北極の氷と自転車通勤と350運動
パンタ笛吹 著
2008年7月22日 配信
わたしの住んでいるコロラド州ボルダー市は、人口わずか9万人足らずの小さな町だが、国立大気研究センターやコロラド大学をはじめ、地球温暖化のデータ分析をする研究施設がいくつかある。昨年、アル・ゴア元副大統領とともにノーベル平和賞を受賞したIPCC (気候変動に関する政府間パネル) の研究者も少なからずボルダーに住んでいて、地元でも受賞記念パーティーが開かれたほどだ。
米国立雪氷データセンター (NSIDC) も緑に囲まれたキャンパス内にあり、32年前から主に北極と南極の氷床を研究し続けている。そのNSIDCの研究者、マーク・セリーズ博士が、地球温暖化の影響で、北極の氷がこの夏に消滅する可能性が非常に高いと警告した<1>。もしそうなれば、人類史上はじめての出来事となる。
CNNニュースもセリーズ博士の警鐘をとりあげた<2>。
…数年前までは、夏に北極の氷がほとんど、あるいはすべて、消滅するのは2050年から2100年ごろと考えられていました。最近になって、2030年ごろになるかもしれないと、予測を見直すことになった。いま、それよりも早くなると言う研究者もいる。北極海では、私たちの予測を上回る速度で変化が起きています。
これは驚きだ。5月に書いたTUPエッセイで、NASA (アメリカ航空宇宙局) の気象学者ジェイ・ズワリーが発表した「それまでの最も悲観的予測よりも、さらに早く悪化した場合の予測」を紹介したばかりだというのに<3>。ズワリーは、こう言っていた。
このままのスピードで温暖化が進むと、2012年の夏の終わりには、北極海はほとんど氷のない海になるだろう。…炭鉱内で毒ガスの危険を報せるカナリヤのように、北極海はしばしば気候温暖化を報せるカナリヤと言われてきた。いま、気候温暖化を警告するために、カナリヤは死んでしまった。この炭坑から抜け出す時がきた。
昨年の夏、北極海では1年ものの氷のうち87%が溶けてしまった。それまで流氷や氷山のために使えなかった北西航路が、史上初めて、砕氷船なしに行き来できた。天候にもよるが、この夏は氷がぜんぶ消滅し、カナダやアラスカから北極点まで船でそのまま航行できるかもしれないという。人類史上、考えられなかった異常現象が、今まさに起ろうとしている。
前述のセリーズ博士は、次のように語った<4>。
北極点がこの秋冬に凍った1年ものの氷だけで覆われているのを見るのは、わたしの知るかぎり初めてのことだ。…それがこの夏、五分五分の可能性で、完全に溶けようとしている。
科学的に見たら北極点は地球上にあるひとつの点にすぎない。しかし象徴的な見地からすると、非常に重要な意味を持つ。北極点は蒼い海ではなく、氷で覆われていなければならないからだ。
セリーズ博士の住んでいるボルダーも、地球温暖化に歯止めをかけようと、真剣に取り組んでいる。ボルダーでは6月は「自転車通勤推進月間」だ。6月25日は「自転車通勤デー」の催し物が町のあちこちで開かれた。
聴取者がスポンサーの公共ラジオ局KGNUでは、自転車で通勤する人びとに無料の朝食がふるまわれた。百数十人が会社に行く途中にラジオ局の前に集まり、それぞれ自慢の自転車談義に花を咲かせていた。そこにはボランティアの自転車整備士もいて、無料の自転車チューンアップが好評だった。
ボルダー市役所は「ゴー・ボルダー」というホームページを立ち上げている。「ゴー・ボルダー」サイト内にある地図で、出発点と目的地をクリックすると、どこをどう行けばいいか最良の自転車通路を即座に紹介してくれる仕組みだ。
ボルダー内のグリーン・ビルディング (環境にやさしいビル) には、シャワー室が備わっている。自転車通勤で汗をかいた人たちが、仕事に入る前にシャワーをあびられるようになっている。また、自転車通勤者だけは30分間、始業を遅らせてもいいというルールを設けている会社もある。自家用車よりも通勤に時間がかかるための配慮だという。オーガニック食品スーパーの「ホール・フード」のように、自転車通勤をする従業員に、自転車を無料で貸与している会社もある。
ボルダーからロッキー山脈に向けて車で30分くらい登ったところに、ネーデルランドという山間の町がある。その山奥からボルダーに自転車で通う人たちもいる。全行程をこいでいくのは無理なので、自分の家から町のバス停まで自転車で行き、バスに自転車を乗せボルダーまで下り、そのあとまた自転車で会社まで通っているという。通勤バスは自転車を30台くらいは積めるようにしてあり、ボルダー市役所からバス無料乗り放題の「エコパス」をもらっている人も多い。わたしの友人も何人かエコパスで無料バス通勤をしている。
ボルダーからコロラド州都のデンバーに通っている人も多い。車で40分はかかるその道のりを、エコパスで無料通勤できるだけではない。今までひとりで自家用車に乗ってデンバーに通っていた人がバス通勤に替えると、1日3ドルの奨励金を市からもらえるようになった。車を減らして二酸化炭素排出量を減らすのが目的だ。3ヶ月間、バス通勤すると、最大180ドル(1万9000円)もらえる。高騰したガソリン代を考えると、なんて魅力的なプログラムを考えついたのかと感心する。
ローカルレベルでこれほど二酸化炭素削減にがんばっているというのに、ブッシュ政権のやっていることといったら立腹せずにはいられない。ブッシュ大統領は6月18日、沖合の政府所有地を解放して、海底油田の掘削を解禁するよう議会に要請した<5>。
1990年に、沖合の海底油田掘削を禁止したのは父ブッシュ元大統領だ。弟ジェブ・ブッシュもまたフロリダ州知事のころ、熱心な掘削反対論者だった。元はといえばオイルマン出身のブッシュ大統領は、家族の反対よりも石油企業の儲けの方を優先したようだ。
チェイニー副大統領も演説で、掘削反対論者こそ「問題の一部だ」として、「彼らの苦言はこれ以上聞きたくない」と発言<6>。
それに対して民主党の重鎮ハリー・リード上院議員は「オイルマン・チェイニーが話すことはすべて、掘れ、掘れ、掘れ、である」と皮肉った<7>。
ハワイのマウナロア観測所の発表によると、大気中の二酸化炭素濃度は387ppmに達したという。産業革命時に比べると、約40%も上昇したことになる。少なくとも過去65万年で最高最悪の数値だそうだ<8>。石油や石炭などの化石燃料から、大急ぎで太陽光発電や風力発電などの代替エネルギーに移行しなくてはならない。その危機的な次期に、ブッシュやチェイニーの愚行は許されるものではない。
わたしが二酸化炭素削減でもっとも期待していたプロジェクトのひとつが、広大な米南西部の砂漠に展開されようとしていた太陽光発電だ。すでに100万エーカーの政府所有地を、クリーンで再生可能な太陽光発電地帯にするために150の計画案が出され、認可を待つばかりだった。
アリゾナ州やネバダ州の砂漠を旅すれば分かるが、ぎらぎらの太陽が年がら年中照りつける灼熱の大地は、素人目にも太陽光発電にぴったりだ。上記のプロジェクトが完成したら、700億ワットという途方もない量の電力を発電できるという。これは、20万世帯に供給してもありあまる電力量だ。
ところが政府の土地管理局が、この太陽光プロジェクトに対し、向こう2年間は許可を与えない、という方針を発表した<9>。その理由がふるっている。「砂漠に太陽光発電を設置した場合、それが植物や野生生物に与える影響を調査しなくてはならない。その調査に2年間を要するからだ」という。
太陽光発電の技術はすでに30年前からあり、安全とされている。石炭火力発電所や原子力発電所が環境に与える影響はほぼ無視しているのに、太陽光発電の大きな一歩を止めるとは、なんという矛盾だろう。うしろに石油や石炭でぼろ儲けしている金持ちの影がちらほら見えてくるのは、わたしの錯覚だろうか。
20年前の6月、気象学者ジェームス・ハンセン博士は、地球温暖化を憂慮する科学者として初めて米国議会で演説した。堂々と「抜本的な対策を早急にとらないと、気候変動で地球はたいへんなことになる」と警鐘を鳴らした先駆者のひとりだ。
ハンセン博士はその歴史的な演説の20周年を記念して、近々、米議会で再び講演をする。講演では、エクソンモービルなどの温暖化の元凶となった企業の最高経営責任者 (CEO) を裁判にかけるべきだ、と主張するという<10>。
以前、タバコ会社の重役は、喫煙とガンは関係ないと言ったり、ニコチンに中毒性はないなどと主張し、多くの人びとが肺ガンで亡くなった。それと同様に、石油企業の経営者は長い間、気候変動はただの自然サイクルだと言いはったり、排出ガスと温暖化は関係ないと主張し、温暖化対策に反対し続けてきた。これは、自然と人道に対する犯罪だと反戦博士は訴える。彼らは裁きを受けなくてはならない。
大企業のCEOという影響力を持つ地位にあって、間違った情報を流せば、それが会社組織を通したものであれ、学校の教科書に載ったりもする。それは犯罪だとわたしは考える。
ハンセン博士は、2009年が特別に大事な年になるという。新しい大統領が京都議定書にどのように対処するかが問題になるからだ。
新大統領は、ケネディーが月へ人間を送ると決断したのと同等の英断を下さなければならない。……
問題は政治的な意思ではない。悪いのはワニ皮の靴< 11 >をはいたロビースト (圧力団体) である。首都ワシントンでは『地獄の沙汰も金しだい』というのは本当の話だ。だから民主主義が機能していない。
「350運動」という言葉を聞いたことがあるだろうか? 言い出しっぺは、ハンセン博士だ。地球はこのままでは取り返しのつかないことになる。IPCCが許容した将来の二酸化炭素量では、多すぎる。いま現在の二酸化炭素濃度、387ppmでも危なすぎる。なんとか世界中が協力して、350ppmまで下げないと人類に未来はない。そういう運動だ< 12 >。
350という数字をぜひ覚えておいてほしい。そして、ニュースで二酸化炭素濃度が出てくるたびに、350を思い出してほしい。これからの人間にとって、子や孫の世代のためにも、350という数字ほど大事なナンバーはないのだから。
タイトルが「♪お座敷小唄」なので、エンディングは故・植木等の「地球温暖化進行曲」でシメよう。
♪地球が暑くなって どこわりい
暖房いらずで いいじゃないか
水道ひねれば 温泉で
牛乳しぼれば 粉ミルク ソレ!
♪どんどん だんだん 温暖化
どんどん だんだん 温暖化
こんな地球に 誰がした
けっこう 毛だらけ 灰だらけ
けっこう 毛だらけ 汗だらけ♪
初稿 2008年6月30日
確定稿 2008年7月22日
編集更新 2008年8月1日
<1> Steve Connor, "Exclusive: No ice at the North Pole Polar scientists reveal dramatic new evidence of climate change," The Independent (June 27, 2008).
http://www.independent.co.uk/environment/climate-change/exclusive-no-ice-at-the-north-pole-855406.html
<2> Alan Duke, "North Pole could be ice-free this summer, scientists say," CNN (June 27, 2008).
http://www.cnn.com/2008/WORLD/weather/06/27/north.pole.melting/index.html
<3> パンタ笛吹「危険報知器がリンリン鳴っている」TUP速報763号。
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/789
ズワリー博士の発表はこの記事で紹介されている。
Seth Borenstein, "Arctic Sea Ice Gone in Summer Within Five Years?" Associated Press (Dec. 12, 2007).
http://news.nationalgeographic.com/news/2007/12/071212-AP-arctic-melt.html
<4> <1>と同じ。
<5> Sheryl Gay Stolberg, "Bush Will Seek to End Offshore Oil Drilling Ban," The New York Times (June 18, 2008).
http://www.nytimes.com/2008/06/18/washington/18drill.html
<6> <5>と同じ。
<7> <5>と同じ。
<8> David Adam, "World CO2 levels at record high, scientists warn," The Guardian (May 12, 2008).
http://www.guardian.co.uk/environment/2008/may/12/climatechange.carbonemissions
<9>Catherine Elsworth, "US halts solar energy projects over environment fears," Telegraph.co.uk (June 27, 2008).
http://www.telegraph.co.uk/earth/main.jhtml?xml=/earth/2008/06/27/easolar127.xml
<10> Ed Pilkington, "Put oil firm chiefs on trial, says leading climate change scientist," The Guardian (June 23, 2008).
http://www.guardian.co.uk/environment/2008/jun/23/fossilfuels.climatechange
<11> 首都ワシントンを闊歩するロビーストたちは、その身だしなみにも定型がある。たとえば、高級なワニ皮の靴、あるいはグッチのローファー、ローレックスの金時計、そしてイタリア製のスーツなどが愛好されている。
<12> 350運動の日本語サイト。http://www.350.org/ja