◎血まみれのガザから。自家発電で命がけで世界に発信される現地の声
『ガザ 私たちは殺戮に「否」と言ったか?』
という文章を書いて発信しました。よかったら御一読下さい。
http://list.jca.apc.org/public/aml/2009-January/023022.html
ガザのアブデルワーヘド教授からのメール(1/12〜1/15)の邦訳です。
〔邦訳: 岡真理/TUP; 凡例: (原注) [訳注]〕
【メールその32】
日時: 2009年1月12日 (月) 14:29
件名: 12日のガザ最新情報
みなさんの努力と支援に感謝している。家族も私も無事だ。昨夜、攻撃目標になった小児病院は、ガザ市東部にあるムハンマド・アル=ドゥッラ病院だ。またひとつ UNRWA[国連パレスチナ難民救済事業機関]の学校が昨日、ハーン・ユーニスの町で、攻撃目標にされた。民間人こそ最大の被害者だ。
友人一家から今しがた聞いた話だ。引退した年配の元UNRWA職員の夫婦、アフメド・オスルフ(73歳)と妻のサミーラ(66歳)、そして娘のアリージュ(25歳)の一家で、あるアパートの 8階に住んでいる。隣の建物からの激しい爆風で気付いた時には皆、床に叩きつけられていて、瓦礫がアパートのなかに散乱していたという!おかげで家はゆがむし、安全でもなくなった。
自分たちのアパートが安全でなくなってしまったので、彼らは家を出て隣のブロックの友人家族のところに泊まっている! ガザ市内の親戚や友人をたよって自宅アパートを出た家族があまりにも多い。報道によれば、今日、7人が死亡した! 死者の数は 900人を超えた。おおやけの報道やメディアでは触れられていないことだが、ガザの郊外に死体が何体も残されている。しかし、イスラエル軍支配下の地域にあるため誰もそこにたどりつけないのだ!
いつでもチャンスがあればまた書き送ります。
【メールその33】
日時: 2009年1月13日 (火) 11:14
件名: ガザ恐怖の夜
血まみれの夜だった! 昨晩またイスラエルの地上攻撃があった。午前 1時半頃に始まり、午前 6時45分まで続いた。またもうちの地区だった。戦車やヘリコプターに加えて奴らは白リン弾も使用し、地区全体が煌々と照らし出された!
イスラエルは大工[の工房?]と家 1軒のつごう 2箇所を焼き、ほかの複数の場所に被害を与えた。昨晩の攻撃は、3日前に行われた最初の攻撃にもまして強烈だった! 救急車と消防車がようやく戦闘地域にたどり着けたのは午前 7時、すべて終わってからだった!
人々は脅え、この地区全体からさらに多くの家族がガザ市内の別の地区へ避難していった。だが、結局のところ、どこに行くというのだ。どこもみな狙われ、爆撃されるのだ。昨晩、ガザ市北部では複数の軍艦が爆弾を発射、15階建てのビルを破壊した!アル=アンダルス・タワーというビルだ。
連中はガザ海岸にある夏のリゾート施設も攻撃し、焼き落とした!アル=ジャジーラというところだった! どんなに控えめに言っても、地獄のような夜だったことは確かだ。夕べ、ガザで眠れた人間がいたとは思えない! 昨晩の死傷者数規模についてはまだ分からない! 恐ろしい状況だ!
【メールその34】
日時: 2009年1月13日 (火) 12:10
件名: どうやって世界にメール発信しているのか
ヨーロッパにいる友人の一人からメールで質問があった。こんな状況、絶えまない戦闘の只中で、どうやって電子メールを送っているのかと。
まず、かれこれ 15日間、電気がなく、飲み水もほとんどない状況におかれている。携帯電話は壊れていて、わずかにショートメッセージを送れるくらいだ。電話線はずっと大丈夫だが、時折、不通になることはある。この15日間、小さな発電機を使ってノートパソコンを動かしている。
3日前、電力会社が変圧器と電線を修繕したので、ふたたび電気が使えるようになった。私たちは階上の貯水槽に水を汲み上げられた! とはいえ、依然、よく繰り返し停電になる。2〜3時間、電気が使えるときもあれば、10時間かそれ以上、電気が通じることもある。このようにして電子メールを送っている。普段ならまったく考えられないことだが、とにかくあらゆる機会を見つけては世界に向けて発信することが、私にとって最優先事項となっている。
【メールその35】
日時: 2009年1月14日 (水) 01:16
件名: 今夜のガザ
ガザはたった今、午前 1時15分。今日は比較的静穏だったように思う! そう感じるというだけで、実際は、F16によるガザ市への空襲が複数回あり、またラファの国境地帯に対しても集中的な空襲があったのだが! まさに今、イスラエルの攻撃用ヘリがガザ市の南地区に照明弾を投下している! 人道面の状況は最悪に向かっている! 毎日、新たな日が訪れるたびに、死者の数も負傷者の数も、破壊被害の数々も都市部、農村部の両方で増加の一途をたどっている。環境については言うまでもない。軍事作戦がやむと、間をおかず環境の危機が宣言されるだろう。また、農業はめちゃくちゃにされてしまった。何百台もの戦車や軍用車が畑を走り回り、イスラエル軍が作戦展開したいところは好き放題、どこもかしこも軍事用ブルドーザーが植物を踏み潰し木々を根こそぎにしている!
先のメールで、複数の UNRWAの学校が、家を失ったり戦闘を恐れて家を逃げ出したパレスチナ人の避難所になっていると伝えた。今日、その文章を訂正したい。現在、パレスチナ人が暮らしている UNRWAの学校は 33校。どの学校にも 120家族がいる(先のメールでは 120人と書いたが、そうではなく)。UNRWAが毛布と一日 3度の食事をこれらの避難家族に提供している。地元の NGOも複数、寄付をしている。
今日はまた、さらに何人かの外科医が病院で支援するためにガザに入ることを許された。一方、シファー病院の外科で何日も働いていたノルウェーの医療チーム(外科医 2名)はガザを去った。エジプト、ヨルダン、アルジェリア、サウジアラビア、スーダンからも医師が駆けつけている。スーダンのチームはスーダンの人々が献血してくれた血液バッグをもってガザに向かっている途中だ。
死者はおおよそ 1000の命になり、負傷者は 4300人以上に達している! 死者のうち 331人が子ども、99人が女性だ。遺体がいまだ瓦礫の下や戸外に残されている者たちは含まれていない。たとえば今日、医療チームは攻撃初日に亡くなった人の遺体にようやくたどり着くことができた! ガザ市北部にあるジャバリーヤ難民キャンプ出身の 92歳の老人の遺体だ。老人は白旗を掲げていた!家族全員の行方が知れない例、あるいは、行方不明、負傷、死亡と家族がばらばらになってしまった例がたくさんある。爆撃で身体に障害を負った子どもたちや女性の話にも事欠かない!精神的ショックやトラウマで心理治療を必要とする者の話にも事欠かない! 通りの一本一本にたくさんの物語があり、どの家族にもいくつもの物語があるのだ!
【メールその36】
日時: 2009年1月14日 (水) 09:48
件名: ガザからグッド・モーニング
昨晩もヘリコプターと戦闘爆撃機 F16による監視行動と爆撃に何の変化も見られず、狙われたのは主に民間人の住居だった!たとえば、アル=ナーセル地区では夕べ、少なくとも 5軒の家がF16に攻撃された! そのうちの一軒は、ガザ・イスラーム大学(IUG)の渉外部職員の家だった。ゼイトゥーン地区でも住宅が攻撃目標にされた! 昨晩、F16のミサイルがシュイフ・ラドワーン墓地に着弾した! 奴らはあと、どこを破壊するつもりなんだ!
ある医者から聞いたのだが、何百人もの負傷者は二度と回復することもなければ、ふつうの暮らしに戻ることもないという! 私が見た一本のヴィデオに写っていたのは、両脚をひざの上から切断された 15歳の少女、片脚しか残っていない少女、そしてほかの少女たち……。[病院の]外科手術室の数は限られ、使える設備も貧弱な中、保健衛生状況はどんどん悪化している。パレスチナ人の外科医を支援しにアラブ諸国といくつかのヨーロッパの国々から駆けつけた 60〜70人の医師が助けになってくれているが、しかし、それでもなお、ガザにはいかなる治療も受けることができないでいる負傷者がいる……。また、13人の救急医療隊員が、勤務中に命を落とした。何台もの救急車が、負傷者を救出し遺体を運ぼうとしている最中に撃たれているのだ! ぜんぶ感嘆符つきだ!
【メールその37】
日時: 2009年1月15日 (木) 15:09
件名: ?
13時間におよぶ爆撃と襲撃のあと、自宅付近は完全にイスラエル陸軍の戦車部隊、歩兵部隊その他の完全な支配下におかれている。狙撃兵たちが我が家の扉の外にいる。
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原文: Prof. Abdelwahed (ガザ・アル=アズハル大学
教養・人文学部英語学科) 発信の一連の電子メール
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