TUP BULLETIN

速報654号 レベッカ・ソルニットの近未来展望  070116

投稿日 2007年1月16日

FROM: hagitani ryo
DATE: 2007年1月16日(火) 午後10時34分

☆2007年正月の初夢に代えて★
年の初めに希望に満ちた未来の夢を描く――これは「美しい国」日本の習い
だったはずですが、先行き不透明な世相のなか、この楽しい美風もどこかに
飛んでいったようです。そこで、暗い時代の希望の語り部、新ミレニアム年
代記の編者、レベッカ・ソルニットに近未来のできごとを語っていただきま
しょう。本稿は2006年を締めくくるトムディスパッチの歳末記事として
公表されたものですが、内容から見て、TUP新春記事にふさわしいと思い
ます。未来の夢といっても、そこはレベッカ・ソルニットのこと、「未来
は、あなたが予言して、待つようななにかではない。あなたの行動によっ
て、一日ごとに創造するものなのだ」と、私たちのひとりひとりに行動を迫
ります。井上

凡例:(原注)[訳注]《リンク》〈ルビ〉

トムグラム:
レベッカ・ソルニットの2026年歳末回顧
トムディスパッチ=抗主流メディア毒・常備薬サイト
2006年12月18日

[トム・エンゲルハートによるまえがき]

2006年はまったく不愉快な一年だったので、展望のある一編が必要だと
思われた。そこで、トムディスパッチは、遠い未来から少し前の過去を振り
返るという趣向の小論をお願いした。ふつうなら簡単になしうる芸当ではな
い。だが、レベッカ・ソルニット、当サイトの住人である希望の歴史家、注
目すべき書『暗闇のなかの希望』《1》(原書“Hope in the Dark”は増補
版《2》刊行)の著者に不可能なことはほとんどない。2026年発のトム
グラムにさえ手が届くのだ。私は、彼女が約束する、もっとつつましい未来
――小さなものや革新的なものの未来――を待ち望んでいる。どうか、愉快
なひと時を。トム
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4822805964 《1》

《2》

哺乳類の時代
21世紀の第1四半期を振り返る
――レベッカ・ソルニット

(ソロモン・ソルニット〔2006年10月18日生まれ〕に捧げる)

草の茂みから眺めた光景

私はトムディスパッチに非主流ニュースをまとめた歳末記事を2004年か
ら書いてきた。けれど、2017年あたりから、見過ごしにしてきたニュー
スを掘り出すというお決まりのやり方や、希望の根拠にますますうんざりす
るようになってきた。そこで今年は目先を変えて、21世紀最初の25年間
を振り返ることにした。でも、その方法を私に気づかせてくれたのは、60
00万年前の動物だった。

先日、私は何人かのちびっ子たちをお借りして、このますます不安定になる
ばかりの世界でいつでも頼りになるものを見にいった。科学博物館の恐竜時
代ジオラマである。そこでは、いつものティラノサウルスとトリケラトプス
との迫力ある激突があった。プテロダクティルスが空を切って飛翔し、その
うち一頭の歯をむいた口には、小さな爬虫類がくわえられていた。千年紀が
移る前、私が若かったころにブロントサウルスと呼ばれていた恐竜が、どこ
かぼんやりとした風情で草を食〈は〉んでいた。この劇的状況全体のなか、
簡単に見落としかねないものは、アシの茎や分厚い草葉の上でじっとしてい
るトガリネズミに似た哺乳類であり、こちらは魅惑的なプテロダクティルス
のスナック用としてもあまりにも小さい。私は子どもたちに、進化の道筋で
次に登場するものは、はじめはいつもあの哺乳類みたいに見えるのよ、と
言って聞かせた。つまり、とるにたりないもの、本筋から外れた存在であ
る。公式の見せ場はたいてい巨大恐竜のぶつかりあいだ。

まさにこれこそが、主流ジャーナリズムが今世紀初めの10年間を、民主党
・対・共和党、マクドナルド世界・対・地球規模のジハドといった、目に付
きやすい二項対立概念の意味を議論することに費やした理由である。まる
で、1770年代初期に、フランスとイギリスのどちらの絶対王政がアメリ
カで覇権を占めるかということに政治論争の焦点が絞られたであろうよう
に。あいにく、じきに前者の王は首をはねられ、もう一方は追放されてしま
う。当時の壮麗な図体のきわみにあった絶対王政の君主たちは、その時代の
恐竜であり、はじめはだれにも気づかれなかった18世紀の哺乳類は、「革
命」と名づけられた。21世紀初めの哺乳類は、「地域主義」、あるいはた
ぶん「アナーキズム」、あるいは「市民社会主権」とすら呼ばれていたのか
もしれない。ある奇妙ななりゆきで、風車建造者は連邦上院議員よりも重要
になった。確かに風車造りのほうが上手に未来に備えていた。

植物の茎にしがみついていたあの哺乳類は、草の根から這い上がってきた。
そこでの選択は、例えば、若いほうのジョージ・ブッシュの時代にだれもが
口にしていた原理主義と消費主義との間の選択よりも、ずっと基本的で、意
味のあるものだった。20世紀が恐竜――ゼネラル・モーターズやソ連、マ
クドナルド、グローバル化した娯楽配信ネットワークや情報スーパーハイ
ウェイ――の時代だったとすれば、21世紀は小さなものの時代であること
がますます明らかになってきた。

このことは、無数の地域経済プロジェクト――風力発電所、ファーマーズ・
マーケット[農産物直販市]、地域環境団体、食品生協――のうちに見るこ
とができる。それらは、サウジ石油戦争が中東全域を巻き込み、主要な油田
を破壊して、2009年の重大な石油危機を招いたときには、ほとんど気づ
かれることもないまま、すでに数多く生まれていた。この危機こそが、天井
知らずの物価暴騰を招いたばかりか、ペットボトル入りの水、労働搾取工場
[*]製の衣服などなど、不条理な商品を詰めこんだ大きな鋼鉄製コンテナ
を積んで世界の海をうろつきまわる貨物船をじっさいに止めたのである。
[sweatshop=低賃金・長時間・児童使役など、グローバル化経済の奴隷制
とでも言うべき過酷な労働条件の工場]

その結果として、2010年代前半の数年間に到来した食糧危機は、石油集
約型の大規模農業を衰退させたが、当時、「未開発世界」と呼ばれていた地
域、特にメキシコや東南アジアから来ていた百姓移民の地位をにわかに引き
上げた。彼らは、突如として緑地化した北アメリカの都市で、畑仕事に不慣
れな人たちに自給菜園農法を教え、それが、そのころに世界を席巻するほど
の勢いで拡大していた飢饉を緩和した。(かさばるばかりの退廃的な新千年
紀のSUV[スポーツ汎用車]には、たいしたエコロジカルな意味もあるこ
とが判明した。ただし、南向きに車を停め、サンルーフを取り付け、窓高の
ある車体を発芽温室として用立てる場合に限る) 石油・食糧危機は、アメ
リカに蔓延していた肥満症の解消につながった。摂取カロリーも減れば、あ
の多くのアメリカ人に、じっさいに徒歩や自転車で動きまわったり、手を
使って働いたりすることを強いたからだ。

うっかり帝国を滅ぼしたブッシュ

この混沌とした世紀の10年代初め、陰謀論者たちはこぞって、若いほうの
ブッシュが、実はあの時期のグローバルな「超大国」の解体を企んだ左翼の
陰謀に乗せられた操り人形だったと唱えて、つかの間の好評を博した。彼ら
は、論証の一端として、「新保守主義」はトロツキストの系列に根ざすもの
であり、その狂った夢がイラクやアフガニスタンでアメリカ帝国を葬ったの
だと指摘した。2009年に思いもかけず一気に表面化し、翌年のニュー
ヨーク、その他における徴兵忌避暴動につながった予想外の士官脱走運動の
ために、地上最強の軍隊が砕け散ったわけだが、彼らの主張によれば、その
前からも、ブッシュの顧問たちはそれを崩壊寸前にまで痛めつけようと意図
的に策謀していたのである。

債務が膨れあがっていたさいの、ブッシュ政権による米国経済管理の失敗が
アメリカの繁栄と支配力の時代の終焉につながったことが、あまりにも歴然
としていたので、どれほどバカバカしいものであっても、なんらかの釈明が
求められたし、しかも、それがしばらくは受け入れられたほどである。今の
時点からの長期的視野で見ると、話はもっと明確で、つまり、ブッシュはあ
の帝国時代最後の恐竜の一例であったにすぎず、すでに命運の定まっていた
ものを引きずり降ろすことに並外れて有効な仕事をこなしていたわけだ。あ
なたがこの四半世紀の時代の歴史家のおおかたと同じなら、わかりきったこ
と、つまり、あれがすっかり倒れたわけなどはおもしろくもないだろう。そ
れよりも、あの当時、あれほどちょっぴりしか注目されないまま、あれほど
生き生きと躍動しはじめた哺乳類、代替後継者登場の最初の兆しを見つける
ことのほうに興味をそそられるはずだ。

陰謀の甲斐もなく、若いほうのブッシュが(盲目的にではあっても)じっさ
いにせっついていたことは、北アメリカ諸州における地方分権政策の開始
だった。彼が在職中の8年のあいだに、反旗を翻した地方は、同性愛の権利
や環境問題から対外関係や悪評ふんぷんの連邦愛国法にいたるまで、ありと
あらゆることについて、後に全面的な独立政策に結実する方針を展開しはじ
めていた。例えば、早くも2004年から07年にかけて、ワシントンでは
断固無視されてはいたが、すでに顕著だった気候変動の影響に対処するため
に、カリフォルニアの先導により、いくつかの州が独自の自動車排出ガス基
準を制定しはじめていた。

2005年6月、シアトルで開かれた会議に全米の都市から参集した市長た
ちが――国策をまともに拒んで――気候変動ガス排出を制限するための京都
議定書の協定に参加することに満場一致で賛成した。国中の図書館員たちが
連邦愛国法の遵守を公然と拒否したし、全国の小さな町がこの法律を糾弾し
たが、それは、今日、歴史家がアメリカ・イラク泥沼関係と呼んでいる戦争
を、その多くがやはり糾弾したのに先立つ数年間のことだった。

これらの小さな自治体が反撃に転じて、地方行政を構築し、地方条例を制定
したこと、つまり、実現可能な未来へと向かう行進に結集し、共和制政府を
置き去りにしたこと、これを後押ししたのは、ブッシュ政権によるイジメ
だった。そして、自治体の離脱が完了したとき、共和制国家も終わりを迎え
た。

ワシントンの原発推進政策の産物である何千トンもの放射性廃棄物は、今で
は旧首都の下層に横たわる花崗岩質岩盤に埋蔵されている――これは、湾岸
両戦争時の昔懐かしい将軍たちの遺体をあと何体か受け入れたあと、永久に
閉鎖されることになっている南側のアーリントン人間墓地と対比して、アー
リントン核墓地の名で知られている。軍備、放射能汚染、武装解除、代替エ
ネルギー研究に関する全歴史が旧最高裁判所ビルに開設された博物館に展示
されている。もっとも、多くの人たちは放射能汚染を恐れて、この一帯を避
けてはいるが。

あの時代にあれほど喧伝されていた左右の分断だが、後から振り返ると、こ
れももうひとつの恐竜的な二者対決にすぎなかったのは周知のことである。
けっきょく、小さな政府は久しく(少なくとも理論的には)保守の呪文であ
りつづけていたし、最大限に地域化された形態の「民衆権力」に対する左翼
の支持も(少なくとも理論的には)それと大同小異だった。しかも、どちら
の側も、現在のもののようにほんとにじゅうぶん小さくなる政府や民衆権力
が実現することを想定したりはしていなかった。バイオリージョナリズム
[*]集団の最大規模のものは――もちろん、複雑な地球規模の連合の網の
目に密接に組み込まれてはいたが――オレゴンやジョージアの元・州の面積
にほぼ匹敵していたのだ。例えば暗い世相に沈んでいた2006年を振り返
ると、このすべてが想像を絶していた。
[bioregionalism=生命地域主義・生態地域主義。地域のエコロジーに留意
し、生命共同体の一員として持続可能な生活・経済・社会の構築をめざす思
想・活動]

共和党じたいが2012年に分裂して、原理派・保守派と通称される2派閥
が敵対しあうようになるころまでには、アメリカ帝国は自己解体していた。
もちろん名義的には、合州国は存続している――今年の7月4日、私たちは
脱植民地記念日の花火大会で合州国に敬礼するだろう――けれど、2020
年に廃絶されるまでの1世紀間の英国王室がそうであったように、おおむね
象徴的な存在である。

主流メディア、あの時代の大手の新聞やテレビ系列の世界でも、似たような
恐竜絶滅の力学が作用していた。今世紀初めの年月のあいだ、若いほうの
ブッシュが国家を勝てない戦争と数えきれない嘘の泥沼へとどんどん引きず
りこむとともに、たいがいの大新聞やテレビのニュース番組は、その気骨、
その切れ味、あるいはその視力すらも失い、情けないことに報道価値のある
ニュースを伝えそこなっていた。スキャンダルに墜ちたものもあった。例え
ば、2005年のジュディス・ミラー[*]危機のあと、ニューヨーク・タ
イムズは同一の存在ではありえなかった。外部からの妨害工作にあったり、
ロサンジェルス・タイムズのように、親会社による「経費削減」計画のため
に縮小されたりしたものもあった。若年層の読者が紙面からインターネット
へ逃げたために、衰退したものもあった。けれど、あの当時、その背後、そ
の下部、その蔭にあって――活字メディアをスクープ報道で出し抜き、刺激
しつづけていたにもかかわらず――泡沫、とるにたりないものと見なされて
いたのが、ブロガー、小雑誌やウェブサイトといった代替メディア、あっぱ
れな独立系メディア運動、進歩派ラジオであり、2006年4月、移住者公
民権運動の草創期に最初のラティーノ[ラテン系住民]大行進の準備に役
立った携帯メール送信さえもがこの部類に入る。
[CIA工作員の身元情報を漏らした政府高官を庇うため、取材源を秘匿し
て収監された記者]

ラテン・アメリカン・ルネッサンス

合州国のラティーノ化現象が、久しく失われていた市民参画と快感を国民生
活にいくぶんか呼び戻し、この国(およびカナダ)を南半球のみごとな叛乱
に結びつけた。今世紀10年代にティエラ・デル=フエゴ[南米南端の諸
島]からティファナ[メキシコ北西部の都市]にかけて激発を見たポスト共
産主義革命は、通常、その時代区分をメキシコ先住民族のサパティスタ国民
解放軍が世界舞台に登場した1994年1月1日にまで遡るとされている。

あの年代の変わりゆく大陸の際立ったひとつの反映が、選挙における革新派
指導者たち――2006年までに限って言っても、エクアドルの左翼、ラ
ファエル・コレア、ヴェネズエラのウゴ・チャヴェス、チリのミシェル・バ
チェレ、ブラジルのルイス・イナシオ・ルーラ・ダ=シルヴァ、ボリヴィア
のエヴォ・モラレスなど――の勝利だった。やがて、米国の軍事援助資金が
(それを支払うアメリカそのものの衰退とともに)枯渇してから3年後の2
014年、ついにコロンビアのアリシア・ポンセ・デ=レオンがこの列に加
わりさえしている。チャヴェス(大統領在位1998-2013)はこれをボリヴァ
ル革命[*]と名づけた。
[Simon Jose Antonio de la Santisima Trinidad Bolivar y Palacios
(1783-1830)=南アメリカの諸国を独立に導いた英雄、シモン・ボリヴァ
ルに因む]

彼らは、総じて、あのころ通用していた国家指導者としては悪くなかった。
けれど、国家主義にとって一大打撃になったのは、チリの元独裁者、アウグ
スト・ピノチェットが人道に対する罪を問われて、1998年に英国によっ
て逮捕されたこと、スペインで欠席裁判にかけられたこと、すなわち200
6年末にこの独裁者の血なまぐさい心臓が止まるまで延々とつづいた歴史物
語であったと実証されている。新しい世界は、それが侵食した旧世界に比べ
て、もっと超国家的であると同時に、もっと地方色を出したものであり、法
のおよぶ範囲の外にふたたび置かれる者はいないほどだ。(例えば、アフリ
カの人びとは、かつての独裁者たちが盗んだ何千億ドルもの資金をスイスの
銀行やオフショア金融[*]の口座から回収し、その結果、AIDSや砂漠
化に対する戦いに巨額の援助を拠出できるようになった)
[為替管理・税制などの規制が少ない国・地域に拠点を置き、資金を運用す
る金融業務]

指導者たちの名が何であれ、ラテン・アメリカでは――そして、いよいよど
こでも――真の力は、2026年の視点から見れば、サパティスタが先触れ
し、国民国家の妥当性の先細りをはっきりと告げた草の根・直接行動にある
だろう。ラテン・アメリカ先住民運動、労働運動、近隣地域共同体、200
1年以降、アルゼンチンで引き続く労働者による工場の奪取、それに伴うア
ルゼンチン人のホリゾンタリダド(水平化主義)・イデオロギー――これら
はこの展開の初期の兆しにすぎなかった。

地域主義的な政策を打ち出すアメリカの自治体と同じように、これらの運動
は革新派大統領たちすらも形無しにして、もっとラディカルな方針を採り、
南半球全域で数多くの先住民自治区を擁するまでに成長した。例えば、20
06年後半、(旧ペルー・エクアドル国境地帯を領域とする)人口8000
のアチュアル部族は人質を取り、勝ち戦気分の抵抗運動を貫いて、ペルーの
基幹的な石油・ガス採掘企業を打倒した。その後、このような形の闘争はま
すます一般的になった。メキシコでは、メキシコ国民行動党候補、フェリク
ス・カルデロンの大統領就任という結果に終わった2006年の盗まれた選
挙が、言うならば、堪忍袋の緒を切った。それに続く年月の間に、第二次メ
キシコ革命がチアパス、オアハカ、メキシコ・シティから拡大して、徐々に
国家を解体し、民衆の地域拠点を結ぶネットワークへと移行させた。そのう
ちの17拠点が地域の先住民族言語をそれぞれの公用語として復活させた。

世界法廷と水没地

ラテン・アメリカン・ルネッサンスはまた、米国南部のサンベルト[陽光地
帯]――およびスワンプベルト[浸水湿地帯]と呼ばれるようになった地域
――からのエマグレ[*]とともに、中央アメリカやメキシコ南部から南北
両方に向けて逃げた気候変動難民の一部を受け入れるほどの力量を備えた地
域社会のネットワークも生みだした。だから、西半球における人口大移動は
大西洋の対岸におけるそれよりも円滑に進んだ。ヨーロッパの人たちは、本
国生まれ・白人キリスト教徒の住民が急速に老齢化し、極端に低い出生率の
ために人口が急減しているというのに、移民のみが経済を下支えすることを
理解するどころか、イスラム教徒を排斥する対決姿勢を強めることにかまけ
ていた。
[emigre(フランス語)=移住民。故郷喪失者や亡命者を指すことが多い]

この血なまぐさい抗争の終結は、当時、緩やかな連合であるにすぎなかった
ドイツ語圏バイオリージョナル領域連邦における2020年のアミラ・ゴル
ドブラット・アル=ハミド首相の選出によって決定的になったと一般に考え
られている。同じような危機――それに、いくつかの事例では、共同体間・
宗教間の流血の消耗戦――がいたるところで、とりわけ砂漠化が進行し、ど
んどん暑くなるアフリカや南アジアの熱帯で起こった。一部の歴史家たち
は、2013年に地球規模で壊滅的に流行した鳥インフルエンザは、気候変
動による人口移動圧力を緩和したという側面では幸運であったと考えた。他
の歴史家たち――サンディエゴ=ティフアナ大学[1]の“公衆満足感に関
するデイヴィス[2]研究所”に所属する著名な歴史家、マーサ・モクテズ
マなど――は、このような見方を無神経なものとして切り捨てた。
[1 サンディエゴ、ティフアナは、それぞれアメリカ(カリフォルニア)
とメキシコの国境を挟んで向かいあう都市。もちろん、これは架空の大学]
[2 おそらく、サンディエゴ在住のドキュメンタリー作家で『感染爆発
――鳥インフルエンザの脅威』(紀伊国屋書店)の著者、マイク・デイヴィ
スのこと]

今では、学校生徒ならだれでも旧地図・新地図システムを知っていて、消失
した土地の名を、オランダ国土の半分、バングラデシュの大部分、アマゾン
三角州、ニューオーリンズや上海の低地といったふうに暗唱できる。そし
て、今になっても、かの名高い「地盤を失った地盤主義者たち」――急速に
沼地だらけの群島になってしまって、フロリダ州を失った上院議員たち――
の小唄が歌えない人がいるだろうか。たいがいの生徒はまた、海水面上昇の
ために故郷を奪われ、主としてニュージーランドとオーストラリアに再定住
した太平洋の島嶼〈とうしょ〉民に石油メジャーの全株式を渡した2016
年の世界法廷判決を暗唱することができる(化石燃料経済が衰退したので、
これはつかの間の勝利だった)。

もっと生産的に気候変動に対応したもののなかに、移動育樹やホッキョクグ
マのための協働組合があった。こうしたエコ・アナーキスト派――今や評判
の現代の勇士たち――は、北方への尋常でない旅を敢行して、雨季の大規模
な育苗と夏季の定植プログラムの実施により、まず植生の育成をはじめたの
であり、それ以来、これが巨大規模の野外フェスティヴァルになった。最初
の移動育樹協働組合をオレゴン南部で組織したクレオ・ドロシー・チャン
は、今では世界的に21世紀のジョニー・アップルシード[*]と称えられ
ていて、今日、多くの都市の公園や町の広場に彼女の肖像が建てられてい
る。(「悲嘆と高揚、どちらかを選ぶことはできない。これらは歩きつづけ
るための左右の足なのだ」――これが移動育樹員Tシャツのプリントだっ
た) ホッキョクグマ一族について言えば、彼らはもともと動物学者やサー
カス調教師であり、移動育樹員たちからの影響を受けて結集し、ホッキョク
グマの幼獣に棲息地の変化に適応することを教えた。ホッキョクグマほどに
は象徴性のない何千もの生物種は姿を消してしまったけれど、この野生界の
カリスマ的な一種族を救ったのは、彼らの功績であるとされることが多い。
[本名ジョン・チャプマン(1774-1845)。 開拓時代に米国の辺境をさすら
い、リンゴの苗木を誰彼かまわず分けて歩いたという伝説がある――
http://www.geocities.jp/suteki_jin/appleseed.html]

変化の諸原則

一本のオークの成木は、いつでも魅力的な見ものなので、目にするとき、私
たちはドングリを大事にしたいと思う――けれど、その次に大事なものであ
る種子は踏みつけにされるだけ、見落とされるだけである。私たちの時代を
つくり、私たちを瀬戸際から引き戻した理念、恐竜の心臓に打ち込まれた
杭、そして恐竜を絶滅に導いた、いや増す力は、すべて1990年代に作用
していたのである。これらはとても見栄えのするものではまだなかったし、
人びとはあの恐竜の重量に威圧され、その論調に動かされていた。

世界法廷および関連人権と環境権、それに司法裁判所は、国民国家時代の落
日とともに、以前よりも有力な存在になった。複数の変化が予測不能なシナ
リオのなかで混じりあうことが多かった。例をあげれば、2011年、遅ま
きながら米国は、国際司法裁判所がアメリカ国民の戦争犯罪を管轄する権限
を持つことを認めたが、これは世界的な監禁反対運動と時を同じくしてい
た。これが、例えば、元大統領の若いほうのブッシュは2013年にパラグ
アイから送還され、有罪とされたけれども、収監されることはなく、余生を
ファルージャの‘おむつ’クリーニング施設で働いて過ごすようにと言い渡
されたわけを説明する。(彼がそうとうな年配であるにもかかわらず、この
仕事が彼の器量にとてもピッタリで、楽しそうに働いていると現場のウェブ
画像がうかがわせるので、彼の治世を今でも快く思っていない向きは苦々し
く感じている) 彼の財産は――副大統領の財産や、ハリバートン、べクテ
ル、エクソン、その他の戦争利得企業の資産とともに――ご立派なことに
“イラク体制移行のためのヴェトナム仏教者[*]委員会”に贈与された。
10年近くにもわたる熾烈きわまる流血抗争のあと、イラクもまた5つの国
に分裂したが、そのころには、より筋の通った単位へと再編されていた国民
国家がとてもたくさんあったので、イスラム・フェミニスト女性同盟(通
称、イスラモフェミニスト)主導により、イラクの改変がついに実現したと
き、驚くほど平和なものになった。
[ティク・ナット・ハンなど、ヴェトナム戦争時に国外に追放された仏教僧
たちは、現在も世界の平和運動に多大な貢献をしている]

SF作家、ウィリアム・ギブソン《*》は「私が何度も言ってきたように、
未来はすでにここにある。さほど均等にそれが分配されていないだけだ」と
1999年に語った。今になって思えば、哺乳類の時代の到来はたやすく予
見できたはずだ。家族構成・婚姻関係、運輸、エネルギー、食料経済、地方
分散化権力構造といった、すべての側面で、20世紀末から21世紀はじめ
にかけて、日々の暮らしは根本的に改変されていた。インドからインディア
ナ[米国]まで世界中で、たがいに連動した一組の新しい理念が出現・融合
し、最終的それが新世代の思想家や活動家たちを導く新しい共通認識になっ
た。集中排除は権力集中よりもよい、資本主義の世界観は不道徳であり不実
である、公は私と同等またはそれ以上に大事である、強制的な画一性は農場
でも社会でも徳目ではないと唱えるのは過激派であると、いまごろ、だれが
考えるだろう?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%96%E3%82%B9%E3%83%B3

基本的な道具は、すでに私たちの時代よりもずっと前から揃っていた。あち
こちで、時に応じて、人びとは道具を少しずつ手にして、よりよい未来を建
設しはじめた。ドイツ製や日本製の超高性能を誇る太陽エネルギー集束機器
やメタン発電機がエネルギー生産に革命的な変化をもたらしたように、いく
つかの新しい発明は役に立った。だが、環境的により健全な未来に向かう行
進に必要だったのは、たいがいの場合、夢のような科学上の革新的成果やテ
クノロジーではなく、まさしく慎みだった。私たちは消費・生産の規模を縮
小した。例えば、米国軍隊の崩壊は、世界最大の単一汚染要因に終止符を
打った。おまけに、レクリエーション目的の空の旅が廃絶寸前になったこと
も、温室効果ガスの排出量の削減におおいに役立った。

予期せぬ結果の法則がいつも支配していた。観光客向けの航空便が閑散とし
てくると、ハワイの観光産業が衰えた――そうなれば、先住島民たちがハワ
イ諸島をカメハメハ大王評議会のもとに奪還することは朝飯前のことだっ
た。もちろん、ラテン・アメリカ、ハワイ、太平洋北西部のあいだでは、今
でも帆船が三角貿易風航路を行きかっている。

当時、すべてが変化し、今、変化していて、そして何年か前、『変化の諸原
則』が編纂された。これはただ単に、奴隷蜂起(2005年、ホークシルド
《1》)、ガンジー戦術(03年、シェル《2》)から、直接行動の諸原則
(09年、D・ソルニット[筆者の兄])、社会変革(06年、マリナ・シ
トリンの水平化主義論を参照のこと《3》)まで、民衆・非暴力抵抗の歴史
を改めてたどり、どのように変化が作用するのか、どのような力を市民社会
がもつのか、なぜ暴力は最終的に破綻するのかについて、自明の結論を引き
出したものにすぎない。
Bury the Chains: Prophets and Rebels in the Fight to Free an
Empire’s Slaves, by Adam Hochschild [参照:TUPアンソロジー第1
集『世界は変えられる』(七つ森書館)所収:ホークシルド「世界は変えら
れる――英国奴隷解放史」(和気久明・訳)]
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/booksea.cgi?ISBN=0618619070
《1》
The Unconquerable World: Power, Nonviolence, and the Will of the
People, by Jonathan Schell
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0805044566 《2》
Horizontalism: Voices of Popular Power in Argentina, by Marina Sirin

《3》

権威主義的な力の信奉者たちは企業主体国家の市場グローバル化世界を予言
していた(そしてほんとに、2012年オリンピックでは、ダサニ[コカ
コーラ社の人工ミネラル・ウォーター]やノキア[携帯電話]の陸上競技
チーム、イケア[スウェーデン家具・雑貨ショップ]のデカスリート[PS
2ゲームソフトの運動選手キャラ]といったぐあいに、国名よりも、ブラン
ド名によって知られる選手団が幅をきかせていた)けれど、ホッキョクグマ
が生き残ったというのに、地球気候の変動という別種の変化がほとんどの大
企業の命運を定めた。企業の法人格の無効化は、2002年12月にペンシ
ルベニア州ポーター郡区で始まったが、これがやがて徐々に国法になった。
[州によって違うが、township=郡区は、たいがいはcounty=郡の下位行政
区分]

1880年代に米国の裁判所が企業に賦与した「人格権」は、2015年ま
でに世界的にふたたび企業から剥奪された。もちろん、新世界に対する反乱
はあった――共和党恐竜が、女性の権利、同性愛者の権利、環境に関する権
利、それに科学教育に反対して、長く続いた抵抗運動を指導したのと同じよ
うに、新秩序に抵抗した企業があり、そうした事例の最大の見ものは、10
年代初めの17か月間、アーカンソー州がすっかりウォルマートに乗っ取ら
れたときのものだった。

重武装のアーカンソー州民が決起し、ウォルマート私兵軍が寝返って、この
かつては世界最大だった企業は歴史の肥溜め行きになった。これはウォル
マートだけの話ではない。最も有名な例をあげると、モンサントがシュマイ
サー判決のために軌道を外されたことがある。この遺伝子工学企業に対し
て、その全資産を、モンサントの遺伝子組み換え品種によって遺伝子汚染さ
れた農産物に対する特許権使用料を支払わなかったとして脅迫されていた小
農民に譲渡するように命じる世界法廷判決が下されたのであり、これが判例
となった。落選した大統領候補、ヒラリー・クリントンは、駐米ウォルマー
ト共和国大使に指名されていたとして、アーカンソーのファーマーズ・マー
ケットにおける3年間の掃除人服務を宣告され、そのお役目によって土地の
人気者になった。

(現代の地理学者が西部は北米大陸分水嶺ではじまると指摘するまで、中西
部と呼ばれていた)アメリカ中東部では、ほぼ10年間、宗派的な確執がそ
の地域を限定的な内戦の状態にし、今でも時おりそれが燃え上がっている。
カンサス州のジョン・ブラウン協会はある程度の防衛策を講じているが、新
しい政策や生活様式に反対する地盤主義派の断続的な出撃は正常な生活の一
部だと考えられている。

北アイダホ共和国も、異性限定婚姻法や創造科学《*》のもうひとつの前哨
拠点だったが、サケ遡上の回復やダムの撤去のために下流域自治体と協力す
ることが必要であり、やがてこの分離主義者の半国家は氷解して、コロンビ
ア川流域連合に合流した。他にも、シアトル地域の刺青〈タトー〉派ラヴ・
フリークス[恋愛至上主義者]たちが、アイダホの元トラック野郎たちやエ
ルク[ヘラジカ]・ハンターたちとの共通基盤を見つけ、自転車レースや
ビール祭りをきっかけにアイダホ人共和国を解消させたのだと主張する歴史
家たちがいる。エルク・ハンターの同性願望は伝説的に有名であり、これが
サンフランシスコやロサンジェルスに鉄道を直結するための交渉につながっ
たのだと説く人たちもいる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E9%80%A0%E7%A7%91%E5%AD%A6

1996年のことだが、ペンタゴンは、2025年にありうる5通りの未来
を描いた空想のシナリオを作成した。そのほとんどが、よりよい未来はアメ
リカの軍事力――言うならば、国家暴力の脅し――が支配する世界であると
する信念にもとづいていた。ペンタゴンが5通りのありうる未来を提示した
ということは、じきに世界を所有するようになると考えていたティラノサウ
ルス・レックス官僚にとってさえ、次の20年間がどれほど幅広い可能性を
秘めていたものなのかを少なくとも示していた。

彼らのいうテクノロジー・企業・軍国主義の未来は実現していてもおかしく
なかった。人びとが自分たちの力や水平主義社会を信じなかったならば、あ
るいは産業時代が私たちに課した環境変化に対処する地球規模の能力を信じ
なかったならば、私たちは、非常に違った、想像を絶して破滅的な世界――
哺乳類が決して増殖しない世界――に生きていたかもしれない。哺乳類たち
は、シダの歯の茂みや草むらから出てくることもなく、息絶えるようなこと
さえあったかもしれない。

もちろん、未来は、あなたが予言して、待つようななにかではない。あなた
の行動によって、一日ごとに創造するものなのだ。21世紀のはじめ、ロサ
ンジェルスの仏教者、マス・コダニもこう言った――「人は道を求めてジッ
と立っていたりしない。人は歩く。人が歩けば、道が現れる」。私たちは進
みながら、道を造り、進むことによって、道を造る。あるいはサパティスタ
も格調高く言うように、「歩きながら、われわれは問いを発する」。他に、
なにができるだろうか?

たぶん、小さなものの力、私たち皆が属する未来の神秘を尊重すること、こ
れである。

[筆者]レベッカ・ソルニットは、大好きな半島“共和国”サンフランシス
コに居住、新著を執筆中。最近著作は今でも“Hope in the Dark”《1》お
よび “A Field Guide to Getting Lost”《2》。
『暗闇のなかの希望――非暴力からはじまる新しい時代』井上利男・訳、七
つ森書館
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4822805964 《1》
未訳・仮題『迷子実践ガイド』

《2》

[原文]
Tomgram: Rebecca Solnit, End of the Year Review, 2026
posted December 18, 2006
http://www.tomdispatch.com/index.mhtml?emx=x&pid=149598
Copyright 2006 Rebecca Solnit

[翻訳]井上利男 /TUP