国境を越える言論の自由―ウィキリークスの挑戦
2010年春、無防備のイラク市民を米軍兵士たちがヘリコプターから無差別に射殺する衝撃的なビデオを公開して以来、ウィキリークスは「アフガニスタン戦争日記」「イラク戦争ログ」、そして「大使館ファイル」と立て続けに膨大な量の内部告発データを公開してきた。ウィキリースの創始者・編集長ジュリアン・アサンジは、ペンタゴンによるその暗殺計画が明るみに出、スウェーデン政府から国際指名手配が出ているにも関わらず、次のプロジェクトでアメリカの巨大銀行の汚職を暴露すると、ひるむことなく公言する。
資本主義と戦争という大規模な多国籍「組織犯罪」を暴露するウィキリークスの情報公開活動については、評価が大きく分かれている。「ジャーナリズムとは何か」「情報公開の是非を判断するのは誰か」という「報道の自由」の基本的な前提が、いま改めて問われているのではないか。
NHKの放送と「大使館ファイル」の公開を機にウィキリークスへの関心が高まるいま、月刊『世界』2010年9月号(岩波書店刊)に寄稿したウィキリークスに関する記事をTUP速報として再配布し、この問いかけをTUP読者の皆さんと共有しようと思う。現在、その後の情勢の変化も追った続編を執筆中であり、それについてもいずれ紹介できればと考えている。
TUP:宮前ゆかり
国境を越える言論の自由―ウィキリークスの挑戦
宮前ゆかり
国家と多国籍企業の利害を追求し、国境を越えて触手を広げる戦争事業。戦争の
背後にある権力者たちの犯罪や汚職を暴くために、民主社会の言論の自由確保
を求める内部告発者たちの活動も国境を越えて連帯が広がっている。
■国家による犯罪と内部告発者の役割
アメリカ大統領命令によって自国市民の暗殺が秘密裏に許されていると今年一月
に『ワシントンポスト』紙が報道した。「テロに加担している」と大統領が主
張するだけで、確認プロトコルも告訴もなく、裁判や議会による検証もないま
ま、世界中どこにいようとアメリカ市民の暗殺が正当化され、その執行権がCIA
とペンタゴンに与えられているという。
ブッシュ政権が「テロ」の疑惑を振りかざして正式な告訴や裁判もなく外国市民
を誘拐しブラックサイトに拘留していることが暴露されたとき、大統領行政権
の過剰な拡大に強い抗議の声があがった。しかし「チェンジ」を掲げて政権交代
を果たし立法・行政とも民主党が主導する政治環境で、オバマ政権はさらに大
統領権限を拡大し、前政権時代よりも攻撃的で陰湿な独裁的構図を構築している。
六月、『ニューヨークタイムズ』紙の報道では、イランに対する諜報活動を含
め、オバマ政権は外国での秘密軍事作戦の展開をさらに拡大しているという。
『ワシントンポスト』紙は最近、特別作戦部隊が七五カ国で展開されていること
を明らかにした。
武器取引や傭兵採用の他に、諜報活動、プロパガンダ広報戦略、情報操作を通し
て、アメリカの軍事政策は各国への内政干渉を強化し、他国の主権を侵し、国
境を無視して肥大し続けている。イラク・アフガンでの戦争も同時進行している
のだから、その組織的動員規模は巨大だ。
「正義の戦争」という大義名分を鵜呑みにしてアメリカ国民が許容しつづける
「戦争マシン」を止めることはほとんど不可能に思える。貧しい若者たちや移
民人口の志願兵に依存する現在の戦争では、戦場の犠牲となる人々の実態から国
民の多くが隔離されている。
しかしこの巨大な戦争マシンの中枢に挑戦する人々がいる。良心に駆られ、戦争
の真実を一般市民に知らせようと身の危険を冒して行動する内部告発者たちだ。
今年の四月、世界中の人々がアメリカの戦争犯罪の証拠を目撃した。米軍兵士た
ちが〇七年七月に無防備のイラク市民を軍事ヘリコプターから容赦なく無差別
に射撃し、ロイター報道機関の社員二人を含む一二人を殺戮した場面を生々しく
記録した画像が、「ウィキリークス」というウェブサイトに公開された。当
初、軍は「敵との戦闘中に九人の武装兵とともに二人のジャーナリストが亡く
なった」と発表していた。この米軍機密ビデオに映されていた戦争の一コマは
世界的な反響を呼び、ペンタゴンの秘密に小さな風穴があいた。この殺戮を行っ
た部隊に参加していた二人の米軍兵士がビデオ公開後に自ら名乗り出て罪を認
め、謝罪し、普段は無関心な一般市民に戦争の悲劇の背景を身近に知らせること
となった。
暗号化され機密扱いされていたこのビデオをウィキリークスに渡したのは、イラ
ク戦争の現場で諜報分析活動をしていたブラドレー・マニングという二二歳の
若い技術兵だ。マニングは密告後にインターネットで知り合ったハッカー出身の
エイドリアン・ラモに何らかの形で漏洩を自白したとされ、その経緯が『ワイ
ヤード』誌に掲載された。マニングはラモに漏洩の動機をこのように述べてい
る。「誰であろうとも私は皆に真実を見て欲しい。情報なくしては誰も正しい
公共政策への意思決定ができないからだ」
マニングは六月にアメリカ軍に逮捕され、現在クウェイトに拘束されている。無
差別殺戮のビデオ漏洩の他に、五二件の国務省通信を漏洩した容疑で、七月初
旬ペンタゴンはマニングを正式に告訴した。
現在、軍事弁護士がマニング訴訟での弁護を担当している。ウィキリークス関係
者や内部告発行為を支持する賛同者たちは、マニングの安全な身柄確保のため
に費用を集め、現在クウェイトに民事弁護団を送り込もうとしている。
■エルスバーグの系譜
ベトナム戦争終結のきっかけとなった「ペンタゴンペーパー」を漏洩したダニエ
ル・エルスバーグは、当時ニクソン大統領補佐官・国家安全保障担当官だった
キッシンジャーに「アメリカで最も危険な男」と呼ばれた人物だ。「内部告発
者」として政府機関からの恐喝や暗殺の危険をくぐりぬけて生きてきたエルス
バーグは、マニングの逮捕に際してインタビューでこう述べている。「私がやっ
たのと同じ規模で、でも私よりも素早く情報を公開してくれる人物が現れるこ
とをずっと望んでいました。マニングさんはこの四〇年間でそれをやってくれた
最初の人物です。感謝しています。彼が最後の人とならないことを願っています」
一九七三年五月に政府の起訴内容すべてが却下されて以来、エルスバーグは政府
機関で働く人々に政府内不正を暴く内部告発行動を呼びかけてきた。ネットが
普及してからは、もしペンタゴン・ペーパーズが今手に入ったとしたら迷わず
ネット上で公開するだろうと述べ、「告発の決心まで私のように時間をかけて
はなりません。今すぐに実行してください」と内部告発の緊急的役割を強調して
きた。その声に応えるように最近は、重要な情報が漏洩という形で一般市民に
公開され始めている。アフガニスタン戦争正当化に都合の悪いアイケンベリー米
国大使の本音を伝える国務省宛ての通信が漏洩され、ネット上で広く閲覧され
たのもその一例だ。ウィキリークスのサイトにはエルスバーグに無罪を言い渡し
た最高裁裁定声明がモットーとして掲げられている。
「自由で制限のない報道のみが政府の欺瞞を暴露する効力を持つ」
イラクでの殺戮ビデオ公開について、ウィキリークスの創設者で編集長のジュリ
アン・アサンジは、報道機関の怠慢を指摘している。ビデオはすでに二年前に
『ワシントンポスト』紙に渡っており、公開暴露のチャンスはいくらでもあった
のだ。エルスバーグ時代にペンタゴンペーパーズを公に知らしめた著名な報道
機関がその本来の役割を怠るようになった事情を鑑み、ウェブでの漏洩という手
段をとることを余儀なくされたという。
■国際社会で連帯する内部告発者たち
国家が国民に知られずに犯罪を犯しているとき、そして報道機関が十分な権力監
視能力を発揮していないとき、民主国家の原則である「情報を十分に把握した
市民の意思決定による政治判断」を確保するためには、キャリアや命の危険を冒
して内部告発をする人々の保護体制を確立する必要がある。アメリカ市民であ
るマニングの場合、エルスバーグの判断では、逃亡して行方不明になるよりは現
場で逮捕され、公に身柄が拘束されたほうが安全性が高いかもしれないという。
しかし、オーストラリア市民のジュリアン・アサンジの場合は事情が違うよう
だ。ごく最近、ペンタゴンの秘密工作部隊がアサンジの身元を秘密裏に追跡し
ていることが発覚した。アサンジ暗殺の危機を憂慮し、エルスバーグはテレビや
ラジオの場でアメリカの軍事秘密工作の監視を呼びかけた。アサンジは六月二
二日にオーストラリアのABCニュースでエルスバーグと画面上で対話したり、七
月一四日の『ガーディアン』紙のインタビューやTED.comの番組に登場するなど
可視性を維持している。
内部告発サイト、ウィキリークスは〇六年に開始され、〇七年七月から本格的な
活動を行ってきた。責任分担する五人の編集者、約八〇〇人の無給のボラン
ティアなどによって運営されているという。
子供の頃からハッカーとして知られていたアサンジは現在三九歳前後とされ、情
報の信憑性とサイトへの掲載可否について最終的判断を下してきた。アサンジ
は〇九年にアムネスティー・インターナショナルによりメディア賞を贈られている。
中国、旧ソ連、アフリカ、イスラエルなど反民主的な人権侵害や圧政、弾圧の存
在する地域からウィキリークスに匿名で寄せられた政府、企業、宗教に関わる
内部告発情報は、これまでに一二〇万件以上にも及ぶと言われている。国境を超
越して世界中で戦争を繰り広げるアメリカ帝国の軍事機密情報も例外ではな
い。もちろん提供される情報には扇動かく乱情報や誤報が混在するため、ウィキ
方式の相関的編集システムの他に、独自の情報検証プロセスの充実に力を入れ
ている。
■アイスランドの画期的メディア政策
今年六月、アイスランド議会は「アイスランド現代メディア構想」法案を満場一
致で通過させた。スコットランド、英国、フランス、ベルギー、ノルウェー、
スウェーデン、アメリカなど世界各国の「言論の自由」擁護の法律の中から特に
優れた内容を取り入れ、内部告発者や調査報道を保護し、表現の自由や開かれ
たコミュニケーションを保障する画期的な法案だ。アサンジもこの法案作成に参
加していた。さらに、この法案には表現の自由擁護分野における「ノーベル
賞」級の新しい世界的規範設立が含まれている。
法案の作成と立法化に取り組んできたブリギッタ・ヨンスドティル議員は、イラ
クでの殺戮ビデオを編集しウィキリークスで公開したプロデューサーの一人
だ。調査報道機関のサーバーをアイスランド管轄圏に保護したり、ジャーナリズ
ムのハブとなる教育機構を構築したり、世界各国の内部告発者を擁護するため
の法律的なシステムを確立するなど、アイスランドが世界の「言論の自由」の
メッカとなるための本格的な取り組みがすでに始まっており、国境を越えた民
主主義の新しい展望が生まれようとしている。
アイスランドはリーマンショックの大打撃を受け、国庫を危機にさらした苦い体
験を持っている。米英の金融汚職に対する調査報道に怠慢があり、規制監視体
制も弱体化していた。経済機構も含め、民主主義体制と基本的人権を擁護するた
めには、国境を越えた情報公開の連帯が必須である。なぜなら、民主主義を破
壊し、基本的人権を踏みにじる権力者たちこそが国境を越えた犯罪を日々犯して
いるからである。
〇八年にスイスのジュリアス・ベアー銀行が英領ケイマン諸島を通じて行ってい
た不正金融行為もその例だろう。国際的な違法金融行為を行っていた顧客の情
報の公開を阻止しようとして、同銀行はウィキリークスのドメイン禁止命令を求
めていた。米国連邦地裁が「言論の自由」を掲げてドメイン使用禁止命令を撤
回したことで、ウィキリークスの重要な役割がさらに明確になった。
七月二五日にウィキリークスが公開し世界中を揺るがせた二〇万ページ以上の
「戦争日記」は、アフガン前線で戦う兵士たちによる記録。カルザイ暗殺計画
や一般市民虐殺を網羅し、ペンタゴン・ペーパーズの規模を上回る。『ガーディ
アン』紙、『シュピーゲル』誌、『ニューヨーク・タイムズ』紙が分析検証記
事をウェブで公開している。七月二六日、アサンジは久々に人々の前に姿を現し
た記者会見で機密文書公開の意図とその意義を語った。
「情報は力」である。従来の報道機関の監視能力が衰退する今、ネットの民主的
影響力は否定できない。しかし、ネットは本来ペンタゴンが開発したシステム
に由来していることから、ネットそのものをシャットダウンできる「インター
ネット・キルスイッチ」と呼ばれる究極的な権限をアメリカ大統領に付与する
法案が議会で審議されている。
巨大な軍事力による威圧や弾圧に依存し、情報の自由な流通を恐れる大国アメリ
カ。個人の良心をよりどころに内部告発行為の擁護を求める小国アイスラン
ド。この構図は、自由という大義名分を振りかざすアメリカにとって痛烈な皮肉
ではなかろうか。
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