FROM: Kana Koto
DATE: 2008年1月31日(木) 午前7時13分
☆ 万事が変わるのを待っている必要はない。
……あなたが自分で変えればいいのだ ★
本稿の筆者レベッカ・ソルニットは、主流メディアに対峙する独立系評論サ
イト、トムディスパッチ・コムの常連寄稿者として、TUP速報でもすでに
おなじみですが、1980年代末期・ネヴァダ核実験場閉鎖運動、1999
年・WTOシアトル会合阻止行動、2003年・イラク反戦デモなど、時代
の節目ごとに数多くの現場に立ってきた、非暴力直接行動の伝統に連なる作
家です。また、トムディスパッチ主宰・編集者トム・エンゲルハートも、
「彼女が天使の(あるいは悪魔の?)言葉で書いた、その作品は美しく、絶
望の時代における希望の、不思議に満ちたささやかな来歴を明かす」(七つ
森書館『暗闇のなかの希望』帯コピー)とその文才をたたえるように、当代
一流の「希望の語り部」と目されています。彼女の作品を読めば、世に隠さ
れた情報を広く求め、国境と時代とを超えて世界の「人びとの願い」に目配
りする、当代一流の読書家であることもうかがえます。それでは、その彼女
が企画する「希望の秘伝書コーナー」を覗いてみましょう。井上
凡例: (原注)[訳注]《リンク》〈ルビ〉
[ソルニット選の書籍12冊+1冊の購入先リンクは、末尾のリストを参照
のこと]
トムグラム: レベッカ・ソルニット、活字になった希望を語る
トムディスパッチ・コム 2007年12月17日
[トム・エンゲルハートによるまえがき]
私はレベッカ・ソルニットとネット経由で出会った。2003年に彼女から
トムディスパッチに投稿があったのだ。むこうみずな戦争突入が目前に迫っ
ていたときには、あんなに大勢の人たちが反戦デモで抗議していたのに、い
ざイラク侵攻がはじまると、それほど経たないうちに、そのあらかたが失意
のあげく荷をたたみ、家に帰ろうとしていた丁度そのころのことである。そ
の投稿が、「希望の行為――世界を舞台に帝国に挑む」[TUP速報515
号《1》]というタイトルで記事になり、やがて、これが小ぶりな珠玉の本
『暗闇のなかの希望――非暴力からはじまる新しい時代』[七つ森書館
《2》、原題“Hope in the Dark, Untold Histories, Wild
Possibilities”]の出版につながった。私の世界を見る眼を変えてしまっ
た一書である。
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/560?expand=1
《1》
http://www.pen.co.jp/syoseki/syakai/0596.html 《2》
この本『暗闇のなかの希望』を、本稿に紹介されるソルニット選の12冊
――彼女の「希望の秘伝書コレクション」――にそっと加え、その13冊目
となされてはいかがだろうか。いずれも、読者のみなさんが不快な世界に向
き合っても、絶望に負けないだけの勇気を吹き込んでくれる書物ばかりだ。
さて、ちょっとした共同企画があって、それが私の生活を明るくしてくれて
いる。世界の書店のなかでも私のお気にいり、サンフランシスコのシティ・
ライツ《*》に、ソルニット提案による「希望の秘伝書コーナー」ウィンド
ウ展示を実施していただけることになっている。ほとんどの本は、特製シー
ルが貼られ、店内で買える(本稿コピーのオマケ付き)。
http://www.citylights.com/ [英文]
ニューヨーク市在住ながら、シティ・ライツ・ブックス野球帽を愛用する人
間として、これほどうれしいトムディスパッチ記事への反響は、他にはとて
も考えられない――といっても、みなさんから絶えず届く電子書簡だけは
別。私はいつもみなさんのお手紙を読み、なにかで忙殺されているとき以
外、できるだけ返信するようにしている。みなさんのお手紙は、いわば「マ
イ晩年大学」だ。だから、読者のみなさん、お手紙のひとつひとつ、今年
[2007年]いただいた支持や激励、“並びに”ご批判のすべて、見落と
していた記事や本の情報、知るすべもなかった生活や行くに行けない場所の
説明、記事掲載直後のミスやエラーのご指摘、お友だちやご同僚、それに異
論の向きへのトムディスパッチ記事の転送、この地球で、また地球に、加え
られる傷を癒すため、みなさんのなされた慎ましいおこないのひとつひと
つ、みなさんが私の内部に啓いてくださった希望の小宇宙のひとつひとつ
に、謹んで「ありがとう」と申しあげたい。トム
希望の秘伝書コレクション
あなたの覚悟を固める12冊
――レベッカ・ソルニット
希望とは、進路を定めること。てごわい壁にぶつかれば、そのでかい面とニ
ラメッコしていないで、ひび割れを探す――または、ハシゴを造る――とい
うこと。希望とは、世界観をもつということ。それも、人びとに力があり、
民衆の力こそ鍵なのだ、過去の変革の担い手は大衆運動と捨て身の人間たち
だったし、これからもやはりそうなのだと気づかせる経験と知識とで裏打ち
された世界観。
この国の反体制思潮は、提案ではなく判定、「私たち」になにができるのか
を問うことなく、「彼ら」のどこが悪いのか、とやかく言うだけの芸にあら
かたなってしまった。けれど、英語文献のなかにさえ、元気な少数派の伝統
が見つかる。「希望の秘伝書コーナー」に置きたいと思う本が何冊かあるの
だ。いずれの本も、すさまじい状況の進行を否定しないが、未来は不可避の
宿命ではなく、いまでも手を加える余地があるという感じでそれを論じてい
る。これらの本は、現に世界がどのように変革したのか、その経緯を説きあ
かすとともに、これからも世界を変革してゆくための道具を私たちに手渡し
てくれる。
それでは、私の希望の政治学・秘伝書コーナーの常備本を何冊か、それに新
しく置いてもよさそうな本も何冊か、あげてみよう――
僧侶、奴隷、囚人、そして底辺から湧く力
[2007年]9月、深紅の衣をまとったビルマ(ミャンマー)の仏教僧た
ちが、ただ自分たちの街の通りを歩きとおすだけで、叛乱を先導することに
なり、これまでになく大勢の市民たちがその行列に付き添った。これに対
し、この国を40年以上も動かしてきた軍事政権は武力弾圧で報いた。これ
は、叛乱がいかに強力だったか、いかに脅威であったかを示すひとつの証拠
である。(ともすれば全体主義政権は一定の少人数を超える集会を禁止する
ものだということが、私たち側の非武装動員数が秘める強さのなによりも確
かな証拠)
弾圧のあと、つまり、映像として魅力があり、心を深く揺さぶる行進が流血
の結末にいたったあとで、実に多くの主流政治家や識者らは、叛乱は無に帰
した、武力の勝利だったと断言した。まるで、このドラマは一回きりの上
演、役者たちは未熟で気弱だったといわんばかりである。私には、彼らがま
ちがっているとわかっていたが、その論拠は、私の独創品ではない。という
のも、ジョナサン・シェル著“The Unconquerable World: Power,
Nonviolence, and the Will of the People”[仮題『征服を拒む世界――
力、非暴力、民衆の意思』]を改めて読みなおしていたからである。これ
は、近年に出版された非暴力に関する数ある歴史書のなかで、とりわけ独創
的、野心的な本なのだ。
2003年の春、この本が目下の戦争の開始と時を同じくして出版されたと
き、武力行使の効用を軽視していると物笑いにされた。けれど、ヴェトナム
で優勢な軍事力がぶざまに失敗した経緯についてのシェルの説明は、イラク
で成就するのをまつ予言になっていたのだ。シェル自身は、哲学者ハンナ・
アーレントから強い影響を受けているので、彼女の次のような発言、つまり
1969年の著作からの一節を引用している――
「力[=正統性がもたらす権威]に代えて、暴力を使っても、勝利を購〈あ
がな〉うことができるが、その代償は非常に高くつく。敗者が犠牲を払うば
かりか、勝者もまたみずからの力という貴い価値を失うからである」
[出所=『暴力について――共和国の危機』みすず書房。(引用訳文はTUP
による)
http://www.amazon.co.jp/dp/4622050609 ]
私は、非暴力の力についての同じように鋭いシェルの説明が、ビルマで実現
することを願っている。シェルは、1982年のベストセラー“The Fate
of the Earth”[仮題『地球の運命』]を出版してからこのかた、核兵器に
関する勤勉な歴史家・哲学者であってきたが、本書『征服を拒む世界』で
は、暴力的な20世紀の歴史に対置されるもうひとつの側面、非暴力の高揚
を追っている。
それが、希望の秘伝書コーナー本の内容である。つまり、現代史のおぞまし
さを否定することなく、あまりにも見過ごされることの多い別の流れ、確か
な道、成果を探求しているのだ。ビルマの話に戻ると、9月のあと、やはり
あの地ではすでに多くのことが変化した。ビルマのいちばん大きな後ろ盾に
なっている中国は、弾圧非難に追いこまれたし、オリンピック開催を控え、
この問題にまつわるさらなる圧力に弱いかもしれない。インドはビルマに対
する武器売却のモラトリアム[一時停止]を宣言した。いくつかの企業がビ
ルマでの営業活動から手を引いた。そして米国議会は下院法案3890号を
まさに満場一致で採択し、制裁の強化や米国法人内にある軍事政権資産の凍
結を打ち出すとともに、巨利の見込めるビルマでの事業展開をシェヴロンに
許していた抜け穴をふさいだ。
ノーベル平和賞を授けられたアウン・サン・スー・チーは、1990年に国
家元首に選出されたが、その後、自宅軟禁下にあり、そうでないときでも活
動を制限されている。それでも彼女は、ビルマの反体制側にとって、賢明で
礼節正しく、恐れを知らない声であり、指導者なのだ。民衆蜂起のあと、彼
女の口封じは、国連特使や彼女の政党の同志たちとの会談のさなかで解かれ
つつある。彼女は解放に向かっているのかもしれないと信じる向きもある。
ビルマ国民は、忌まわしく広範におよぶ暴力に打ちのめされはしたが、屈し
てはいない。抵抗の小さな行動と解放の大きな計画はなおもつづく。
希望について、なみはずれて説得力のある論理がある。想像を絶して苛酷な
条件にありながら、希望の旗を運んできた人を見習うなら、そういう条件に
ない私たちがその旗を掲げるのは、もっと気楽にできるはずだということで
ある。ネルソン・マンデラの『自由への長い道』[日本放送出版協会]に
は、祖国の解放に対する不屈の献身が語られている(もっとも、その解放は
いまだに不完全なままだが)。リゴベルタ・メンチュは暗殺集団から身をか
わして、先住民族権の擁護者、ノーベル賞桂冠者、最近のグアテマラ大統領
選挙の候補になった。オスカル・オリヴェイラは、“!Cochabamba!”[仮題
『コチャバンバ!』=地名]を書いて、ボリヴィアの貧民グループが、おお
むね非暴力的な手段によってベクテル[米政権と深く結びついたゼネコン]
を打倒できると証明した。そして、ノーベル賞の栄誉に輝くビルマ国民敬愛
の的、アウン・サン・スー・チーは、常人のものではない落ち着きと忍耐の
気を放ち、それが書物の頁面からさえも香りたつかのようだ。たぶん長年の
仏教修行の賜物なのだろう。彼女は、インタビュー集『希望の声――アラン
・クレメンツとの対話』[岩波書店]において、ビルマ、仏教、政治、彼女
自身の状況を語っているが、その巻末近くに次のような発言がある。「え
え、希望をもっています。というのは、私は働いているからです。世の中を
より良いものにするために、私の分をはたしています。希望は、そこから自
然と湧いてきます。でも、世の中を良くするために何もしていない人々は、
明らかに将来に希望をもってはいません」[大石幹夫訳]
アダム・ホークシルドの惹きつけてやまない著作“Bury the Chains:
Prophets and Rebels in the Fight to Free an Empire’s Slaves”[仮題
『鎖を埋めよ――帝国奴隷解放闘争の予言者たちと反逆者たち』]は、ずっ
と昔に自分たちの分を立派に果たした人たちを描いており、これを見逃す手
はない。その物語は、1780年代にロンドン在住クエーカー教徒たちの小
グループが大英帝国における奴隷制度の廃絶を決意した情景から始まる。や
がて彼らは、一歩一歩、予測のつかない展開をへて、ほんとうにそれを実現
したのだ。これは、運動の始まりから終わりまでの歴史としてだけでも、ワ
クワクする本である。それだけに、いかに多くの他の注目すべき運動が自分
たちの歴史家の登場を待っていることかと思わせるのだ。女性運動や同性愛
者権利運動、数多くの環境闘争など、他の運動は、いまだに成就のときを
待っている。変革は、しばしば勢いを増し、予測のつかない動きをともなっ
て遂げられるものだという感覚と、市民社会が現実に保持している権限と
を、民衆の標準装備として携えてゆくことができさえすれば、私たちは昔か
ら何回も勝っていると知ることができ、私たちの時代の不正と戦うさいに、
もっと自信たっぷりに前進できるだろう。
インディアン、環境主義者、ユートピア住民
このジャンルの遠大な構想の一冊がすでにある。チャールス・ウィルキンソ
ン著“Blood Struggle: The Rise of Modern Indian Nations”[仮題『血
の闘争――現代インディアン国家の台頭』]がそれだ。500年祭――コロ
ンブス西半球到着500周年記念式典――の意味をめぐる大公開討論のおか
げで、私たち非原住民の眼に、原住アメリカ人がはるかにはっきり見える存
在になった。彼らは、アメリカの歴史を、発見や発展ではなく、侵略と虐殺
とに彩られた物語として再構成した。それにしても、その物語は敗者のそれ
ではなかった。南北両アメリカの原住民たちはみずからの物語を語り、みず
からの歴史を再構築することができたのであり、ただそれだけで、完全に征
服されたのでも、撲滅されたのでもないことを実証したのだ。その後、南北
両アメリカ二大陸の歴史は根本的に修正され、先住民はボリヴィアからカナ
ダにわたって重要な諸権利を取り返したのである。
ウィルキンソンの本によれば、先住民の力や誇り、土地や諸権利、代表権の
返還を要求する声があげられたのは、ずっと以前のことだった。土地や協定
上の諸権利の問題に数多くの部族とともに取り組んできた法学教授・弁護士
である彼は、主導権に関する物語を、米国政府による1953年の決定から
説き起こす。この政策は、原住アメリカ人たちの部族意識、組織、権利を
“抹消”し、彼らを一般国民のなかに溶けこむように強いるというもので、
この大陸に数多くいる独自性をもった諸民族とその遺産とを消し去ろうとす
る強引な企てを意味していた。消えうせろと言い渡されて、「インディアン
の指導者たちは対抗策を練り、1960年代半ばには……ただちに経済的前
進を達成し、科学技術の時代に古代からの伝統を守る……といった、気の遠
くなるような目標を設定した。あらゆる予想を裏切り、2世代にわたる道筋
をへて、インディアンの指導者たちは天晴れなまでに自分たちの目的を成就
した」
ウィルキンソンの描く記念碑的な過去50年の歴史は、次のような結末にい
たる――
「新世紀を迎えるころには、インディアン諸部族は、1950年代から60
年代にかけて部族指導者たちが提案した野心的な方針のあらかたを実現して
いた。彼らは、抹消を阻止し、それに代えて自己決定を実現した。彼らは居
留地政府としてのBIA(Bureau of Indian Affairs=インディアン政務
局)を追っ払って、みずからの主権のもとにある立法府、裁判所、行政機関
を開設した。彼らは昔の諸協定を施行して、それに伴い、漁労・狩猟・水利
の権利を主張した。どこでも、こうした変化は完全無欠ではないし、汚点が
ないわけでもない。たいがいの場合、進歩は道半ばといったところである。
だが、これは奥深く、本物である」
[2007年]11月下旬、カナダは、北方林2500万エーカー[約10
万平方キロメートル]を自然保護区に指定し、その一部を地域の“原住”諸
民族の管理に委ねた。これは、地球上に残された最大の森林にとって、それ
に私たち全員にとって、環境上の大勝利である。これは、どのようにして起
こったのだろうか?
私は『血の闘争』や『鎖を埋めよ』に匹敵する強さと集中力をもった環境保
全の記録をいまでも探している。テッド・ネイスが2006年のオリオン誌
に書いたワクワクするような記事《*》が描くのは、ノース・ダコタ州の農
民たちが、遺伝子組み換え小麦の栽培を世界規模で推進するというモンサン
トの計画を葬った経緯である。この物語の結末は次のとおり――
http://www.orionmagazine.org/index.php/articles/article/171/ [英文]
「2004年5月10日、モンサントは、ますます勢いづく政治心情に屈し
た。同社は素気ない文面のプレス・リリースを発行して、係争中の(遺伝子
を組み換えた)ラウンドアップ・レディ[*]小麦に関する規制適用申請を
すべて撤回し、優先研究開発の軸足を他の作物へ移すと表明した」
[「モンサント製ラウンドアップ除草剤の散布に耐える」という意味の品種
名]
私たちには、このような勝利を物語る本が必要だ。「この」ダムが撤去され
たのは、「この」下水道同然だった川が蘇ったのは、「あの」毒性物質が禁
止されたのは、「あの」生物種が復活されたのは、「あの」土地が保全され
たのは、どのようにしてなのか、これらを説きあかしてくれる本が必要だ。
じっさい、今年[2007年]、こういう話をいくつか取りあげた包括的な
歴史書がほんとうに出版された。リチャード・ウォーカー著“The Country
in the City: The Greening of the San Francisco Bay Area”[仮題『街
角の郊外――サンフランシスコ湾岸の環境保全』]がそれである。この本
は、水域や湿地がまさしく開発を待つだけの不動産とされていたかつての時
代に、例えば、サンフランシスコ湾の全水面埋め立てといった、まったく前
代未聞の不愉快きわまる計画を葬り去って、このなみはずれて多様な地域の
豊かさの価値を保全してきた諸世代の闘争を描いている。
この本では、思いがけない類の世に知られないヒロインたち――しばしば直
情のままに爆発する、裕福なご婦人がた――が果たした環境や地域社会に対
する多大な貢献について、もれなく公正な評価をくだしている。次いで、毒
物や汚染源に挑戦し、スラム化した中心街にとってエコロジーがほんとうは
なにを意味するのかという、見過ごされてきた問いかけをおこなう新しい環
境公正運動の記録に話題を移す。この本は、長い時間をかけて国全体の環境
模範と気運とを育んできた地域の、希望に満ちたすばらしい歴史を語ってい
る。ウォーカーはさらに、この潮流は必然のものではなく、筋金入りの予言
者たちや活動家たちの精力的な働きの結果であることを鮮明にしている。
10年前、アラン・ワイズマンは、コロンビア東部、荒れたサバンナの町の
ルポを書いた。これは、あの不幸な国の混迷と私たちの時代の環境破壊とに
替えて、技術と社会それぞれの役割の根本的な改革をきたすことになる、環
境に配慮したユートピア志向の取り組みをはじめた奇跡の地域共同体の記録
である。その取り組みはうまくいった。だが、ワイズマンの1997年著作
“Gaviotas: A Village to Reinvent the World,”[仮題『ガヴィオタス
――世界を変革する集落』]の次のような結語は、予言的な警世の辞にも
なっている――
「冷戦が終結に向かうにつれ、はるかに白熱し、果てしなく続く闘争、黙示
録的な破局を潜めた資源戦争が、人目につかないうちに、20世紀後半を通
じて激化していたことが明確になった……それでも、ガヴィオタスのような
土地が、克服できないと思われる状況のもとでも、ものごとを正すことがで
きる私たちの能力を証明する」
大ヒットしたのも当然の2007年ベストセラー、ワイズマン著 “The
World Without Us”[仮題『私たちがいない世界』]は、私たちが、それも
私たち全員が、永久にいなくなれば、惑星地球が――ある程度は――自己再
生するかもしれない、その過程を描くことにより、ものごとを正すための極
端な手法を提示している。核廃棄物やプラスチックを論じる各章はガッカリ
するほどおぞましい。しかし、ニューヨーク市の自然回帰の描写は、エント
ロピーや雑草、それに、私たちが手を出さないでおくと、たちどころに“大
地”のあらかたを回復してしまう自然作用の力をたたえていて、マイク・デ
イヴィス著“Dead Cities”[仮題『死んだ都会』]が通った二つの段階を
踏まえている。
ガヴィオタスが類まれな実現したユートピアとして目につく一方で、文学の
世界はともかく、まだ実現していないもののなかに私たちの選択肢がどっさ
りある。『ユートピアだより――ウイリアム・モリス・コレクション』[晶
文社、原題“News from Nowhere”]といえば、すでに私のお気にいりに
なっていた理想郷[*]小説であるが、私は2007年にようやくこれを読
みとおすことができた。生前のモリスは、真っ先に詩人として知られていた
が、現在は残念なことに、たいがい壁紙デザイナーとして記憶されている。
モリスは、家具や繊維製品、そして書物の製作に職人技を振るい、そのあら
ゆる分野の仕事とその成果とが達成しうる形を、ひとつの模範として生みだ
そうとしていた。産業革命の野蛮さや醜さに対抗しうる価値を文字どおりに
手作りしていたのである。壁紙の図案制作も、そのような彼のライフワーク
の一端だった。
[ユートピアutopia=理想郷は、16世紀英国の政治家・思想家トマス・モ
アの著作にちなむ。その語源は、ギリシャ語で「どこにもない」の意]
その企てはまた政治や文学の側面をもっていた。つまり、モリスは健筆の作
家でもあり、熱烈な革命家でもあった。彼は社会主義者というよりアナーキ
ストであり、同時に古物蒐集家〈しゅうしゅうか〉、アイスランド英雄譚
〈たん〉翻訳者、その他もろもろの顔をもっていた。『ユートピアだより』
は1890年に出版され、「1952年革命」から1世紀半たった遠い未
来、2102年のロンドンを作者の理想郷として描いている。
それは、バイオリージョナリズム[*]とアナーキズムの天国である。経済
は地域化されている。労働は自発的行為。貨幣は存在しない。だから、飢え
や収奪、監獄もない。ロンドンの産業汚物は一掃され、川や街はふたたび美
しくなっている(モリスの時代には、どの世帯でも石炭を燃やしていたし、
汚水や産業廃液が濾過されないままテムズ川に垂れ流されていたので、川や
街はもっと汚れていた)。
[生命地域主義・生態地域主義。地域のエコロジーに留意し、生命共同体の
一員として持続可能な生活・経済・社会の構築をめざす思想・活動。バイオ
リージョンbioregionとは、国境や県境などの人工的な境界で区切られた地
域ではなく、河川の流域のような生態的なつながりをもつ地域]
たいがいのユートピアは、もちろん、あなたがじっさいに住みたいと思うよ
うな場所ではない。実を言えば、モリスのも悪や諍〈いさか〉いのない世界
の例に漏れず、ちょっと味気なくマイルドである。それでも、彼のユートピ
アは予言的で古びていず、分散化・地域化された権力・文化・日常生活と
いった現代版の変革構想に近い。これは、いわば世界いたるところで実験の
うちに出現しつつある新しい世界を描いた古地図なのだ。
南の地平線にかかる夢
モリスは、現代の「ユートピアだより共同組合News from Nowhere
Collective」の名付け親になった。これは、“We Are Everywhere: The
Irresistible Rise of Global Anticapitalism”[仮題『私たちはどこにで
もいる――グローバル反資本主義の抑えられない高揚』]というタイトル
の、なんともにぎやかな当代活動家向けハンドブックを編集したグループで
ある。この見た目にもおもしろい横開きのちょっとした大判本に満載されて
いるのは、多数の写真、私たちの時代の根源的な勝利の実況年代記、それ
に、世界の全域(ケベック、ナイジェリアからボリビア、ポーランドまで)
に散らばる、世界の変革に没頭している人びとから寄せられた迫力満点な短
文とかである。この本には遊び心と破壊力が備わり、出版後4年たってもな
お、世界をおおう建設的な変革や直接行動主義の広く開けた視野が実例で示
されている。
このようなハンドブックは他にもあり、数年前にシティ・ライツ・ブックス
から出版された私の兄デイヴィッドの“How to Uproot the System and
Build a Better World”[仮題『体制を根こそぎにし、よりよい世界を築く
方法』]もその一冊である。私は、実にこの本の論文を何篇か編集している
ときに、マリナ・シトリン、すなわち社会学者であり人権専門弁護士、アル
ゼンチンのユートピア主義社会運動にかかわって多大な時間を捧げてきた活
動家の美しく希望に満ちた声をはじめて聴いた。彼女の新著
“Horizontalism: Voices of Popular Power in Argentina”[仮題『水平
化主義――アルゼンチン民衆勢力の声』]が出版されたおかげで、私たちは
彼女に向き合えるようになった。
当地[米国]ではおおむね見過ごされているが、2001年12月、唐突に
あの国[アルゼンチン]を襲った経済崩壊と政治混乱が招いた危機は、およ
そ想像しうるショック状態や茫然自失からはほど遠い、常識外れの草の根の
反応を生みだした。地域住民たちは大衆集会に結集して、政治構造に抗議
し、次いで財政危機のあいだ、ともに過ごし、ともに食事した。工場労働者
たちは閉鎖された工場を接収し、それを組合経営として操業した。貧民層は
組織化し、団体行動に出た。だが、これら目に見える行動以上にアルゼンチ
ン社会そのものが変革したのである。
人びとは古い境界を超えて対話して、目下の関心事を表現するために新しい
言葉を造語しはじめた。そのうち、格別に役に立つ言葉は、シトリンが
“horizontalism”[水平化主義]と英訳し、「ラディカルな平等主義に
のっとる参加型民主主義」を表す“horizontalidad”、それに「好意または
愛の政治」を意味する“politica afectiva”である。2001年の危機は
ほどなく変質して、アルゼンチンの軍事独裁の恐ろしい年月が残した障害を
乗り越えたり、恐怖が生みだした孤立や無関心から抜けだしたり、力を奪還
して、社会的絆を回復したりするチャンスになった。このようにしてアルゼ
ンチンは地獄から少し遠ざかり、ユートピアに少し近づいたのである。
ワイズマンの「ガヴィオタス」も南アメリカに位置するのは偶然の一致では
ない(コロンビア国内であるのには、一驚だが)。南北両アメリカのスペイ
ン語を話す過半数の人びとから聞こえてくる声のなかで、いちばん力強いの
は、やはりサパティスタ国民解放軍のそれである。マルコス副指令は、非先
住民ながら、その先住民運動のスポークスマンを務める弁論の名手であり、
ジュアナ・ポンセ・デ・レオンが編集した“Our Word Is Our Weapon:
Selected Writings of Subcommandante Insurgente Marcos”[仮題『われ
われの言葉こそ、われわれの武器――マルコス叛乱副指令著作選集』]は、
英文のものとしては、いまでも彼に関する最良の入門書である。彼が繰り出
す声明や攻撃演説、寓話や冗談話は、詩の趣があって茶目っ気タップリ、し
かも破壊力を秘め、とてつもない希望に満ちている。マルコス副指令は、官
僚制と常套句の退屈な岸辺にオサラバして、豊かで風変わりななにかを目指
して帆走し、政治の言語をすっかり変革してしまったのだ。
だが、ポンセ・デ・レオンの本は、マルコス登場の直後数年分の稿本を収め
ているだけだ。シティ・ライツが、最近、マルコス叛乱副指令著“The
Speed of Dreams: Selected Writings 2001-2007″[仮題『夢の速度――2
001〜07年著作選集』]を出版した。この本の102頁で、彼は先住民
の聴衆にこう呼びかけている――「いまは言葉の時間なのだ。だから、鉈
〈なた〉は置いといて、ひたすら希望に磨きをかけつづけよう」。349頁
あたりでは、サンミゲル・ツィナカパン在住のおそらく架空の登場人物、年
配夫婦の次のような言葉[*]を引用している――「世界は、世界の変革を
めざす私たちの努力と同じほど大きいのです」。
[この寓話の日本語訳(スペイン語文献から直訳)は、次の「メキシコ先住
民運動連帯関西グループ」サイトで読める――
http://homepage2.nifty.com/Zapatista-Kansai/DUR060217.htm ]
あの抵抗のすべて、希望のすべてが南から来るのではない。それは、どこに
でも、あるいは少なくとも辺境や周縁部の多く、また見過ごされた土地の多
くで見つかる。そして、そのとてもワクワクする歴史のひとつが、ピーター
・ラインバーグ、マーカス・レディカー共著“The Many Headed-Hydra:
Sailors, Slaves, Commoners, and the Hidden History of the
Revolutionary Atlantic”[仮題『多頭のヒドラ――水夫、奴隷、庶民、そ
して大西洋の隠された革命史』]である。この本は、資本主義や搾取、権威
主義に対して頻発した抵抗行為、それに18世紀の貧者の配当、つまり、が
いして不幸な彼らの宿命を記録している。その抵抗は活力があり、工夫に富
み、時には凶暴でもあり、またそれ自体のユートピアを見つけていた。この
本はバーミューダにおける1609年の海難事故から筆を起こしているが、
この話では、難破した水夫と船客らが自分たちなりの陽気なユートピアを築
きはじめたが、それをヴァージニア会社が強制的に解体したのである。『多
頭のヒドラ』は、ホークシルドの本のエピソードと同根の、また同じ航路の
話題をいくつか取り上げているので、両書の併読が正解だ。
私は、ラインバーグの“The Magna Carta Manifesto: Liberties and
Commons for All”[仮題『マグナカルタ宣言――自由と公共財』]がこの
秘伝書リストに間に合って出版されることを願っていたが、2月の刊行を期
待して待つことにする(私はカリフォルニア大学出版部のゲラ版を読み、た
いそう気にいり、これから多くを学んだ)。ラインバーグは、ブッシュ大統
領による、憲法の侵害どころか、マグナカルタ[1]にあるhabeas corpus
[人身保護規定]の侵害から書き起こし、ラニミード[2]の地でジョン王
がイングランド市民への諸権利付与を強制された時点に戻る。彼は、あの専
制君主[ジョン王]をホワイトハウスのなかのもうひとり[ブッシュ大統
領]に関連付けて、二つの時代を自在に行き来し、かつて発展しつつあった
――そして、いま変転し、あるいは後退すらしている――諸権利と自由の領
分を探究している。
[1.イギリス憲法の土台となった文書。1215年6月、封建貴族たちが
ジョン王の不法な政治に抵抗して承認を強制したもの。恣意的な課税の禁止
など、主として封建貴族の権利を再確認したものであるが、その中の諸条項
が近代になって人民の自由と議会の権利を擁護したものと解釈され、権利請
願(1628年)・権利章典(1689年)とともにイギリス憲法の三大法
典と称されるにいたった。大憲章。(広辞苑による)]
[2.ロンドン南西、テムズ川南岸の草原。1215年、ジョン王がマグナ
カルタに調印したという地。(研究社リーダーズによる)]
変動の政治気候学
この千年紀になって、ひとつのことがますます鮮明になっている。それは、
人権と環境とがたがいに密接に絡みあっているということである。それも、
ルイジアナ州の癌回廊[汚染工場が多く立地し、癌の発症率が異常に高い場
所]のような環境不公正の紛争地やナイジェリアのような油だらけの場所だ
けの話ではない。デモクラシーと権限ある市民とは、この国において気候変
動問題で前進するための最良のエンジンなのだ。気候変動論争は地球規模の
ものであるかもしれないが、米国では、市や町、地域や州といった地方レベ
ルで意味のある多くの対策が法制化されている。地方の施策を合算すれば、
実効性を期待できる具体的な対策の試行という点で、腰の重い連邦政府のは
るか先を行っている。地球規模の対策がだいじだが、地域ごとの対策も同じ
くだいじである。この分野における変革は、上意下達とおなじく、下からの
突き上げによっても実現する可能性がある。
ひとつの国民的な気候変動対策が、あなた自身の影響を減らす消費抑制の努
力にある。例えば、航空旅行の制限は、英国では、非常事態的な火急の論点
になっているが、米国では、ほとんど口にもされていない(もっとも、最
近、カリフォルニア州は航空機の炭素排出規制・削減策を探りはじめた)。
まず、個人の善行というものがあり、これがものを言う。次に、死にもの狂
いのアジテーションとオルグ活動があり、これらがさらに大きくものを言
う。確かにビル・マッキベンは、“Ignition: What You Can Do to Fight
Global Warming and Spark a Movement”[仮題『点火――気候変動克服と
運動発足のために、あなたにできること』]に寄せた序文で、奮い立たせる
ような主張を展開している。マッキベンの自著“Fight Global Warming
Now: The Handbook for Taking Action in Your Community”[仮題『ただ
ちに地球温暖化に対処せよ――地域行動ハンドブック』]もそうであるが、
ジョナサン・アイシャム、シセル・ワーゲ共編のこの本『点火』は、政策作
りの仕組みとあなた自身が政策を立案する方法に関して、数多くの立脚点を
紹介している。
2007年最良のニュースは、たぶん、史上最悪のニュース、つまり私たち
の尊大さが招く惑星地球の気温上昇に対して、ついに私たちが“なにか”を
はじめたことだ。とうぜん、ニュースの続きはこうである――[二酸化]炭
素の低ないしゼロ排出を達成した世界の姿がどのようなものか、まだだれも
語っていないにしろ、私たちには、万事ハチャメチャに進行する事態を改善
するチャンスがまだ残っている。
(この問題について、もう少し空想力を伸ばして、悲観論を克服するため
に)ほんとうに必要なものは、たぶん、炭素の気ままな排出を極小に抑えた
良質な生活の意味を説く現代版の『ユートピアだより』である。おそらくそ
れは、すでにたくさんある既存のもの(例えば、ワイズマンの『カヴィオタ
ス』にいくつか描かれている方法)を含めた、なんらかのすてきな技術革新
を活用した、いまよりも地域に密着し、消費を抑制した生きかただろう。欲
心滅すれば、真に富む者となるはずだ。そうなれば、政治や隣人たちをネタ
に気楽におしゃべりしたり、ぶらぶら歩きまわったり――それに、本を読ん
だり――するための時間を取り戻すことだろう。でも、万事が変わるのを
待っている必要はない。今日から、こういう楽しみをものにして、あなたが
自分で変えればいいのだ。
[筆者]
レベッカ・ソルニットは、今年[2007年]、多くの本の推薦文を書き、
マリサ・ハンドラーの“Loyal to the Sky”[仮題『空への忠誠』]には序
文を寄せ、それに彼女の兄の新しい本、良心的兵役忌避者アイミー・アリソ
ンとの共著の新兵徴募対抗マニュアル“Army of None”[仮題『だれもいな
い軍隊』]の編集にかかわった。ソルニット自身の2007年刊行の著書
は、トムディスパッチ初出の数編を含む36篇を集めた評論集“Storming
the Gates of Paradise: Landscapes for Politics”《1》[仮題『天国の
門をドンドン叩く――政治のための風景』]。彼女の邦訳書に『暗闇のなか
の希望――非暴力からはじまる新しい時代』七つ森書館《2》がある。
http://www.amazon.co.jp/dp/0520251091 《1》
http://www.pen.co.jp/syoseki/syakai/0596.html 《2》
レベッカ・ソルニットの「希望の秘伝書」12選
購入先「amazon.co.jp」リンク――
[1] Jonathan Schell,
The Unconquerable World: Power, Nonviolence, and the Will of the
People;
[2] アウン・サン・スー・チー
『希望の声――アラン・クレメンツとの対話』岩波書店
[3]Adam Hochschild,
Bury the Chains: Prophets and Rebels in the Fight to Free an
Empire’s Slaves;
[4]Charles Wilkinson,
Blood Struggle: The Rise of Modern Indian Nations;
[5]Richard Walker,
The Country in the City: The Greening of the San Francisco Bay Area;
[6]Alan Weisman, The World Without Us
[7]『ユートピアだより――ウィリアム・モリス・セレクション』晶文社
[8]News from Nowhere Collective,
We Are Everywhere: The Irresistible Rise of Global Anticapitalism;
[9]Marina Sitrin, Horizontalism: Voices of Popular Power in
Argentina;
[10]Subcommandante Insurgente Marcos,
The Speed of Dreams: Selected Writings 2001-2007;
[11]Peter Linebaugh,
The Magna Carta Manifesto: Liberties and Commons for All;
[12]Jonathan Isham and Sissel Waage, editors (introduction Bill
McKibben), Ignition: What You Can Do to Fight Global Warming and
Spark a Movement.
[追補: トム・エンゲルハート推薦――
『暗闇のなかの希望――非暴力からはじまる新しい時代』七つ森書館
http://www.amazon.co.jp/dp/4822805964 ]
[原文]
Tomgram: Rebecca Solnit on Hope in Print
Tom Dispatch
posted 2007-12-17 10:18:44
http://www.tomdispatch.com/post/174875/rebecca_solnit_on_hope_in_print
Copyright 2007 Rebecca Solnit
[サイト紹介]
9・11後の私たちの世界を深く理解し、私たちの帝国的な世界が現実にど
う動いているのかを明確に認識したい人たちのための評論の場
トムディスパッチ・コム――抗主流メディア毒常設サイト:
主宰・編集者トム・エンゲルハート:
http://www.tomdispatch.com/p/about_tom
寄稿者一覧: http://www.tomdispatch.com/p/guest_authors
コンタクト: http://www.tomdispatch.com/contact/tom_engelhardt
[翻訳] 井上利男 /TUP
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