その少年は待っています。何らかの希望を感じられるようになるまで。
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オーストラリア人女性ドナ・マルハーンは、2003年の春にはイラクで「人間の盾」に参加した。04年春にはイラクで米軍包囲下のファッルージャに入り、その帰路地元レジスタンスによる拘束を経験し、つぶさにその報告をしてくれた。04年冬から05年春にかけてはイラク・パレスチナ「巡礼の旅」を伝えてきた。05年8月には、シンディ・シーハンのキャンプ・ケーシーに駆けつけ、アメリカからの報告は、ほとんど実況中継だった。05年12月にはオーストラリアがイラク戦争に最も貢献してきたパイン・ギャップ秘密基地に侵入し、3人の仲間とともに「市民査察」を強行した。冷戦の遺物である「防衛(特別事業)法1952年」に基づき裁判にかけられたが、08年2月に第2審で無罪判決を勝ち取った。 今回ドナは、違法なガザ封鎖を打ち破り、人道援助を届けようとする「ガザ自由行進(Gaza Freedom March)」に参加するためにエジプトに入国しました。しかし、世界中からカイロに集まったおよそ1400人の参加者がガザ入りすることをエジプト当局が拒否し、多くはカイロに足止めされています。そんな中、ドナたち100名ほどの別働隊がガザ入りしました。ガザからの報告です。 (翻訳:福永克紀/TUP)
瓦礫の中の少年、および恐怖のガザツアー
ドナ・マルハーン
2009年12月31日(現地時間)
お友達の皆さんへ
彼は、ここガザで今日会った他の少年たちとは違っていました。この少年は、高く積み上がった瓦礫の山から飛び出している一片のコンクリート上でバランスを取りながら、腕組みしたまま、ただ私たちを見ていました。
他の少年たちは私たちに駆け寄って「ハロー、ミスター」と叫び、そして笑ったりカメラに面白いポーズをとったりしてふざけあっています。でも、瓦礫の上の少年はじっとしています。黙って見つめています。その顔は挑戦的です。大きな黒い瞳は突き刺すようでした。まるで何かを待っているように立っている。おそらく私たちが何かを起こすのを待っている、何か言うのを待っている。ただ、待っていました。
おそらく9歳か10歳のその少年は、自分の家だった残骸の上に立っていたのです。いま彼の家族は、破壊されたコンクリートと縺れた鉄材に囲まれてキャンプを張っています。間違いなく彼は、自分の家が再建されるのを待っています。しかし、ガザの包囲は、そうするにも彼の家族が資材を入手できないことを意味します。「4年間も一袋のセメントさえなかったのに、どうやったら再建できますか」と、あるNGOの責任者が私たちに問いました。
私たちのグループ、「ガザ自由行進」分遣隊は、昨年のこの時期にガザ地区に対して行なわれたイスラエル国防軍の攻撃で壊滅させられたガザ市近隣をツアーしました。このキャスト・レッド作戦で約1400名が殺され、そのうち288名が子供で、3500軒の家が破壊されました。
このツアーは皆さんが普通にやる都市ツアーとは違い、今日の説明は身も凍るもので、見える光景はさらに疑念を大きくし、更なる涙さえ誘うものでした。「かつて3軒の家があったところが見えます」と、賑やかな通り沿いの広い空地を指しながらガイドが言います。
「ここが、攻撃最初の夜に700人の犠牲者が運び込まれたシファー病院です。あちらの工場群は包囲封鎖のため閉鎖されています。その先は学校です」彼は、かつて千人の子供が通学していたコンクリートと鉄の散乱した場所を指します。「皆さんの右手に見えるのが、イスラエルのミサイル1発で二つに裂かれてしまった高層アパートで、ここで何の罪もない15名が亡くなりました。それからこのスポーツジムでは50人が死にました。そしてここで見えるもっとたくさんのテントでは自分の家があったところで寝泊りしているわけで、この辺では200人が殺されました」。そのように、まだまだ続くのです。
ガザの海岸沿いにあるスポーツ・娯楽複合施設が爆撃された跡を私たちが歩いて通っているとき、こぎれいな服装で洗練された語り口の若者である私たちのガイド、アフメドがホダー・ラリアの話をしたいと言いました。7歳の少女ホダーがビーチで泳いでいるときミサイルが撃ち込まれ、彼女はビーチにいる家族のもとへ大急ぎで戻りました。彼女は、家族が殺されるのをまさに眼の前で見たのです。母と、父と、4人の兄弟です。
昨年の攻撃によるこの話を1時間にわたり詳細に説明した後で、アフメドはため息をつきました。「どんなに長くこの苦難の話をしても、長すぎることはないでしょう」
ここは雨が多く、風が強く、寒いところです。テント住まいの家族は冬に耐えなければなりません。包囲封鎖のために、次の冬までに家を再建できる展望もなく。
瓦礫の上の少年を見てから数時間、まだ私は彼の視線を感じています。怒っているがゆえに、疲れているがゆえに、ホームレスであるがゆえに、私たちと戯れようともしないこの子の視線を。彼に分かっていることが私には分かるがゆえに、彼の視線が私に付きまといます。
次の冬までに彼の家が再建できないのは、国際社会がガザの包囲を許し、私たちの政治指導者たちからの論評さえほぼ無いままにこの違法な道義的に咎むべき封鎖が続くことを許してきたからだと、この子には分かっています。国連のパレスチナ人権状況特別報告者リチャード・フォークは、諸国政府がなんら実効性のある国際的圧力をかけてこなかった以上、いまや一歩を踏み出すべきは市民社会、あなたや私なのであると言っています。
私たちが一歩を踏み出す理由はたくさんあります。昨年殺された288人の子供たちのためであり、包囲封鎖によってもたらされる今なお続く人道的大惨事のためであり、住民の身体的・精神的トラウマのためであり、そしてまた、あの瓦礫の少年のためでもあります。
瓦礫の少年は待っています。何らかの希望を感じられるようになるまで、彼はあの挑戦的姿勢を、あの挑むような眼差しを保つでしょう。
彼は、再び戯れたいと思っています。しかし彼は、自分の地域社会を絶え間もない苦悶状態に置き去りにしているこの沈黙を、私たちが終わらせるのを待ち続けます。
ガザ市のこの小さな少年は、かつて自分の家だった瓦礫に囲まれたテントの中で暮らしながら、腕組みをして、私たちのほうを見据えています。私たちが行動するのを待ち続けるために。
私たちが行動するまで、彼の視線が私たちに付きまといますように。
皆さんの巡礼者
ドナより
追伸:一方カイロでは、現地に集まった活動家およそ1300名がガザ入りした私たちに加わることを拒否するエジプト政府に対して、仲間たちが強力な抗議行動を維持しています。武装警官にホテルに閉じ込められている人も多く、市内での平和的抗議行動で警官から負傷させられた人たちもいます。これは世界的に広く報道されていますが、たぶんオーストラリアではそうじゃないでしょ?
追追伸:昨年の攻撃を思い起こし、包囲封鎖の終焉を求める行進が、イスラエルとガザの境界の両側で行なわれたばかりか、カイロや世界中で行なわれました。
追追追伸:「あなたがたが、ガザ外部の皆さんが私たちに何が起こっているのか気遣っていることを知るとき、私たちに希望がもたらされるのです」――ガザの人権問題リーダー、私たちのグループに対して。
原文:The boy in the rubble and Gaza’s Tour of Horror
URL: http://groups.yahoo.com/group/ThePilgrim/message/240