◎女たちの証言--占領下パレスチナで生きるということ
このシリーズ「パレスチナの女性の声」はWCLAC(女性のための法律相談センター)の2009年報告書の翻訳です。「空間的扼殺」とも形容される占領下で、日常的暴力と人権侵害に苦しむ女性に対する聴き取り調査に協力した19人の女性の証言をお届けしています。
3回目の今回の内容は「暴力-入植者の暴力-ナーブルスの事例」の二つの証言と入植者の暴力についてのまとめです。前ニ号に続き、パレスチナ人住民に対して入植者が加えている暴力-放火、投石、発砲を含む-についての証言が行われ、暴力行為が事実上野放しになっていることも明らかにされています。
報告書は「暴力」のあと、「移動の自由」「居住権の侵害と引き離される家族」「家屋の取り壊し」と続きます。
シリーズ全体の前書き:岡真理、向井真澄/TUP(TUP速報869号をご覧ください)
翻訳:岡真理、キム・クンミ、寺尾光身、樋口淳子、藤澤みどり、向井真澄/TUP
凡例 [ ] :訳注
〔 〕: 訳者による補い
(英文報告書:http://www.wclac.org/english/publications/book.pdf )
パレスチナ女性に対するイスラエルの人権侵害報告書– 2009年度版
シリーズ【1】─暴力 3/4 入植者の暴力 > ナーブルスの事例
ナーブルスの事例
WCLACは、ヨルダン川西岸北部のナーブルス付近の地区での事例も記録してきました。アシーラ・アル=キブリーイェ、クフル・アル=デイク、ブリンなどのナーブルス周辺の村々は、付近のイツハルやザハヴなど近隣の入植地〔住民〕からの攻撃を日常的に受けています。
証言4
ハドラ・アブドゥルカリーム・アフマドの証言
場所:ナーブルス、アシーラ・アル=キブリーイェ
聴き取りの日時:2009年7月2日
事件発生の日時:2009年6月29日
ハドラは、夫のイブラーヒームと6人の子どもたちと一緒に、西岸の町ナーブルス近郊のアシーラ・アル=キブリーイェの村に住んでいます。自宅は、イツハルというユダヤ人入植地のある丘の中腹にあります。また、自宅から約300メートル離れたところにはイスラエル軍の駐屯地もあります。ハドラは、2000年以降、放火、山羊の窃盗、村の建造物への落書きなど、入植者からの攻撃が繰り返し発生している様子をWCLACに説明しました。これは、そのうちの一つの事件についての証言です。
「2009年6月29日、子どもたちは家の外で遊んでいました。私は家の中にいました。突然、入植者が現われました。15人ぐらいいて、家に向かって発砲と投石を始めました。夫はこの時家の中にいたのですが、子どもたちを連れ戻すために外に出ました。そこで目にしたのは家を取り巻いているイスラエル兵で、兵士は入植者を守っていたのです。夫は司令官に、入植者はうちの周りで何をしているのかとたずねました。司令官は夫に、何も質問するなと言いました。
夫と子どもたちが家の中に入るやいなや、入植者は火炎瓶を隣家に向かって投げ始めました。火炎瓶は窓やドアにあたって小規模の爆発が発生しましたが、家の外でのことでした。ボヤが発生しましたが、幸い自然に消えました。火炎瓶は怖かったです。どれほど頻繁に起こっても、それに慣れっこになることはないようです。
入植者の中には女や子どももいました。家の外にはものすごい人数の入植者がいて、大勢が私たちに向かって大声で口汚く罵るのが聞こえてきました。ある者は預言者ムハンマドを冒涜し、またある者は侮辱的な言葉をわめいたり、私たちを汚らわしい売春婦と呼んだりしました。彼らが「アラブ人に死を」と唱和するのが聞こえました。みんな怯えていましたが、子どもたちは特に怖がっていました。この間ずっと、兵士は入植者のそばに立っていて、私たちを守るそぶりもありませんでした。むしろ、入植者に立ち向かおうとしたり、入植者を止めようとしたりするパレスチナ人は誰であろうが逮捕する構えでした。
末娘のルバーは1歳半で、やっとかたことで話し始めたところですが、窓を指差して『入植者、入植者』と言い、家の周囲で物音がするたび泣き始めます。
イスラエルの人権団体ブ’ツェレム (B’tselem)は、入植者が私たちを襲撃するときに事件を記録できるようにビデオ・カメラをくれました。記録したところで大した違いはなく、入植者はむしろ悪意をつのらせただけでした。夫は、イツハルからやって来る入植者たちについてイスラエル人に苦情を申し立てました。フワーッラのDCO[イスラエル地区連絡事務所]に行って陳述を行ったのでしたが、どうにもなりませんでした。」
証言5
MAの証言
場所:ナーブルス、アシーラ・アル=キブリーイェ
聴き取り日時:2009年7月27日
「2009年7月23日、午後5時半頃、15~20人の入植者がイツハルから丘を下って我が家に向かってきました。子どもたちは外で遊んでいました。兵士も入植者に同行して村にやってきました。入植者が村に向かっているという知らせを聞いて他の村人たちも集まりました。入植者は私の家から10~15メートル離れたところに立っていました。彼らは付近の民家と集まっていた村人の一部に対して投石していました。幸い、その日は、石は誰にも当たりませんでした。入植者の中に一人、頻繁に村にやって来るので顔を知っている男がいました。40歳を超えていて、もみあげが長く、顎鬚を長く伸ばした男です。誰かわからないようにTシャツで顔を隠している入植者が三人いました。それから兵士らが音響手榴弾や催涙ガス弾を発砲し始めました。私は子どもたちを思ってとても怖くなりました。特に8歳の息子アフマドのことが心配でした。彼は入植者に怯えています。襲撃を受けるたびに泣くのです。
Mもアシーラ・アル=キブリーイェに、夫と6人の子どもたちと暮らしています。末娘Hは、Mが2009年7月にWCLACのインタビューを受けたときはわずか4歳でした。ハドラと同じく、彼女の自宅はイツハル入植地の近くにあります。Mも、入植地の住人から村に対してかけられる日常的攻撃や、子どもたちが外遊びする時に感じる恐怖と不安について説明しています。彼女はWCLACに対して、2009年7月23日、入植者が村に入ってきたときに発生した事件について語りました。
下の子ども三人は家の中にいましたが、年上の息子三人は外にいました。それで、息子たちの身が心配になって、彼らを家の中に連れ戻すために外に出ました。兵士らが音響手榴弾を撃ち始めたとき、私と義妹は子どもたちを呼び集めようとして外にいました。その弾の一つが私の足元に落ち、さらに、私たちの周りにいた人々のところにも弾が、たぶん三つか四つぐらい落ちました。私も義妹も怯えました。なんとか、12歳の息子と一緒に家に戻ることができましたが、その瞬間兵士らは私の家の近くで催涙弾を撃ち始めました。私が末娘の様子を見に行くと、娘は口のまわりを泡だらけにして泣いていました。催涙ガスのせいだと思います。私は娘が心配で恐怖のあまり叫びだし、大声で夫を呼びました。そこで夫はベッドにいた娘を外に連れて行きました。夫は娘を兵士らに見せて、自分たちがしたことのせいで娘がどうなったか、その目で確認させたかったのです。でも何にもなりませんでした。兵士らは催涙弾を撃ち続け、夫とは言葉を交わそうとしませんでした。
夫が娘を連れて行き、私は息子のAと娘のBと一緒に外までついて行きました。夫がHを兵士らに見せた後、私は夫の手からHを引き取って、AやBと一緒に、村の丘を少し下ったところにある子どもたちの叔父の家に連れて行きました。催涙ガスから遠ざけるためでした。家を出るときにはまだ催涙ガスの臭いが漂っていて、軍のジープが何台か村を走り抜けてこちらに向かってくるのが見えました。隣家の前を通って戻ってくると、隣人が、私の母を預かっている、催涙ガスの影響を受けて気を失っている、と言いました。母はうちに来ようとしていたのです。私はぞっとして、母のことが本当に心配になりました。私が隣家に入っていくと、母はひどく青ざめて震えていました。
私は母に『どうして来たの。こっちに事件が起こっているときには来てはだめと言ったのに』と言いました。母は、私のことが心配で事件が発生したと聞くと私に会いに来ずにはいられなかったと言いました。誰かが救急車を呼び、到着すると、呼吸を補助するために母に酸素吸入をさせました。私は救急隊員に娘の処置をしてほしかったので、50メートル離れた叔父のところに娘を連れに戻りました。彼らは娘の血中の酸素濃度を調べて、大丈夫、室内ではなく屋外にいさせなさい、と助言してくれました。兵士たちは日没までその地区にとどまり、入植者らは村に戻ってこないで村を見下ろす丘の上にとどまりました。その夜は、不安が嵩じて眠れませんでした。入植者が村に戻ってくると思いました。
状況は悪化していますが、誰にも何もできません。夫はイスラエル当局に出向いて、村での入植者たちの振る舞いについて苦情を申し立てました。2009年のはじめのことです。でもどうにもなっていません。」
責任追及の欠如
イスラエルは、締約国には規約違反の犠牲者に対する効果的な救済措置を確保する義務がある、とする市民的及び政治的権利に関する国際規約第2条に基づく義務を履行できていません。WCLACの経験によれば、入植者からの攻撃を受けたパレスチナ人被害者は、保護をほとんど提供することなく入植者らの行為に刑事免責を与えている法執行制度を信頼しきれないため、苦情の申し立てをためらっています。被害者は、入植者に対する苦情を申し立てるともっと嫌がらせを受けたり報復されたりするのではないか恐れており、苦情申し立ての際にイスラエル警察による嫌がらせや脅しにさらされることを恐れています。
イスラエルの人権団体であるイェシュ・ディーンが包括的監視プロジェクトを実施して、西岸(サマリア・ユダヤ地区(SJ地区))でのイスラエル警察の調査活動を取り上げ、パレスチナ人からのイスラエル市民に対する苦情について調査しました。その結果、西岸では、パレスチナ人に対して危害を加えるイスラエル人入植者に対しては概して法の下での取り締まりは行われていないことがわかりました。「見せかけの法:西岸のイスラエル人市民に対する法執行」と題する報告書は、「イェシュ・ディーンによる監視活動の結果、パレスチナ人とその財産を攻撃したイスラエル人市民に関するパレスチナ人からの苦情に対するSJ地区警察による調査は、完全な失敗であることが明白となった。申し立てのあった苦情の90%について、警察は、調査の打ち切りまたは苦情の消滅という処理で済ませている」と結論づけています。
原文
A 2009 report on Israel’s human rights violations against Palestinian women
次号予告:シリーズ【1】─4 政府関係者の暴力
訂正 (2011年2月7日):前文で予告したシリーズ3の表題について、原文を再検討の結果、次のように改訳し、訂正しました。
訂正前: 住居と家族の離散
訂正後: 居住権の侵害と引き離される家族