TUP BULLETIN

速報869号 シリーズ「パレスチナの女性の声」【1】-1 [はじめに /入植者の暴力-1]

投稿日 2011年1月3日
女たちの証言--占領下パレスチナで生きるということ

1967年に始まったヨルダンとガザ地区に対するイスラエルの占領は、44年目を迎えようとしています。

占領とは何か? 死傷者の多寡で紛争を測る従来の定義に従えば、占領下のパレスチナで起きていることはジェノサイド(大量殺戮)ではありません。しかし、パレスチナ人社会学者サリ・ハナフィは、こうした従来型の定義では、占領下パレスチナで進行中の事態の本質を表すことはできないとして、これを「スペシオサイド(Spaciocide; 空間的扼殺)」と名づけました。パレスチナ人が生きている空間それ自体を破壊することで、彼らが自らの土地で生きていくことを不可能にする、という意味です。パレスチナでは、人間が物理的暴力で大量に殺される代わりに、人間が人間らしく生きる可能性それ自体が、構造的暴力によって組織的かつ集団的に奪われているのです。

この「パレスチナの女性の声」シリーズは、そのような占領の現実を生きている19人の女性の肉声をまとめた報告書(2009年刊行)の翻訳です。作成したのはWCLAC(女性のための法律相談センター)という団体です。普遍的な人権擁護の一分野として、パレスチナにおける女性の権利擁護のために活動する上で、「女性の眼を通して語られる物語を聞くことなしには、パレスチナ社会が被る長期的被害が及ぶ範囲を評価することはできない」(事務局長 マハー・アブー・ダイィエ)という問題意識から聴き取り調査が行われ、文書にまとめた内容について証言者本人の確認を得た上で英訳され発表されました。 (英文報告書:http://www.wclac.org/english/publications/book.pdf

パレスチナの現状について様々な立場からの報告を入手することができますが、そこで暮らしている女性の生の声を通して、特に女性であるために被っている被害を立証するものは大変貴重なものと言えます。また、「女性の物語は占領の残酷さ、差別および暴力の証拠であるばかりか、パレスチナ人女性の強さとしたたかさを証拠だてるもの」(同報告書序文より)でもあります。

報告書は大きく分けて「暴力」「移動の自由」「居住権の侵害と引き離される家族」「家屋の取り壊し」という構成になっています。

この報告書がパレスチナに生きる権利の回復のため、また世界のすべての地で人が人として生きる権利を確保するために活用されますように。

前書き:岡真理、向井真澄/TUP 翻訳:岡真理、キム・クンミ、寺尾光身、樋口淳子、藤澤みどり、向井真澄/TUP

凡例 [ ] :訳注

〔 〕:訳者による補い

 

パレスチナ女性に対するイスラエルの人権侵害報告書– 2009年度版

シリーズ【1】─暴力 1/4

パレスチナ人の女性は、イスラエルがパレスチナを占領した結果、日常的な暴力にさらされています。女性たちは、ヨルダン川西岸地区[訳注1]に住むイスラエル人の入植者から暴力を被っています。これらの入植者は武装している場合も多々あります。女性たちはまたイスラエル軍による暴力の犠牲者でもあります。暴行事件の責任者に対する取調べや訴追がほとんど行われず、加害者の責任追及はなおざりです。女性は自分たちの事件の場合、どんな対応も行われないことがわかっており、イスラエル警察に訴える手続きに対しても恐怖の念を抱いているので、被害を訴え出ない場合が少なくありません。

訳注1)ヨルダン川西岸地区 [パレスチナ東部一帯。国連のパレスチナ分割案(1947年11月採択)では、アラブ国家の領土とされていたが、1967年、ガザとともにイスラエルによって占領される。以降「西岸」と表記]

国際人道法上の枠組みとしては、武力紛争下で戦闘行為が行われている間、民間人は包括的な保護の対象となっています。占領当局であるイスラエルには、被占領地の法と秩序を維持し、統治下にある民間人の保護を全うすべき国際人道法上の責任があります。オスロ合意における安全保障のための取決めがどうであれ、締約国であるイスラエルが負うべきこの義務は不変です。イスラエル政府に課せられた義務は、民間人に危害を及ぼさないことはもとより、占領国側の住民の手による暴力から保護する義務、さらには、保護下にある住民の福祉を保証する義務にも及びます。国際司法裁判所は、分離壁[訳注2]についての勧告において、国際人道法が被占領地にも適用されることを確認しています。市民的および政治的権利に関する国際規約(ICCPR)第9条1項の下でパレスチナ人も「身体の安全についての権利」を保持しており、国連人権委員会[訳注3]はこの条項を、私人が加える脅威も含めて管轄区域内の住民の生命に対する脅威から個々人を保護するための、相応で適切な措置をとる義務が締約国にあることを意味するものと解釈しています。

訳注2)分離壁 [壁建設の中止と撤去を求める国連決議(2003年10月21日)や国際司法裁判所の勧告(2004年7月9日)が出された後も、イスラエルはテロリストのイスラエルへの侵入を防ぐという名目で建設を進めており、パレスチナ人の暮らしに大きなマイナスの影響を及ぼしている]
訳注3)国連人権委員会 [2006年に人権理事会に改組され、旧人権委員会は発展的に解消。以降「国連人権理事会」と表記]

ICCPR第7条に記載されている、「拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰」の禁止は、普遍的かつ絶対的なものです。

人権理事会は一般的意見第10号で、締約国には、その管轄区域内で拷問や虐待を予防し、それらの行為を罰するために、立法措置をとるだけではなく、行政・司法その他の方策を実施する明白な義務があると述べています。そのような扱いや刑罰を禁止したり犯罪として規定したりするだけでは、第7条を履行したとはいえないのです。

さらに、「残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い」に相当する暴力行為が公務員等(治安部隊を含む)が黙認するなかで私人によって行われる場合も、イスラエルには拷問禁止条約第16条の規定により、そのような行為を予防する義務があります。ICCPR第2条第3項には、同規約に定める権利を侵害された人は誰であれ効果的な救済措置を受けるものとし、締約国は、権限ある当局によってその人の権利が定められ、そのような救済措置が履行されるよう保証しなければならないことが明記されています。

またイスラエルには、女性差別撤廃条約(CEDAW)により、パレスチナ人の女性を民間人および政府関係者の暴力から保護する義務があります。CEDAWの監視を行う委員会は、「女性に対して国際法全般あるいは諸人権規約に定められた、人権および基本的自由の享受を妨げたり諸権利を無効にしたりする、性別に起因する暴力は、同条約第1条の趣旨に照らして差別である」と明言しています。

しかしながら、法律で禁止されているにもかかわらず、政府関係者、特にイスラエル軍は女性を含むパレスチナ人市民に対して暴力行為をはたらいてきましたし、そのような事件を効果的に調査することも、責任を負うべき当事者に対して適切な措置をとることも怠ってきました。さらにイスラエルは、入植者によるパレスチナ人に対する攻撃の予防も、これらの罪を犯すイスラエル国民に対する適切な法の執行もまったくできていません。

a. 女性が被る影響

暴力の事例には、女性が検問所で待っている時や仕事を終えて徒歩で帰宅する途中に発生する単発的な事件もあれば、長年にわたって、隣接する入植地〔住民〕からの暴力行為やその脅威にさらされているという継続的な事例もあります。このような地域社会では、ヘブロンおよびアシーラ・アル=・キブリーイェからの証言が示すとおり、女性は、自分自身、家族、隣人、所有物、家畜などに対する攻撃に何年間も耐えてきました。

イスラエル兵の駐留は、パレスチナ人の女性にとっては安心をもたらす存在でも保護してくれる存在でもありません。この報告書で紹介している、入植者による暴力事例の多くにおいては、兵士は入植者による暴力から女性を守ってはいません。ハドラがWCLACに述べたとおりです。「‥何人かの兵士が入植者のそばに立っていましたが、私たちを守るための何の行動もとってはくれませんでした。」ハリーマ(証言7)とファーティマ(証言6)の場合は、暴力行為の直接の加害者は複数のイスラエル兵と警官でした。パレスチナ当局がイスラエル市民を統制することはないので、パレスチナ人の女性は、暴力と嫌がらせに対してほとんどまったく何の保護もない状態に置かれています。MはWCLACにこう語りました。「状況は悪くなる一方です。でも、誰にも何もできないのです。」

ほとんどの場合、女性は夫に助けを求めることもできません。〔占領下の〕パレスチナではそれが普通です。助けを求めた結果、〔行動を起こした〕夫が逮捕・勾留されることになってしまうからです。ハリーマがイスラエル兵に襲われていたとき、夫と息子は見ていることしかできませんでした。「私も、家の窓から、私を助けるすべもなく見つめている息子たちと夫のことが心配でした。彼らは、理由もなく逮捕しかねない兵士らが恐ろしくて動けなかったのです。」

イスラエル人入植者や兵士からの暴力は多くのさまざまな影響を女性たちに及ぼします。たとえばハリーマのケースでは、襲われたときに手首に大怪我をしましたが、それだけでなく、怪我をした結果、就労することも家事をこなすこともできなくなり、自分も家族も、経済的社会的な打撃を被ることになりました。入植者による暴力と嫌がらせに日常的にさらされていることから生まれるストレスと不安によって、女性の体に影響が出るケースもあります。ハナー・アブー・ハイカルは次のように説明しています。「私も姉妹も母もみな、さまざまな病気に悩まされています。日常的に被っている困難のせいだとしか思えません。」

WCLACはまた、暴力と嫌がらせを受けている女性の心理と情緒にも深刻な影響が及んでいることをつきとめています。多くの女性が恐怖と不安にとりつかれたままになっています。被害にあった女性の中には、攻撃がまた起きるのではないかという恐怖感から、それ以前のような暮らしを営むことができない、とWCLACに話す人もいます。ここに証言1として記録されているアーヤートもその一人です。彼女はWCLACに、襲撃後は、襲撃が繰り返されることをおそれて、受けていた講習に行くのをやめたし、家からまったく出る気にならないと述べました。イスラエル兵から脅かされ、入植者からは日常的に嫌がらせを受けていたファーティマは、自宅にいてさえ不安でならないけれど身を守るすべは何もない、と聴き取り調査で述べました。「兵士の姿を目にしたり大きな音を聞いたりするたびにパニックに陥ります。我が家を出て、どこか別のところで暮らしたいぐらいです。」

女性たちはまた、日常的な暴力と嫌がらせが子どもに及ぼす影響についても心配しています。幼い子どもが暴力にさらされているのに、母親には守ってやるすべもないという場合があります。Mは、侵入する入植者に対処するため兵士が村にやってきたときに催涙ガスを浴びた娘の様子について述べています。「私が末娘の様子を見に行くと、娘は口のまわりを泡だらけにして泣いていました。催涙ガスのせいだったと思います。私は娘が心配で恐怖のあまり叫びだし、大声で夫を呼びました。」アシーラ・アル=・キブリーイェのハドラは、その証言の中で、幼い娘の受けた影響について述べています。「末娘のルバーは1歳半で、やっとかたことで話し始めたところですが、窓を指差して『入植者、入植者』と言い、家の周囲で物音がするたび泣き始めます。」

b. 入植者の暴力

パレスチナ人市民とその財産に対する暴力行為は、2008年と2009年にも継続しており、責任者を取り調べて法の裁きを受けさせる努力には何らの改善も見られません。イスラエルは2009年中、入植地を拡大するために、国際人道法に違反してパレスチナ人市民の財産没収を続行しました。1967年以降、歴代のイスラエル政権は、被占領地において国際人道法違反の入植政策を続けてきました。2005年9月には、ガザからの一方的撤退と入植地の明け渡しに続いてガザから西岸に移転した入植者とイスラエルからの入植者4,700人を含めると、西岸の入植者数は5.3%増加しました。2008年末までには、西岸入植者の人口は479,500人となりました。2008年には、イスラエルの人口は1.8%増加しました。しかし、同年、入植地の人口増加率は5.6%で、そのうち40%は、イスラエルと海外からの流入によるものです。入植地の拡張と入植者人口の増大に伴って、周辺のパレスチナ人地域社会に対する入植者による暴力も増大しています。

2009年の包括的な統計はまだありませんが、パレスチナ人とその財産を標的とする、入植者がかかわる事件数は増加しているものと見られます。2008年1月から10月までに国連人道問題調整部が記録した事件は290件で、前年、前々年に比べて増加しています(2006年182件、2007年243件)。同様に、入植者が関わる事件により2008年に死傷したパレスチナ人の数は、2006年、2007年をそれぞれ上回ります(2008年131人、2006年74人、2007年92人)。

西岸入植地における新規住宅建設を10カ月間の期限つきで凍結する(ただし東エルサレムの入植地は除外)という2009年11月下旬のイスラエル政府の発表が入植者の反発を招いている中で、パレスチナ人地域社会に対するイスラエル人入植者による攻撃はさらに増加することが懸念されています。国連人道問題調整部は、2009年11月25日から12月8日までの2週間に10件の事件を記録しました。その大半は西岸の北部で発生したもので、入植の凍結に対して抗議する入植者らによる、幹線道路を走行するパレスチナ人の車両に対する投石事件でした。

2009年12月11日に、イツハルのイスラエル人入植者の集団が西岸ヤースーフにあるモスクに放火しました。放火犯はまた、建物の床にヘブライ語の脅し文句をスプレーで吹きつけましたが、中には「全員焼いてやる」というものもありました。

先に述べたように、イスラエルは、慣例法を反映させたハーグ条約第43条に基づいて、西岸における公衆の秩序と安全を保証する義務を負っています。さらに、「残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い」に相当する暴力行為が公務員等(治安部隊を含む)の黙認の下、私人によって行われる場合、イスラエルには拷問禁止条約第16条に基づいて、そのような行為を予防する義務があります。WCLACは、報告書にまとめた事例の多くは、当該の女性に対する残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱いにあたると確信しています。

WCLACが記録した事例の多くはヘブロン地域とナーブルス周辺の村々に集中しています。入植者が原理主義や過激主義を信奉していて、地元のパレスチナ人住民に対して暴行を働いたりパレスチナ人の財産に損害を与えたりする傾向が強いところです。男性が仕事に出かけて留守になっている日中、女性は通常家にいて子どもや身内の高齢者の世話をしているので、特に攻撃を受けやすいのです。

ヘブロンの事例

ヘブロンは、人口17万人を超す西岸最大の工業都市です。約500人のイスラエル人入植者がこのヘブロン旧市街中心部のさまざまな入植地に居住しており、別に7,000人が同市郊外のもっと大規模な入植地に住んでいます。オスロ合意の一環として、この市は二つの部分に分割されました。H1地区はパレスチナの管轄、H2地区はイスラエルの管轄です(この事情の下でも国際人道法上のイスラエルの責任は不変です)。H2地区のパレスチナ人住民の生活と移動に対しては、入植地周辺の旧市街中心部と入植地へのアクセス道路に100を超すバリケード、フェンス、壁、検問所を設けられるなど、苛酷な制約が課されています。こうして、ユダヤ人入植者とパレスチナ人住民は隔離され、パレスチナ人住民の大半が移動の自由を厳しく制限されています。H2地区では、イスラエル人のみに運転の自由が与えられ、パレスチナ人には許されていません。この制約と暴力のため、また長引く外出禁止令のため、旧市街は広範囲にわたってさびれています。大きな商店街もいくつか軍令によって閉鎖されました。移動の制限は、雇用と教育の機会に直接的な影響を及ぼしています。アーヤート(証言1)は、入植者から暴行を受けたことが原因で、以前受けていたベツレヘムでの講習に通うのをやめたと述べています。

入植者の暴力によって医療を受ける権利に影響が及ぶ例は、証言3に示されています。ハナー・アブー・ハイカルはその証言の中で、自宅の近所では車の使用が認められていないために、高齢で病身の母親を病院や医者のところに連れて行く際に必要となる、救急車を手配する手続きについて説明しています。

入植者の暴力、そして暴力に対する不安は、ヘブロンに住む多くの女性にとっては日常生活の一部となっています。WCLACがヘブロンで記録した事例は、女性が日々経験している恐怖の雰囲気を、女性の暮らしに対するさらに広範囲な影響とともに伝えています。また、入植者の流入とその暴力に起因する医療、教育および就労の機会の制約に関する証言もあります。

証言1
アーヤート・アブドゥルカリーム・イブラーヒーム・ジャァバリーの証言

場所:ヘブロン、ワーディー・アル=フサイン
聴き取り日時:2009年4月13日
入植者による暴行の発生した日時:2009年3月15日

アーヤートは25歳で、ヘブロン東部、イスラエル入植地ギヴァアト・ハァヴォートとキルヤト・アルバーに隣接する地区で家族・親族と暮らしています。彼女は、自分たち家族と財産に対する入植者からの長年にわたる日常的な暴力について語りました。この証言では、2009年3月15日の夜、ベツレヘムでの講習会から妹と一緒に帰宅する途中で襲撃されたときのことについて説明しています。

「私たちは、タカッルブ・バイナ・アル=シュウーブ[訳注4]と呼ばれるセンターで開催されたビデオの撮影と制作のコースを受講し、帰宅するところでした。家まで10メートルほどのところまで来て、15歳以上のいろいろな年齢の入植者30人ほどがシナゴーグ[訳注5]として使っているテントから出てくるのが見えました。ギヴァアト・ハァヴォートの方角に歩いて行くところでした。入植者が我が家の前を通ることがわかっていたので、私と妹は足を速めました。彼らはすぐさま私たちに向かって投石を始め、ヘブライ語で何か言いましたが、私はヘブライ語がわからないので、意味が通じませんでした。私を罵っているみたいでした。私たちは走って逃げようとしましたが、その瞬間、石が私の頭に当たって顔に電気ショックのような衝撃を感じて、たちまち意識を失いました。

訳注4) タカッルブ・バイナ・アル=シュウーブ [民族間アプローチセンター]
訳注5) シナゴーグ [ユダヤ教の礼拝所]

あとで妹のスハイルから聞いたのですが、私が意識をなくして地面に倒れこんだので、妹は家族に連絡し、家族が赤新月社の救急車を呼びました。救急車は現場に来たけれど、イスラエル兵に1時間以上引き止められたそうです。兵士は、その地区でのパレスチナ車両の移動を制限するイスラエルの規則に従わせたのです。

妹が言うには、私たちに投石した入植者は入植地のギヴァアト・ハァヴォート地区の方角に立ち去ったそうです。私が50分ぐらいして意識を取り戻したとき、助けようとして周りの人々がヘブライ語で私に話しかけているのが目に入りました。私はとてもこわかったし、起き上がれませんでした。それから父をはじめ家族が何人かいるのが見えたので少し安心しました。聞こえてくる言葉から周囲の人々がイスラエル人だとわかって〔不安を感じて〕いたからです。妹は、イスラエルの医療班が到着してその場で応急処置を施してくれたのだと言いました。医療班は注射をするために私の服の右袖を切り取って、ゴムバンドでとめました。意識が戻ったとき、父が、歩いてみなさい、と言うのが聞こえました。父は、イスラエル人医療班の指示を私に通訳しているのだと説明しました。私は答えることができず、何度もやってみたけれど起き上がれませんでした。

午後8時頃になってようやく兵士らに通行を許された赤新月社の救急車が到着しました。私が様子を眺めていると父がそう話してくれました。私は取り乱し、疲れきっていました。父たちが私を救急車に運び入れ、ヘブロンにあるなじみの官立病院に搬送されました。母と妹のスハイルが一緒でした。

私は救急医療室に運ばれて応急処置を受け、頭部のX線撮影を受けました。幸い、〔診察の〕最後に、頭蓋骨は骨折していないと言われました。しかし、医師が心配したのは頭部に柔らかい部分があり、水のような液状のものがたまっているように見えることでした。医師が母にそう話しているのが聞こえました。医師は、鎮痛剤は使わないようにと言い、また、翌日の午前10時にもう一度病院に行くことになっていたのですが、それまでは飲んだり食べたりしないようにと言いました。

私はその日の夜10時に病院を出ましたが、手当をしてもらったのにひどい頭痛がしました。家に着いたときは疲れていて、夜通し眠れませんでした。それ以来慢性的に頭痛がしていて、特に太陽光にさらされると痛みます。集中力がなく、もの忘れをします。また、その事件の2、3日後に2度、意識不明になりました。その上、恐怖感が消えません。家を出るときは必ず恐怖を感じるし、家の中でも外でも日常生活を正常に送れず、ずっと通っていた講習もやめました。ヘブロンで別の教育実習の講習も受けていましたが、それもやめました。いつも入植者と投石を想像し、周囲を見回してばかりいます。家族が言うには、私は夜中にうわ言を言い、うめき声を出していたそうです。私は家族のことも心配で、私か家族の誰かの身にこういう事件がまた起こりそうで不安です。いつも、家族が全員帰宅しないうちは、動揺して心配になります。私が意識を失ったとき、妹は私が死んだかと思ったそうです。妹はいつも私のことを案じていて、何度も何度もキスしますし、彼女が泣いているところを何回も目にしています。どうしたの、と繰り返し聞いてはみますが、私にはわかっています。妹は、目の前で私が倒れた場面や姉は死んだと思いながら医療班の作業を見つめていた場面を思い出しているのです。医者には何度も行きました。これからどんな暮らしになっていくのかまったくわかりません。

イスラエル当局には何も報告していません。とてもストレスの多い手続きになるでしょうし、他の人から聞いた話からすると、報告してもどうにもならないと思います。」

(次号予告:シリーズ【1】─暴力(2/4)-へブロンの事例続き-証言2と証言3

原文

A 2009 report on Israel’s human rights violations against Palestinian women


訂正1(2010年12月27日):前文第2パラグラフ5行目に閉じ括弧、」、を加えました。
 訂正前:空間的扼殺)→訂正後:空間的扼殺)」
訂正2(2011年1月3日):前文第3パラグラフ6行目の事務局長名を正しました。
 訂正前:マハ・アブダヴィエ→訂正後:マハー・アブー・ダイィエ
訂正3(2011年2月7日):前文で予告したシリーズ3の表題について、
原文を再検討の結果、次のように改訳し、訂正しました。  訂正前: 住居と家族の離散  訂正後: 居住権の侵害と引き離される家族