースを聞いたり、真実をつ きつけられることを嫌う。そんな番組はすぐに見捨てられるのではないか」とい う批判に、ホストのエイミー・グッドマンはこう応える。「アメリカ人はあなた が考える以上に慈悲の心と良心を持っています。正しい報道で真実さえ知ること ができれば、勇気のある行動をいとわない人たちです」普段は生活に追われ、政 治に興味のない一般市民が、このような独立メディアを通して赤裸々な問題提起 に触れ、自分で考え、人々との連帯を求めるとき、アメリカの本来の理想への可 能性が生まれる。

グラスルーツの台頭

当初は長男ケーシーをイラク戦争で亡くした母親の立場で戦争への素朴な疑問 を投げかけたことから注目されたシンディ・シーハン。その後、ブッシュ大統領 が頻繁に休暇をとるテキサス州の牧場前に野宿して大統領との面会を求め続け、 そこに世界中から何千人もの人々が集まる「キャンプ・ケーシー」が生まれて、 今やアメリカ反戦運動のシンボルとなった。二〇〇六年のノーベル平和賞候補に も挙げられた彼女は、背が高く大柄な女性だが、普段の語り口はつねに静かで優 しい。テレビのトークショーなどで「大統領に挑戦する愛国心のない人間だ」と 激しくののしられるような場面でも、悲しい微笑みを絶やすことなく、決して声 を荒げたり怒りを顔にあらわすことがない。しかし、静かな物腰やユーモアを忘 れない謙虚な言葉で話しかけるシンディのメッセージは、ワシントンDCに巣食 う現在の二大政党システムの腐敗と、巨大企業や軍事企業と政界の癒着が支える 「アメリカ民主主義の幻想」を根底から糾弾する激しい内容だ。

「アメリカはムッソリーニがかつて定義した"ファシズム"、つまり軍事政権と巨 大企業の癒着による全体主義に突入している。……政治献金に操られる選挙で当選 した議員たちに、この国の運命を委託することはできない。反対政党でありなが ら、現政権の政治的犯罪を許し、権力に媚びる臆病者の民主党上層部は何をして いるのか。……平和な手段による直接行動で、本来の民主主義のシステムを取り戻 す必要がある。……今回の中間選挙の結果はどうであれ、ホワイトハウスを包囲 し、国民を騙した戦争犯罪者たちの立退きを要求しよう」

彼女の講演を聞きながら、アメリカ独立宣言の精神に思いを馳せた。「すべて の人間は平等であり、創造主によって、生存、自由、そして幸福を追求する権利 を含む侵すことのできない権利を与えられている。これらの権利を確保するため に、人民は政府という機関を持ち、その正当な権力は統治される人民の同意に よって支えられている。いかなる形態であれ、政府がこれらの目的を破壊するよ うな場合には、それを改め、または廃止し、新たな政府を設立し、人民にとって 安全と幸福をもたらすために最もふさわしい手段でその政府の基礎を据え、その 権力を組織することは、人民の権利である」

アメリカの未来はグラスルーツの精神にかかっている。上下両院で民主党が久 しぶりに優位になったからといって、それだけでは民主主義の政治を取り戻すこ とはできない。軍事委員会法を議会で覆すことも、ブッシュ大統領・チェイニー 副大統領を弾劾することも、イラク戦争に終止符を打つことも、主権を日々絶え 間なく行使するグラスルーツの圧力なくしては実現できない。そしてそれには、 弾圧を押しのけて言論・表現の自由を具体的に実践していく固い決意が必要だ。 長丁場になることは覚悟で、「人民による、人民のための政府機構」を甦生する 一般市民たちの底力に希望を託したい。

【月刊『世界』一月号掲載】

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