TUP BULLETIN

速報856号 ハワード・ジン著『爆撃』刊行のお知らせ

投稿日 2010年7月24日

君はハワード・ジンを知っているか?

TUP:岸本和世
 
八月三日にハワード・ジン著『爆撃』が岩波書店から「岩波ブックレット」788号として刊行されることをお知らせいたします。日米同時刊行の企画として、原書は同月米国シティライツ社から出版されます。広島と長崎の被爆六五周年記念のためにハワード・ジン教授が出版の準備を整えながら、今年二〇一〇年一月二七日に八七歳で急逝されたために遺作となった『爆撃』の翻訳を皆さんにお届けできることを光栄に思っています。
 
この遺著の編纂にあたったグレッグ・ルジエロさんの前書き「大小の反逆行為」に触れられているように、本書の「序」は、ジン教授が亡くなる一か月前に書かれた、まさに彼の最後の文章となりました。
 
卓越した歴史学者であると同時に、抑圧され続けている民衆と常に共に生き、平和と正義のために闘い続けた活動家として、多くの人々からの尊敬を集めて来たジン教授の書かれたもののいくつかは、わたしたち共訳者が参加しているTUP-平和を目指す翻訳者たち-の「速報」でも読むことができますので、ぜひご覧ください。さらに、ごく最近TV放映された『アメリカで最も危険な男―ダニエル・エルスバーグとペンタゴン・ペーパー』のエルスバーグが記した「ハワードの思い出」(TUP速報846号)もぜひお読みください。エルスバーグさんはインタビューアーの問いに答えて「わたし自身のヒーローはまず第一に“ハワード・ジンだ”」と述べています。彼があのペンタゴン・ペーパーを持ち出して預けたのは、このジン教授だったのです。
 
ジン教授の数多い著作の内、十数冊が邦訳出版されていますが、その代表中の代表である著書『民衆のアメリカ史』は、ルジエロさんの前書きにもあるように、原著の販売数が百万冊を超える評判の大作です。ただし、それの邦訳本は題名が「アメリカ史」というわたしたち日本人にとっては外国の歴史に関する書物と見える上に、上下巻二冊で約一四〇〇頁という分量と値段も手伝ってか、日本ではその書もジン教授の名前もあまり多くの人に知られているとは言えないように思えます。
 
しかし、「ベトナムに平和を!市民連合」(「ベ平連」)の吉川勇一さんが記された追悼文にあるように、ジン教授は一九六六年、米軍の全面的な参戦によってベトナム戦争が本格化して間もなくの六月、北海道から沖縄までの連続縦断講演旅行や東京での「ベトナムに平和を!日米市民会議」を通して、ベ平連のみでなく、当時のベトナム反戦運動に関わった人々に最大の影響を与えた米国人でした。ジン教授が帰国直後に書かれた『魚と漁師-日米反戦講演旅行について-』には、この旅行での諸大学で行った学生や教師たちとの対話やそのほかの人々との出会いを印象深く報告され、当時日本に湧き上がったベトナム反戦への高まりを米国のそれの低調さと比較し、(さらには、今日もいまだに続いている沖縄基地問題にも暗に言及しながら)、米国民衆の目線に身を置きつつ「われわれ(米国人)は日本人のように一度も、自分自身の行為を認め、頭をたれ謝罪し、平和な生活を約束したという経験がないのだ。ことばを換えて言えば、われわれは一度も悪事をとがめられたことがないのである」と記されている言葉に、今日のわたしたち日本人がいつの間にか陥っている経済人間の平和ボケに対する預言的な警告を聴き取りつつ、本書を味わいたいと思います。
 
一九九四年に出されたジン教授の自伝的回想録『動く列車の上では中立でいられない』(邦訳『アメリカ同時代史』明石書房)は、あの九・一一の悲劇直後に「序文二〇〇二年」という四頁の文章を加えて再版されたのですが、わたしたちにとって気が付いた特に印象深いことは、その最初の二頁で六三行の中に一三回も「BOMB(爆撃)という、本書の題名になっている文字があることです。もちろん、なぜ「爆撃」が題名とされたのか、そのわけは本書を読まれれば直ちに了解されるでしょうが、ジン教授がご自身の体験をとおしてまさに次のような思いを込めて、アメリカの人々のみでなく、為政者を含む世界のすべての人への遺言とされたと言っても過言ではないでしょう。それは、ある近刊書でオーストラリアの歴史学者テッサ・モーリス-スズキが「彼(ブッシュ)がやったのは、『わたしたちは素晴らしい自由をもってますから、爆弾を落としてあなたにも自由を与えます』」と言っているような、世界の権力者たちが常に抱いている幻想を打ち破ろうとする爆弾宣言の書だと思っています。
 
皆さんに広く読んでいただけますように。
 
書名:爆撃
著者:ハワード・ジン
翻訳:岸本和世、荒井雅子
出版:岩波書店
発行日:2010年8月3日
価格:560円(税込み588円)
ページ数:72ページ
協力:TUP