TUP BULLETIN

速報883号 シリーズ「パレスチナの女性の声」【2】-1/3 [移動の自由の侵害-1]

投稿日 2011年2月9日

女たちの証言--占領下パレスチナで生きるということ
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このシリーズ「パレスチナの女性の声」はWCLAC(女性のための法律相談センター)の2009年報告書の翻訳です。スペィシオサイド(spaciocide、空間的扼殺)とも形容される占領下で、日常的暴力と人権侵害に苦しむ女性に対する聴き取り調査に協力した19人の女性の証言をお届けしています。


これまでの「暴力」に続く「移動の自由」を3回に分けて配信します。


移動の自由を享受している私たちには、パレスチナ人の移動の制限は想像を絶します。親族同士の行き来さえ不自由にしているばかりか、時に命に関わり、さらに「暴力」とも重なっている状況を、三人の女性が証言しています。今号では、状況説明と証言8を送ります。


報告書はこのあと「居住権の侵害と引き離される家族」、「家屋の取り壊し」と続きます。


シリーズ全体の前書き:岡真理、向井真澄/TUP(TUP速報869号をご覧ください)


翻訳:岡真理、キム・クンミ、寺尾光身、樋口淳子、藤澤みどり、向井真澄/TUP


凡例 [ ] :訳注
   〔 〕:訳者による補い

パレスチナ女性に対するイスラエルの人権侵害報告書–2009年度版
シリーズ【2】─移動の自由 1/3 移動の自由、女性が被る影響、証言8

移動の自由

西岸のいくつかの地域では2009年中に検問所が何カ所か撤去されましたが、被占領地での移動の自由という権利は厳しく制限され続けています。西岸は634個もの物理的障害物によって依然、往来を妨げられています。有人検問所、神出鬼没の“機動”検問所、盛り土、壕、道路ブロック、道路ゲートその他の障害物です。イスラエル軍は2009年8月31日の時点で常設検問所を西岸内60カ所に設置しており、その内18カ所はヘブロン市内です。また、軍がパレスチナ人の通行を(東エルサレム住民を除き)制限したり完全に禁止したりしている道が西岸全体に散在しています、イスラエル人は自由に通行させているのに、です。

国連人口基金(UNFPA)と国連女性開発基金(UNIFEM)によると、このような移動制限が出産前の母親たちに深刻な影響を及ぼしており、分娩施設へ向かう途中に難に会う事例は年間2500件と推定されています。パレスチナ人女性の多くが、医療施設にたどり着きたくても検問所を通過できないのではないかという恐怖にからだが反応して、リスクの高いさまざまな対処メカニズムが現れ、このことが分娩場所のパターンに大きな影響を及ぼしています。検問所、道路閉鎖その他の障碍によって、家庭分娩が8.2%増加し、女性の健康と新生児へのリスクを高めている、と報じられています。

パレスチナ人の移動の自由が制限されるのは、主として、西岸と東エルサレムに入植者がいるためです。検問所や他の障害物が設置されて、パレスチナ人の日常生活に甚大な影響を及ぼしている一方で、イスラエル人入植者はほとんど支障のない行き来が許されています。ヘブロンでは西岸のたいていの町とは異なり、市の中心部に検問所があります。そこにイスラエル人入植者がいるからです。入植者がいることによって、パレスチナ人の移動の自由が厳しく制限されるという結果がもたらされているのです。同様に前章で証言を挙げて紹介したような暴力の源になっています。ヘブロン旧市街の大部分の地域が多数のパレスチナ人から切り離されてしまい、また、そこに暮らす住民にはもっとも厳しい制限が課せられています。とりわけ女性がこれらの施策の影響を被っています。女性の生活はたいてい、外に仕事に行くというより自分の家を中心に回っていますが、検問所その他の移動の制限によって家族や近隣との基本的な社会的交流が不可能になっています。

分離壁がパレスチナ人の移動を制限するもう一つの原因になっており、パレスチナ人の社会や家族を分断し、正常な交流を妨げています。これはすべて市民的および政治的権利に関する国際規約の第12条に違反しています。第12条は「合法的にいずれかの国の領域内にいるすべての者は、当該領域内において、移動の自由及び居住の自由についての権利を有する。」と規定しています。いかなる制限も必要性が明らかでかつバランスのとれたものでなければなりません。国際人権規約によってもイスラエルは、占領者としての力の及ぶ限り、地域住民の安全と福祉を保証し、可能な限り生活状態を正常に保つことが要求されています。

移動の自由は、例えば経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約に規定されているような他の諸権利を行使するのに不可欠です。これらの権利には、労働の権利(第6条)、相当な生活水準についての権利(第11条)、教育についての権利(第13章)、それに家族生活に保護を受ける権利(第10条)などがあります。移動に制限が加えられることで、とりわけエルサレムにある専門病院にかかることが制限されることで、女性の健康の権利がどれほど侵害されているか、イーマーンの証言が教えてくれます(証言8)。イーマーンは、エルサレムにあるパレスチナ系の病院アウグスタ・ヴィクトリアで癌の治療を受けていましたが、エルサレムに入る許可証の期限が切れたために、ラーマッラーとエルサレムのあいだにある検問所で引き返させられたのでした。

移動の自由を制限することになる施策としてほかに、認可制度を通じてパレスチナ人を特定の地域にとどめておくための官僚的規則と施策があります。「西岸居住」の身分証を持つパレスチナ人がエルサレムに入るには、イスラエルから許可証を発行してもらわなければなりません。この許可証なしではエルサレムへの検問所を通してもらえません。このため、多くのパレスチナ人が宗教的な場所や病院に行ったり、親族や隣人知人を訪問することを妨げられています。同じように、パレスチナ人は家族や友人を訪ねるために西岸からガザへ行くことも、その逆もできません。これらの制度によって女性は家族や夫から分断されてしまっていますが、この問題は別に次の節で扱います。

移動の自由に対する制限はユダヤ人入植者には適用されないことに注意することが大事です。このような制限はパレスチナ人にしか適用されないのですから、この政策は民族的出自に基づくあからさまな差別です。ユダヤ人居住者は制限なしに入植地の出入りが許されています。このことは、人権はすべての個人に等しく適用されることを保証する国際人権規約の下でのイスラエルの義務に違反しています。

 

女性が被る影響

WCLACは、綿密な面接調査を実施し、移動の自由が制限されることで女性がどのような影響を被っているかを女性自身に語ってもらい、制限が女性とその家族に及ぼした社会的、文化的、経済的効果、および心理的、感情的影響を明らかにしてもらい、移動の自由の制限が女性にもたらす影響を文書にまとめました。証言8から10が、これらの政策が女性とその家族にもたらす被害を明らかにしています。WCLACが2009年にまとめたキファーヤの証言は、彼女と家族が直面している困難を物語っています。彼らはヒズマにあるイスラエルの検問所のせいで家族や地域社会から引き離されてしまっているのです。検問所が、必要な許可証を持っていないパレスチナ人の通行を認めないためです。以下のイーマーンの証言(証言8)、またキファーヤ(証言9)、リマ(証言10)による証言からわかるように、移動の自由への制限は、検問所、入植者の存在、特定の場所へ行くのに許可が必要とされることなど、多くの要因から生じていることが分かります。

以下に紹介する三人の女性たちの証言は、移動の自由に課された制限が女性の生活に及ぼす影響、その多様な態様を具体的に示しています。二人の女性はどちらも親族や、社会や共同体のつながりから切断されてしまっています。リマはヘブロン旧市街のテル・ルメイダ地区での暮らしがどのようなものか説明しています。同地区は1984年に建設されたイスラエルの入植地に相対しています。入植者がいるために、リマの住まいの周囲には現在、四つの検問所があり、リマの家を訪ねる者は、彼女が住んでいる通りに立ち入るためだけに許可が必要とされます。リマと家族は家の周りの通りを車で走ることはできないのに、近所のイスラエル人入植者にはそんな制限はなにもありません。リマは、日常的に入植者から受ける嫌がらせ、結婚した娘をはじめ家族が、許可がなければリマを訪ねることもできないこと、医者にいく親戚に付き添いたくて、ごく普通にその家を訪ねるのをイスラエル兵に妨げられたことについて語っています。家に閉じ込められ月に一回しか出られないこと、嫁いだ娘は過去十カ月にたった一回しか訪ねてこられなかったことをリマは述べています。このようにです。「ちょっと牢屋に住んでいるような感じですが、少なくとも囚人たちは親族訪問が許されています。私の親族はここ十カ月の間に我が家への訪問をたった一回しか許可されませんでした。そしてそれはラマダーン月[訳注6]の間の食事のためでした。そのためでさえ、私の五人の兄弟たちは同じ日に一緒に来なければなりませんでしたし、真夜中になる前に家を辞さなければなりませんでした(証言10)。」
[訳注6]ラマダーン月:ラマダーン月のあいだは、一日の断食が終わると、親族や友人が互いに訪ねあい食事を共にし、深夜まで賑やかに過ごすのがムスリムの習わし

キファーヤと家族の生活はほとんどすべての面でヒズマ検問所と許可制度、そしてそれらが彼らの生活に課す制限によって支配されています。子どもたちの教育、自分と子どもたちの診療のための外出、それに食料品を購入する店に至るまで、すべてが制限されています。キファーヤがどんな思いでいるか書いています。「・・・検問所が私たちの生活を惨めなものにしています。これが私の生活です、これが私の悲劇です、私と私の子どもたちの。どう対処したら良いのかわかりません。(証言9)」

健康の権利に及ぼす移動の制限の影響がどんなに残酷なものか、イーマーンの例が明らかにしています。病院へ行くことが生命維持に必要な場合や、それで命を救えるかもしれないという場合でも、複雑でなじみのない許可制度によって通院が困難となり、ときには不可能になることもあり、その結果イーマーンの健康に深刻な影響が出ています。

 

証言8
イーマーン・アターウッディーン・イスマーイール・アル=デイクの証言
場所:ナーブルスに近いクフル・アル=デイク
聴き取り日時:2009年4月20日

イーマーンは2009年4月にWCLACの現地調査員の面接を受けました。その数カ月後、WCLACの職員がイーマーンと会い、彼女が置かれている状況について話し合いました。イーマーンはあまり教育を受けていない31歳の若い女性で、2008年2月に肺がんと診断されるまで縫製工場で働いていました。診断されて後、イーマーンはナーブルスの病院に定期的に通わなければなりませんでしたが、その後、エルサレムのがん専門病院アウグスタ・ヴィクトリアに紹介されました。エルサレムの病院に行くのにイーマーンはイスラエルから許可を得なければなりませんでした。その煩雑な手続きはイーマーンが病気であること、読み書きができないこと、そして書類は彼女にとっては外国語であるヘブライ語で書かねばならないことによってさらに困難を極めました。イーマーンは2009年3月19日に病院に行きたかったのに行き着けなかったことを話しました。

「私たちが(ラーマッラーとエルサレムの間にある)カランディア検問所に着くと、病院の車が兵士たちに止められました。女の兵士が運転手に、乗っている人全員のエルサレムへの通行許可証をみせるよう言いました。半時間くらいして女性兵士が戻ってきて、許可証の内の一つが期限切れになっていると言いました。女性兵士は運転手にヘブライ語で話しました。運転手は患者皆に許可証の一つが昨日で期限切れになっており、その人の名はイーマーン・アターウッディーン・イスマーイール・アル=デイクだ、と言いました。私は運転手にそれは私の名前で、それは私の許可証ですと告げました。運転手は私に降りて帰れと言いました。私は運転手に女性兵士と話しに行くと言いました。車から降りて兵士に私は病人で疲れており胸も痛むと告げました。私は兵士に『見て、息をするのも難しいの。肺がんにかかっているっていう診断書も持っています。私の顔を見てください、疲れでむくんでいます、お願い、立ってバランスを取ることもできません』と言いました。兵士は『だめ、だめ、だめ、家へ帰れ』とヘブライ語で言いました。太陽がかなり暑く、頭に痛みを感じました。私が何度も何度もお願いしたので、兵士は戻って行き他の兵士にヘブライ語で話していましたが、こちらに引き返してきて『だめ、だめ、家に帰れ』と言いました。すると他の患者たちを乗せた車は私たち姉妹二人を乗せずにエルサレムへ向かってしまいました。」

このことがあってから、イーマーンの具合は悪化しました。イーマーンがWCLACの現地調査員に語ったのは、兄弟がもう一度、彼女の許可を取るための手だてをとっているときでした。

「許可証を待っている間、私はとても具合が悪くなりました。それからエルサレムの病院に行き、集中治療室で一週間を過ごしました。そうなったのは必要な治療を受けるのが間に合わなかったからです。私の具合は今は薬をちゃんと飲めていた時よりもずっと悪いです。疲れていて、痛みでねむれない日もあるのです。」

イーマーンは幾分回復し、エルサレムで、その後はヨルダンで治療を受け続けていましたが、悲惨なことに、2009年遅くに亡くなりました。

原文
A 2009 report on Israel’s human rights violations against
Palestinian women
http://www.wclac.org/english/publications/book.pdf

(次号予告:シリーズ【2】-2/3 「移動の自由」>証言9)