◎メガリークの衝撃:ロンドンで聞くエジプトの声 (その7)
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刻々と変化するエジプト情勢から目が離せず、家にいる限りはテレビをつけっぱ
なしにしてウォッチングしています。それらの一部をタイプして自分のブログ
http://newsfromsw19.seesaa.net/
に掲載し、TUPのMLにも流したところ、メンバーからTUP速報の読者とも共有
しようとの提案があってシリーズで速報することになりました。今回は第七弾を
速報します。
[注| 今号は全体の半分ぐらいがイギリスに関する内容で、その部分はエジプトに
は直接関係ありません。興味のないかたは飛ばしてください。文末に先週末、イ
ングリッシュ・アルジャジーラで放映したドキュメンタリー『エジプトが燃えて
いる』(英語・字幕なし)へのリンクがあります。民衆蜂起が始まった1月25日
から5日間の記録で、この蜂起に自発的に加わったエジプトの人たちの姿が見ら
れます。この蜂起の最中、アルジャジーラのカイロ・オフィスは何者かに火を点
けられ、何人ものジャーナリストが拘束されました。死体置き場の映像が一カ所
あります。ご注意ください。
第一弾~第五弾(速報875号~880号)はTUP速報のホームページでお読み下さい。
https://www.tup-bulletin.org/modules/contents/index.php?content_id=907
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https://www.tup-bulletin.org/modules/contents/index.php?content_id=909
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藤澤みどり/TUP
<第11信>
2011年02月06日
革命なう@エジプト第12日+多文化主義ファンとして
あらかじめ白状しておくと、わたしはこの<革命なう@エジプト 第12日(土曜日)>の記録を、日曜日の朝(第13日)に書いている。メモはとっていたものの、どうしてもまとめることができなかった。あまり心穏やかでない要素がいくつも重なっていたので、ともかく一日が平穏に終わって欲しいと願っていた。
そして、真夜中(GMT)をだいぶ過ぎ、ムスリム同胞団がスレイマン副大統領の呼びかけに応じて話し合いのテーブルにつくことを了承したとのニュースを聞いてから寝た。
というわけで、すでに速報ではないので俯瞰的に。
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第8日(火)に、エジプト全土で百万人以上が路上に出るという巨大な示威行動があった。しかし、その成果は、行動の大きさにまったく見合わない「ムバラク大統領の時期大統領選不出馬」という貧弱な果実しかもたらさなかった一方で、ムバラク支持派の予想もしない勃興というネガティブなかたちで表れた。まったく自発的でないその集団は、自発的でないからこそ行動で忠誠を示そうとするかのように残虐で、プロテスター側に新たな死者と大量の負傷者をつくるだけでなく、海外のメディア関係者やNGOスタッフにも容赦なく襲いかかった。目撃者の組織的な排除を見て、ジャーナリストたちが「天安門」という言葉を口にするようになった。
そして第11日(金)、プロテスター側はこの日をこの<革命>のD-Day(大規模攻撃開始)と位置づけ、再び巨大な群衆で広場を埋め、金曜礼拝のあとに路上に繰り出した。しかし、それをもってしても得られた成果は与党NDPの執行部辞任(ムバラクの息子のガマル含む)だけで、目標とする大統領の辞任はならなかった。じゃあ、次は何をすればいいんだという閉塞感がジャーナリストのあいだにさえ漂い始めた。抗議行動が始まって以来、ずっとカイロに張り付いているBBCの女性レポーターは、「どうしてこんなにちょっとずつしか譲歩しないのか。これがエジプト流なのか」と苦笑いしていた。
第12日(土)の夜中を回ってから、ムスリム同胞団が政府との話し合いに応ずることに決めたのは、<革命>を前進させるには次の一手をプロテスト側が出すしかなかったからでもあるだろう。4月6日ユースムーブメントはあくまでも大統領の辞任が先であるとして、ネゴシエーションには応じない方針だとアルジャジーラが報じた。
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土曜日は、まず天気が悪かった。広場でのプロテストは屋外であるから天候の影響を受けやすい。最初からテントを張っている人もいたが(子連れで泊まり込んでいる家族などはそうだ)、広場を俯瞰した映像を見るとテントの数はそう多くなく、ほとんどは寝袋や物陰に潜り込んで寝ているようだった。まだ数千人が広場で夜を明かしているという。
午前中はくもりで風が強く、午後になって細かい雨が降り出した。エジプト・スタンダードでいうとけっこうなお湿りだとBBCのレポーターが言うのを聞きながら、つまり、イギリス・スタンダードだと雨のうちには入らない程度ということかと思ったりした。めったに降られないエジプト人と日常的に降られているイギリス人の行動が同じというのがおもしろかった。だれも傘を差していない。
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金曜日の巨大示威行動でガス抜きはすんだと政府は判断したのか、広場のプロテスターに対して帰宅するようにとのウォーニングが改めて出された。同時に、ムバラク支持派の進入を阻んでいたバリケードを軍が撤去し始め、また戦車や軍用車の移動が始まった。
これに対し、プロテスター側は文字通り、体をはっての阻止行動で応じ、バリケードや戦車の前に座り込み、横になり、その移動を封じた。戦車の前にテントを張る者や戦車のキャタピラーの間に陣取る人までいる。軍は丸腰の市民に銃を向けないという絶大な信頼があればこその行動だということは頭では理解できるが、キャタピラーの間で眠る子どもの映像などみると、頭の隅に天安門がちらつく。
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広場で夜を明かすハードコアなプロテスターとは別に、夜は家に帰り、朝になると通ってくるプロテスターも多い。広場への入場にはあいかわらず厳しいチェックが必要でいつも長蛇の列ができる。人々は辛抱強く並んで待っていて、これはエジプト・スタンダードだと珍しい現象らしい。プロテストへの参加がエジプト人の素行を良くしてる?
泊まり込んでいる者もずっとそうしてしるわけではなく、食べ物を調達したりシャワーを使ったりするために時々家に帰るという。でも、広場の外でムバラク支持派によるプロテスターの拉致が始まっているので、広場から出るのが怖いと若い女性がインタビューに答えていた。
どうして広場に居続けるのかとの質問に対して、ある男性は秘密警察に捕まって拷問を受けたことがあると言い、家族にも友達にも捕まって拷問を受け、なかには死んだ者もいると続けた。いまのいま、拷問されている者もいるんだと涙声で訴えるこの男性は、カメラに顔が映らないようにしていた。過去1週間ぐらいのあいだで、直接レポーターにインタビューされて顔を見せないプロテスターを初めて見た。この人が特例なのか、ムバラクが政権を去らないまま、運動が崩壊した場合を恐れてかわからない
が、話を聞いているうちに不安が伝染してきた。
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1番下にアルジャジーラ・イングリッシュが5日土曜日夜7.30(再放送は翌6日日曜日同時刻)で放映された<エジプト革命(仮)>のドキュメンタリー『Egypt Burning』のリンクが貼ってあります。イギリスの話に興味のないかたは途中飛ばして終わり近くまで進んでください。
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イギリスなう>
ミュンヘンで開催中の国際防衛会議で、デイヴィッド・キャメロン首相が「イギリスの多文化主義は失敗した」と演説した。ドイツのメルケル首相が去年、似たような演説をしているので、「なんだよ、サッチャーの次はメルケルのまねかよ~」とげんなりしつつ、ものすごく気分が悪い。
スピーチの一部を聞くと、移民が移民だけで固まって暮らしていてイギリスの文化になじまず、元からの住人とのあいだに溝ができているなどと言うが、それをもって「多文化主義の失敗」とは話が大き過ぎないか。確かに、同じ地域の出身者ばかりで暮らしていると言葉を覚えないし、言葉を覚えないと役所の書類ひとつ読めず、例えばバングラディッシュなどからアレンジマリッジで渡英した女性たちが夫の支配(時にはDVを含む)に縛り付けられているといった事例はある。
それなら、まず言葉ね、で、そういう移民難民のための英語教室(福祉の対象者は無料)があっちこっちのカレッジに用意されていて、供給が需要に追いつかないぐらい人気があった。が、現政権の大幅予算カットでクラスの維持さえ難しくなっている現実に、キャメロンはどう答えるつもりだろう。
さらに、多文化主義によって甘やかされているせいで、移民がブリティッシュネス(英国人らしさ)を身につけることができないという。なによ、ブリティッシュネスって。キャメロンに言わせれば平等とデモクラシーと調和なんだそうだけど、イギリス人のあいだでさえ価値観はばらばらだ。新聞と言えば『サン』(イギリスで最大発行部数を誇るタブロイド紙、毎日女性のヌードが掲載されているので有名)しか読まないオヤジの頭の中に、男女平等の概念がどのぐらい入っているか。
わたしに言わせれば、このばらばらさ加減こそがブリティッシュネスだ。人の頭の中は本人に聞くまでわからないってことが多くの人に了解されていて、ばらばらだから常に議論がおき、議論を重ねて妥協点を見つけていく。めんどくさいけどおもしろい。多文化であるからこそこの国はいつまでもおもしろい。(ただし、これはロンドンなどの大都市だけかもしれない)
結局このスピーチでキャメロンが言いたかったのは、まあ、防衛についての会議だから最初からそれが目的なんだろうけど、イギリスで生まれ育ったイスラム過激主義者が増加していて、イギリス国内のムスリム社会がそれを押さえ込めていない。だからもうイスラム社会に税金を使わないってことだった。これが事実かどうかはとりあえず置いておく。もし事実であったとして、その原因を「多文化主義の失敗」に押しつけるのはいかにも話が違う。
ムスリムの移民二世三世の一部が過激化したのはなぜか。イギリス兵がイスラム国家に行って市民を殺しているからじゃないのか。ムスリムの尊厳を奪っているからじゃないのか。IRAが増加したから「血の日曜日」が起きたんじない、「血の日曜日」があったからIRA志願者が増えたんだってことを、まさか首相が知らないわけでもあるまい。
そんなわけで、キャメロンの「イギリスの多文化主義は失敗した」だの「ブリティシュネス」礼賛だのは無責任なバズワードに過ぎないのだが、間が悪いことにそれが肉体化してしまったのがこの土曜日だった。
この日、わずか20ヶ月前にスタートして以来ぐんぐん勢力を伸ばしている極右のレイシストグループのイギリス防衛同盟(EDL)が、いままでで最大の示威行動を行った。舞台になったのはロンドンの北方にあるルートンで、EDLが生まれた地でもある。イギリス各地から集まった約3000名のメンバーに、大陸のレイシストグループからのハードコアなゲストを加え、おもにムスリムをターゲットにした人種差別的なチャンティングを叫びながら町を練り歩いたらしい。
そして、口々に、「キャメロンはわれわれの側にいる」「われわれこそ真の愛国者」とお祭り騒ぎ。
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ムスリムが大多数を占める国、エジプトで、平等とデモクラシーと言論の自由を求める若者たちの<革命>が起きつつあるいま、自国の若いムスリムをレイシズムの犠牲にしかねない内容のスピーチを国際会議でしたこと。
前もって予定されていたレイシストグループの示威行動の日に、かれらを活気づけるだけのムスリム批判をしたこと。
ムバラク後のエジプトには、イスラム国家ではなく「多文化」を許容する寛容な国家になってほしいとみなが望んでいるときに多文化主義を批判したこと。
キャメロンは驚くほど狭い視野の世界に生きている。それとも、キャメロンの耳目の代わりを果たしていたスピンドクターが、前の仕事(タブロイド紙編集長)時代の盗聴事件絡みで首相官邸から去ったばかりだからか。
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エジプトのことよりキャメロンのスピーチが原因でとても気分の悪い一日だった。わたしはたぶんイギリスの多文化主義というなんだかよくわからないものがすごく好きなんだろう。
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夜中過ぎ、BBCのスタジオインタビューにムスリム同胞団のスポークスマンが登場。たぶん、これはロンドンで録画されたものだ。まだムスリム同胞団がスレイマンとの協議に応じると決める前だったような気がするが、そのあたりは曖昧。
インタビュアーに「ムスリム同胞団はこのプロテストには最初から関わっていたんですか」と質問され、ムスリム同胞団のかれ(名前忘れたけどいつも出て来る人)が言うに、「いえ、違います。最初に始めたのは若い人たち。わたしたちは後から加わりました」
これを聞いてどう受け取っていいかわからなくて困った。なにしろブルーだったので。
手柄を横取りせずに謙虚に事実を伝えた、というのがポジティブな解読。ユースのグループと距離を置いて現実路線をとった(=若者たちを捨てた)、というのがネガティブな解読。答えは遠からずわかるだろう。
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Egypt Burning — English Algazeela
記者の氏名は安全上の理由により伏せられています。
http://www.youtube.com/watch?v=w3FQXYdyHCg