行動するジャーナリスト、エイミー・グッドマンが語る
行動する歴史家、ハワード・ジン
速報846号のエルスバーグに続いて、エイミー・グッドマンが語るハワード・ジンを送ります。
原文は2010年2月2日にTruthDig.comのサイトに、また翌2月3日にTruthDig.comからの投稿でCommonn.Dreams.orgのサイトで読むことができます。
[筆者紹介] エイミー・グッドマンは平和や人権を取材し論評するジャーナリストであると同時に、自身運動に参加している行動する女性です。テレビとラジオで国際的にニュースその他の番組を発信している「Democracy Now!」の創立者の一人であり、司会者でもあります。環境保護や人権活動に貢献した者に贈られるライト・ライブリフッド賞を2008年に受賞しています。近著“Breaking the Sound Barrier”はニューヨーク・タイムス紙でベストセラーの一つに入っています。
翻訳:寺尾光身/TUP
ハワード・ジン:民衆の歴史家
2010年2月2日掲載
エイミー・グッドマン
ハワード・ジン、伝説的歴史家、著述家で活動家が、先週87歳で亡くなりました。ジンの最も有名な著書は「A People’s History of the United States」(訳注1)です。ジンは昨年5月、私に次のように話しました。「『民衆の歴史』の狙いは、人びとが学校で習ってきた歴史・・・南北戦争を戦った大統領や将官たちの眼を通した歴史を越えて、普通の人びとの声、謀反人の声、反体制の人の声、女性の声、黒人の声、アジア系アメリカ人の声、移民の声、社会主義者やアナーキストやあらゆる種類のやっかいものたちの声を通した歴史にまで至ることです。」
訳注1:訳書「民衆のアメリカ史」上・下、猿谷要監修、宮田虎男・平野孝・油井大三郎訳、2005年、明石書店。
黒人月間(訳注2)の初めにジンの生涯について書くことは時宜を得ています。ジンは白人でしたが、市民権闘争について説得力のある文を書き、この運動に加わってもいました。50年前、1960年2月1日に4人の黒人学生がノースカロライナ州グリーンズボロのF・W・ウールワース店に入り、軽食コーナーの「白人席」に腰をおろしました。4人は接客を拒否され、彼らは連日戻ってきました。日に日に一緒に来る人数が増えて行き、この軽食コーナー人種隔離拒否行動は南部のあちこちの都市に広がったのです。7月には、ウールワースのグリーンズボロ店軽食コーナーでの人種隔離は廃止されました。今週、国際市民権センターと付属博物館が軽食コーナー抗議行動発祥の場所にオープンしました。
訳注2:アメリカでは毎年2月を黒人月間としている。
この座り込みがあったとき、ジンはアトランタにある歴史的に黒人女性のために開かれた大学、スペルマン・カレッジの教授でした。そこで7年在勤後にジンが解雇されたのはなぜか、ジンは私に次のように話しました。「スペルマン・カレッジの全学生が、その座り込み行動中に、あの平穏で管理の行き届いた雰囲気の大学構内から立ち上がって街に出、逮捕され、怒りに燃えて戻ってきてキャンパスでの生き方を変える決心をした。・・・私は学生たちの造反を支援していて、大学当局にとっては私は手に余りました。」「民衆の歴史」のあとがきにジンはこう書きました。「私の大学時代(訳注3)の読書リストには現れたことのないアフリカ系アメリカ人歴史家たちの本を読み始めたのは、・・・スペルマン・カレッジの教員になってからであった。合衆国憲法によってあらゆる人の平等権を保護することを誓った連邦政府が沈黙しているなかで、黒人の虐殺事件がくり返しおこったが、私が歴史教育を受けたどの学校でも、その虐殺事件について教わったことはなかった。(訳注4)」
訳注3:原著では「大学院時代」。
訳注4:訳書「民衆のアメリカ史」下巻、593ページから原文に相当する部分をそのまま引用した。
スペルマンでのジンの教え子の一人が、ピューリッツァー賞を受賞した作家アリス・ウォーカーでした。ウォーカーはジンの死を知った直後に「ジンは私たちを愛したために追放され、そしてただ私たちの側につくことでその愛を表していました。自分の教え子を愛していました。私たちがなぜ二級市民扱いされなければいけないのか、彼には納得がいかなかったのでした。」と述べました。ほんの数年前ジンは元いたスペルマンに招かれ卒業式のスピーチをし、名誉学位を受けました。言語学者であり反体制派として世界的に著名なノーム・チョムスキーは、長年の友人ジンの抱いていた崇敬の念そしてジンが行った詳細な研究の対象について回顧しており、それは「歴史の記録として記される数かずの偉大な瞬間をもたらした、ジンが言うところの『名もなき人びとの数知れぬ小さな行動』」でした。ジンはアンソニー・アーノブと一緒に、この国を形作った「名もなき人びと」によるスピーチ、手紙その他の原資料を採録した「民衆のアメリカ史の声」を書いています。同書をもとに燦然と輝くドキュメンタリーが作られ、ジンが亡くなるほんの数週間前にヒストリー・チャンネル(訳注5)で初公開されました。そのドキュメンタリーの製作責任者マット・デイモンはヒット映画グッド・ウィル・ハンティング(訳注6)に、登場人物ウィルがかかりつけの精神科医にこの本を薦める場面があり、「民衆の歴史」を莫大な人数の人びとに知らせることになりました。デイモンはマサチューセッツ州ニュートンではジンの隣に住んでおり、10歳のときからジンを知っていました。
訳注5:歴史関係の番組だけを放映するアメリカの民放テレビ局。
訳注6:1997年制作されたアメリカ映画。日本語題名「旅立ち」。
監督ガス・ヴァン・サント。脚本マット・デイモンとベン・アフレック。出演マット・デイモン、ベン・アフレック、ロビン・ウィリアムズ。アカデミー脚本賞、助演男優賞(ウィリアムズ)などを受賞した。
昨年5月に私がジンにインタービューしたとき、バラク・オバマが大統領に就任してからの最初の数カ月をジンが振り返って、このように言っていました。「オバマ大統領にはマーティン・ルーサー・キングの言うことを注意深く聞いてもらいたいものだ。誰もがするように、確かにオバマは口ではマーティン・ルーサー・キングに敬意を表するけれども、パキスタンにミサイルを飛ばす前に、肥大化した軍事予算を承認する前に、アフガニスタンに米軍を派遣する前に、単一支払者制度(訳注7)に反対する前に、熟考するべきなのです。」
訳注7:単一支払者制度とは、病院、医院、その他医療を施す全ての施設が医療費を単一の機関に請求し、その単一の機関が支払うような医療保険制度。行政の無駄な経費を大幅に減らし、誰でも医療を受けられるような公的医療保険制度に振り向けることができるとされている。
「オバマはこう問うべきです、『マーティン・ルーサー・キングだったら何をするだろう。そしてマーティン・ルーサー・キングだったら何と言うだろう』と。そしてもしオバマがキングの言うことに耳を傾けていさえすれば、オバマは今のようになってしまうことなく、随分違った大統領になっていたに違いないのに。オバマに、変わります、大胆になります、変えますという自分の約束を守らせなければいけないと私は思う。これまでのところオバマはこの約束を守っていません。」