TUP BULLETIN

速報832号 ナオミ・クライン「環境債務」、オバマというブランド

投稿日 2009年12月15日

 ◎シアトルからコペンハーゲン気候変動サミットへ、公正を求める闘い 
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1999年にWTO(世界貿易機構)閣僚会議の成立を阻んだシアトルの闘いから10年が経ちました。12月7日から18日までコペンハーゲンで開かれる国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議にむけて、公正を求める声が会議の内外で高まっているとナオミ・クラインは指摘します。歴史的責任に基づいて、先 
進国に大幅な炭素排出削減と途上国への支援資金拠出という2つの義務を果たすよう要求するものです。1990年比25%削減という日本の目標は不十分な上、事業仕分けで温暖化対策予算が削られています。クラインはまた自著『ブランドなんかいらない』出版10周年に重ね合わせて、オバマという世界最高のブランドについても話します。[翻訳:荒井雅子/TUP] 
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※凡例: [訳注]、邦訳のない書籍及び記事タイトルは[仮邦題] 
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ナオミ・クライン:「環境債務」 
——気候変動について先進国が途上国に補償をするべき理由 
2009年11月23日(月) 
デモクラシーナウ! 

エイミー・グッドマン: では、ベストセラー『The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism [ショックドクトリン——勢力を伸ばす破局資本主義]』 の著者にお話を聞きます。フリージャーナリストのナオミ・クラインが、カナダのトロントから、最近の経済を襲った激震、二週間後に迫ったコペンハーゲン気候サミット、環境的公正を求めて結集する一つの世界的な運動について語ります。クラインは、国境を越えてベストセラーになった第一作『ブランドなんかいらない』[松島聖子訳、大月書店、2009年]出版10周年を迎えたところです。最新の記事には『ローリングストーン』誌掲載「Climate Rage [猛威をふるう環境問題]」、『ネーション』誌掲載「Copenhagen, Seattle Grows Up [コペンハーゲン——シアトルからの発展]」があります。ナオミ・クライン、デモクラシーナウ!へようこそ。最初は気候変動の問題、あなたの言葉を借りれば「猛威をふるう環境問題」から。今何が起きているのでしょう。 

ナオミ・クライン: 『ローリングストーン』誌に書いた記事は、環境債務の支払いを求める要求が高まっていることを見たものです。これは気候変動をめぐる比較的新しい捉え方で、ボリビアなど南アメリカ諸国政府の主導で途上国では主流になりつつあり、主にアフリカにある最貧国の一団も加わってきています。基本的にはその主張は、私たちの経験している気候変動が先進工業国によって生み出されたものだということです。工業化(私たちが発展と呼ぶもの)と炭素排出の間には直接の相関があります。実際、現在までの炭素排出の75%は、世界の人口のわずか20%が引き起こしてきたものです。ところが残酷な地理的皮肉があって、気候変動の影響は圧倒的に途上国、つまり世界で最もこの危機に責任のない場所が受けています。世界銀行によれば、気候変動の影響の75〜80%は途上国が被っています。原因と影響の関係が反対になっているわけです。 


こうした状況があって、まさに気候変動の最前線に置かれた途上国から、気候変動を引き起こした金持ち国は途上国に借りがある、この危機を招いたことについて具体的な補償の義務を負っていると主張する運動が広がっています。こうした補償は3つの形で払われるべきです。第一に先進国、金持ち国での大幅な排出削減。1990年の水準に比べて少なくとも40%の削減——これは何度も言われてきた数字です。これに加えて、富裕国、G8諸国、工業国は、貧困国が気候変動に対応する上で直面するコスト、莫大なコストを払うこと。さらに途上国は、環境危機に拍車をかける汚いエネルギー、化石燃料を避けて一足飛びにクリーンエネルギーに移りたいとも主張しています。でもこれには金がかかる、よりクリーンな環境にやさしい技術に移行するのは、金持ち国がやってきたように安上がりの汚い燃料を開発するよりも高くつくと彼らは指摘しています。ですから、彼らはこういっているわけです。私たちは変わるつもりだ、でも直面している問題のために余計なコストを負担しなければならないのはおかしい、問題を引き起こしたのは私たちではないからだ。基本的に環境債務の議論は「汚した者が金を出す」という論理です。米国の人間にはなじみ深い、法の基本原則です。別の言い方をすれば、「物を壊したら弁償する」 

グッドマン: こうした懸念の声を上げ、自分たちが負担するのはおかしいと主張している国について聞かせてください。たとえばアフリカで。 

クライン: そうですね。アフリカ諸国の連合組織であるアフリカ連合の立場はとても明確です。コペンハーゲンに求めることは何よりも、大幅な排出削減と気候変動対策のための本格的な資金提供です。アフリカ東部ではまさに今、大規模な、深刻な干ばつが何百万人もの人たちを襲っています。これは気候変動がすでにどのような犠牲をもたらしているかを示す一例にすぎません。ですから議論はもしこうなったらというような将来の話ではなく、今現在の話なのです。 

お話しした通り、主たる原動力は現在はボリビアから来ています。ボリビアには非常に優れた環境問題担当者がいます。『ローリングストーン』誌に引用したアンヘリカ・ナバロという人で、私はジュネーブで初めて会いました。アンヘリカは現在、ボリビアのWTO(世界貿易機構)大使です。とても明晰で、とてもタフで、数ヶ国語を話します。WTOでも現在の環境交渉でも、ボリビアのような小国が直面する圧力に立ち向かうには大変な強さが要ります。アンヘリカ・ナバロは本当にその仕事を担える人で、コペンハーゲンに向けた準備サミットで本当に力を与えるスピーチをしてきています。他の途上国にとって本当に行動を起こす力を与える存在です。 

でもそれだけでなく、アンヘリカは、サードワールドネットワークやフォーカスオングローバルサウス、ジュビリーサウスといった団体、NGOや環境的公正を求める団体の連合から寄せられた要求を取り入れています。こうした団体はサミットの外でこういう要求を行ってきました。でも、今おもしろいことは、こうした要求がサミットの内部に入り、交渉のテーブルに乗っているということです。もちろん言うまでもなく、米国やEU、カナダ、オーストラリアには、自分たちがただ善意や慈善からではなく法的な義務として、途上国の気候変動対策資金を出すべきだという考え方に対して、猛烈な抵抗があります。想像がつくと思いますが、これはぞっとする考え方です。 

グッドマン: ナオミ・クライン… 

クライン: 環境債務の主張の根拠はとても確かなものです、蛇足ですが。 

グッドマン: 先週、潘基文(パン・ギムン)国連事務総長は、コペンハーゲンサミットが失敗に終わるだろうという、広く広がっている見方を否定しました。 

潘基文(パン・ギムン): 最新の報道を読むと、コペンハーゲンは失望に終わる運命だとお考えになるかもしれません。それは間違いです。反対に、コペンハーゲンでできる限り速やかに拘束力のある協定に向けた一歩を踏み出す合意に到達すことができる、到達するだろうと、私は確信しています。 

グッドマン: 潘基文(パン・ギムン)事務総長の言葉をどう考えますか。 

クライン: そうですね、問題は、コペンハーゲンでの成功の定義が緩められ続きてきたことです。数カ月前、コペンハーゲンでの成功とは、各国が、気候学者の求める水準までの排出削減に合意することでした。科学的には、1990年の水準より40%の削減がどうしても必要だということが明確です。成功のもう一つの定義として、金持ち国が途上国に対してやはり現在の必要に見合うレベルの資金を用意してテーブルにつく、というのもありました。これがどのような数字かはわかっています。たとえば世界銀行によれば、途上国が干ばつや数を増した洪水に対処するなどただ気候変動に対応するためだけで、直面するコストは年1000億ドルと推計されています。先ほどお話ししたように、汚いエネルギーを避けて一足飛びにクリーンエネルギーに移行するコストは、年5000億から6000億ドル。これは独立した国連の研究者が出した数字です。でも今、国連から聞こえてくるのは、コペンハーゲンで先進国、金持ち国から年100億ドル拠出の合意をとりつけられる望みがあるというものです。 

ですから、人々は振り返って成功だというでしょうが、それは成功ではありません。ただ成功の定義がどんどん緩められているのです。これは本当に厄介な問題で、多くの環境保護運動家、環境的公正を求める活動家が立ち向かわなければならない問題になります。なぜなら、気候変動のような問題では、緊急性が物を言う、この危機に直面して緊急性の意識を保つことが本当に物を言うからです。ですから、コペンハーゲンで問題への何らかの取り組みがなされるという幻想が生まれることには危険が、本当の危険があります。オバマを出向かせてまたお得意の素晴らしいスピーチをさせたとしても、それで米国が2005年の水準に比べて今の話で14〜20パーセントの削減——ばかげた数字ですが——を口にする画期的な一歩になると表明したところで、科学とは何の関係もありません。そして年100億ドルというこの数字。ここでもこの数字と、世界銀行から聞こえてくる最低1000億ドルという数字との間には、あまりに巨大なギャップがあります。 

ですから、成功と呼ばれるものについて大いに注意しておく必要があります。振り返って、「米国に2005年と比べて14%の削減を約束させたのは成功だ」と言い、歴史的に責任があると口では認めつつただ善意から年に数10億ドルを投げ与えるとすれば、この危機に立ち向かう上で決定的に重要な緊急性の一部が失われることになります。環境的公正を求める運動にとって非常に重要なことは、政治家が失敗を成功と言いくるめるのを許さないことです。 

グッドマン: ナオミ・クライン、オバマ大統領の出席の問題ですが、オバマは、北欧に行く、ノーベル賞を受賞しにオスロに行きます。コペンハーゲンにもつい最近行きました。シカゴへのオリンピック招致のために行ったわけです。でも65カ国の首脳が出席を表明しているのに、オバマはまだ行くとは言っていません。三大炭素排出国である米国、中国、インドはまだサミット出席を表明していません。どうお考えですか。 

クライン: そうですね、ジョン・ケリーが公にオバマに出席を求めていますね、こうなるとオバマは出席するのではないかと私は思っています。すでに出席の方向でかなり固まっているのでなければ、ケリーはこのような発言をしないと思います。この成功の定義を緩めるというプロセス全体、つまり基本的に失敗が成功としてまかり通るようにすることは、大部分は、オバマが出席して失敗を成功と表明できる環境を整えているのだと思います。ですから、率直に言ってオバマは出席すると思いますが、私たちはそれを成功の定義と認めるべきではないと思います。 

グッドマン: もちろん私たちもコペンハーゲンに行きます。「デモクラシーナウ!」も大挙して乗り込み、2週間にわたって何が起きているかをお伝えしていきます。サミットで何が起きているか、街頭で何が起きているかをお伝えします。さて、「シアトルの闘い」、ワシントン州シアトルでの抗議から10周年を迎えています。私は何日かシアトルに行くつもりですが、シアトルの闘いが何を意味したのかについてはいろいろな話がありますね。でも中断をはさんでシアトル以後10年の話に移る前に、まずコペンハーゲンの街頭でどういった行動の計画があるか聞かせてください。 

クライン: そうですね、私が『ネーション』誌に書いた最新コラムは、シアトルからコペンハーゲンまでたどれる道筋についてです。コラムを「シアトルからの発展」と題した理由は、今見ているものが、シアトルの街頭で世界の注目を引きつけた一つの運動の一つの発展でもあると考えているからです。主に貧困、開発、債務に焦点を当ててきた団体と、従来環境問題に焦点を当ててきた環境団体の間の連携が、真に深まってきたと考えています。シアトルでは、あの有名な「チームスターと亀」連合[労働運動と環境保護運動の連帯]で、この連携の始まりを目にしました。今私たちが見ているのは、ずっと深いものです。 

この環境債務という考え方こそ、今お話ししたように、ジュビリーサウスやアクションエイドなど貧困撲滅と発展に主に取り組んできた団体をも結集したもので、彼らは今では気候変動を世界中で人類の発展を阻むこれこそ最大の障害とみなしています。彼らはまた環境補償の要求を、一つの機会とみなしています。先ほどお話ししたボリビアの気候サミット大使アンヘリカ・ナバロが先進国の環境債務支払い義務の必要について話したときの言葉を借りれば、もしこれが行われれば、地球にとってのマーシャルプランになる、と言っています。とてもわくわくする展望です。なぜなら、人類にとって最も根深い難問、根深い課題のうちの二つ、つまり、一つは環境債務、もう一つは不平等の問題に同時に取り組む機会をもつことになるからです。こうした二つの力を結集すること。コペンハーゲンで本当に期待が高まるのはこのことです。多くの人たち、シアトルから発展した多くのネットワークがコペンハーゲンで活発に動くはずです。ネットワークはここ数年、強固になる一方です。 

グッドマン: 中断をはさんで、シアトルの抗議の闘いから10年後を全体的にみていきます。また著書『ブランドなんかいらない』の出版からも10周年ですね、「世界のブランド化」についてもお話ししたいと思います。「デモクラシーナウ!」Democracynow.org、戦争と平和リポート、エイミー・グッドマンです。オレゴン州メドフォードから放送中、間もなくシアトルに到着します。続きもお聴きください。 

(音楽による中断) 

グッドマン: 『Breaking the Sound Barrier [音の壁を取り払って]』[2009年10月出版のグッドマンの著書]キャンペーンでオレゴン州メドフォードに来ています。南オレゴンパブリックテレビ(SOPTV)から放送中。SOPTVの最初の全国放送で、非常にわくわくしています。 

エイミー・グッドマンです。ゲストはナオミ・クライン。著書に『ショックドクトリン』、『ブランドなんかいらない』があります。『ブランドなんかいらない』は出版から間もなく10年を迎え、10周年記念版が出版されます。 

シアトルの具体的な話に移る前に、気候サミットの行われるコペンハーゲンの街頭でどういった行動が計画されているのですか。 

クライン: そうですね、コペンハーゲンはいろいろなことが複雑に関わり合うものになります。1992年のリオ地球サミットより大きな、史上最大の環境問題会議です。街中でいろいろなことが起こるでしょう。 

でも、シアトルとまったく違うと思うのはこういうところです。シアトルではWTOは街頭の活動家にとって不倶戴天の敵で、活動の目的は内外から会議を閉会に追い込むことでした。街頭活動家たちは一つのメッセージ、「WTOなんかいらない」というメッセージで注目すべき連帯を作っていました。そして会議の中では、街頭での抗議に意を強くした途上国が連携して、EUと米国からの圧力に敢然と立ち向かいました。そして最終的には、会議を決裂させたのはこうしたいわば「締め付け」でした。 

コペンハーゲンでは違った動きになります。街頭で活動する人たちは圧倒的にコペンハーゲン会議の使命を支持しているからです。気候サミットというものを否定するのではなく、むしろ支持し、実は世界のリーダーたち、とくに米国やカナダといった炭素大量排出国の首脳の方こそ、何にでも反対し「いやだ、環境危機になど取り組みたくない、科学が求める必要な排出削減もしたくない」と言っているのだということを明らかにし、浮き彫りにしています。 

ですからある意味で、「サミットの使命を信じている」と言っているのは活動家の方だという逆転現象が起きています。政治家は「イエス」と言っていると口では言いながら、そして失敗を「成功」として売り込みながら、実は「ノー」と言っている、ということをはっきりさせる必要があります。 

こういうサミットとどう渡り合うかを考えるのは、活動家にとって一筋縄ではいきません。たとえば12月18日[16日]、活動家が、非暴力で市民的不服従に訴えて、会議場におしかける予定になっている日があります。でもその目的は、会議の閉鎖ではなく、会議を開催して、化石燃料——特にアルバータタールサンドのような汚い化石燃料——を地中にとどめておくといった、気候問題の真の解決を論じる議論の場を会議の中で開くことだと言っています。先ほどからお話ししている環境債務のような解決策を議論し、市場が環境危機を解決できるというような話の欺瞞を暴くことです。 

というのはもちろんコペンハーゲンでは、市場原理に基づいた解決策をたくさん耳にすることになるからです。キャップアンドトレード、排出権取引、炭素吸収源、基本的には環境破壊に巣食って巨大市場を生み出すことです。ゴールドマンサックスなど、世界経済を危機に陥れたのと同じ登場人物が、今度は炭素で投機バブルを発生させられるという考えに舌なめずりして集まってくるかもしれません。 

これが今回の動きです。「ノー」と言わない。「会議を閉鎖せよ」と言わずに「会議のテーブルについて真の解決を議論しよう」と言う。もう一つ別の例をお話しすると、実はコペンハーゲンでも閉鎖を試みるものはあるのですが、それは港——コペンハーゲン港——の一日閉鎖で、方程式の企業側の側面、船舶輸送とそれがどれほど大量の炭素を排出するかに焦点を当てます。活動家自身が使命を信じている会議を閉鎖するのではなく、産業自体を追跡する。こういう行動がたくさん行われます。どうすれば本当に運動の目的と合致する行動を組織できるか、思索と議論が重ねられています。 

グッドマン: 街頭の活動家と対比して、各国代表団、気候サミットに出席する人々についてはどうでしょう。10年前、シアトルの闘いでは興味深いことが起こって、それも事態を変えたわけですが、内部から「われわれの話を聞いてもらっていない」と言う陣営が出てきました。たとえば途上国、アフリカ諸国ですね。そうした国々は今回はどうですか。そうした国々のコペンハーゲン気候サミットでの役割は? 

クライン: そうですね、もう少し見てみる必要があります。お話ししたように、最も有望な解決策を交渉テーブルに乗せているのはボリビアやエクアドルといった南アメリカ諸国の政府です。 

でも、コペンハーゲンサミット前に交渉を進展させる最後の重要な場だったバルセロナでは、アフリカ諸国の一団が大挙して議場を退席しました。これは要するにサミット内部での市民的不服従の形で、先進国からの排出削減の約束が極めて低調なことに抗議したものです。興味深いのは、アフリカ諸国の退席の理由が、配分される資金の不足でも気候変動対策援助の不足でもないことです。アフリカ諸国は単に援助を求めているのではなく、私たち金持ち国側が自分の生活スタイルを変えることを求めています。彼らこそその影響に直面しているからです。彼らが気候変動の最前線に置かれているのです。 

コペンハーゲンでもまたこのようなシーンを目にするかもしれないと思っています。でも、実はね、バルセロナでの議場退席でアフリカ諸国の交渉担当者はかなり大きな政治的影響を被ったんです。本国政府によって解任された担当者もいました。本国政府が米政府やEUから裏で圧力をかけられたからです。「交渉担当者に勝手なことをさせるな」と。ですから、バルセロナでそういうことが起きたのは少し心配です。コペンハーゲンではそのときのような大胆さがアフリカ諸国の担当者に見られなくなるかもしれない。とはいえもちろん公式には、交渉に満足がいかなければ退席すると彼らは言っています。 

グッドマン: 『ブランドなんかいらない』の10周年記念版を新しく出されますね。副題は「ブランド支配をうつ」。シアトルで起きたこと、またこのブランド戦略問題全体の話をお願いします。 

クライン: そうですね、出版社から新しい序文を書いて新版を出す気があるかと聞かれたとき「ある」と言った理由は、今にふさわしいと思ったからです。シアトルだけでなく、企業権力に反対する運動が世界中で爆発していた1999年や2000年の政治運動から学ぶべきことがある気がします。この運動の、なんというか、始まりをメキシコのサパティスタに見る人はたくさんいますが、IMF(国際通貨基金)サミットやジェノバのG8サミットがあるたびに、活動家たちが街頭に結集してこの経済モデルを問い直しました。 

メディアからは「反グローバル化運動」と呼ばれましたが、私たちは、グローバル化に反対しているのではなく、企業支配に反対していることをいつもきわめて明確にしてきました。私たちが問うていたのは資本主義、WTOやIMFといった機関が推し進めていた、この野放しの「未開の西部」資本主義でした。 

おもしろいことは、1999年のシアトルを振り返ってみてほしいのですが、私たちが企業支配をめぐるこうした議論を展開していたのは、景気の絶頂期、好景気に沸く街ででした。シアトルは当時、シリコンバレーと並んでドットコムブームの中心だった。ですから、その経済モデルを本当に進んで擁護する人たちはたくさんいました。 

そして10年経ち、政治的に本当に意味のある時期を迎えています。それで『ブランドなんかいらない』をもう一度出して再構成したかったんです。私たちが展開していた議論は……私たちは本当に過激派扱いされていましたから。『ニューヨークタイムズ』紙でトーマス・フリードマンに「地球が丸いという事実を認めようとしない石頭」と呼ばれたのを忘れません。フリードマンが世界はフラット化していると世に告げる本を書くよりも前でした。 

私たちは「石頭」と呼ばれ、過激派と呼ばれました。でも今、企業と政府の間にまったくの癒着、融合が存在し続けてきたという見方は政治的に完全に主流になっています。乗っ取りに他ならない、という見方です。私たちが10年前にこの経済モデルの失敗について展開していた議論は、今では主流です。 

でも10年前に私たちもその一部だった広範な運動は、街頭から姿を消してしまっています。たぶん大部分は米国の「オバマ効果」と関係があると思います。米国ではみながまだ、最後にはオバマが救ってくれることを期待する、待ちの姿勢にあります。 

コペンハーゲンが特に米国の若い世代にとって転換点になりうるかもしれない、と私が思う理由の一つは、ここにあります。たくさんの若者がオバマの選挙のために本当に懸命に働きました。若者たちを動かした大きな要因は、環境に対する懸念、気候変動に対する懸念で、彼らは本当にオバマを、これまでとは違う選択肢とみていました。 

ある時点で何が政治的に実現可能かを議論することができる問題というのはたくさんあります。でも気候変動となると、多くの若者がそう感じていると思いますが、本当に交渉の余地はない。ビル・マッキベン[350.orgを主宰する環境ジャーナリスト]が明言してきたことですが、科学を相手に交渉はできません。ハリー・リード[民主党上院多数派院内総務]の予定表のようにはいかないのです。 

オバマの選挙で働いた若者とコペンハーゲンへの準備過程から見えてくることのひとつは、若者たちが単に民主党の先兵であることをやめて問題の原点にもどりつつあるということです。今月、NGOの350.orgが組織した行動で刺激的だったことのひとつはそれだと思います。失礼、先月でした。350[ppm]という科学的な目標の数字に狙いを絞った運動で、ジョン・ケリーが書いたことに焦点を絞るのとは正反対です。ジョン・ケリーは何週間か前に記事を書いて、自分の法案が上院を通過するよう若者たちに動員を呼びかけました。でも問題は、ケリーが上院を通そうとしていた法案は、現在の環境危機に対応できるものではないということです。若者たちは問題にもどりつつあり、10年前シアトルの私たちのように、どれか一つの政党やその要求ではなく、問題そのものに焦点をあてています。 

グッドマン: 『ブランドなんかいらない』10周年記念版の序文のはじめに書かれているある種のブランド化について、ブランド戦略がどう変わってきたかについてお願いします。具体的に。 

クライン: そうですね、ブランド戦略は反対意見を吸収することに長けているんです。「ブランドなんかいらな」くした企業の例をいくつか挙げました。たとえばウォッカのアブソリュートは、ラベルもロゴも瓶から取りました。スターバックスはなんとシアトルで、ブランド名のまったくない店を開きました。ブランドに姿を消させようとしているわけです。企業ブランド戦略はこんなふうに変わってきています。 

でも焦点を当てようと決めたのは、企業——企業戦略の最新機軸やテクニック ——ではなく、むしろ政治家が、というか政府が、超一流ブランドを作り上げ売り込むために、90年代に企業によって磨きをかけられたテクニックをいかに吸収してきたかということです。今ではこうしたテクニックは、政党、というより政治家によって自分を売り込むために使われています。 

残念ながらオバマはこれに当てはまるのではないかと思います。オバマは、私が『ブランドなんかいらない』で取り上げた企業の多くと似た超一流ブランドです。『ブランドなんかいらない』で取り上げた、ナイキやアップル——スターバックスも——など、こうしたすべての企業と同じ問題の多くが彼にもあります。こうしたすべての、1990年代のライフスタイルブランドは、公民権運動、女性運動といった変化をもたらす政治運動のモチーフの多くを吸収しました。これが1990年代のブランド戦略の特徴でした。 

このひとつは……私が『ブランドなんかいらない』で書いたことの大部分は、こうした政治的運動がマーケティングの世界に取り込まれたことです。ウィル・アイ・アムが作った「イエス・ウィ・キャン」のミュージックビデオを初めて見たとき、私が最初に思ったことは「うわ、政治家がとうとうナイキに負 
けない広告を作った。今より理想主義的だった時代の色褪せた記憶につけこみ、でも本当は大したことを何も言わないものを」。私たちは自分が聞きたいと思っているメッセージを聞いている気がしていますが、本当によく分析してみると、そこには約束はなく、あるのは実は感情です。 

そしてある意味では、それで米国の進歩派運動の停滞が説明できると思います。米国で私たちはオバマが何らかの立場に立っていると考える。いろいろな問題について私たちの感情がかき立てられたからです。でも本当はオバマに守らせるべきことはあまりない。実は選挙キャンペーンの間にオバマが言ったことを見ると、どの超一流ブランドでもそうであるように、どの優れたマーケティングでもそうであるように、約束をたくさんしすぎないようにしています。守れなくならないように。 

アフガニスタンは絶好例です。オバマが選挙公約をやぶっていると主張するのは難しい。選挙キャンペーンの間に言っていたことをやっているだけですから。たとえ、平和運動のモチーフ、イメージを利用して、自分は和平派の候補者だと私たちに思わせたとしても。労働問題でも同じことです。「イエス・ウィ・キャン」、[スペイン語で]「スィ・セ・プエデ」。これは農場労働者のイメージ、 農場労働者のスローガンですよね。オバマのあの有名なポスター、あれだってチェ・ゲバラのポスターのように見えますが、でも真の社会運動ではありません。変化をもたらす要求をしたことは一度もないのですから。 

そしてそれこそが社会運動がするべきことです。基本にもどること。コペンハーゲンではそれを目にするはずです。 

グッドマン: ナオミ・クラインでした。お話ありがとうございました。『ショックドクトリン』の著者で、最新作は『ブランドなんかいらない』の新版です。 

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原文(放映画像と書き起こし): “Naomi Klein on Climate Debt: Why Rich Countries 
Should Pay Reparations To Poor Countries For The Climate Crisis” 
Monday, November 23, 2009 by Democracy Now! 
URI: http://www.democracynow.org/2009/11/23/naomi_klein_on_climate_debt_why 
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