DATE: 2008年8月24日(日) 午後11時14分
冬の兵士 ジェイソン・ウェイン・レミュー
交戦規則 (2)
訳 寺尾光身 / TUP冬の兵士プロジェクト
──今こそ魂が問われる時である。夏の兵士と日和見愛国者たちは、こ の危機を前に身をすくませ、祖国への奉仕から遠のくだろう。しかし、 いま立ち向かう者たちこそ、人びとの愛と感謝を受ける資格を得る──
トマス・ペイン、小冊子「アメリカの危機」第1号冒頭 1776年12月
メリーランド州シルバースプリング公聴会 2008年3月13〜16日
ジェイソン・ウェイン・レミューといいます。反戦イラク帰還兵の会のメンバー です。米海兵隊歩兵部隊で4年10カ月の任務を終え、階級は軍曹で円満に除隊し ました。海兵隊員として、イラクに3回派遣されています。侵略がはじまったと きも派遣されていました。
ご参考までに申し上げると、海兵隊に4年10カ月いたのは、所属部隊とともに3回 目の派遣に参加するため、軍との契約を自分の意志で10カ月間延長したからで す。最初の派遣は、2003年1月に始まり、その年の9月に終わりました。2回目 は、2004年2月から9月まで。最後の派遣は、2005年9月から2006年3月30日までで した。
戦場で敵を攻撃する際の基準となる交戦規則は、きちんと機能していれば、ある 重要な戦略上の目的を果たしてくれます。軍隊の存在を正当化するという目的で す。自分たちが統制されたプロ集団であるというイメージを打ち出すことによっ て、軍が現地の人びとを抑圧しているのではなく、保護しているのだという印象 を与えようとするものです。まともな交戦規則を守ることによって、抵抗勢力に 現地住民の支持が集まることを防ぐだけでなく、占領や抑圧に対する諸外国から の非難も避けることができます。場合によっては、軍が奉仕しているはずの駐留 国の人びとからの非難もかわすことができる。
数年前に、イスラエルの軍事史研究家マーチン・ファン・クレフェルトは、イギ リス軍が北アイルランドからまだ追い出されていないのは、アイルランド人より 多くの犠牲者を出しているからだ、と言い切っています。にもかかわらず、イラ クにおけるアメリカは、このような考え方に則って交戦規則を使おうとはしませ ん。イラクの人びとの命を犠牲にしてでも、米兵を守るため、交戦規則を拡大解 釈し、骨抜きにしてきました。この事実を否定する者がいたら、そいつは嘘つき か馬鹿者です。
イラク侵略が始まって、バグダッドに向かって北進しているうちに、指示される 交戦規則はだんだん甘くなり、ついにはないも同然になりました。似たような話 を他の兵士からも聞かれたと思います。
2003年3月、クウェートから初めて国境を越えてイラクに入り、アズ・ズベイル に着きました。その時点では、まだジュネーブ条約の指針どおりに活動してい て、軍服を着ている者なら、衛生兵や宗教関係者、そして投降者を除いて、だれ でも撃っていいことになっていました。
しかしバグダッドに到着するころには、上官からはっきりとこんな指示を受ける ようになった。これ以上近づかれると危ないと感じたら、立ち去れと命令する。 すぐに従わなかったら、相手がだれでも撃ってかまわない。わたしがアラビア語 で命令できないことは分かっているのにですよ。
わたしが見る限り、上官たちに共通していた姿勢は「やられる前にやっちまえ」 でした。この姿勢は、隊内教育によって階級を問わず浸透していて、3回のイラ ク派遣でも回を追うごとに強まっていくのを目の当たりにしました。
2004年1月、2回目の派遣の任務が発表されるというので、部隊で集合した時のこ とです。わたしは優秀な海兵隊員らしく、ペンと紙を用意して着席していまし た。これから始まる7カ月のイラク駐在に大義を与えてくれるであろう、考え抜 かれた言葉の数々を書き留めようとしていました。
ところが、そこで司令官がこう言った。「われわれの任務は、殺されるべき者を 殺し、救われるべき者を救うことである」。たったこれだけです。そして、司令 官のこの言葉こそ、今度の派遣の性格を決定づけるものとなりました。
2回目の派遣で当初とられていた交戦規則によると、相手が敵対的意思を示し、 なおかつ敵対的行動をとった場合に限り、殺害するために武器の使用が認められ ていました。
他人の心の中で何が起きているかを分かれと命じる愚かさについては触れないこ とにしましょう。ただひとつだけ言っておきます。なにを敵対的意思とみなし、 なにを敵対的行動とみなすか。その判断は一人ひとりの海兵隊員に委ねられてい たのです。
ところが、アンバル州全域で攻撃が行なわれた2004年4月攻勢で、2日間の銃撃戦 に加わった時のことです。銃撃戦が始まって間もなく、わたしたちに任務を言い 渡したあの司令官から、このように命じられました。黒のディシュダーシャ[イ スラム教徒の伝統的衣装]を着て、赤い頭巾を被っているなら、それだけで敵対 的意思と敵対的行動を示しているとみなして、だれでも撃ってよし。それから 1、2時間もすると、また別の命令が下されました。今度は、路上にいる者はすべ て敵の戦闘員とみなせという。
その命令が出た日の午後、こんなことがありました。たまたまある街角を曲がる と、武器を持たないイラク人男性が戸口から出てきた。と、わたしの目の前にい た海兵隊員がライフルをとり、丸腰のその男に狙いをつけた。何らかの心理的理 由から、わたしの頭は銃撃の瞬間を受けつけなかったようです。なぜなら、次に 記憶しているのは、男が出て来た部屋を捜索するため、男の死体を跨いだことで すから。その部屋はたしか倉庫で、アラビア語が書かれたイラク版「チートス」 のようなチーズスナックが山積みになっていました。武器などひとつもない。武 器と言えば、わたしたちが持っている武器だけでした。
数週間して、例の司令官が言いました。いわゆる「敵」を100人以上も片づけた と。わたしの知る限り、その数には、自分の町の通りを歩いていただけで撃ち殺 されたすべての人びとが含まれています。
この銃撃戦の後、部隊の交戦規則が変わりました。海兵隊員が武器で殺害する前 に、相手の敵対的行動を確認する必要はなくなった。敵対的意思だけを確認すれ ばいいということです。さらに、この規則では、シャベルを持っている者、屋上 で携帯電話や双眼鏡を使っている者、夜間外出禁止令が出てから屋外にいる者 は、それだけで敵対の意思があると見なして、殺害してもいいと明言していました。
このような命令のために、わたしが駐屯していた間に、どれほど多くの無実の人 びとが死んだか、想像もつきません。
3回目の派遣では、交戦規則は以前より厳しくなっていました。といっても、そ れは形だけです。ちゃんと交戦規則を守って行動していると司令官が言えるよう に、何かがあれば良かったのです。実際には、わたしや仲間の海兵隊員は、上官 からはっきりとこう言われていました。危ないと感じるイラク人がいたら撃って しまえ。「後始末はしてやる」からって。
この頃には、2回目、3回目の派遣となる海兵隊員の多くが深刻なトラウマに苦し んでいました。仲間が死んだり手足を失ったりするのを目の当たりにしてきたか らです。そして、そうした経験のせいで、わたしには非戦闘員としか思えない人 びとを撃つようになっていた。
道路脇で爆弾が爆発したことがあります。数分後、銃を撃ち始めたひとりの海兵 隊員が目に入りました。撃っていたのは、路肩爆弾が炸裂した場所から数百メー トル先を向こうへ遠ざかってゆく数台の車です。遠すぎて、だれが乗っているの か分からなかったし、わたしたちに何の脅威も与えていない車でした。
わたしはその海兵隊員から20メートルくらい、車からは300メートルくらいのと ころにいました。わたしが見た限り、撃たれたのは単なる通りがかりの車です。 時間的にも距離的にも、爆発からは遠すぎた。車中の人たちは何かが起こってい ることも、爆発があったことすら知らなかったのではないかと思います。それで もお構いなしに、海兵隊員は撃ち続けていた。
この海兵隊員は、前回のイラク派遣の際に親友を殺されていました。その彼が、 先ほどお話しした2日間の銃撃戦での体験を話してくれたことがあります。
路上にいる者はだれでも撃てと、わたしたちに命じた例の司令官が、野菜を担い で歩いていた2人の老婦人を銃撃するのを見たというのです。司令官は最初、あ の女を撃てと彼に命令した。しかし、野菜を担いでいるだけだからと断ったとこ ろ、自分で2人を撃ったということでした。この海兵隊員が、他にはだれも危険 だと感じていないのに、車中の人たちを撃ち始めたのも、司令官が示した模範に 従ったに過ぎないと思います。
イラクで経験したこのような出来事のすべてをお話しする時間はとてもありませ ん。一般的に言って、交戦規則はひんぱんに書き換えられ、その内容は互いに矛 盾するものでした。規則を強化したところで、現場では守られない。そして一般 市民への銃撃のように、度を超した武器使用の事実は闇に葬られてしまいます。 なぜなら、海兵隊員のだれひとりとして戦友を監獄に送りたくはないからです。
わたしたちにできることと言えば、否応なしに投げ込まれた状況の中で自分を守 ることだけでした。絶えず漠然とした命の危険を感じ、自分たちが解放している はずの国にいながら、市民のだれが服の下に爆弾を仕込んでいてもおかしくな い。そんな状況で日々を過ごしているのです。
敵を見分けるすべもなければ、命をかけるべき明確な任務もない中で、海兵隊員 たちは、交戦規則を何の意味もないものと見なすか、仲間と無事に故郷に帰るた めには、小難しい規則など誤魔化せばいいと考えていました。
イラクにおける交戦規則の乱れは、最悪の戦略的無能力を示すものであり、道徳 上の恥でもあります。こんな交戦規則をきめてきた人間たちは自らを恥ずべきで す。[「自らを」のところで、レミューは「わたしたち自身を」と言った。司令 官や上官だけの責任ではなく、自分たちも過ちを犯したと強く意識しているため に、言い間違えたと解釈した。]イラクから米軍を直ちに撤収させるべき理由は たくさんあります。交戦規則の乱用もそのうちの一つです。
凡例: [ ] は訳文の補助語句。
2008年9月、反戦イラク帰還兵の会(IVAW)、冬の兵士の証言集を全米で刊行。
仮題『冬の兵士証言集──イラク・アフガニスタン帰還兵が明かす戦争の真相』
編集アーロン・グランツ
Winter Soldier: Iraq and Afghanistan: Eyewitness Accounts of the Occupations, by Iraq Veterans Against the War, edited by Aaron Glantz,
(Haymarket Books; September, 2008).
>>Haymarket Books
>>amazon.com
★岩波書店より刊行予定。現在、TUPにて邦訳作業中。
イラク戦争を追いつづけてきたジャーナリストが『証言集』の書評を書いている。
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- TUP冬の兵士プロジェクト 証言の一覧
- ジェイソン・ウェイン・レミューの証言ビデオ
http://ivaw.org/wintersoldier/testimony/rules-engagement-part-2/jason-lemieux/video - 反戦イラク帰還兵の会 公式サイト
Iraq Veterans Against the War
http://ivaw.org/ - 反戦イラク帰還兵の会「冬の兵士」特集ページ
Winter Soldier: Iraq & Afghanistan
Eyewitness Accounts of the Occupations
http://ivaw.org/wintersoldier - KPFAラジオ プロジェクト"The War Comes Home"
http://www.warcomeshome.org/