チャルマーズ・ジョンソン氏が求める普天間無条件返還の理由
1995年、「普天間問題」の全てはここから始まった。
当時小学校6年生の少女を3人の米軍兵士が暴行したことが明るみに出た後に、激しい市民の怒りは、最も危険な基地「普天間海兵隊飛行場」の返還へと向かう。
当時の橋本首相は普天間基地返還と海兵隊の撤退を求めて日米交渉を積み重ね、移転先を明示しないものの普天間の全面返還合意に成功した。普天間返還が先にあり、代替基地建設はあくまでもそのための一手段に過ぎない。
しかしその後の自民党政権は、普天間基地の代替基地建設という利権をからめ交渉の主要なテーマをあらぬところに設定してしまい、本来の基地撤去、沖縄の負担軽減はおざなりにされる。名護市辺野古地区に基地を新たに造るなど沖縄県は要求したこともない話であり、当然ながら強力な反対運動が始まった。 この政府の変節こそが、14年あまりもの長きにわたり混迷を深める結果となった原因であり、このことを明確にしないままに現政権を非難する論調には耳を傾ける必要など無い。
ところが現在進行形で同じような変節を遂げようとしている政権が今目の前に現れた。
普天間国外(最低でも県外)移転が新政権の公約(首相は公約ではないなどと言い出しているがこういうのを後出しじゃんけんという)であり、この方針で米国と真剣に交渉をしなければならない。ここで交渉とは米国に普天間全面無条件返還をまず約束させることであり、移転先については最終決定権を持つ米国に協力する程度の話である。
国内に移転先が見つからないならば、後は米国がどこか既存の基地内(ただし沖縄以外)に移転させるか、海兵隊飛行場を廃止することになるだけだ。
米国としては真剣に交渉を求める相手を無碍に扱うことなど出来ない。まして政権交代して新しい政府との交渉だし、同じく政権交代した米国にとって大切な友人のはずなのだから。
普天間基地はいかなる意味でも何かを「抑止」するために存在する基地ではないし、この基地が無くなったとしても東アジアの大きな戦力低下になるわけでもない。
これが横田や横須賀や嘉手納基地を返還せよというのであれば、米国による今以上の抵抗に遭い、実現は困難かもしれないが、普天間基地単独であれば「無条件全面返還を求め見返りは一切なし」でも何ら差し支えない。移転先を考えるのは米海兵隊の主権者であるところの米国民だ。グアムであろうとどこであろうと、それを日本が「指図」することはできない。これができるほどの影響力があるのだったら最初から苦労などしない。
チャルマーズ・ジョンソンさんは、主張する。「まず返還だ」と。
日本の私たちこそが、圧倒的世論として主張するはずの言葉を。日本政府がまず言うべきことを。原点に返って、普天間基地撤去をこそ求めよう。
翻訳:山崎久隆/TUP
1995年、「普天間問題」の全てはここから始まった。
当時小学校6年生の少女を3人の米軍兵士が暴行したことが明るみに出た後に、激しい市民の怒りは、最も危険な基地「普天間海兵隊飛行場」の返還へと向かう。
当時の橋本首相は普天間基地返還と海兵隊の撤退を求めて日米交渉を積み重ね、移転先を明示しないものの普天間の全面返還合意に成功した。普天間返還が先にあり、代替基地建設はあくまでもそのための一手段に過ぎない。
しかしその後の自民党政権は、普天間基地の代替基地建設という利権をからめ交渉の主要なテーマをあらぬところに設定してしまい、本来の基地撤去、沖縄の負担軽減はおざなりにされる。名護市辺野古地区に基地を新たに造るなど沖縄県は要求したこともない話であり、当然ながら強力な反対運動が始まった。 この政府の変節こそが、14年あまりもの長きにわたり混迷を深める結果となった原因であり、このことを明確にしないままに現政権を非難する論調には耳を傾ける必要など無い。
ところが現在進行形で同じような変節を遂げようとしている政権が今目の前に現れた。
普天間国外(最低でも県外)移転が新政権の公約(首相は公約ではないなどと言い出しているがこういうのを後出しじゃんけんという)であり、この方針で米国と真剣に交渉をしなければならない。ここで交渉とは米国に普天間全面無条件返還をまず約束させることであり、移転先については最終決定権を持つ米国に協力する程度の話である。
国内に移転先が見つからないならば、後は米国がどこか既存の基地内(ただし沖縄以外)に移転させるか、海兵隊飛行場を廃止することになるだけだ。
米国としては真剣に交渉を求める相手を無碍に扱うことなど出来ない。まして政権交代して新しい政府との交渉だし、同じく政権交代した米国にとって大切な友人のはずなのだから。
普天間基地はいかなる意味でも何かを「抑止」するために存在する基地ではないし、この基地が無くなったとしても東アジアの大きな戦力低下になるわけでもない。
これが横田や横須賀や嘉手納基地を返還せよというのであれば、米国による今以上の抵抗に遭い、実現は困難かもしれないが、普天間基地単独であれば「無条件全面返還を求め見返りは一切なし」でも何ら差し支えない。移転先を考えるのは米海兵隊の主権者であるところの米国民だ。グアムであろうとどこであろうと、それを日本が「指図」することはできない。これができるほどの影響力があるのだったら最初から苦労などしない。
チャルマーズ・ジョンソンさんは、主張する。「まず返還だ」と。
日本の私たちこそが、圧倒的世論として主張するはずの言葉を。日本政府がまず言うべきことを。原点に返って、普天間基地撤去をこそ求めよう。
翻訳:山崎久隆/TUP
LAタイムス
もう1つの沖縄の闘い
度重なる抗議にもかかわらず、米国は沖縄に新しい軍事基地建設計画の推進を強く要求している
チャルマーズ・ジョンソン
2010年5月6日
米国は沖縄への軍事基地建設にまつわる紛争で同盟国日本との関係にダメージを与える寸前にある。沖縄県、この島には日本にあるすべての米軍基地の75%が集中している。ワシントンの連邦政府は生態系が繊細な地域に、もう1つの基地を建設することを求めている。沖縄県民は激しくそれに反対しており、先月も何万もの人々が基地反対のために集まった。東京の政府はその真ん中に挟まって、日本の首相がまさに米国の要求に屈服したように見える。
地球上に張り巡らされた海外の米軍基地群、第二次大戦後その数は130カ国で700カ所にも上るが、私たちが沖縄で作った悲しい歴史は他の地域で見ることはほとんど出来ない。
1945年当時、日本は当然ながら敗戦した敵国の一つであり、どこに、どのように基地を配置するかについての発言権はなかった。日本の主な島では、我々は単に日本軍の基地を接収した。けれども沖縄は日本が1879年に併合するまで独立した王国であり、日本人にとってこの島は今も米国とプエルトリコのような関係として捉えられている。沖縄本島は太平洋戦争最後の大きな戦闘で破壊され、米国は欲しいと思った土地をブルドーザーでならしたり、住民から奪ったりし、また人々をボリビアに強制移住させた。
沖縄の米軍基地は1950年から1953までは朝鮮戦争を戦うために使われ、1973年までの1960年代では、ベトナム戦争のために使われた。単にそれらは兵站補給処と飛行場の役割を果たしただけではなく、基地は兵士が休養と余暇を楽しんだ場所でもあり、バーなどのサブカルチャー、売春婦や人種差別主義を生み出した。いくつかの基地の周辺では黒人兵士と白人兵士の間で命に関わるような争いが絶えず、それぞれを相手に営業する地区が別々にできていたほどだった。
日本の占領は1952年の講和条約で終わったが、沖縄は1972まで米軍の植民地のままであった。20年間、沖縄県民は日本からも米国からもパスポートを与えられず、公民権も無い、本質的に国籍がない人々だった。日本が沖縄に主権を取り戻した後でさえ、米軍は基地内の管轄権や沖縄の空の管制権について、支配下に置いたままだった。
1972年以来、沖縄県民が自らの未来について主張することは拒絶されてきたが、これには日本政府とアメリカ軍が共謀していた。しかしこれもゆっくりと変化をしてきた。たとえば1995年、2人の海兵隊員と一人の水兵が12歳の少女を誘拐し、レイプしたことで告発された後に基地に反対する大規模なデモが行われた。米国は1996年に、宜野湾市の町の真ん中にある普天間基地について、日本が別の場所に代替基地を建設することを条件に土地所有者への返還合意に達した。
それは名護オプションとして1996年に成立した(しかしこの米日協定は2006年まで公式なものにはならなかった)。名護市は沖縄本島の北東部にある小さい漁業の町で、ここには珊瑚礁が広がり、フロリダのマナティーに似た海棲哺乳類で絶滅危惧種に指定されているジュゴンの生息地だ。要求通り巨大な米海兵隊基地を建設するためには、サンゴ礁をつぶし、杭を打つか埋立てをして滑走路を建設しなければならないだろう。環境保護活動家は以前からずっと反対運動をしており、2010年の始めに名護市民が選挙で選んだ市長は、いかなる基地建設も町には認めないことを公約して立候補していた。
鳩山由紀夫、2009年に日本の首相となった彼は、普天間海兵隊飛行場と海兵隊員を完全に沖縄から撤去するよう米国に求めることを公約して選挙に勝利している。しかし、火曜日に彼は沖縄を訪問して深々と頭を下げて謝罪したものの、住民に対しては我慢してくれと頼んだに等しい。
私は鳩山のふるまいが極めて臆病で、そして卑劣であると思うが、しかし私はこの深く屈辱的な行き詰まりに日本を押しやってきた米国政府の、このうえなく傲慢きわまりない態度が残念でならない。米国は軍事基地により帝国を維持することに取りつかれているが、私たちには維持する財政的余裕すらなく、多くのいわゆる「受け入れ国」も、もはや望んでいない。私は強く提案する。米国が放漫な態度を改め、米国に普天間海兵隊員を帰国させ基地を移転し(私の住んでいる近所のキャンプ・ペンデルトンのようなところに)、そして65年もの間、忍耐を強いられてきた沖縄県民に感謝することを。
チャルマース・ジョンソンの著作には「ブローバック(日本語題名 アメリカ帝国への報復 集英社)」や近々出版予定となっている「帝国の解体:アメリカの最後の最上の希望」などがある。
記事へのリンクについて
チャルマーズ・ジョンソン氏による本稿初出は、2010年5月6日のロス・アンジェルス・タイムズ紙の掲載です。リンク先が無効になっている可能性があります。